:JEAN LORRAIN(ジャン・ロラン)『Monsieur de Bougrelon(ブーグロン氏)』

ikoma-san-jin2009-11-11

ジャン・ロラン『ブーグロン氏』

 神保町のT書店の2階で昨年購入しました。個人できれいに製本し直した立派な本です。ジャン・ロランの比較的初期の3つの作品が収められていて、それぞれの初出本は別ですが、初出が出て間もない時期に、3作品をまとめて出版したものです。編集者の意図だと思いますが、それぞれの作品の持つ雰囲気がまったく異なり、才能の多彩さをうかがわせます。

ムッシュー・ド・ブーグロン」はグロテスクな人物像を表現主義的に描いた作品、「トルコの女」はオリエンタリスムに満ち溢れた作品、「ソニューズ」はポーのはかない女性像をテーマにした一連の詩作品を小説化したような静謐な作品。

 これまで日本語訳で読んだジャン・ロランの作品『黄金仮面の王』や『仮面物語集』をしのぐ傑作群と感じました。短絡的に幻想を扱った小説というよりはしっかりした文学作品の香気があります。

 3作品の内容を大まかにご紹介します。

Monsieur de Bougrelon
 今回も難渋を極めながらの読書でした。途中で割り切って雰囲気だけ楽しむようにしましたが、物語の主眼はBougrelonという人物の奇矯さにひたすら焦点を当てたものと言えるでしょう。表現主義映画との親近性を感じたという意味で、これは表現主義的な小説だと感じました。

 奇矯さをクローズアップするために、ブーグロン氏がフランスからの亡命者で、フランス人旅行者に異郷のオランダの観光案内をするガイドであるという設定に始まり、オランダの街の喧騒、安居酒屋での乱痴気騒ぎ、ブーグロン氏の服装の奇怪さ、立ち居振る舞いの大仰さが執拗に描写されます。過剰なまでの美術作品の引用、たえず言及されるMotimerという亡命仲間のエピソード、Motimerをめぐる女性の挿話など、全編饒舌に埋め尽くされています。この作品の文章の8割方はBougrelonの台詞回しなのです。

 奇矯さを表現するために、フランス語の単語は詩的な言葉はもとより、病的な世界を描き出す退廃語、奇怪なありさまを表現するグロテスク語が続出します。辞書を引くのも大変でしたが、そのために退廃語とグロテスク語の単語帳を作ってしまったほどです。

La Dame Turque
 主人公の青年が旅先で見かけたトルコの若妻に気を惹かれる話。地中海の美しい風光を背景にトリポリからマルタ島にかけてが舞台です。
 この話の主眼は、母親と一緒に旅しているまだ大人になるかならないかの際にいる青年が、美しく神秘的な容姿の若妻Shiamé Esmirliに魅せられる一方、若妻に随行している怪しい言葉を操る通訳が山師のように駆け引きをしてくるのに、疑心暗鬼になり、彼らと会うたびに激しく煩悶する心の動揺のありさまです。

 若妻が見せる、ヴェールをはずして煙草を吸う姿や、右手を先ず額に次に心臓に最後に唇にそっと触れるトルコ風のお辞儀の仕方、山師が青年の耳元で囁く「彼女があなただけに会いたいと、夜9時にカフェで」という言葉などがあると、読書の励みになります。

 港での最後の別れの場面で、青年がこっそり彼女の指にはめた結婚の象徴であったオパールの指輪を、甲板の手すりにもたれた若妻が、知ってか知らずか、指から抜けるままに海に落としてしまうという終わり方は、絶妙な余韻を残し、ロランの技巧派ぶりを見せつけます。

 母親に連れられた旅というのがマザコンお坊ちゃん風で、そんな身分でトルコ夫人に秋波を送るなよと言いたくなるぐらい印象がよくないのですが、ジャン・ロランの若い日がそうだったのかと思わせるような現実味はあります。

SONYEUSE
 この作品の冒頭で、バーンジョーンズやホイッスラーの絵画あるいはポーのリジア、モレラ、ベレニスの詩篇に言及しているように、物静かではかなさを漂わせた女性へのオマージュに満ちた作品です。

 ノルマンディー地方の海辺の町ソニューズが舞台で、珍しい植物が咲き乱れる庭園、教会や修道院が舞台としてこの作品のふくらみを作っています。主人公は幼き日のジャン・ロランを思わせる、感受性豊かで、騎士物語に熱中する12歳にもならない男の子。

 この話の主眼は、この少年の予感と、その恐れていた予感が実現する時の一瞬の怖さでしょう。

 ある日、この町の女性とはまるで雰囲気の違う、長い髪の美しい悲しい眼をして憂鬱そうな面影のある女性ヘレンが、夫と小さな女の子と一緒にこの町へ移住してきます。彼らはイギリス人です。庭園でばったりこの夫人と出会った少年は夫人の美しさに一瞬にして魅入られます。

 小さい女の子が突然いなくなって、母親が気が違ったようになったという噂が流れた頃、少年は熱を出して2ヶ月以上も寝込んでしまいますが、その間、医者と少年の母親がイギリス人一家の噂をひそひそと話すのがとても気になります。ある日、父親が黒の手袋を探して葬列に参加するらしい様子なので、もしや夫人が死んでしまったのではないかという予感におびえます。

 病が快癒した後、母親に連れられて修道院の傍らの墓地へ行くと、そこに干からびた花束に埋もれた墓がありました。覆いを除くと「ヘレンここに眠る」という墓碑銘が出てきて衝撃を受けます。

 ヘレンは人妻だったのですが不倫の末、このフランスへ逃げてきたことが分かります。子どもは前夫が連れ戻しに来たので、母親は悲しみのあまり死んでしまったのです。後日談として、墓を移設したときにヘレンの墓を開けてみると、首がなかったと言うのを聞き、主人公の妄想は広がっていきます。