アレクサンドル・デュマ『1001幽霊譚』『ビロードの首飾りの女』
前回お約束したので、翻訳の出ていない本をと探してみました。私にとっては、字が小さく、1ページの字数が多かったので、どうなるかと思いましたが、読み始めてみると、量の多さを苦痛と感じさせない(むしろ喜びと思えるような)素晴らしい筆力で、フランス語ということを忘れ圧倒される場面もしばしばでした。
まず前半の『1001幽霊譚』についてご報告します。
長編の体裁はとってはいますが、死の直後に死人が喋る怪異現象を信じる者と信じない医者とのやり取りの形を取りながら、登場人物が一人ずつ自らの怪異体験を語るという構成で、短編の集合とも言えます。27才のデュマ自身も人物の一人として登場します。
全編、テイストはロメロのゾンビー映画を見るかのような死体のオンパレード、フランス革命の時代が主なので、ギロチンでどんどん殺されていく場面があったり、首切り殺人事件や、墓場が舞台になるものが多く、またそこにキリスト教の奇跡譚の要素が加わって、なかなか面白い読み物になっています。
なかでも「ソランジュ」「アルベール」と続く話、「カルパチアの山」「ブランコヴァンの城」「二人の兄弟」と続く話は絶品。
インターネットで調べる限りでは、翻訳は「サンドニの墓」のみ子ども向きの怪奇小説集のなかに掲載されている模様。
演出的な巧みな表現として、決まった時刻に何かが起こり時計の時刻を知らせる音が恐怖を煽ったり、教会の鐘の音、コーラスなど、響きを舞台道具として効果的に使っている点、文章の特徴として、同じような文章を対句のようにしたり少し変化させて繰り返す説話的な表現が印象に残りました。
以下短編の紹介。
友人から誘われた狩りを終えてデュマが立ち寄った町で、偶然妻殺しの男が自首してきた現場に立ち会う。市長や警察、医者、野次馬のデュマも含めて殺人現場の地下室へ下りて現場検証を行なう。妻の不貞を疑って剣で首を切り落とすが、断ち切られた首が手に噛み付き、振りほどいたところ、目がカッと開いて「私は潔癖」と喋ったという話。(「調書」)
デュマは市長の家に招かれ晩餐に誘われます。会食時にメンバーが入れ替わり立ち替わり話をするのが以下の物語です。
ギロチンで切られた女性の首を死刑執行人が見せしめに平手打ちしたところ、恥ずかしさで首全体が真っ赤になったという話。(「シャルロット・コルディ嬢への平手打ち」)
女の人を革命勢力からかばったことがもとで恋人となるが、再び情勢が急を告げるなかで別れてしまい、最後には嵐の死体置き場でギロチンで切られた恋人の首と偶然再会し接吻する話。(「ソランジュ」「アルベール」)
死刑を言い渡した裁判官が、犯人の呪いで定時に幻を見るようになり、幻に付きまとわれて死んでしまう話。(「猫、守衛と骸骨」)
アンリ?世の死体を平手打ちした男が、町の噂になって居酒屋や宿屋から締め出され、夜途方に暮れていると、中国の怪異譚に出てくるような女性が現れる。ついて来るようにと導かれるままに歩いていくと、知らぬ間にサンドニの墓場へ落ち込み閉じ込められてしまう。サンドニの墓は歴代の王が埋葬されている墓。救出されるが3日後に死んでしまう話。(「サンドニの墓」)
強盗が純真な司祭の献身的な態度に触れて改悛する。しかし司祭が母の介護のため遠くに行っている間に、過去に犯した罪のために捕まって絞首台にかけられることになる。強盗はその司祭の告解を強く希望するが空しく死刑になってしまう。司祭からもらったメダルを強欲な死刑執行人が取ろうとして、死んでいるはずの男に反対に絞首台にぶら下げられてしまう。司祭が遅ればせながら駆けつけ死人のためにお祈りを捧げ救われる話。(「アルティファイユ」)
若夫婦の妻が遠出している間に夫が急病で亡くなり、夫からの手首に遺髪を巻けという遺言を後で知り、葬られたあと墓を掘り返してまでして実行し幸せとなる妻の話。(「髪の毛のブレスレット」)
ポーランドの武将の娘がロシアに攻め込まれて逃亡する途中に、ハンガリーの貴族の城に浚われ、そこでヨーロッパ的教養を身につけた兄とマジャールの野蛮な血を持つ弟の二人の異父兄弟から愛され、弟が吸血鬼と化して、兄と対決し二人とも死んでしまう話。(「カルパチアの山」「ブランコヴァンの城」「二人の兄弟」「ハンゴー修道院」)
