何かの気配を感じさせる音楽 その④

 「何かの気配を感じさせる音楽」は、しばらく間が空いてしまいましたが、フランス篇を書こうとして、持っていなかったCDなどを買って聞いたりしている間に時間が過ぎてしまいました。まだほかにも聞けてない曲もありますが、切りがないので。また新しい発見があればその都度補足していきたいと思います。作品がかなり多くなりましたので、2回に分けることにし、また音源は必要最小限に留めました。

 気配を感じさせる音楽が描写的な音楽に多いと経験的に言えると思いますが、フランスにおいては、ロマン派における標題音楽の先鞭をつけたベルリオーズ(1803年生まれ)に気配を感じさせる音楽の淵源がかなりあるような気がします。
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ベルリオーズ幻想交響曲』(EMI TOCE-3036)
シャルル・ミュンシュ指揮、パリ管弦楽団
 学生の頃発売直後レコードで聞いた懐かしい演奏です。第2楽章の冒頭から0:35秒ぐらいまでと(https://www.youtube.com/watch?v=Sz6GRn0lIcA)、第5楽章の冒頭から1:20秒ぐらいまでの低弦のうねり、地響きに顕著な気配が感じられます(https://www.youtube.com/watch?v=xfuv40rwa3o)。第1楽章の冒頭や、第3楽章の12:50ぐらいからの何か予兆を感じさせる遠雷のようなティンパニの低い音とコール・アングレとの掛け合いの部分、第4楽章の有名な「断頭台への行進」にも何かが起こりそうな切迫した雰囲気があります。


 時代を追って見て行きますと、次はヴュータン(1820年生まれ)になるでしょうか。
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Henri Vieuxtemps『Concerto pour violon et orchestra n°3』(FUG575)
Nikita Boriso-Glebsky(Vn)、Patrick Davin(Cond)、Royal de Liège
 ヴァイオリン協奏曲第3番の第1楽章には、10分30秒あたりからヴァイオリンソロに移るまでのあいだに気配のある響きが聞かれます(https://www.youtube.com/watch?v=FfaNSq_PnQ8)。これは協奏曲の場合少なからず見られる(聞かれる)現象です。独奏が登場するまでの期待感を醸成するという役割があるわけです。
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ヴュータン『ヴァイオリン協奏曲第4番』(PHILIPS PHCP-9635)
アルテュールグリュミオー(Vn)、マニュエル・ロザンタール指揮、コンセール・ラムルー管弦楽団
 という訳で、この曲も第1楽章冒頭からヴァイオリン独奏が出てくる4分15秒ぐらいまで全体にどこかしら気配が感じられますが、とくに35秒あたりから1分45秒頃までのうねるような弦とティンパニーの響き(https://www.youtube.com/watch?v=URc123-rDiE)と3分5秒ぐらいから始まる弦の旋回音に濃厚な感じがあります。


 次の作曲家のフランク(1822年生まれ)は、ヴァイオリン・ソナタが有名で、全般的に不安な曲想ですが、思い当たるところがないので、管弦楽曲を聴いてみました。
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FRANCK『Rédemption/Nocturne/Le Chasseur Maudit/Psyché/Les Éolides』(DG 476 2800)
Orchstre de Paris、Daniel Barenboim
 一曲目「Rédemption(贖罪)」は後期ロマン派的な重厚で静謐な弦楽で始まりますが、次第に高鳴り、6分少し前からファンファーレが鳴り響き、6分30秒ぐらいから煽り立てるような弦の旋回音が出てきます。ワーグナーの影響が濃厚に感じられました。がやはり、気配の音楽となると、3曲目の「Le Chasseur Maudit(呪われた狩人)」になるでしょうか。「Molto lento」では冒頭から大海に揺られているようなうねりのあるメロディーが奏でられ、いったん収まったかと思うとまた盛り上がりを繰り返し(https://www.youtube.com/watch?v=DuqiSBYSXJc)、次の「Più animato」の冒頭部まで続きます。5曲目の「Psyché(プシケ)」の第4楽章も「Rédemption」に似た静かで雰囲気のある名曲です。


 サン=サーンス(1835年生まれ)も交響詩を作曲しているので、いろいろありそうかと、引っ張り出して聴いてみましたが、残念ながら期待したほどではありませんでした。ひょっとして、私の知らないオペラにもっとあるのかもしれません。
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カミーユ・サン=サーンス交響曲第3番』(JUPITER-3 DCI 81036)
シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団
 第1楽章に若干ありました。きわめて静かに始まり、無音の瞬間もあるなど緊張感が持続するなかで、1分過ぎたあたりからしばらく、風雲急を告げる、何か起こりそうに思わせる雰囲気があります(https://www.youtube.com/watch?v=BuWTZtMyqso)。美しいメロディが始まる前の16分ごろから16分50秒あたりにまた緊迫した不気味な雰囲気がありました。

 交響詩では、「英雄的行進曲」の4分20秒ぐらいから不気味な雰囲気がありました。ヴァイオリン協奏曲では、第2番の第2楽章の開始から50秒ぐらいまでと、第3番の第1楽章の冒頭のティンパニーに雰囲気が感じられ、また同第3楽章の華麗なメロディを盛り上げるための導入部としての楽想(6分~7分過ぎ)に多少感じられるといったところ。


