:Patrick Modiano(パトリック・モディアノ)『La place de l’étoile(エトワール広場)』(Gallimard folio、1978)


 本を選ぶのを間違えたのか、モディアノだからと安心して読み始めたら、とても難かしくててこずりました。


 何で難渋したかと理由を考えてみると、
まず前世紀末から第2次大戦後までのユダヤ問題が話題になっていて、それに関連したありとあらゆる人名が出てきますが、その人がどういう人か分からないと全体の意味が通じなくなってしまうこと。その都度人名を調べますが出てきたうちの半分ぐらいしか分かりませんでした。(こういうときには電子辞書が便利なことが判明しました。仏和からすぐ一括検索に移行して、百科辞典や英和辞典も呼び出せます)。主人公はユダヤ人ですが、ドイツ協力者で反ユダヤ主義者のようにも読めます。ユダヤ人でも反ユダヤ主義者というのが居たのでしょうか。

 この本は、作者自身もこの物語の最後でフロイトの口を借りて書いているように、「ユダヤパラノイア」の書です。全編ユダヤに染まっています。なぜここまでユダヤに(しかもモディアノは戦後生まれで、とくに迫害を受けたということもないでしょうに。)こだわるかが分かりません。逆にユダヤ問題を意識させてしまうのではないかと心配になります。調べてみると、モディアノのお父さんがイタリアユダヤ人のようで、この前読んだ『Les boulevards de ceinture』も父との物語でしたが、原点にはこの父への思いというのがあるようです。


 もう一つの理由はどこまでが妄想で、どこまでが本当のことかが分かりにくいこと。これはおそらく私のフランス語読解力に大きく起因していることと思われますが、主人公がユダヤ人なのに、ヒトラーから勲章をもらったとか、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンの元愛人だと言ってみたり、イスラエルが舞台だと思っていたら、突然パリの出来事になったり。途中で人称が「私」になったり「彼」になったり「お前」になったり、誰が行動し喋っているのか分からなくなることが時々ありました。


 またこれがモディアノの処女作だということも大いに関係しているかもしれません。これまで読んだものの中で一番観念的で、また表現がストレートで過激な印象を受けました。まだ充分こなれていないという感じです。またきわめてブッキッシュな物語であるというのも他の作品と区別できる特徴です。冒頭に罵声の嵐が卑語俗語を交えて出てきますが、これも処女作ならではのとんがりでしょうか。


 この物語の魅力は、ハードボイルドが基調になっていることで、かなり強烈なトーンで描かれています。モディアノの他の作品もハードボイルド小説のようなところがあり、それは行動的な主人公が訪ね歩きながら少しずつ謎が解明されていく(あるいは謎が深まって行く)という展開にあって、どちらかというと抒情的な雰囲気を感じさせるものですが、この作品ではハードボイルドの暴力的冷酷な側面が印象的です。何事もないかのように恋人を売春斡旋業者に売り飛ばしたり、ほとんど理由もないのに人を殺したり、目を覆わんばかりの拷問シーンが続いたり。今日のフランス・ノワールを先取りしたかのような筆致です。

 ユダヤの話ばかりで訳が分からず退屈してきた時、読書の意欲をつないでくれるのは、この抗争や暴力、女性を誘拐して売り飛ばすというような荒々しい筋立てであることは間違いありません。