:フランス詩に関する本2冊『フランス詩の歴史』『フランス詩法』

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ジャン・ルースロ露崎俊和訳『フランス詩の歴史』(白水社 文庫クセジュ 1993年)
ピエール・ギロー窪田般彌訳『フランス詩法』(白水社 文庫クセジュ 2001年)

 これまでフランスの詩は、翻訳ですが、19世紀以降の有名どころのものをいくつか読み、一部の詩人については熱狂して読みましたが、それ以外の古典的な詩は知りませんし、まとまった詩の歴史の本は読んだこともありません。また詩の形について勉強したこともありませんでした。お恥ずかしい限りです。

 先日、ローデンバックの『静寂』を原文と翻訳を照らしながら読んでみて、その美しさに心を動かされたこともあり、これまでおろそかにしてきた詩の歴史の本と詩法の入門書らしきものを2冊読んでみました。

 この2冊はまるでトーンが違います。
『フランス詩法』は新書の割にはとても初心者向きとは思えず、詩の技法に関する専門用語が多過ぎ、また窪田般彌の割には訳が読みづらく、半分ほども理解できませんでした。内容が難しいのとは別に、どうみても稚拙な日本語表現がところどころ目につきます。おそらく若い人に任せて本人は名前を貸しただけではないでしょうか。(違ってたらごめんなさい)

 それに比べて、『フランス詩の歴史』のほうは、易しい言葉に訳されていて、格段に読みやすく感じました。詩の翻訳もよくこなれている感じがしました。若い人が平易な言葉づかいをするところは感心します。

 原著者の比較をすると『フランス詩法』は言語学の教授が書いたもので、『フランス詩の歴史』のほうは実際に詩を書いている人が書いたものという違いもあるように思います。

 『フランス詩の歴史』では、自分の詩人としての感性を拠り所として、「最も大きな賛嘆を捧げてやまぬ詩篇とは、・・わたしたち読者にとっては意味不明なままの詩篇なのである」(p123)とか、「『悪の華』の作者がロマン主義の圏外にいるとは言えない」(p124)といった思い切った発言をしているところは好感が持てます。

 『フランス詩法』は、とくに前半は内容にも興味が湧かず読むのが辛く思われました。詩句の文体を論じた五章、19世紀以降の詩を論じた六章、結びがかろうじて、面白く読めたのは、新しい言語学の成果が反映されていたからでしょうか。

 詩法についてかろうじて理解できたのは、
1)人間の記憶能力、識別能力の限界で、6〜7音以上の詩句になると、どこかに句切りを発生させてしまうことになること。日本の場合もあてはまりますね。
2)詩は、当初韻文であることが中心であったが、近年、諧調やイメージの比重が増したこと。これも日本の近代詩にあてはまりますね。
3)文法的な統辞という構造的な表現と、あるポジションで単語を並列的に置き換えられえる範例的な表現の二つの軸から詩の表現は考えられること。昔ある言語学の本で、言語障害がこの二つの軸に沿って現れることを教わったことを思い出しました。
4)また中世から近代にかけてのフランス語の発音の変化によって、昔の詩の形がおかしく見えること。同様に地方によっては言葉の発音が違うため、脚韻が違ってくること。ボードレールがノルマンディ訛りの詩も書いていることは初めて知りました。
5)脚韻については、ごく少数のパターンが数多く使用されるためマンネリに感じるところがあること。
6)フランス語は英語、ドイツ語と違って、言葉の抑揚が少なく、そのため音綴の数に頼らざるを得ない。しかし、逆にフランス詩のほうが高度な技術で得られた果実は貴重なものとなると『詩法』の著者は最後に言っています。

「規則を最も厳密に守っても、最も平凡で単調極まりない詩句が書き得る・・・残念ながら、詩的生産物の99%はこれに当たる」(p118)と著者も言うように、詩法というものも、最終的にはセンスの問題ということになるのでしょうか。

 次は、個々の詩作品について、詩法の特徴を分かり易く解き明かし、またその詩法を採用することによって作品にどんな効果が現れているかを、ていねいに解説してくれるような本を読みたいと思いました。

 『フランス詩の歴史』の方は、20世紀の部分を除けばよく整理されていて分かり易く感じました。20世紀については何とか流派ごとにまとめようとしていますが、その詩の特徴がどういったものか皆目分からないので、混乱している印象しか受けませんでした。同時代を描くのはやはり難しいということでしょう。

 フランス詩の歴史について、理解でき、また面白かったのは、
1)すべての詩は歌われるものであった。・・・またしばしば踊られるものでもあった。(p10)
2)がらくた詩(ファトラトジー)というジャンルがあること。誰の生涯なのか、誰の夢の話なのか、かいもく見当のつかない韻文劇「聖ニコラ伝」という13, 4世紀の作品が例として挙げられ、シュルレアリスムを予言するものとされています。また16,7世紀のシゴーニュの『ちんぷんかんぷん詩集』も挙げられています。
3)畳韻法という技法、例として、le vain travail de voir divers pays(さまざまな国を見るというむなしいわざ)(p42)
4)自然科学を韻文で表そうとした科学詩なるものがあること。
5)ロマン主義はたくさんの作品を生み出したが、少なくとも詩においてはいかなる形式的革命も成しえなかった。

 この本のなかで、印象に残ったフレーズ

愚か者め、わたしがおまえではないと思い込んでいるとは(ユゴー)(p22)

すべては崩れ落ちる、なぜとは知られぬまま(ウスターシュ・デシャン)(p28)

二つの芸術(バロックと古典主義)が背反する立場にあることは疑い得ない。だが、それはあくまで遠くから観察した場合に限る(p64)

grotesqueの訳語「滑稽怪奇体」(p76)

隠された神は、しばしば、目立たぬものに宿る/そして、閉じられた瞼のなかに生まれでる目のように、/石の殻の内側に無垢な精神が育つ。(ネルヴァル)(p123)

 詩がどのように発表され、どのように読まれているか、詩と社会の関係については、あまり言及がありませんでした。このところに関心があります。19世紀以降、とくに現代について知りたいと思いました。