 ゴダール(1849年生まれ)は、ひと頃ヴァイオリン協奏曲をよく聴きましたが、思い当たる個所がありません。管弦楽曲に少しそうした部分を見つけました。
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Benjamin Godard『Piano Concerto No.1/Symphonie Orientale pour orchestreほか』(CDLX 7274)
Benjamin Godard『Piano Concerto No.2/Ourverture des Guelfesほか』(CDLX 7274)
Victor Sangiorgio(Pf)、Martin Yates(Cond)、ROYAL SCOTTISH NATIONAL ORCHESTRA
 1枚目に入っている東洋風交響曲(Symphonie Orientale pour orchestre)の1曲目「Arabia」に、冒頭から何かが歩いてくる感じ。標題には「象」と書いてあります。だんだんクレッシェンドして行って、2分40秒ぐらいでいったん収まるが、また3分30秒ぐらいから繰り返されます(https://www.youtube.com/watch?v=tRYcfKOU7IQ)。2枚目のCDの1曲目の「ゲルフ党」序曲(Ourverture des Guelfes)はオペラの序曲だけあって、気配が濃厚。始まって3分20秒あたりからしばらくうねるようなメロディが繰り返され、ファンファーレが鳴り響きます。もっとも感じられたのは、5分40秒から、不気味な低音とゆったりしたテンポで先ほどのメロディが反復されます(https://www.youtube.com/watch?v=xlIRRcag3z8)。

 東洋風交響曲では、ほかに3曲目「Greece」と4曲目「Persia」は全体が優雅で夢見るような雰囲気で、神秘感が漂っていました。ピアノ協奏曲では、第1番第一楽章の冒頭から1分10秒ぐらいまでのピアノが入る前の部分と、第2番第一楽章の冒頭から50秒ぐらいにかけてのピアノの繰り返し音に何か気配が感じられます。2枚目CD3曲目の「Fantasie Persane」の後半の「Allegretto moderato」では、冒頭からファゴットと低弦?の小刻みなリズムとピアノの上昇音と下降音の繰り返しがあり、そのリズムに乗って何かがやってくる感じがします。


 もう一人ショーソン1855年生まれ)を取りあげます。「詩曲」は有名ですが、「協奏曲」も全体に静謐で淡く繊細な境地を感じさせる名曲です。
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CHAUSSON『Concert pour violon, piano & quator à cordes』(HMA 1951135)
gis Pasquier(Vn)、Jean-Claude Pennetier(Pf)
 「協奏曲」の第3楽章は「Grave」と指定され、冒頭からピアノの6音の基調が延々と繰り返され、途中不気味な旋律がでてきたりしながら、7分25秒ぐらいから盛り上がって行きます(https://www.youtube.com/watch?v=xKd4o3bWTro)。少しカプレに似たところもあります。
 ショーソンは、フランクの弟子ということで、交響曲交響詩にも何かありそうなので、いまCDを発注しているところです。

塚本邦雄絡み、香りの本二冊

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塚本邦雄『芳香領へ―香気への扉』(ポーラ文化研究所 1983年)
塚本邦雄編『香―日本の名随筆48』(作品社 1988年)


 塚本邦雄が香りについて書いた本と、塚本邦雄が香りに関する随筆を編集した本の二冊です。『芳香領へ』は、芳香の花、悪臭の花、香辛料となる植物それぞれについての百科事典的記述と、香りに関するごく限られた詩歌集(白秋作品、唐・宋詩若干、海潮音)、それと日本の香道、西洋の香料の歴史、嗅覚が重要な役割をする外国小説2篇についての随筆が収められていますが、いずれも塚本ワールドが全開しています。『日本の名随筆 香』では、詩人、作家の作品を中心に40篇ほどが取り上げられています。


 『芳香領へ』を読んでびっくりしたのは、植物に関する知識の深さです。植物学者かと思えるくらい専門的で、しかも身に着いた知識として感じられます。歌人なので特別に勉強されたんでしょうか。あるいは学生の頃、どこか専門学校で勉強したのか。商社に勤めたとネットで出ていましたが、何か関係のあるお仕事をしてたんでしょうか。それと関連して、「コート・ダジュールやアルル地方に行くと、石灰質の丘陵が、これらの花で鮮黄に輝き」(p52)、「フォロ・ロマーノの茂みなど、風が吹くと、葉擦れの度に鋭い香気があたりに漂う」(p141)、「幼果についての経験はハワイのマウイ島であったと記憶する」(p197)と、文中ところどころに、外国へ行った風な書き方がありましたが、仕事で行ったのか、それとも個人的な旅行でしょうか。時代から考えて、それほど海外旅行は活発ではなかったはずですが。

 いくつかの記述が印象に残りました。花が美しくても香らない草木があること。背の低い草花の香は膝を折って嗅ぐか剪花としなければ感得できないこと(当たり前だが重要)。嫌悪すべき臭気を持つ花が存在すること。漢方薬店と香料店、香辛料店は似たものを扱っているのに併営されることがないこと。西洋の菩提樹(フランス語ではtilleul)はインドの菩提樹とはまったく別の木であること。菖蒲と日本古来の花の美しい花菖蒲も別で、間違っている国文学者が少なくないこと(折口信夫の名を挙げている)。塩が普及してから塩味を美味と錯覚するようになり、味の堕落につながったこと。異境の珍花を金と暇にあかして見るのもいいが、身辺に親しい花の香を季節季節の象徴として心の糧とするのが有意義と断じているところ(塚本邦雄らしからぬ殊勝さが感じられる)。榠樝(かりん)酒の味の深さ、琥珀色の色調、杏仁酒の香気に触れた文章を読んで、飲みたくなってきました。

