:石井洋二郎『異郷の誘惑』、菊地章太『フランス東洋学ことはじめ』

   
 このところ、古本屋へも行かず、オークションもはかばかしくないので、時間稼ぎに最近の読書から話題を。

 フランスの東洋へのまなざしを扱った二著を続けて読みました。石井洋二郎はフランス文学者の作品と行動を通して、菊地章太はフランス東洋学の発展の歴史を通してですが、二人の書き振りがまったく対照的、しかも面白いことに「文学」を語るほうに学術臭があり、「東洋学」を語るほうに柔らかな筆遣いが見られました。

 石井氏はさすが東大の出身だけあって、精力的に資料を並べて、網羅的体系的に多くを語ろうとしながら、かつそれらの脈絡を求めようとします。中身が濃くてとても参考になりますが、どこか底流にポストモダニズム的テイストが感じられ、全体的には固い印象がぬぐえません。もう少し荒俣さんや鹿島さんのように、対象や素材に淫したり、偏ったところに妙に力を入れたり、というところを見せてもいいのではないかと思いました。

 それに反して菊地氏は、「ふらんす」に連載されていたということもあるのでしょうが、タイトルの付け方や文章の運びに軽やかなセンスとユーモアが感じられ好印象を抱きました。ただ反面誰にも分かり易くなるようにと、エピソードを紹介し上っ面をなぞっただけの解説となってしまっているのはいただけません。それでも私の知らないことがいっぱい出てきましたが。
 私はいい加減な読者なので、どちらかというと後者に軍配を上げたい。

 両書の簡単な紹介と気に入ったフレーズの引用を下記に。
 
石井洋二郎『異郷の誘惑』
 19世紀のフランス作家たちは堰を切って競うようにして、オリエント(スペインも含む)を題材にした物語や紀行文を書いています。石井氏は、彼らがオリエントに憧れた理由を、時代的な背景は別として、個々には、シャトーブリアンのような濃密な自然への賛美、ラマルチーヌのようにヨーロッパの美を歌い尽くしたと限界を感じての脱出、ゴーチェのように先人作家の諸作品から影響を受けて、あるいはランボーのように生来の放浪癖脱出癖からなど、それぞれの作家によって微妙に異なることを、作品や手紙の引用等で明らかにしていきます。
 上記の作家たちが自ら進んで東方を目指したのに反して、ボードレールは両親から生活矯正のために南洋行きの船に無理やり乗せられたということで、わずか2ヶ月ほどモーリシャス島とブルボン島に滞在しただけだったようです。

 彼らが異国の地で受けたイメージは、まさにボードレールの「万物照応」を先取りするかのような諸感覚の複合だったようで、五感を刺激する表現に富んだ素晴らしい作品が多数生まれることとなりました。

 彼らの作品のなかの言説に露骨な植民地主義を見たりしますが、物語の細かいところにそうした単純な思想と相反する感覚的な正しさがあることもきちんと指摘していて、さすがだと思いました。

出発すること、それは死ぬようなものだ、運命が旅行者を二度と連れてきてはくれないこれらの遥かな国々を離れる時には。旅をすること、それは長い人生をほんの数年間に要約することである。(ラマルチーヌ『オリエント紀行』よりの引用)/p96

かくして永遠なる女性としてのオーレリアAuréliaは「金色」から「東方」へと引き継がれる意味論的連関によって、寒々しい靄に覆われた青白いヨーロッパに黄金の光を惜しげもなく投げかける恵みの女神Auroreと重なり合う。・・・すでに死者となって「私にとっては失われてしまった」オーレリアを求める冥界下りの旅と、常に東方へ東方へと逃れ去って行くオリエントを探索する旅は、同じひとつの旅へと統合される。/p164

菊地章太『ふらんす東洋学ことはじめ』
 片や学術の世界でも、19世紀の東洋ブームはすごいもので、パリではインド学や中国学の講座開設、アジア学会の設立が相継いで行われます。フランスとイギリスが植民地争奪でインドとエジプトを取りあったりする一方、学術の世界では各国間で刺激しあい影響しあいながら成果が生まれていく様子が描かれます。

 はじめにも書いたように、私の知らなかった驚きの話が随所に出てきました。
 ペルシア学については、『アヴェスタ』研究がパリの東洋語学校の一学生がインドに無謀にも乗り込んで行ったことからスタートしたこと、ヴォルテールがその成果をキリスト教打倒の足がかりにしようと思っていたこと(この辺りは18世紀)、ゾロアスター熱がヨーロッパで高まりその影響で、ニーチェの「ツァラトゥストラ」が生まれたこと、無政府主義者ブランキが『ツァラトゥストラ』の発表される前に、永劫回帰の考え方を『天体による永遠』という本の中で述べていること。

 インド学については、イギリス東インド会社の一判事が初めてインドとギリシアの繋がりに目を向けたこと、生物学者キュヴィエの科学的方法の影響で比較言語の考え方が生まれ、インド・ヨーロッパ語という概念ができたこと、ソシュールがインド・ヨーロッパ語の研究から出発したこと、20世紀になって、ガンダーラ美術のギリシア起源をめぐっての論争。

 中国学については、仏教研究のために中国とインド双方にまたがった研究が続けられたこと、敦煌の洞穴で発見された巻物をめぐって、イギリスとフランスで争奪戦が繰り広げられたこと、添えられた写真に、洞穴内にうづたかく積み上げられた巻物の山の前でかがみこんで調べ物をしている学者(ペリオ)の姿が写っていますが、古本掘り出し物発見の究極の姿だといえましょう。

 学術の世界から離れて、文学、絵画や音楽のオリエンタリスムにまで筆が及んでいますが、サン=サーンス管弦楽組曲アルジェリア」のアラビア趣味やピアノ協奏曲第五番に表現されたエジプトの情景など、新たな知見を得ることができました。