:鶴我裕子『バイオリニストは目が赤い』、イヴリー・ギトリス今井田博訳『魂と弦』

 ヴァイオリン関係の本を続けて読みました。ヴァイオリンというだけで2冊には何の関係もありません。鶴我さんが「マイ・フェイヴァリット」のトップに、ギトリスをあげていることぐらいでしょうか。内容もトーンも違います。

鶴我裕子『バイオリニストは目が赤い』(新潮文庫、2009年)
 この本の魅力は何かと言えば、クラシック音楽についての本はどこか少し背伸びしたような感じがあるものですが、この本は等身大の内輪話がてんこもりになっていることでしょう。しかもあのお堅い感じのするNHK交響楽団のメンバーなのに、意表をつくほど軟らかくユーモアたっぷりです。何と一部はN響定期演奏会のプログラムに連載されていたみたいです。

 オーケストラの一員から見た指揮者の姿、リハーサルの内輪話など、日頃リスナーが知りえない面白い話がたくさんあります。ソリスト手当や、譜読み、貸し譜などの実態も初めて知りました。
 
 著者には反抗期の中学生がそのまま大人になったようなところがあって、音楽界の常識の反対を行くようなことを平気で言うのがまた痛快です。例えば「人にさらってもらって手柄を横取りするようなバチアタリ」と指揮者をぼろくそにこき下ろすところなど。後でやりにくくならないのか心配になりました。


 そういう内輪話ばかりでなく、東西融合前の東欧の演奏家との交遊や、お父さんが入院している病室で演奏する話、「世の中に合奏が足りない」と主張するところなど、まじめな話もあります。とくにお父さんの病室で看護婦さんに許しをもらって演奏した時、同室の植物状態の患者さんが顔を真っ赤にしてベッドのヘリにつかまって半身を起こし、「ウーウー」と歌い始めたというシーン、そしてそれに続く言葉「もしかしたら、一番聴き入ってくれる聴衆は、しあわせな人たちではなく、このような人たちかもしれない」と書いているあたりは感動的でした。

 しゅーまいの「551」の由来がモーツァルトのジュピターのケッヘル番号からというのは初耳でした。

イヴリー・ギトリス井田博訳『魂と弦』(春秋社、2000年)
 ギトリスは20年ぐらい前ヴァイオリン小品集を聴いてから病みつきになって、よく聴いています。ややもすると細かいパッセージの正確さが省略されるようなところがありますが、全体的にギトリスならではの音楽を醸し出す情感の横溢した演奏はすばらしいものがあります。


 この本は、ユダヤ人として生まれ、天才ヴァイオリニストとして騒がれ、1980年の壮年期を迎えるまでのギトリスの生い立ちに沿って、内側の声を中心に綴ったものです。

 演奏は大好きですが、この本を読んでみて、ヴァイオリンなら許せるが文章は勘弁して欲しいというのがはっきり言っての感想です。飛躍、ほのめかし、省略、話題の急転換、脈絡のなさetc本人の思いのままに書き連ねたという感じで、おそらく口述ではないでしょうか。簡単に言うと文章が飛び跳ねていて非常に読みにくかったです。文章を書きなれていない人特有の欠点だと思います。訳者もそれを補おうとしていません。芸術家の文章はこんなものという先入観があるのでしょうか。それにプラスしてフランス人特有の冗舌さが加わってくるので、ますます読みにくくなっています。
 
 この本を読んで一番ショックだったのは、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第二番を、「何の興味も湧かない作品」と言い放っていることです。あれほど愛聴して、魂の溢れたギトリスの演奏が気に入って、とても好きな曲になっていたのに、当の本人が何ということを言うのでしょうか。