 下手な要約よりは、やはり塚本邦雄の文章を直接読んでいただくのがいいと思います(ただし新字体新かなに変えています)。
朝鮮朝顔や毒空木のように、その果実に、特に猛毒を含む植物は、一体何から自分を守ろうとしているのだろう。食われて、その種子を排泄されて、始めて伝播の目的が達せられるのに、弘めてくれる相手を殺して、何になるのだろう・・・もし、仮に、毒がすべて、人類に対してのみ発効し、他の動物には無害であるとすれば、天は地上一切の植物を有毒とし、ついでに魚類はことごとく河豚の親戚と化し、虫はすべて蝮・蠍の眷族に準ずべきであった/p16

屁糞蔓(へくそかずら)とは、あまりにも無惨である/p80

スタペリア・・・花には烈しい腐肉臭があり、金蝿や肉蠅がこれを聞きつけて集まる。金蝿はスタペリアの花冠に卵を、肉蝿は蛆を生みつける。蛆は腐肉の在所を求めて空しく這い回り、花粉まみれになって雌蕊の柱頭に到り、この「悪魔の花」の受精を助ける/p81

蒟蒻の暗紫色の仏炎苞は、腐肉に似た悪臭で名高い。その属名が畸形男根(アモルフォファルス)となっているのと相俟って、慄然たるものがある/p85

すべての舶来品、その入荷当初は稀少価値を誇る珍品であった。「漢字」から「唐楽」まで、人の心を奪い、畏怖と憧憬の的となった・・・接頭語に外来のシンボルのある事物は、渡来地の人々の胸をときめかせた・・・そのような発見と伝来と伝播は、次第次第に底をつき、残された問題は珍種の培養創作と、第四次元世界を原産地とする稀種の獲得のみではあるまいか/p188

実際には存在しない臭気を幻覚する時は、脳軟化症や精神分裂症の疑いがあるとされている。有り得ない芳香を鮮かに幻覚するのは果して、いかなる幸福な病であろうか/p237


 『日本の名随筆 香』で、とくにすばらしかったのは、上記『芳香領へ』にも所収の嗅覚小説を紹介した塚本邦雄「アダム臭イブ的香気」、哲学的ともいえる箴言を鏤めた北原白秋「香ひの狩猟者」の2篇。次によかったのは下記の諸篇です。光・触感・香りが感じられる吉田一穂の詩「五月」、匂いの微妙な感覚に触れた谷川俊太郎「匂い」、幼年期の海と魚の思い出がよみがえる岡野弘彦「潮の香とはまごうの花」、ガス中毒の屍体が薔薇色になるという中井英夫「香りの言葉」、いろんな漬物が出てきてご飯が食べたくなる鵜飼礼子「香の物」、香水の魅力と謎を語る友永淳子「香水、一瞬の生命の耀き」、言葉遣いが独特で妙に冗舌な大手拓次「『香水の表情』に就いて」、乾杏子を食べながらソロモン宮殿の夢を見る片山廣子「乾あんず」、香水や花の香りが溢れる森茉莉「香水の話・花市場」、希臘羅馬時代の香料の精華を語る加福均三「希臘及び羅馬と香料」、線香の煙に王朝の歌文字の線を幻視する篠田桃紅「香」、式子内親王の歌の余韻に思いを馳せる竹西寛子「空薫」、フランスの小説をたくさん読んでいるのに私が驚いた中平解「フランス文学と花」。

 女性の書いたものに味わい深いものが多いような気がしました。

JEAN LORRAIN『HÉLIE―GARÇON D’HOTEL』(ジャン・ロラン『エリ―ホテルの雇人』)

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JEAN LORRAIN『HÉLIE―GARÇON D’HOTEL』(PAUL OLLENDORFF 1914年?)


 この作品も、前回読んだ『MADAME MONPALOU(モンパルー夫人)』と同様、避暑地、温泉地の物語。最晩年の作品のようで、「Très russe(超ロシア的)」(1886年、後に「Villa Mauresque(ムーア風別荘)」と改題)に始まり、「Les Noronsoff(ノロンソフ家の人びと)」(1902年)、「Madame Monpalou」(1906年)、「Le Crime des riches(富豪たちの犯罪)」(1906年)と続くロランの避暑地小説の系譜の最後に位置する作品と思います。

 ホテルの皿洗い、サービス係から、カフェのボーイ、別荘の守衛、肉体労働からあげくは賭博場の客引きまで辛酸を舐め尽くしたエリという人物を狂言回しとして配し、その男から話を聞くという枠組みで、さまざまなエピソードが語られます。温泉や山のホテルでの金持ち連中の生態が、辻昌子の『ジャン・ロラン論』で指摘されていたとおり、彼らの召使、使用人の噂話をまじえて描かれています。

