:Jean-Louis Bouquet『LE VISAGE DE FEU』(ROBERT MARIN 1951年)(ジャン=ルイ・ブーケ『炎の顔』)


 昨年の神保町洋書市で購入した生田耕作先生旧蔵本。
ROBERT MARIN社の幻想小説シリーズ「L’ENVERS DU MIROIR(鏡の裏側)」の1冊です。表紙の脳みそのような絵はtoyen(トワイヤン)のようですがふたしかです。


 前回読んだロカンボールに比べて、一段と文章が難しくなりました。ひとつは難しい単語がたくさん出てくることによりますが、微妙な心理や事物の細かい描写が多いことも原因でしょう。ロカンボールだと先に何が書いてあるかだいたい想像できたので、想像したものと文章がどんどん一致していき、本来なら理解できていないはずの部分も素早くクリアできましたが、今回は先がどうなるか展開が予想できず、まったく雲の中を進むかのようでした。

 基調は黒魔術の登場するオカルト小説ですが、男女の心理的な葛藤が細かく綴られたり、詩的な美しい幻影が描かれたり、クロード・セニョルのような土俗的な香りもあり、奥行きのある小説群となっています。幻想小説の中では、文章が緻密で濃厚、書き方の骨法はしっかりしているほうだと思います。

 ジャン・ルイ・ブーケという人は、ネットで調べると、もともとシナリオライターだそうで、ノヴェライズや子ども向きの本は結構書いていますが、幻想小説の分野の作品は少ないようです。もう1冊『MONDES NOIRS』という本を所持していますが、まだ読んでいません。

 冒頭の「LIMINAIRE(序)」は署名がないので著者のものだと思いますが、こういう抽象的な文章になると、途端に読解力のなさが露呈してほとんどよく分かりませんでした。自分の作品世界を説明しているもののようで、何かしらおどろおどろしさのなかにある種格調が感じられたという程度です。まだまだ修業が足りないと恥じ入るばかりです。


 恒例により、各編の概要を紹介します。(ネタバレ注意)
上記のような読解力なので、曲解しているところがあるかもしれませんので、ご留意ください。
○ALASTOR, OU LE VISAGE DE FEU(アラストル―炎の顔)
幻想小説の雰囲気はあるが、夫妻の間の不可解な亀裂を何とか調整しようという友人の苦闘話が話の展開の大半。礼拝室の壁に同じ顔をした天使を書き続ける妻とその妻の狂気を疑う夫。妻は夫が殺しに来るという幻影に苛まれていた。その夫にも子どもの頃父親を殺してしまったのかもしれないという悪夢のような記憶があった。精神病小説と言うべきか。そして妻に子どもが生まれることを極度に恐れていた夫は子どもの顔を見るや自殺を図り、夫の死とともに妻が夫の幻影から解放されるという超自然的な符合で物語が終わる。


ASSIRATA, OU LE MIROIR ENCHANTÉ(アシラータ―魔鏡)
オカルト小説。オカルト信望者の黒魔術の会で、あるメンバーが持ち込んだ黒檀の箱に包まれた鏡の中に前世の姿を見た若い男。カバラに詳しい別のメンバーがそれは前世の姿ではなく、見ている者の欲望を反映させるだけの悪魔の鏡だと忠告する。が若い男はどうしても欲しくなり騙し取り逃亡してしまう。男の行方を千里眼の権威三者が占うがばらばらであった。鏡の所有者はその三つを合わせたのが真の行方と結論する。


◎ALOUQA, OU LA COMÉDIE DES MORTS(アルカ―死者の芝居)
霊媒や心霊が出てくる幽霊譚。貴族の家系とその召使にまつわる物語を演劇で再現したいという男が劇団主の主人公のもとへ訪れる。配役を決め、そこに男が連れてきた東洋出身の謎の女が加わって、練習は次第に熱を帯びてくる。ところが謎の女のせいで配役の一人の女性の気が狂ってしまう。その女性と男は練習中に結婚を約束した仲となっていた。男は苦しみのうちに召使の家系の末裔だったことを告白し、最後は気の触れた婚約者の振舞いに巻き込まれ事故死してしまう。元凶の謎の女は知らぬ間に消えていた。地下に埋もれた貴族の邸宅の廃墟を暴くと、胸に謎の女の名前を彫ったペンダントをつけた骸が発見される。太古の呪いがかかったのだった。


◎ASMODAI, OU LE PIÈGE AUX AMES(アスモデ―魂の罠)
黒魔術の場面が迫真のうちに描かれているオカルト小説。両親が亡くなり叔父夫婦に引き取られた子どもが主人公。大きくなって、叔父夫婦の娘が好きになり愛を告白するが、逆に馬鹿にされ、山師のような男から希望が叶えられるという魔法の書を買う。ある日娘に嘲弄された勢いでその秘術を実行するが、彼の部屋に現れた娘は氷のような体の魂の抜けた状態だった。結局望みがかなえられないまま救済を得ようとあちこち訪ね歩いたあげく徒労のまま死んでしまう。司祭に「救いはない」とぴしゃりと言われてしまうのは仏教との違いか。残された魔法の書を地中深く埋めたら近くの木がまたたく間に枯れてしまったというのが、魔法の力をリアルに感じさせる。