『ギュスターヴ・モロー展』カタログ

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喜多崎親ほか『ギュスターヴ・モロー展―サロメと宿命の女たち』カタログ(パナソニック留美術館、あべのハルカス美術館ほか 2019年)                                  

 

 奈良日仏協会で美術クラブ鑑賞会があったので、その準備としてカタログを読みました。昨年の『プーシキン美術館展』のときも、このブログでカタログを取りあげていますが(9月26日記事参照)、両方の経験から言えることは、美術展はカタログを先に読んでから見た方がいいということです。

 

 なぜかというと、展覧会では、つい説明ばかりを読んでしまって作品をあまり注視しなくなり、説明書きを見ている時間の方が長くなりがちです。それに説明の字が小さいので読むのに難儀してしまいます。これが事前にカタログを読み込んで行けば、説明をパスして絵をじっくり見ることができるのです。さらに事前に展覧会の趣旨や画家の全体像が理解できているので作品を見る目も変わってくるし、また好きな絵を密かに選定しているので、実物を見るのが楽しみになってくるのです。どの絵を時間をかけて見ればいいかあらかじめ段取りができるということです。

 

 マイナスがあるとすれば、初めて絵を見る驚きがなくなることでしょうか。観光地に出かけるのに、ガイドブックに書いてあることを確認しながら歩いているだけという笑い話がありますが、それに近いものがあるように思います。展覧会の場合はすでに絵が選ばれた後なので、また少し違うような気もしますがよく分かりません。もう一つは忙しい人の場合、カタログを買うためにだけ会場に行くのは、なかなか大変だということです。暇人ならではのことかも分かりません。

 

 それはさておき、ギュスターヴ・モローは昔から好きな画家の一人です。今回あらためて、感心したのは、やはり絵の上を覆う細い銀色の線描の美しさで、このカタログによると、ウィルマンの『フランスのモニュメント』という本からグロテスク文様、フランツ・マルコー編『比較彫刻美術館アルバム』からロマネスク教会を飾る動物や怪物の柱頭彫刻を模写し、熱心に練習していたことがよく分かります。「踊るサロメ」(この展覧会には出品されていない)で、線描が人物の身体や柱などの枠をはみ出して広がっていくのは、解説の喜多崎親によれば、サロメの神秘的な性格を比喩的に表わすものとしていますが、さらに言えばモローがこの装飾的図柄に淫していたからに違いありません。

 

 そうした模写や練習のデッサンの展示を見ていると、モローの事前の準備の周到さは並々ならぬもので、神話の想像上の一場面を描くのに、人物のポーズをさまざまなモデルに依頼して描いており、また同じテーマでいくつもの違う場面を下絵として描いているのに、驚きました。

 

 もう一つ印象的だったのは、モローの東洋趣味で、神話を題材にするということ自体に異国情緒への嗜好がうかがえます。古代ローマという一種の東方を描くのにも、さまざまな東洋の装飾を混淆させ、どの時代、どの地域と特定できないような世界を描いているという喜多崎親の指摘にも共感しました。とくに衣装や冠、宝飾などに注目してみると、そうした味わいが増します。

 

 モローは幼い頃父親から西洋古典の手ほどきを受け、ギリシアローマ神話や、旧約の世界に親しんだこともあり、後年の文学的な性向が育まれたもののようです。私の好きな世紀末作家ジャン・ロランとの交友もあり(書簡集が出版されている)、ロランの詩集にモローが挿絵を描いたり、ロランがモローに詩を捧げたりしています。当時の文学的流行にも敏感だったに違いありません。フランス詩の歴史のなかで、うろ覚えですが、高踏派の前後に、ギリシア神話や旧約などの古代世界やインド・オリエントを舞台とした詩が流行した時期があったというので、モローはそうした動きの影響を受けていたのかもしれません。

 

 サロメの舞は、福音書の時代には触れられていないが、19世紀半ば頃からアルメと呼ばれるエジプトの踊り子の舞と同一視されるようになったという指摘がありましたが、意外と新しいことだったのを知りました。同時代のランボーの詩句に「アルメであるか、あの女」というのがあったのを思い出します。意味がよく分からないまま頭にこびりついていましたが、踊り子のことだったんですね。アルメの出し物が「蜜蜂の踊り」というもので、衣服の中に蜂が入ったという設定で演じられる一種のストリップティーズとありましたが、一度見てみたいものです。