:辻瑆・芳賀徹編『文学の東西』(日本放送出版協会 1988年)

 
 前々回の「最近読んだ本」で、この本に収められている芳賀徹桃源郷の系譜」を取り上げましたが、そのついでに他の諸編も読んでみました。かなり部厚い本で、400ページ弱になります。

 この本は、放送大学比較文学講座のテキストのようで、比較文学の歴史や総論を最初の座談会やいくつかの論文で行なった後、個々のテーマ別研究論文、そして後半は「○○(国名)と日本」という国別形式で、その国の文学が日本の文学に与えた影響や交流をテーマにした論文が並びます。


面白かった論文を◎○で評価すると、
芳賀徹比較文学の歴史」
芳賀徹桃源郷の系譜一・二・三」
○加納孝代「きりしたんとクリスチャン一・二」
大久保喬樹蘭学事始一・二」
芳賀徹「住まいの詩一」
渡辺守章「フランスと日本一」
○上島建吉「イギリスと日本二」
島田太郎アメリカと日本一」
○桑名一博「スペインと日本一」
杉田英明「アラブと日本」
となります。


 座談会で、芳賀徹は、日本の比較文学が辿ってきた歩みを次の三つの段階にまとめています。(p23〜24)
1)翻訳文学研究の時代:森鴎外上田敏永井荷風らの翻訳の過程で、東と西の文学がどう触れ合い、ぶつかりあい、西をいかにして東の中に取り込んだか。
2)留学体験研究の時代:実際に留学した体験が、どんな心理的な葛藤や精神的な開放をもたらし、帰国後の文学活動の中に、どんな西洋体験として生かされていったか。
3)純粋な構造的な比較研究:最近は、歴史的な影響関係と離れて、東と西の文学をある枠組み(例えば謡曲の複式夢幻能の現代世界演劇での位置づけ)の中で対比しようとしている。


 前々回取り上げた「桃源郷の系譜」の次に印象深かったのは、大久保喬樹蘭学事始」です。
 「蘭学事始一」では、杉田玄白が西洋の医学と出合った当時の状況が目に見えるようにまざまざと描かれていて、玄白の逸るような心の動きが伝わり、「実にこの学開くべき時至りけるにや」(p150)という叫びが迫真をもって聞こえてきます。

 「蘭学事始二」では、西洋思想と出合った際の18世紀初めの新井白石と19世紀の渡邊崋山の二人の姿勢を比較し、白石が儒教原理の正統性を守るために厳しく西洋思想と対峙するのに対し、崋山は「正統である原理も、理非を知らぬ力づくの現実の前に屈し、犯されかねない非情緊急な現実が問題」(p161)という状況に追い込まれている姿を描き、「ここから、間もなく、福沢諭吉実学思想、儒教否定、あるいは栗本鋤雲の西欧合理主義文明全面肯定等の幕末開明思想が生まれてくるのは当然だった。」(p163)と指摘しています。


 下手なまとめはさておき、この本に出てくるディテールの印象深いところをご紹介します。

 伝道期のキリスト教関連の翻訳の美しさには、あらためて感銘を受けました。ひとつは徳川以前の『ぎやどぺかどる』から次の文章。

晝は心の亂れの多き事を厭ひ、夜は夜を専らとし、デウス共に明し奉るべき事を望み、如何なる秋の夜の長さをも長しと覺えず明なんとするを苦しむ者也。月朗に風涼しく、星の林のさやかなるを眺むれども、更にうき世の人の眺めに等しからず、・・・閑かに夜深けて人の音なひたえたる折節、草むらにすだく蟲の聲々かすかに物すごきを聞ても心をすまし、起もせず寝もせずして、夜半を明し、かんちこといふ經に見えたる如く、われ寝てしかも心は寝ずと云に同じき也。(p121)

著者の加納孝代は続く解説(p121〜124)で、カトリック神秘思想が日本古典文学の語彙のなかにみごとにうつしかえられているのを立証しています。

 もうひとつは、明治訳旧約聖書で、例えば次の「雅歌」

われはシヤロンの野花(のばな)、谷の百合花(ゆり)なり。女子(をうなご)等の中にわが佳耦(とも)のあるは荊棘(いばら)の中に百合花のあるがごとし。・・・我ふかく喜びてその蔭にすわれり、その實はわが口に甘かりき。彼われをたづさへて酒宴(さかもり)の室にいれたまへり、その我(わが)上にひるがへしたる旗は愛なりき。(p137)

著者の加納孝代はこの文体の特徴を次のように書いています。

この文体の特徴をきわめて大づかみにいってみるならば、語彙は和語、文脈は漢語調、レトリック(対句法やたとえ)は原文のヘブライ語のきわめて忠実な写しといえよう。(p138)

 島崎藤村が、植村正久訳の賛美歌の言葉と発想をそっくりそのまま借りて、「逃げ水」(『若菜集』)と題する詩をつくっていることを知りました。これは今なら剽窃と言われるたぐいのものですね。(p141)


 「蘭学事始」から引用された次の文章などは、機器についての単語が摩訶不思議な幻妖さを醸し出していて、とても不思議な味わいがあります。

かの舶よりウエールガラス(天気験器)、テルモメートル(寒暖験器)、トンドルガラス(震雷験器)、ホクトメール(水液軽重清濁験器)、ドンクルカームル(暗室写真鏡)、トーフルランターレン(現妖鏡)、ソンガラス(観日玉)、ループル(呼遠筒)といへるたぐひ種々の器物を年々持ち越し、その余諸種の時計、千里鏡、ならびに硝子細工物の類、あげて数へがたかりしにより、人々その奇巧に甚だ心を動かし、その窮理の微妙なるに感服し(p145)