:ジャン・ロラン篠田知和基訳『フォカス氏』

 『象牙と陶酔の王女たち』を読んだ勢いで、翻訳本を読んでみました。読まずに大事に残しておいたので、得をしたような気分です。


 全体的な印象としては、『象牙と陶酔の王女たち』に見られた詩的な凝縮は薄められていて、少し饒舌が過ぎるように感じられましたが、これはフランス人特有の饒舌で、私が日本人だからそう感じるのでしょう。半分ほどにカットしてもこの小説の魅力は消えないどころかより増すような気がしますが。


 これまで読んだロランの小説のなかでは、登場人物の性格といい振る舞い方といい、「ブーグロン氏」に近い作品と言えます。


 登場人物は世紀末的な雰囲気を漂わせる奇怪な人物ばかり。大半は貴族や大金持ち、そして芸術家(3大主要人物:フォカス氏はノルマンディーの地主で旅行家、ジャン・ロランの分身と思われる。英国人イーサルは画家、同じく英国人ウェルカム卿は莫大な遺産を相続したばかり)。貴族や金持ち以外で登場するのは娼婦。普通の人は召使ぐらいしか出てこない。


 前段では、近東からあらゆる悪徳を持ち帰ってきたと言われるフォカス氏の異様ぶりに焦点が当てられますが、フォカス氏の手記に入った途端に、イギリスの画家クローディアス・イーサルの奇矯さがクローズアップされ、フォカス氏はどちらかと言うとイーサルに引き回される役柄となってしまいます。

 これは手記という形に起因するように思われます。手記の中ではフォカス氏は1人称小説の主人公の立場となってしまい、感情の揺れ動きや思考の足跡など人間的な風貌が読者に公開されてしまうことになり、不気味な要素が半減してしまうからです。それに反して、イーサルは何を考えているのか分からないまま。またフォカス氏を通して見ているので本当のところどうなのか、正体が摑めません。

 そこにトーマス・ウェルカム卿が現れるのに及んで、さらに事態は複雑化してきます。この3人はそれぞれが裏では殺人者や詐欺師などといわれている人物ばかりなのです。

 この物語の魅力の一つは、この3人の奇怪な人物たちの誰を信じてよいか分からないというところにあると言えます。ウェルカム卿はフォカス氏に対してイーサルは毒殺者だから用心しろと言い、イーサルはフォカス氏にウェルカム卿は悪魔憑きで人殺しだから用心しろと言います。その肝心のフォカス氏でさえ正体は本当のところよく分かりません。


 この物語の底流には、フォカス氏が囚われている幾つかのモチーフがあります。
 まずフォカス氏が呪われ取り憑かれているという海緑色の透明さ。これは宝石や眼の色などとしてあちこちにたえず現れてきます。
 同じく仮面の魅惑や、麻薬による幻覚、また中近東やインド、エジプトの魅力。これらが渾然となって現れます。
 そして殺人への誘惑が決定的なものとしてあります。この時代頃から、ポーやボードレールの影響や、犯罪小説の興隆でそういう土壌が出てきているように思われます。サーカスの軽業師の墜落への期待や死に瀕している者に魅惑を感じてしまう心性。最後には本当にイーサルを殺してしまいます。


 p103〜107にかけての阿片の幻覚シーンは圧巻。『象牙と陶酔の王女たち』の幾つかの場面を思い出させます。またルドンの顔だけが空中に浮かんでいる絵を思わせるシーンもありました。