:大手拓次『詩日記と手紙』、『大手拓次詩集』2種

  
 オークションで『詩日記と手紙』を落札したのをきっかけに、手元にあった大手拓次詩集の岩波文庫版と創元選書版も読んでみました。

 『詩日記と手紙』は戦時中の本で紙質の少し悪いのがなんとも言えず味わいがあります。日記には、「青銅の丘」「『悪の華』の詩人へ」などの詩や文語詩がいたるところに散りばめられ、普通の地の文も大手拓次の詩と共通するものが感じられて、どっぷりと拓次の世界に浸れます。

 「日記1(大正4年まで)」と「日記2(大正11年以降)」はトーンがはっきり違い、「日記1」は詩作についての覚書のような要素が多く口語体の詩が間に挿まれているのに対して、「日記2」はYさんを中心にした一種の物語のようなもので文語詩が中心になっています。
 「手紙」では、北原白秋萩原朔太郎に宛てたかしこまった文章と、友人の逸見享へ宛てた思いが溢れ出てやや説教調の文章が対照的で、面白いものがあります。

 「日記」に神様への呼びかけやキリスト教を歌った詩があるように、拓次の感性の底辺には宗教的なもの(神秘主義的なもの)が感じられます。「象徴は瞬間の幻である。この幻は、永劫とつらなる。深い現在の底の底の一滴である。」といった神秘主義的な表現や、「芸術的感激のある時は、心霊が波立ってゐる。だからそこを掘って、掘って掘りぬいてシンボルを求めること。」といった「心霊」信仰が見られます。

 拓次の詩については、高校の頃どの版で読んだか覚えていませんがもっと少ない数しか収められていない詩集を読んで、官能的な詩語には魅惑されたものの、解説の影響か娶らざる童貞詩人という印象が強く、二十歳前の人間としては、その生き方と詩の繋がり方に不健全な臭いがして遠ざけていたきらいがありました。また萩原朔太郎の二番煎じと思い込んでどうしても上位に置くことができませんでした。

 今回数多くの詩篇を読んでみて、淫靡で病的な印象はますます強まる一方で、詩の孕んでいるエネルギー、口語自由詩の勢い、詩語への忠実さといったものを感じ、その表現が詩人にとっては自然なものであることを実感しました。また『詩日記と手紙』で、萩原朔太郎大手拓次に宛てた手紙や、岩波版解説を読むと、逆に大手拓次の詩語の影響を萩原朔太郎が受けていたことが分かりました。

 不思議なことに、「詩日記」を読むと、朔太郎と同じく拓次の場合も口語自由詩から逆に文語詩に移って行ったことが分かります。

 拓次の詩の書き方は、「詩日記」のなかで「森林の中に生ひ育った野生の獣と同じやうな思想でもって、何物にもこだはらずに、狂暴に書いてみたい。古苔の異香をふり散らすやうに。」と書いていますがそのとおりで、考え抜かれたものというよりは、詩の神の導きにより内面でうごめいているものを吐露したものという印象があります。おそらく本人にも自分の詩がなぜこのような言葉の繋がり方になるのかよく分かっていなかったと思います。合理的な意味のつながりよりも内面の本能的なつながりにしたがって音楽のように言葉が出てきている感じです。これは戦後の現代詩の書き方に一直線に繋がるものだと思います。

 「詩日記」のなかにこれと関連した言葉がもう一つありました。「音楽のなかに巣をくつてゐながら、でなければ書けぬ。その声のない音楽が私を築いていくれるのだ。自然と湧いて出る音楽が私に美しい絵を見せるのだ。」

 とくに、僧侶の出てくる詩篇には異様な迫力がありますが、これは吉岡実の「僧侶」の淫靡なエネルギーを思い出させます。この吉岡実の詩には拓次の影響があるのではないでしょうか。

 拓次の詩は、意味が分かりにくい詩と分かり易い詩の区別がはっきりしています。分かりにくい詩には、戦前文学青年にありがちな漢語熟語の昂揚した畳み掛けが見られる一方、分かり易い詩は女性的な口語の語りかけ口調が多いようです。

 今回、編集の異なる詩集を立て続けに読みましたが、不思議なもので、岩波文庫では◎だったのが創元選書では○になったりします。読んだ時間が若干違うので体調やそのときの気分のせいか、あるいは詩の並び方によって前後の詩の影響を受けて感じ方が変化するものなのか、あるいは活字の大きさや配列、紙質などの影響によるものか、また私がいい加減なのか(これがもっとも妥当なような気がしますが)。

 岩波文庫の方が初期の詩や翻訳も加えていて網羅的ですが、創元選書には岩波に収録されていない詩もたくさんあり、そのうち◎の詩もたくさんありました。なぜかと思ってよく見てみますと、岩波文庫版では差別用語の含まれている詩をあえて避けているような気がします。これは詩の鑑賞からして邪道な選択の仕方ではないでしょうか。

 ◎以上の詩が岩波版では26篇、創元版では13ありましたが、重複は2篇しかありませんでした。岩波版でも全詩の1割ぐらいしか収録していないと言いますから、これは何としても全集で全ての詩を読んでみたいという気になりました。