 ロランの興味の主眼は、奇態な人間模様を描くところにあったと思われます。カリカチュアのような風変わりな人物が登場します。乞食同然で、二日間何も食べてないと言いながら酒臭い息をしているエリ自体がそうですし、毎日厚化粧をし3回鬘を変えカジノに通う今は90歳の元人気女優、長い首が肩の上に変な具合に乗って人形のような動きをするワグナー狂の執事「白鳥の騎士」、卑猥な冗談を言いながらスカートの下に手を突っ込んだりまくり上げたりする猥褻の塊のような40代の男、ルーマニア語を喋る鸚鵡と花々に囲まれ一弦琴グズラを奏でる昔は美人だったと思わせる寡黙な女性。毎朝早く出かけ夕食前に帰って来る登山狂(『Madame Monpalou』では朝から晩まで走り回る自転車狂が出てきた)、普段ピストルを持っているが決闘を申し込まれて登山で怪我したと仮病を使う臆病な県会議員、それに毎日服を着替え競ったりするご婦人方の鍔迫り合いなど。

 簡単に内容を紹介しますと、大きくは4つに分かれていて、
①ひとつ目は、第一話者である「私」が昔からの知り合いエリとばったり出会ってバーへ入り、仲間の犯罪が失敗したのに巻き込まれ夏に稼いだ金を全部なくしたと聞いて、当座の生活費60フランを渡し、毎日2時間話を聞かせてくれれば1日100スー渡すから40フランになるまで続けてくれと頼む導入部。

②ふたつ目は、第二話者エリが語る、南仏ボーリューのロシアの将軍の別荘で召使兼庭師として雇われたときの話。ロシア語とドイツ語しか喋れない将軍がイタリアから来た土木作業員らと言葉が通じず乱闘になったり、将軍が愛人と結託して自分の庭の果物を盗んで庭師を解雇しようとし、あげくの果てに土木作業員の一人と愛人がくっついて別荘が乗っ取られ、同時にエリも解雇される顛末が語られます。

③次は、ベルギーとの国境フロワドモンの高級ホテルで部屋係として雇われたときのできごと。老人の客から頼まれた毎朝20分間のマッサージで積もり積もって60フラン稼いだという話や、大勢の召使を従えて泊まっている皇女が、自分の部屋を温室のようにパリから送られてくる花でいっぱいにして、出かけるときはいつも帽子とヴェールで顔を隠していたが、実はレスビアンだったという話など。

④最後に、イタリアとの国境アルプスのカルディエリの安ホテルで起こった事件。多くの客でごった返すホテルに、零落した貴族の母子がやってくる。息子は美男子で、ホテルに隣接した別荘にいるポーランドの金持ち貴族の娘との結婚が目的だとの噂だ。しかし、ホテルの客全員が注視するなか、息子はホテル一の美女と乗馬に出かけるようになり急速に親しくなった。美女と鍔迫り合いを演じていた県会議員夫人が嫉妬して美女と喧嘩になり、県会議員の夫が割り入って美女を突き飛ばし、そこへ息子が現われて議員に決闘を申し込む。美女は怒ってホテルを出て行き、議員は登山中の怪我を装って決闘は延期になるが…。シーズンも終わり豪雨が続くようになって、ホテルから客たちは次々に消えていった。

 日本の話題が2ヵ所出てきました。ひとつは日本がロシアを打ち負かしたという話(p13)。初版は1908年で、日露戦争が1904~05年なので、その頃フランスでも話題になっていたのでしょう。もうひとつは、日本の扇子と雨傘を部屋に飾っているという場面がありました(p238)。

暇にまかせて次々に購入

 相変わらず、コロナが収まりそうにありません。外出することも少なくなっていますが、今月初め一回だけ、小学校時代の仲間に誘われて神戸の港湾開発地をサイクリングしました。18歳まで神戸で育ちましたが、三宮の海側に広大な別世界ができているのにびっくりしました。帰りしなに、たまたまサンチカ古書市が開かれていたので、懐かしさのあまり立ち寄りました。
谷川健一『海の夫人』(河出書房新社、89年10月、880円)→「海の夫人」とは海に帰って行く異界妻のことで、それに関連した短歌と論考、短編小説を収録している。「わだつみの底にも暗き森ありや翁さびにしふくろふ鳴くや」。
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 家の中でパソコンを前にしていると、ついついオークションに手を出してしまい、たくさん買ってしまいました。
『田中清光詩集』(沖積舎、昭和55年9月、609円)→初期の詩集5冊と未刊詩集2冊を収録。谷川俊太郎宛贈呈本だが、大学図書館へ寄付したもののようだ。
Maurice de Guérin『Poésie』(Gallimard、84年2月、300円)→フランス散文詩の系譜の一人
アラゴン小島輝正訳『アニセ またはパノラマ』(白水社、75年7月、310円)→『パリの神話』と並ぶシュルレアリスム時代の作品。
マルセル・レイモン平井照敏訳『ボードレールからシュールレアリスムまで』(思潮社、74年12月、577円)
堀切直人『飛行少年の系譜』(青弓社、88年10月、261円)
堀切直人編『日本幻想文学集成27 宇野浩二 夢みる部屋』(国書刊行会、94年8月、467円)
須永朝彦編『日本幻想文学集成26 円地文子 猫の草子』(国書刊行会、94年6月、363円)
橋本治編『日本幻想文学集成20 川端康成 白い満月』(国書刊行会、93年6月、467円)
岡本昌夫譯『コウルリッヂ談話集』(世界文庫、昭和18年7月、330円)
ストロフスキー土居寛之/森有正譯『仏蘭西モラリスト』(世界文庫、昭和17年9月、730円)
サッケッティ杉浦明平譯『フィレンツェの人々(中)』(世界古典文庫、昭和24年10月、650円)→『ルネサンス巷談集』の完訳版のようだ。が(中)だけだと意味ないか。
平木國夫『バロン滋野の生涯―日仏のはざまを駆けた飛行家』(文藝春秋、90年1月、500円)→小門勝二の『パリの日本人』で知った。
高橋徹/千田稔『日本史を彩る道教の謎』(日本文芸社、平成4年6月、803円)
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コンスタンス・クラッセンほか『アローマ―匂いの文化史』

