:植村達男『神戸の本棚』

ikoma-san-jin2009-07-22


これは少し前に読んだ本の紹介。
ほんとに懐かしくなる本というのがあるものです。

テーマなどという以前に、個人の生と切っても切れない強いつながりを持つ本。これほど強い本はありません。東京本や地域誌などが根強い人気を保っているのは、そうした理由が一部にあるに違いありません。

将軍通、阪急六甲・・・聞いただけで懐かしさといとおしさが溢れてきました。植村さんという人は中学生から大学までを神戸で過ごしただけのようですが、神戸をふるさと以上に思いいれたっぷりに描くのは、この時期が人に決定的に大きな影響を与えるからでしょうか。
文章も素直で喜びに溢れ、プロの斜に構えたりひねりを効かせようとしたりした厭らしさ、重々しさから自由です。アマチュアの良さはこういうところにあります。本当に心の底から楽しめました。

いくつか新しい発見があったので、ご紹介しておきます。
神戸中学校自治会連盟というのがあって、神戸三中委員長牛尾治朗、神戸一中書記長小松左京、山手女学校委員長久坂葉子という時期があった。

神戸高商は、当時阪急電車の終点であった上筒井にあった。その後、神戸商業大学となって六甲台へ移転。移転後の校舎を利用して神戸市立神戸中学校(現葺合高校)が開校した。神戸市立成徳国民学校を卒業してこの神戸市立神戸中学校に入学したのが野坂昭如

島尾敏雄が一時期阪急六甲口駅(現阪急六甲駅)から北へ上がった篠原北町に住んでいた(私の生まれた場所は篠原南町です)。神戸市立外事専門学校(神戸市立外国語大学)助教授の職を得、世界史を担当していた。

「港が見える丘」は横浜ではなく神戸(植村氏の推測)。作詞をした東辰三が神戸高商卒業であったから。