:Charles Barbara(シャルル・バルバラ)『L’Assassinat du Pont-Rouge(赤い橋の殺人)』

ikoma-san-jin2009-01-23

シャルル・バルバラ『赤い橋の殺人』

 1855年に刊行され当時ベストセラーになりガボリオなど後続の探偵小説に影響を与えたとされる本です。

 正直私のフランス語力ではなかなかしんどいものでした。抽象的な議論が展開される場面になると、途端に判読が難しく意味が続かなくなってしまう、会話のベースとなっている地の部分がひとたび分からなくなってしまうと、少しの言葉の意味が判らないだけで、全体がまったく分からなくなってしまいます。
 逆に、場面展開が速く、動きのある具体的な描写や説明の文章になると、ベースとなる地の流れが分かるので、少々意味不明の単語が出てきても文脈からの類推により、あまり辞書を引かなくてもすいすいと読めます。そのスピードの差は、1:5ぐらいの感じでしょうか。

 この本の全体の印象は、探偵小説というよりは、ゴシック小説でしょう。随分昔に読んだチャールズ・ブロックデン・ブラウンの『ウィーランド』に雰囲気が似ているような気がします。探偵小説を殺人のある小説というように定義すれば、探偵小説の前身の小説群とその点で繋がるように思います。
 
 物語のなか、サロンで詩人が詩を朗誦するシーンがありますが、この詩はバルバラと親交があったボードレールの詩で、後に『悪の華』に収められることとなった作品です。この本の全体の印象は、まさしくボードレールと同時代人と感じさせるものがあります。
 単語の偏った使用頻度、例えば、「暗い」とか「嫌悪」とか「陰気」「おぞましさ」とかを表す多種多様な言葉が続々と繰り出され、また「怒り」とか「激情」「精神錯乱」、あるいは「放蕩」「蕩尽」「散財」などの表現が散りばめられ、全体の雰囲気を形づくっていきます。
 登場人物も、主人公クレモンを筆頭に、熱に浮かされたような人たちが頻出し、サドの悪徳論を思わせる神学問答を繰り広げます。

 ストーリー自体は単純です。本心は無神論者であるが金のために聖職者となっているクレモンが金のためと妻の不倫を疑って(このあたり誤読があるかもしれない)、妻の勤め先の株式仲買人を殺し、赤い橋からセーヌ川に死体を投げ込みます(これがタイトルになっている)。幸い死体のポケットに大金の一部を残しておいたことと、自殺をほのめかす手紙があったことで、殺人とは思われずに済みました。
 しかし生まれてきた子が日に日に殺した人物とそっくりとなっていくのを見て妻は精神的に追い詰められ、幽霊を見るようになってとうとう死んでしまいます。
 妻の葬儀の日に、「明日から僕は居なくなる」と友人に告げ殺人を告白します。その後、風の便りで、クレモンがアメリカにわたって、幽鬼のような姿で知恵遅れになっていた子どもを連れ歩いていること、大いに改悛し、火事場に飛び込んで人を救ったり疫病がはやっている時に献身的な看病をしたりなど、正義の振る舞いを続けていることが分かります。
 しかし最後はヨーロッパへ戻ろうとした途中の島で、幽霊を見ているらしく、誰かと対話しながら崖から飛び降りて死んでしまう、という話です。
 殺人と怨霊というふたつの要素からおどろおどろしい雰囲気を醸し出した小説です。

 物語の本筋ではありませんが、サロンのシーンがところどころ出てきて、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタや、メンデルスゾーンの無言歌を演奏するシーンが出てきます。ベートーヴェンへの熱烈な賛辞があるのが、この時代の特徴でしょうか。