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コンスタンス・クラッセン、デイヴィッド・ハウズ、アンソニー・シノット時田正博訳『アローマ―匂いの文化史』(筑摩書房 1997年)


 香りについてこれまで読んできたなかでは、好事家的な興味だけでなく、幅広い視野を持ち、人間生活との関係を歴史的社会的に深く探究していました。これまでになかった特徴は、ギリシア、ローマの古代世界の香りについて、当時の詩文を引用しながら解説しているところ、最近の企業の取り組みにも目配りしているところ、香りのポストモダン的なあり方に注目しているところなど、さすがに三人の学者が協力して書いた成果が表れています。訳もこなれていてすばらしい。もしいま香りについて何か1冊をと言われたら、躊躇なくこの本を推薦することでしょう。

 読後に考えさせられたのは、次のような点です。  
①香りは、現在ほとんどが人工香料に置き換えられているらしい。花の香りの香水を嗅いでも、花はそこになく、ジュースを飲んでも一滴の果汁も(あるいは言い訳程度に数%入れたりしているが)含まれていない。昔は、香りはそれを放つものの本質的な価値を示し、香りを嗅ぐことは、そこにあるものに接し本源へと遡れる道だったと著者は言う。「愛するもののなかに自分の鼻を埋めるようにして匂いをかいでこそ、そのひとと結び合える」(p7)という言葉もあったが、匂いは人間の実存にかかわるもののはずだ。

②古代は香りの王国で、古代人は香りに神聖なものを感じ、つねに香りとともに生きていたという。近代社会になって嗅覚が貶められ、視覚が中心の世界が築かれたということだが、これは人間の感性がより観念的理念的になったということだろうか。現代社会は一種のヴァーチャルリアリティと化しつつあり、視覚と聴覚が中心になって、現実感はどんどん希薄になって行っているが、最後の砦として残るのは匂いの世界で、それは動物としての人間が懐かしさを感じる故郷ではないだろうか。

③言葉では特徴を表現し難い香水の広告をするにあたって、説明を避け、一枚の写真の官能的なイメージのみを提示し、幻想を呼び起こすことで解決したことが紹介されていた。これは、消費者のなかにある種の体験を生じさせるという仕掛けで、平板に説明するよりもかえって強い印象を残す手法だと思う。「広告文は香りが暗示するものを創り出し、香水に象徴的な意味を与え」たと書かれていたが、これは象徴主義の手法ではないか。

 その他、上記に関連して、面白い指摘、情報がいくつかありました。
①古代では、花輪や花冠は神々にふさわしい捧げものであり、人間が戴くときには神性のエッセンスを授けてくれるものだった。香りを神々に捧げるということは、快い香りを捧げるというだけではなく、神々との合一という暗黙の願いをこめたものであった。古代人は心や魂、生命力そのものを「エッセンス」としてとらえ、息と生命および魂が結びつけられていた。よい匂いの息をするということは、快い生命を吐き出し、自己の魂の純粋さを証明することであった。栄冠の月桂樹の葉は武勲の香りを放つものであった。

②ローマの饗宴では花々が敷き詰められ、香りを含ませた水を客の上に振り撒いたりした。招かれた客も香る花飾りを身につけて行った。ワインにも花のエッセンスや蜂蜜、没薬を入れ、料理も香料と食べ物の区別がなかったという。客は寝いすにゆったりと横になり、ご馳走をいただくのがつねだったが、多くの饗宴が長びきすぎ、べろべろの酔っぱらい同士が殴り合うなど騒然たる混乱のうちに終ったりしたという。また芳香は公共の娯楽の大切な要素で、劇場には香りをつけた水の噴水があり、よい見世物を催すことは、かなりの数と量の香料を使うということでもあった。

③ところが4世紀になりキリスト教が興隆するとともに香料はあまり使われなくなり、香りの技術や品々の多くが姿を消した。しかし香りは古代の生活と思考に深く根をおろしていたので、完全にぬぐい去ることはできず、6世紀になると焚香は祈りの象徴となり、キリスト教儀礼の一部として復活した。時代が進んで、プロテスタント宗教改革者や清教徒たちは、ふたたび香水の使用を認めず、スパイスは下劣な欲望に火をつけると弾劾し、真面目なキリスト教徒は美食に耽らず、簡素で質実な食事をすべきだと主張した。

④近代になると、匂いは感情に強く働きかける力をもつため、抽象的で非個人的な近代社会にとって脅威であると感じられるようになった。例えば、現代の都市生活で強い力を持つのは、汗くさい労働者でも、香水をぷんぷんさせた貴族でもなく、匂いのしないすっきりしたビジネスマンなのだ。また悪臭について、ヘリックやスウィフトの詩では悪臭を揶揄するようなものがあるが、19世紀になると、どのようなエチケットによるのか、悪臭が語られなくなる。

