:ジャン・ピエロ渡辺義愛訳『デカダンスの想像力』


 大変分かり易く面白く読めました。何が分かり易かったかと考えると、デカダンスと呼ばれる世紀末の作家芸術家の傾向について、いろんな視点から幅広く丁寧に解説していることでしょう。この手の本はほとんどといって良いほど、趣味に淫した筆致に終始し一面的な記述になってしまうことが多いですが、その失敗を免れています。


 まず文学史を広く俯瞰していて、作家間の影響関係を捉えていること。デカダンスに影響を与えた作家として、ロマン主義(ゴーチェ)、ボードレール、ポー、ド・クィンシー、フローベールを挙げています。


 次に、社会の外側で起こっている変化が作品や運動に及ぼす影響もしっかり捉えていること。この時代を広く覆っていたペシミズム、ショーペンハウアーの流行、さまざまなタイプの観念論、常軌を逸した存在としての芸術家のあり方、科学の躍進とその反動としての神秘主義・耽美的カトリシズム・サタニスムなどを挙げています。科学の中でも当時無意識の世界を開拓しつつあった精神分析の流行を取り上げています。


 また、個々の作品の中の世界をよく吟味しその時代全体の傾向を把握しようとしていること。これについては、性欲の問題、幻想のあり方、夢や神話伝説の扱い方、都市(近代性)のテーマ、麻薬の役割、想像力のあり方、さらにはバシュラールの方法を援用して、水、鏡、宝石、鉱物、植物など、作品に鏤められている共通基本要素を取り出して説明します。


 1895年以降デカダンスの運動が否定され徐々に消滅していった理由も、いくつかの要因を的確に指摘しています。自然崇拝への復帰の志向が高まったこと、神話伝説の濫用により新鮮味が薄れたこと、現実から夢や麻薬へ逃避することに対する嫌悪感が反動として起こったこと、相次ぐ中心的人物の死、ドレフュス事件で社会的関心が高まったこと、ショーペンハウワーに変わるニーチェの登場などなどです。


 最後に、シュールレアリスムの作家たちはデカダンスの時代に対して無視しているそぶりを見せていますが、実はデカダンス作家たちの想像力の延長線上にシュールレアリスムがあることを証明しています。


 著者が最も言いたかったことは、デカダンス運動を、ロマン主義から受け継ぎシュールレアリスムへと橋渡しした役割に見るということでしょう。


 あえて極端化すれば、デカダンス象徴主義も広義にはロマン主義(後期ロマン派)であって、そういう意味では、19世紀全体がロマン主義の時代だと言うことができると思います。間に入った高踏派はその一変奏であり、ロマン主義と全く相反するかに見える自然主義も実は束の間の反動に過ぎず結果的にはロマン主義を強化する働きをしたということが分かります。その後1910年頃を境に広義のモダニズムの時代に移って行くという図式になるのではないでしょうか。


 訳文は少し原文に引っ張られて回りくどい文章になっているようですが、読み易く、訳者のこの時代に対する愛着が伝わってくるような気がします。


 いろいろ知らない作家名や、面白そうな作品名を知ることができました。列挙しておきます。ほぼ登場順。
レッテ『夜の鐘』
デュジャルダン『強迫観念』の中の一篇「未来の気違い沙汰」
ベルナール・ラザール
アンリ・リヴィエール
スタニスラス・ド・ガイタ『黒いミューズ』『神秘の薔薇』
カチュル・マンデス『夕べの星』
アルベール・ジューネ
シャルル・ド・シヴリ『あの世の話』
ジュール・レルミナ『不老長寿の霊薬』
ロベール・シェフェール『眠り』
カミーユ・ドバンス『悪魔物語集成』の一篇「死者の世界の一夜」
ジュール・レルミナ『信じがたい物語』の「恐怖」
ガストン・ダンヴィル『あの世物語』の一篇「流れのままに」
モレアス『リュテーヌ』の「アブサンの夢」と題するテキスト
ユイスマンス『仮泊』の3つの夢の物語、第二の夢の月面歩行
ポール・エルヴィユー『見知らぬ男』、短編集『緑の目と青い目』
モーリス・ド・フルーリ『水銀』
ルコント・ド・リール『夷狄詩集』
ルイ・メナール『詩集』『神秘的異教徒の夢想』
レニエの短編「エルテュリ」一人の人物が一連の鏡の反映の中に溶滅してしまう物語
レニエ『古代・ロマネスク詩集』宝石と植物と水とが混じり合った想像力複合体
ジャン・ロランの詩「青い森」
ギュスターヴ・カーン『黄金と沈黙の物語』
ジルベール・ド・ヴォワザン『月桂樹のために』
ジャン・ド・ボッシェール『ベアル=グリーヌ』
フランツ・エランス『死せる町にて』『風の外』『潜在する真理』『ノクチュルナル』『メリュジーヌ
アルフォンス・セシェ『閉ざされた目の物語』
クロード・ファーレル『阿片の煙』

印象に残った文章を少し。

小説技法が写実主義の手法を取り入れることによって、現実を明確、緻密に描写し、その保証のもとに虚構を繰り広げた。こうして物語にそれまでよりも厳密な構造が与えられ、このような構造は読者の感受性をますます効果的に導いた。/p215

神話は詩的暗示力と文学的美しさを保持するために、両義的であらねばならず、異論を挟む余地のない知的な内容に、即座に明瞭に単純化できるものであってはならない。神話は晦渋さと不確定な部分をおいそれと手放してはならず、どんな芸術作品も分析と解釈を越えたところで保ち残すべき部分を保持しなければならない。/p283

認識可能なものと認識不可能なものとを切り離して考えるのは便利な手法であるが、・・・こういった分離は暫定的な抽象作用にすぎないものであることをはっきりわきまえておかなければならない。というのも神秘は現実の外側にではなく、現実そのものの中に存在するからである。認識不可能なものは認識可能なものに隣接しているのではなく、その中に深く入り込んでいるのである。(アンドレ・ボーニェ)/p376

見慣れた世界の表層で月並みな外観の背後に潜む詩的なもの、異常なもの、驚異的なものをどのようにして発見するかということが(デカダンス以降の作家にとって)もっぱらの課題となる。/p378