Frédérick TRISTAN『Les tribulations héroïques de Balthasar Kober』(フレデリック・トリスタン『バルタザール・コベールの英雄的苦難』)


Frédérick TRISTAN『Les tribulations héroïques de Balthasar Kober』(Fayard 1999年)


 昨年読んだ『Dieu, l’Univers et madame Berthe(神と宇宙とベルト夫人)』があまりにも衝撃的だったので(10月10日記事参照)、M・シュネデール『フランス幻想文学史』で、この作家紹介の冒頭に取り上げられていた本作を読んでみました。

 前回読んだドォヴォー作品に比べて、辞書を引く回数も減りずいぶん読みやすくなりました。ここしばらく、フランス書を読むのに難渋することが多く、いよいよ歳でボケたかと心配していましたが、そうではなく、たまたま手に取った作家の文章が難しかったのだと一安心しました。が、逆に言うと、簡単に読める分、底が浅い印象があったのも事実です。

 内容についても、少年小説のような爽やかさがある一方、全体的にファンタジー小説っぽい荒唐無稽さがあって、若干興醒め。ところどころ救いがあったのは、霊界と交信できる特殊な能力を持つ主人公が、その能力を単なる自分の妄想ではないかと懐疑したり、ある人物を追い求めて旅する主人公が同行している師が実は追い求めている人物が仮装しているのではという別ヴァージョンを呈示したりするところで、『Dieu, l’Univers et madame Berthe』を読んだとき同様の眩暈を感じました。

 粗筋をごく簡単になぞってみますと、
ときは疫病の蔓延する16世紀後半、改革派の新教とカトリックの旧教が争いを繰り広げるなかの話。主人公バルタザールは、もともとルター派の父のもとに育ち、聡明さを認められてドレスデンルター派の神学校で学ぶ少年。吃音の障害と同時に亡き母兄妹の霊と話し、妖精や天使の姿を見る特殊な能力を授かっていた。父の葬儀で故郷に戻ったときパパガロ率いる謎の大道芸集団(ガロパン)に惹かれ、しばし彼らの巡業に同行する。

ドレスデンに戻るが、神学校が教条的狂信的な学長に率いられていることが分かり、バルタザールは学校を脱出してパパガロの後を追う。行く先々で、パパガロの信奉者たちの支援を受ける。コーブルクという町で印刷術を学んでいると、印刷している本の著者、ヘブライ神秘学者のカンマーシュルツと出会うが、彼がまたガロパンのリーダーの一人であることを知り、師と仰ぐ。パパガロの居場所が分かったので、二人で合流すべく出発するが、ニュルンベルクを出たところで、罠に嵌り、狂信的改革派に二人は捕まってしまう。師やガロパンは新教に対する反乱分子と見なされていたのだ。

バルタザールは神学校に連れ戻されそうになるところを病院からの埋葬者の中に隠れて逃げ出し、買収工作で何とか獄中の師を助け出すが、師は拷問で瀕死の状態。師の回復を待ち、とりあえずヴュルツブルクに向かう。師の旧知の印刷所でバルタザール自身の著作を印刷し出版したが、すぐに禁書となった。パパガロたちがヴェニスに居ると知ってまた旅に出る。

立ち寄ったチュービンゲンでは、師が乞われて大学で講義し、バルタザールは神学とヘブライ語の学位を取ることができた。それに嫉妬した他の学生3人に襲われる。3人は捕まり地下に閉じ込められたところ、一人が2人の首を切り自殺した。バルタザールは地獄へ行って門番を脅し3人を連れ出すと、翌日、3人は死ななかったことになっている。その日、師も参加している神学論争が行なわれているのを傍聴している最中に、地獄帰りの疲れからか気を失ってしまう。

回復後二人は、再びヴェニスをめざすが、途中でまた罠に嵌り、師は拉致されてしまう。残された師の鞄のなかに、「ヴェニスバティスタ・ストロッツィのところへ行け」というメモを見つけ、危険が迫っていたので、すぐにヴェニスに向け出発する。苦労してようやく修道士のバティスタと連絡を取ることができ、敵の眼を欺くため娼婦宿で待ち合わせをし、そこでようやく大道芸の仲間たちと出会うことができた。

パパガロは、ジョルダーノ・ブルーノの裁判を見届けた後、シチリア修道院へ隠居し、師は裁判にかけられて有罪となったが、師を陥れた改革派の親玉が死んだため釈放されて、生まれ故郷のブレーメンに戻り弟子たちに取り囲まれて余命を全うした。バルタザールは、大道芸集団の歌姫ローザと結婚し、ヴェニスに住んで23作もの著作を執筆して、「神の友グループ」と呼ばれる学術集団を形成し、その中から有名な学者が輩出することとなった、という後日談が語られている。 

 全体を通して言えば、少年がいろんな経験をしながら成長していく教養小説、イニシエーションの旅と言えます。ルター派の家に生まれながら、改革派にもカトリックにも幻滅し、結局いずれにも与さない神秘主義的な信仰の道へと至ります。その過程でいろんな種類の探索の旅が描かれています。ひとつは、パパガロという人生の師ともいうべき大道芸の団長を追っての旅、もうひとつは、神秘主義ヘブライ語を研鑽しながらのヘブライ神秘学の師との旅、さらに邪悪な狂信改革派の迫害を振り払いながらの旅。バルタザールは、パパガロを追いかけていると言いながら、実は、大道芸集団の歌姫ローザを追いかけていたことが、最後に分かります。

 粗筋には書けませんでしたが、作品中に、死霊と長々と会話したり、獄中で死後の砂漠をさまよったり、怪物の出てくる悪夢を見たり、天使ガブリエルの導きでエルサレムへ行きモーゼやアブラハムに会ったり、地獄に居た亡き父を天国へ連れて行ったりする場面があり、またところどころバルタザールが執筆する文章がそのまま引用されていて、そこで描かれているのがバルタザールの内面の悪夢の世界なので、小説全体に夢幻的な雰囲気が漂っているのが特徴です。

 バルタザールが現実の背後に神の世界を見たり、大道芸集団に憧れを抱きながら追いかける姿は、ドイツ・ロマン派的な世界が感じられ、また舞台のほとんどがドイツなので、ドイツの小説を読んでいるような気がしました。吃音で純真な姿は、無垢なる愚か者が救済者であるという「パルジファル」と似ているとも感じました。

 裁判を受けさせるために地下に閉じこめた悪徳学生3人がいったん死んでしまい、夕刻にそれを知ったバルタザールが馬に乗り、塩切り場の門から地獄へ降りて行き、一度死んだ者らを甦らせた結果、翌朝目覚めると、3人は裁判に連れて行かれたという話になっています。これは、歴史を巻き戻して別の世界を作り出すというタイムトラベル譚の一種。

 ちなみに、バルタザールという名前は、旧約ダニエル書に出てくるバビロニア王ベルシャザルのギリシア語、ラテン語読みということです。つい先日読んだ雑誌「Imago 特集:夢」の多田智満子の文章のなかに、宴会のさなかに手が現われて壁に解読不能の文字を書く幻をベルシャザル王が見た話があったのを思い出しました。