⑤匂いは古代から、等級付けされ、社会の階層形成に関与してきた。貧民は口の中に小銭を入れる習慣だったので息がカネ臭かったし、貧しい生活環境からくる悪臭もあったが、そのせいだけでなく社会階層が低かったから臭いのだった。18世紀になり、上・中流階級が身体を洗い、住まいや居住区を清潔にするようになると、労働者階級の体臭や居住区の悪臭がますます目立つようになった。他者の匂いは現実の匂いであるより、嗅覚の領域に移し変えられた他者への嫌悪感であることが多い。階級差別の「ほんとうの秘密」は「下層階級は臭うというおそるべき表現」(ジョージ・オーウェル)に集約されるのだ。

⑥19世紀初めまでのヨーロッパの都市はロンドンのフリート河の汚臭やパリのゴミの悪臭の例が示すように不潔でひどく臭かった。悪臭と邪悪を結びつける伝統的な考えもあったはずなのに、なぜ劣悪な環境に甘んじていたのかと言えば、悪臭は不快だが暮らしの中では避けられないものと考えたことと、自分の体臭に気づかないように、いつも嗅いでいる匂いはあまり意識されなくなってしまうことによる。しかしさすがに、18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて、徐々に衛生改革が行われ、悪臭は公衆には受け入れ難いものであり、根絶でき、またそうすべきものであるという考えに変わったのである。

⑦匂いの汚染・悪臭公害は、騒音公害に比べて規定や数量的な計測が難しい。臭いと感じるのも個人差があり、例えば、家畜の糞便の臭いは農村地帯では成長を意味し自然に感じられるが、都市では腐敗としか受け取られず嫌われる。

 他にもまだまだありましたが切りがないのでこの辺で。キスのよい香りの連想を歌ったエピグラムの詩人マルティアリスに興味が湧きました。

香りについての二冊

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山田憲太郎『香談―東と西』(法政大学出版局 1981年)
諸江辰男『香りの歳時記』(東洋経済新報社 1985年)


 山田憲太郎は小川香料、諸江辰男は高砂香料と、ともに香料会社に勤務していた方で、山田憲太郎は22年勤務の後に大学での研究の道に進み、諸江辰男は副社長、相談役の後、業界団体の仕事に就かれたようです。お二人とも、実務の世界に身を置きながら、個人的に香りやそれに関連した知識を広めていった人のようで、扱う商品、仕事の種類にもよりますが、こうした人はどの会社、役所にもいるでしょう。実務と学問の二足の草鞋と言えばいいのでしょうか。

『香談』は、本格的な研究をベースにし引用文献も多彩で、東西交流商業史としても読め、久しぶりに読書の楽しみを味わわせてくれました。胸をわくわくさせるような話が満載です。なかでも、マゼランの世界周航の話は、昔ツヴァイクで読んだ時の感動がまた蘇りました。『香りの歳時記』は、日本経済新聞への連載記事をまとめ、社内報の随筆を加えたものとのことで、香りを中心とした歴史や博物誌の読み物といった感じです。お二人に共通するのは、中国の美女の香への思いで、山田憲太郎はそれを「脂粉の香」という章で、諸江辰男は「香りの人物譚」のなかで吐露しています。香りに興味のある人は女性も好きなようです。                                        


 『香談』で語られていたことで印象的だったのは、
①東アジアでは、幽玄な香水を焚いて感じる高踏的な匂いを求めていたが、西方世界では、古代から甘美な乳香や没薬などの樹脂類を焚き、ローズ・ラベンダーなどの花の香に、華美で艶麗な匂いを求めた、という東西比較。

②西方の世界では、太陽がのぼる東方の彼方に黄金の出るところがあるという信仰があり、9世紀のアラビアの地理学者が日本(倭)を「ワク・ワク」として初めて紹介した。これがマルコ・ポーロの黄金の国ジパング(日本)という話につながり、コロンブスの探検のきっかけともなった。

③一方、アフリカのどこかに、黄金がニンジンのように砂の中から生えてくる黄金の国があるというのと、プレスタ―・ジョンという強力なキリスト教国があるという二つの伝説があった。これがポルトガルの西アフリカ海岸南下を促し、喜望峰からインド洋に出る海路、また南米の発見につながった。

④ザビエルの鹿児島上陸から、キリスト教禁教令が敷かれるまでの1世紀たらずのあいだは、日本におけるキリスト教時代であり、一時信者の総数は約15万人に達していた。当時の人口は約1700万人なので100人に一人が信者だった。

⑤江戸時代の封建道徳では、武士の場合、主人が下人の生殺与奪の権利を有し、腹切り、首切りが日常茶飯事とされていた一方、仏法で牛馬や鳥など家畜類を食用のために殺すことを戒めるという矛盾を生じていた。この人命軽視は第二次大戦前の時代風潮につながっている。

⑥竜涎香が抹香鯨の体内に生じるものと知らなかった中世のアラビアでは、海底にある泉の泡が固まったもの、海底のキノコか松露様のものがむしり取られて上がったもの、海中に棲む牛のクソが浮かび上がったもの、蜂蜜の蠟分が流れ込んだものなどと想像していた。中国人は海中の怪物あるいは大魚を、中国人の想像上の祥瑞動物である竜におきかえてしまった。


