:引続き俳句関連2冊

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江國滋『スイス吟行―旅券は俳句』(新潮社 1993年)
飯島耕一『俳句の国徘徊記』(書肆山田 1988年)

 前回の俳句本2冊は、俳句を理論的歴史的に解説した本でしたが、今回は自由気ままに書かれていてリラックスして読める本を選びました。どちらかと言えば、私にはこちらの雰囲気の方が性に合っているように思います。


 『スイス吟行―旅券は俳句』は、江國滋が俳句の師匠鷹羽狩行と一緒に、スイスへ吟行に出かけたときの様子を、成果の俳句とともに、紹介したものです。江國滋の本は、これまで何冊か読みましたが、いずれも安心して楽しく読めます。

 江國氏はお酒が好きと見えて、散歩の途中カフェによってはビール、列車に乗ってはビール、山の上のカフェでまたビール、レストランではワイン、ホテルのバーで水割りというように、絶えずアルコールを口にしています。うらやましい限りです。

 人生の後半に入ったおじさんのエッセイは、自分を客観的に見つめる眼があって、本音が出ていながら力が抜けていて、なかなか味わい深いものがあります。東海林さだお小沢昭一のエッセイのノリに近いものを感じました。

 ここに登場する俳句は、完成された芸術作品ではなくて、その場の雰囲気を盛りたて、また記録する役割をしていて、紀行文の一部として溶け込んでいます。昔の連句の世界に近いような、挨拶句のようなところがあるといえばいいのでしょうか。


 雰囲気を伝えるために幾つか俳句を引用します。
行きの飛行機の中で仕事を持ち込んだ狩行師匠と酒ばっかり呑んでいる江國氏の応酬。
高度一万狩行先生夜なべかな(滋酔郎)→滋酔郎は江國氏の俳号
長き夜も長からず酒・煙草・酒(狩行)/p14


アッペンツェルの町で訪ねた画家夫婦が夫唱婦随の理想の夫婦で、スイスが男性優位の国と知って、
天高くアッペンツェル男子ここにあり(滋酔郎)/p45


狩行師匠がパスポートや財布の入った上着をどこかに忘れてしまって
秋風やしんじつ狩行は無一物(滋酔郎)/p63
これは狩行師匠の代表作
天瓜粉(てんかふん)しんじつ吾子は無一物 のパロディ
師匠のこのときの句は、
爽やかな旅のはじめに落し物(狩行)/p64


サン・モリッツ駅で夜、特別列車「グルメ・トレイン」に乗ったとき
秋灯をともし宴を待つ列車(滋酔郎)
花野ゆく灯のかたまりの食堂車(狩行)/p90


ユングフラウヨッホ展望台に登ったとき、ガスでまったく見えない状態だったが、ときどきちらりと青空がのぞくのを見て、
絶巓(ぜってん)を隠すは神の白息か(狩行)
雪まぶし処女よ汝(ユングフラウ)の脱ぎつぷり(滋酔郎)/p169



 飯島耕一のものはいちおう評論のジャンルに入るものと思いますが、ご自分でも徘徊記と書かれているように、結構行き当たりばったりに自分がたまたま出会った作品について論評していたり、その論評も印象批評的な大ざっぱさがあります。

 この本に出てくる俳句は現代作家のものが多く、前回、最後のほうで現代俳句の魅力を感じた者としては、タイミングのよい読書となりました。

 『俳句の国徘徊記』の中から印象に残った句とフレーズを引用しておきます。
四、五人死んでからみえてくる水の家(西川徹郎)/p19
反撃をせんとて冬の蜂あるく(水嶋波津)/p60
船焼き捨てし/船長は/泳ぐかな(高柳重信)/p64
とんぼにとまられてゐる私で足りてゐる(海藤抱壷)/p99
雛の唇紅ぬるるまま幾世経し(山口青邨)/p107
茄子植ゑて世評うかがふこともなし(山口青邨)/p108
戦争が廊下の奥に立つてゐた(渡辺白泉)/p109
憲兵の前ですべつてころんぢやつた(渡辺白泉)/p110
炎天の戸口に音すひとりづつ(飯田龍太)/p116
子の皿に塩ふる音もみどりの夜(飯田龍太)/p117
雪の少女を抱けば太古が匂ひ出す(林桂)/p140
斬るぞ夏石番矢の匂ひを着る女(夏石番矢)
夏石番矢と猫が塔から帰る朝(夏石番矢)/p154
牡鹿の前吾もあらあらしき息す(橋本多佳子)/p159
七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ(橋本多佳子)/p160
蓮掘りが手もておのれの脚を抜く(西東三鬼)/p192
緑陰に三人の老婆わらへりき(西東三鬼)/p254

実のところかるみなんてものは、少し才能のある者が、少し正念を入れて俳句をやると、ほっておいてもあの境地へ行くようになっているのです。俳句は、そのような性格や要素、つまり陥穽をもった詩型です。私は、かるみの世界へ行かないように努力をしています(鈴木六林男)/p23

「北寿老仙をいたむ」・・・蕪村はここに見られるようなみごとな抒情詩を、十八世紀の半ばにつくり得た。日本の近代詩の源を新体詩にではなく、このあたりに置いてもかまうまい。/p157

詩と、短歌と、俳句はちがう。詩人と歌人俳人はちがう。酒の飲み方も、座談会の雰囲気も、みなちがう。・・・歌人たちはみな思いつめている。断崖意識だ。真剣でそこがいい。だが決して思いつめたりしない俳人の笑いと快活さもまたよいものだ。/p231

俳句は何であろうか。一口で吐く宇宙図、あるいは宇宙音ではあるまいか。/p258