:三原幸久編『ラテン世界の民間説話』


                                   
三原幸久編『ラテン世界の民間説話』(世界思想社 1989年)

                                   
 ラテン語から派生した言語を持つ国の民間説話が10人の著者により各国別に紹介されています。インドや中東の説話がイタリアやスペインに伝わり、その影響下で生れた中世から近世初頭のヨーロッパの説話集に興味があり、読んでみました。国別の概説なので、どんな説話集があるかというタイトルと著者名が分かったぐらいですが、おおよそのイメージがつかめたと思います。中南米の民話はまったく知らなかったので勉強になりました。


 イタリアの古典説話はさすがイタリアという感じで艶笑譚が多く、フランスのファブリオと共通するところがあるようでした。著者名とタイトルだけ羅列すると、『ノヴェッリーノ』(別名『古譚百種』)、フィオレンティーノ『イル・ペコローネ』、サッケッティ『三百話』、セルカンビ『イル・ノヴェッリエーレ』、ダ・プラート『パラディーゾ・デッリ・アルベルティ』。それにブルネレスキが大工のグラッソを相手に行った数々のいたずらをまとめたマネッティ『大工グラッソのノヴェッラ』、名物司祭の言行を書き留めた『教区司祭アルロットの頓智と冗談』などがあり、マキャヴェッリにも女性こそ男が地獄へ落ちる主要な原因だとする愉快なノヴェッラ『悪魔王ベルファゴール』というのがあるそうです。

 『ノヴェッリーノ』の代表作として紹介されている「皇帝フェデリーコの話」は、ある男の壮大な生涯が手洗い水を分ける間の一瞬のできごとに過ぎなかったという「邯鄲の夢」のような話でとても興味が湧きました。

 イタリアの民話にもとづいた口承説話としては、ストラパローラ『レ・ピアチェーヴォリ・ノッティ』、バジーレ『ロ・クント・デ・リ・クンティ』(サルッネリが校正し『ペンタメローネ』というタイトルで再版)、サルッネリ『ポジリケアータ』などが紹介されていました。

 クレメンス・ブレンターノの『メルヒェン』には粉本があり、それがバジーレの『ロ・クント・デ・リ・クンティ』であると初めて知りました。


 フランスの部では、新しく知った説話集として、トゥロワ『新話大鑑』、ペリエ作と言われる『新笑話集』、ファイユ『田舎閑話』など。18世紀後半に、41巻からなる「妖精の小筐」叢書が出版され、そのなかにガランやクロワの翻訳による東洋の昔話、それらを模倣したビュニョン、グレットゥ等による疑似東洋昔話が収められていると言います。これにも興味が湧く。

 村の住人が持ち回りで各人の家に集まったヴェイユ(夜の集い)の要因が照明と燃料の節約にあったことや、そういう場で面白い話を沢山知り話し上手な語り手が引っぱりだこで、語り手は夕食と寝床のお返しとして話を語ったことなどが述べられていました。そういう語り手は、仕立屋、麻打ち、農家の作男、住込み女中などだそうで、夜語りの様子がいきいきと伝わって来ました。(話はそれますが、エネルギーがなくなってきた時は日本も将来ヴェイユのようなことになるかもしれません)


 スペインの古典説話については、はじめアラビア語からスペイン語への翻訳が盛んで、ヨーロッパにはスペイン経由で東洋の物語が伝わったようです。近世に入ると、スペインがイタリア南部のナポリ王国を領有したので、イタリア・ルネッサンス文学の影響を受け、次にスペイン継承戦争でスペインにブルボン王朝が君臨した後は、フランス文学がスペインで大きい影響を持ち、ラ・フォンテーヌの『寓話』を真似して韻文で説話を書いたということです。

 まとまった形で東方の説話がヨーロッパへ入った最初の書と考えられている『教師の教え』のなかの「国王と昔語り」という話は、眠れない王の求めに応じて、お伽の衆が二千頭の羊を一頭ずつ小舟で川を渡す話をし、王を飽きさせる果てなし話だそうですが、よく言われる不眠の際の羊が一匹と数える習慣はここに起源があったのかと思わず膝を打ちました。


 ポルトガルには中世から民衆歌謡の伝統があり、今日では消滅しているようですが、ブラジルに受け継がれて今日でも民衆本「コルデル」として息づいていることを知りました。かつては四行詩、現在では一行七音節の六行詩が主流であり、詩の偶数行目が韻を踏むという他、いろいろな詩法があるようです。


 ペルーの神話には衝撃を受けました。それは「インカ王が文字を読むことができなかったので、主が彼を罰し彼は死ぬことになった」というものです。「実際に起った出来事を忠実に再構成していく歴史とは別の次元で・・・独自の『内なる歴史』を保有していることになる」(p186)と著者は解説していましたが、なぜ主がスペイン人の味方になり自分たちの王を罰するような話にしたのか不思議で、非業の歴史を自分たちの中で納得させるために別の物語を作るというのはあまりにも残酷な心理です。そこには無実の被告が自白してしまうのと同じマゾヒスティックな精神性が見えるような気がしました。