 『香りの歳時記』で印象的だったのは、
①書道に使用する墨は油煙と膠と龍脳を練ったもので、上等の墨にはこの他に麝香が入り、墨を磨ったときの香しい匂いや、書き上げた書からほのかな雅やかな香りがするという記述。→これを読んで、万年筆のインクの匂いや新しい本を開けたときの印刷の匂いを想像しました。これらにも香料を忍ばせてるのでしょうか。

②日本に儒教が根付かなかった理由のひとつに宦官制度の残酷さがあり、古い文明を持つ国のなかで宦官制度がないのは珍しいが、これはすでにあった神道が穢れを忌みしたこと、また仏教が慈悲を主としていたことが原因である。

③奈良朝ではすでに仏教が政治の中心を占めており、天皇家の諸行事には、神道の式事に食い込んで、仏教から伝わった供香や空香を行ない、天皇即位式のときには必ず空香を行なったが、明治維新後、仏教を異教として排斥する政策を採ったため、仏教に由来する供香、空香ともに朝廷より追放して、元の「みそぎ」や「お祓い」となった。→これを読めば、天皇神道は明治後わずかの期間の言説にしか過ぎないことが分かります。

④世が殺伐であれば、より平和的で鎮静的なラベンダー調やシプレー調、グリーン調のハーバスノートが基本となり、平和的になれば、エキサイティングなアンバーやムスク調、アルゲハイド調が現出する。この基調は30年位を周期としてサイクルしているようである。→香料の世界も、ファッションと同様なんですね。

 他にもいくつか細かい知識を得ました。梅を食用としたのは17世紀以降とか、麝香は麝香鹿から採るが、麝香猫から採ったのはシベットとなり、他にも麝香牛、麝香鼠というのもいること、丁字は花蕾の形が釘状になっているからつけられた名で、英名のcloveクローブもフランス語のclou(釘)が語源であり、和名のニンニクは仏教用語の「忍辱(にんにく)」に由来し臭気を耐え忍ぶことが語源となっていることなど(以上『香りの歳時記』より)。麝香鹿は牡だけだが、麝香猫は両性とも持っているとのこと(『香談』より)。

JEAN LORRAIN『MADAME MONPALOU』(ジャン・ロラン『モンパルー夫人』)

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JEAN LORRAIN『MADAME MONPALOU―HEURES DE VILLES D’EAUX(温泉地でのできごと)』(ALBIN MICHEL 1928年)


 中編小説「MADAME MONPALOU」、ルポルタージュ風短編6篇の「QUELQUES SOURCES, QUELQUES PLAGES(温泉、海水浴場)」、連作短編6篇の「L’ÉTÉ DANS LES ALPES(アルプスの夏)」の三部に別れていますが、いずれも温泉、海辺、山の夏の避暑地を舞台に、湯治や避暑にやってきた上流階級と地元の人々が繰り広げる人間模様を描いています。これまで読んだジャン・ロランの他の作品でも、『VILLA MAURESQUE(ムーア風別荘)』(原題『Très russe(超ロシア的)』)や『LES NORONSOFF(ノロンソフ家)』、『LE CRIME DES RICHES(富豪たちの犯罪)』などで、避暑地を舞台にしたものがありました。

 私の好きなマルセル・ブリヨンの小説にも、温泉地へ逗留する主人公がよく出てきますし、アンリ・ド・レニエヴェニスものや地中海探訪記、エミール・アンリオの『Le diable À L’HÔTEL(ホテルにいる悪魔)』もそうした味わいが濃厚です。先日、奈良日仏協会のシネクラブで、エリック・ロメール監督の『海辺のポーリーヌ』と、『夏物語』の一部を見たとき、参加者の発言から示唆を受けましたが、どうやら避暑地文学・映画とも言うべきジャンルがフランスにはあるようです。そのとき出た例では、コレットの『青い麦』やサガンの『悲しみよこんにちわ』でした。マルセル・パニョルの『マルセルの夏』、『太陽がいっぱい』、ゴダールの『気狂いピエロ』なども入るでしょうか。あるいはフランスに限らずこれをヨーロッパ全般に広げていいのかも知れません。

 いくつかジャン・ロランの眼目とするものが感じられたのは、真の信仰の追求、女性への蔑視、各種病気の様態とその治療法の開陳です。「Madame Monpalou」で、言い寄る作家に対し「今は恩を受けた銀行家が重病なので彼に尽くしたい」と拒絶する銀行家の愛人の態度を神父の口を借りて絶賛したり、「Monseigneur aux champs(田舎の猊下)」で、大司教の口を借りて、上流階級の虚栄心に駆られた信仰より農民の素朴な信仰を称揚しています。ジャン・ロランには悪魔主義的、頽廃的なイメージがありますが、本心はけっこう庶民的で素朴な道徳の持主だったということが分かります。

 女性に対しては、モンパルー夫人の虚栄心に満ちた居丈高な態度への批判的眼差しや、「QUELQUES SOURCES, QUELQUES PLAGES」での女性たちのつばぜり合いへの揶揄、「Monseigneur aux champs」での、寒村の小教会で繰り広げられる上流婦人たちの虚飾に対する嫌悪や、司祭を誘惑しようとする女たちの振る舞いを悪魔の所業と罵倒するなど、厳しい見方が多い。

