:鹿島茂『パリの異邦人』

 日本人のパリについて書かれた今橋映子さんの本に刺激を受けて、今度は日本以外のパリの異邦人についての本を読んでみました。


 リルケヘミングウェイオーウェルヨーゼフ・ロートヘンリー・ミラーアナイス・ニン、エリザベス・ボウエン、ガートルード・スタインの8人が取り上げられています。


 鹿島茂の社会風俗への嗜好からすると、リルケの高邁な精神性とは縁遠いところにある思っていましたが、リルケについての文章はなかなか的を得ていて、リルケへの深い理解が感じられました。


 鹿島さんは19世紀パリの社会生活を熟知しているので、作品に対する深い読解が可能になっています。外国文学作品を鑑賞する場合、その国の事情や時代ごとの生活や流行に通じていることがいかに作品の理解に重要かということがよく分かりました。


 鹿島茂を読んでいていつも感心するのは、これまでの学説に囚われることなく、自分なりの大づかみな理解をもとに、独自の理論を立てて説明をしていて、それがまたぴたりと当てはまることです。例えば、今回は、パリについて書かれたものに「陽パリ」と「陰パリ」の二つがある、という仮説を立て作品を分類していますが、そういう見方をすると、パリに対する日本人の思いの全体像がよく理解できるような気がします。


 またリルケの『マルテの手記』のなかでの、パリの安ホテルのクッションの窪みに先人の痕跡を感じたときの孤独感に言及したくだりに触れて、同じ痕跡でもヒマラヤの雪山で人間の生活の痕跡を発見したときは「連帯」感になるという違いを説明するのに、パリの安ホテルの痕跡の数は分数の分母に組み入れられ存在感が希薄になって行くのに対し、ヒマラヤの場合は分子に組み入れられ存在感が重く感じられてくるという説明をしていますが、その分かり易さというか面白さには唸ってしまいます。


 この本の白眉は、アナイス・ニンとヘンリー・ミラー、ニンとミラーの妻ジューンとの生々しい関係について述べたくだりでしょう。鹿島茂も文中で思わず、「アナイス・ニンの濃密な性と愛の記録にのめりこむあまり、『パリの異邦人』というこの本の趣旨を大きく逸脱してしまった」と白状しているくらいです。