:鹿島茂の3冊

鹿島茂『パリの王様たち―ユゴー・デュマ・バルザック三大文豪大物くらべ』(文春文庫)
『60戯画―世紀末パリ人物図鑑』(中公文庫)
『文学的パリガイド』(NHK出版)


  

鹿島茂さんの本は、昔からちょくちょく読んでいます。古本愛好者必読の『愛書狂』『子供より古書が大事と思いたい』はもちろんのこと、近著の『神田村通信』『パリのパサージュ』も読みました。(と自慢)

この3冊はどちらかというと文学よりの作品です。

『パリの王様たち』は第一世代ロマン派のユゴー、デュマ、バルザックの3人に焦点を当て、『60戯画』はその拡大版として19世紀フランスの60人 (内文学者は約半数)を取り上げ、ワンポイントでその人物の人間臭い側面を描いています。『文学的パリガイド』は鹿島さんのもう一方の領域である生活風俗や都市論的な著作との接点にあり、パリのスポットと文学者を1対1で結びつけ紹介しています。

これら3作に共通するところを考えると、いずれも、伝記的背景や作家の人物像を無視して作品そのものと向き合うという作品論とは対蹠的なところに立脚しているところだと思いますが、学生の頃に作品論が主流だったので、その反撥があるのかもしれません。

鹿島さんは、他の著作でも、ラスティニャックが高台からパリの街を見下ろしながら言う「これからは俺とおまえとの勝負だ」という語気荒い台詞をよく引用されますが、鹿島さんには人間と都市とが興味の中心にあるようです。


『パリの王様たち』はとりわけ人間に対する興味がよく表れた原点のような作品だと思います。ロマン派作家特有の作品人物の生々しい人間臭さへの興味の延長として、作家自身に対してもその出世欲、色欲、金銭欲の面から描いていますが、それは作家を貶めるものではさらさらなく、全体として人間的な熱い血の通う世界へのオマージュとなっているところが素晴らしいですね。

仏文の世界で一世代前のシンボル的存在であった澁澤龍彦が、静的で精巧で構造的な冷たい美しさ、シンメトリーな宇宙論的な世界を追い求めたのと対照的な位置にあるのではないでしょうか。

それにしても、副題に「三大文豪大物くらべ」とあるように、この3人の巨匠たちの凄さ、尽きることのないエネルギーにはびっくりです。作品のエネルギーを支える原動力がここにあったのかと、納得させられます。

もう一つ鹿島さんの書き物に共通してある魅力は、自分なりに考えた法則のようなものを披露されるところにあります。
例えば、

パッションに長期波動があるので、その部分的な反映である経済活動にも長期波動が存在していると考えた方がよいのかもしれない。

とか、

文学的パッションは先行する政治的パッションのパターンを踏襲するという私のひそかな仮説

以上「パリの王様たち」より

近代の恋愛は、フリークスの恋以外には、純粋なものにはなりえないという逆説。
地上の文明の繁栄の象徴が、怪人の暗く穿たれた鼻(梅毒)という「無気味なもの」を招き寄せるという恐怖の構造。

以上「文学的パリガイド」
などです。

面白かったのは、ユゴー晩年の官能的な詩の引用のあと、

ここにあるのは、いちおう詩の形こそ取ってはいるものの、実際には、若い女中を手篭めにして、「極楽、極楽」とうそぶく狒々おやじの述懐以外のなにものでもない

というコメント。

デュマが自らの居宅「モンテ・クリスト城」に大勢招いて居候させていた(なかには何年にもわたって居すわっている連中もいた)ことから、次のジョークのような話が。

デュマは食卓で自分の横に坐っている男に、「君、すまないが、ここにいる人たちを僕に紹介してくれないか」とたのんだ、
すると、その男が答えた。「いや、みんな僕も知らない人ばかりです」

以上「パリの王様たち」