 湯治客の病気は、便秘症、鼓腸など慢性の腸疾患、虚弱体質、貧血、リューマチ、関節病、皮膚病、不妊治療、神経病など、各種の病気が列挙されていて、それに対する療法として、温泉水を飲むのもあれば、シャワーが各種あり、水平シャワー(douche horizontale)、上げシャワー(douche ascendante)、海中シャワー(douche sous-marine)、ティボリシャワー(douche de Tivoli)というのも出てきました。具体的にどんなものかはよく分かりませんでした。ついでに書くと、温泉のことを「thermales」とか「eaux」というのは知ってましたが、「Bagnères」というような言い方もあることを知りました(Bagnères de Vénasquesというのが出てきた)。

 なかでは、やはり「Madame Monpalou」が、温泉地へ療養に来た各種各様のご婦人方のさまざまな振る舞い、尻に敷かれた亭主たちの動きなどが活写され、次から次へ珍妙な登場人物が現われ、相手を間違えた軽率不倫など話がどんどん広がって、一種のドタバタ喜劇の様相を呈する佳作。

 簡単なあらすじを紹介しておきます。
〇MADAME MONPALOU
 あるひと夏の温泉地での出来事。ホテルの客や従業員を配下のように見なしている虚栄心の強いモンパルー夫人は、娘婿の義理の兄弟に当たる高名な作家が療養にやってくると知って、みんなに紹介して尊敬を集めようとするが、作家は相手だにせず、逆に同じホテルに滞在する若夫人らの方へ靡いてしまう。怒りに燃えた夫人はいろいろ画策するが、逆目に出て作家は帰ってしまい、夫人はホテル中の笑い者になる。何とか復讐しようと、若夫人の浮気を見つけ、若夫人はパニックになる。翌日、若夫人の浮気相手の男は、モンパルー夫人はもう喋ることはないと若夫人を安心させるが、若夫人はすぐ温泉地を去った。殺人を匂わせ、またそれが徒労になってしまう男の無残な姿が最後に残る。

QUELQUES SOURCES, QUELQUES PLAGES(温泉と海水浴場)
 ピレネーのふもとフランス・バスクの避暑地が舞台。豪華で優雅な振る舞いをするパリから来た神経病者たちとそれを蔭で見ながら悪口を言う地元の女たち、近隣地方からやってきて噂話に花を咲かせる湯治客たち、地元客でにぎわうカジノへゴシップを探りに行く老夫婦、軍隊が駐留にやってきて女性を中心に騒然となる町の様子、シーズンが終わり町が寂れ店主たちがぼやくなかでのカジノの頑張りが描かれ、最後に、スペイン王室の威光のもと自然の美しさに輝くビアリッツの魅力がガイドの口を通じて語られる。

L’ÉTÉ DANS LES ALPES(アルプスの夏)
Ⅰ.-Le Coup de corne(角の一撃)
 アルプスのホテルの常連客の老寡婦が獰猛な牡牛に追いかけられてほうほうの体でホテルに逃げ帰ってくる。それ以来婦人方には護衛がつくようになり、老寡婦と姪にも一人護衛が付く。ところがその男と姪とができ、男が去った後、赤子が生まれた。叔母は牛に遭っただけだが、姪は角で突かれたと揶揄された。

Ⅱ.-Les angoisses de Monseigneur(猊下の苦しみ)
 高僧がアルプス高原の寒村に避暑にやってくるが、できているはずの礼拝堂が未完成で、信仰の篤い老姉妹が経営する旅籠が1室を提供する。が過剰に便宜を図ったので他の客が激怒し、結局高僧はさるお金持ち夫人が用意した別荘に移ることになる。

Ⅲ.-La Tambourin des Alpes(アルプスの長太鼓)
 前年の夏ブルターニュで騒がしい歌手に悩まされたので、今年はと主人公は静けさを求めてアルプスにやってきた。がホテルに着いたとき聞こえてきたのはその歌だった。歌に全身全霊の情熱を傾けているが過剰な情熱と歌声が客たちを辟易させる歌姫は、ヨーロッパ各地を回っていたのだ。

Ⅳ.-Séraphina(セラフィーナ
 アルプスに行く部隊のなかでいちばん男前の少尉が、みんなからロドリナに行くんだったらこのホテルへ行くんだと推薦される。そこには魅力的だが50代の伯爵夫人と若い娘がいた。少尉は伯爵夫人に対し騎士のように振舞いながら、最後は若い娘の部屋へ忍んで行く。

Ⅴ.-Nuit d’hôtel(ホテルの夜)
 広いベランダに面して各部屋の戸が向いているホテルの夜に起こった怪事件。思春期の娘が憧れの文筆家の部屋を見ようと、夜、こっそりとベランダに出たが、半開きの戸から当人の顔が覗いて、恥ずかしさのあまり、化粧バッグを放り出して、物置小屋のなかに逃げた。そこには厩舎係の男がいてスキャンダルとなった。男は客にリューマチの按摩を頼まれたと言うが、それが誰かは口を閉ざした。こう書くとつまらないが、いろんなエピソードをつなぎながらの話の運びが巧みで事件が彷彿と浮かびあがる。

Ⅵ.-Monseigneur aux champs(田舎の猊下
 モンテヴラに避暑に来た大司教は、地元の司祭が教会が立派になってよかったと喜ぶのに対し、自分が来たことで、村が上流階級の人たちの虚飾と倨傲の騒乱に巻き込まれたことを嘆く。が一方で、貧しい山の人たちが谷底から山を登って自分のミサを聞きに集まってくることに感動してもいた。虚栄の信仰と素朴な信仰を対比的に描いている。