次に、本の後半に収められた長編(デュマにとっては中篇?)La Femme au Collier de Veloursです。440ページ小さな字の仏原書をようやく2カ月近くもかかって読み終えて、私にとってはオリンピックのマラソンで完走したぐらいの感激を味わっております。
この作品は、導入部にノディエのサロンの様子とノディエの死が描かれ、ノディエが語った話をまとめたという触れ込みで本編に入りますが、本編は、なんと、若き日のホフマンが主人公として登場し、ホフマンがパリで遭遇した奇妙な体験を物語るという構成になっています。
自らもロマン派を体現しているかのような人物であったホフマンは、ホフマン物語の例もあるように、物語の主人公になりやすいのでしょうか。
Les mille et un fantômesと共通する革命期パリの殺伐とした雰囲気、ギロチンの公開処刑の現場に巻き込まれたり、舞台の踊子への恋があったり、賭けの地獄と魅惑を描いた賭博小説の要素もあり、なかなか面白い。しかし、ロマン派的運命悲劇の影響でしょうか、物語の展開、とくに終盤に偶然の要素が多すぎて、深刻なドラマを作ろうとしてどこか滑稽味を帯びてしまうところが残念でした。
あらすじを全部紹介すると大変な字数になるので、一部印象に残った部分を抜粋して紹介します。
冒頭部分で、ノディエの書物への偏愛が具体的に描かれているところが古本マニアとしては嬉しい。
ホフマンが音楽の素養溢れる親戚に取り囲まれ、幼い頃から数々の楽器に親しむと紹介されますが、そのなかにツィンバロンやレベックなどがあるのにびっくり。
ホフマンが一目惚れをしてしまう娘の父親が登場しますが、55〜60歳ぐらいなのに老人vieillardと表現されているのに愕然としました。そしてホフマンが名器アントニオ・アマティを奏で、娘(アントニオと名づけられている)がそれにあわせて歌うシーンが美しい。結局、ホフマンと娘は結婚を誓い合うことになります。
ホフマンは友人ヴェルナーとの約束もあり、パリへ音楽修業に行きますが、パリにたどり着いたホフマンが、最初に見たものは若い公爵夫人がギロチンで首を切られるところでした。
慰めを得ようと「パリの裁判」というバレエを見に行きますが、そこで、ぶつぶつ独り言を言ったり、煙草入れに指を当てて拍子をとったりと奇怪な言動をする男と偶然隣り合わせます。このあたり、デュマとノディエの出会いを髣髴とさせます。また公演中に二人で延々と話し続ける場面は現代ではとうてい考えられません。
第2幕が始まり、ホフマンはアルセーヌという踊子にまた一目惚れをしてしまいます。ホフマンは昂揚したした気分で、踊子の息を間近に感じ陶然となりますが、踊子のビロードの首飾りにギロチンの留め金があることから、さきほどのギロチンでの処刑を舞台上に幻視してしまいます。
出演者出口で踊子を待ち伏せしたり、肖像画家となって踊り子の家に入り込んだりと、紆余曲折のあげくに、友人ヴェルナーから金がないから踊子から見向きもされないのだと言われ、許婚のアントニオと交わした「賭けはしない」という約束を反故にして、賭場へと赴きます。
案の定負けに負け続け、ついに最後に残ったアントニオからもらった想い出のロケットを形にしてまで勝負し、そこから勝ち続け大金を稼ぎ出すことができました。
アルセーヌを探し深夜にさまよっていたホフマンは、ギロチンの処刑台のところで偶然アルセーヌと出会い、高級ホテルに部屋を取りシャンパンと夕食を取り寄せて二人で乾杯することになります。
不思議なことにアルセーヌは食べずに飲んでばかりいますが、ビロードの首飾りのところから胸にかけてシャンパンが滴り落ちているのを見てしまいます。
翌朝、ベッドの上でアルセーヌは冷たくなっており、慌てて呼んだ医者がビロードの首飾りの留め金をはずすと、アルセーヌの首がベッドから下に転げ落ちました。なんとアルセーヌは前日の午後にすでにギロチンで処刑されていたのでした。ホフマンはアルセーヌの亡霊と一晩過ごしていたのです。
そしてその後アントニオも故郷で死んでしまっていたことを知ります。亡くなった時刻は、ホフマンがアルセーヌの家に肖像画家として入り込んで、アルセーヌの手に接吻をした時刻と一致していました。