NOËL DEVAULX『LE PRESSOIR MYSTIQUE』(ノエル・ドォヴォー『神秘の圧搾機』)


NOËL DEVAULX『LE PRESSOIR MYSTIQUE』(GALLIMARD 1982年)


 本書は、1937年から45年に書かれた作品を集めて1948年に出版されています。前回読んだ『l’auberge Parpillon(パルピヨン館)』は、1937年から44年までの作品をまとめて1945年に出版されていますので、同じ時期の作品。『l’auberge Parpillon』はガリマール、本作初版はBaconnièreという出版社で、どういう仕分けがあったのか謎です。ガリマールが比較的理解が容易で優れた作品を先に取ったというのが正解か。ちなみに、昨年読んだ『La Dame de Murcie(ムルシアの貴婦人)』は、1961年にガリマールから出版されています。

 これでドォヴォーの本は3冊目ですが、これまででいちばん読むのに骨が折れ、かつその割には得るところが多くはありませんでした。かろうじて、はじめの2篇「Le Pressoir mystique(神秘の圧搾機)」と「Le mont Coelius(コエリウスの丘)」が比較的分かりやすく、面白く読めました。

 残りの4篇は、私にとってはかなり難しく、辞書を引き直しながら同じ文章を何度も読んでいると先へ進めないので、えいやで分からないまま飛ばして読むと、話の展開が理解できていないのでさらに訳が分からなくなるという蟻地獄のような状態に陥ってしまいました。半分も理解できていない感じがします。自信喪失になるので、しばらくドゥヴォーは読まない方がいいかと思ったぐらいです。

 難しさの原因の一つは、具体的な事実があまり語られず、語られたとしてもそれが抽象的な考えのなかに韜晦してしまうこと、もう一つはその抽象的な叙述のなかにあまり見慣れない言葉が頻繁に使われていること。さらに、旧約聖書など宗教の知識がちりばめられているらしく、それが前提として書かれているので、素養がないとなかなか理解ができないということだと思います。とくに「Le Tau(タウ)」は、ユダヤ教キリスト教の絡みの部分がよく分からず、ほぼ意味不明の状態。

 全篇を通して言えるのは、1937年から1945年の第二次世界大戦下の雰囲気が濃厚に漂っているということです。しかし具体的な戦闘やユダヤ人迫害、ナチスの収容所は直接は出て来ず、集団の圧力、差別、収容所、拷問、処刑などをにおわせる断片的な情景が、20世紀前半の鮮明な出来事というよりは、古代らしき時代の曖昧な雰囲気のうちに描かれています。André Rousseauxという人が「まえがき」で、「これらの作品は、散文詩と小説のあいだのような神秘的な物語で、作品に奇妙な寓意を纏わせることにおいて独創的である」と指摘していましたが、ドォヴォー作品の特徴は、まさしく象徴と寓意にあり、普通では考えられない奇妙な状況に陥ってしまうのを描くカフカの不条理な物語とよく似ています。

 細かい点で面白かったのは、「Le camp des lépreux(癩者の収容所)」の夢のなかでの空中飛行の場面で(p103)、最初は藁の上を超低空飛行で飛ぶという描写が、以前読んだハヴロック・エリスの『夢の世界』で「夢の中で・・・飛行を経験した者は・・・殆ど常に低い所を掠めるように飛ぶ」という記述と一致していたことです。ちなみに、この作品は、幻想小説としても優れていると思いますが、いかんせん難しすぎてとても高評価をつけることはできません。


 恒例により、簡単な紹介をしますが、果たしてあっているかどうかは保証の限りに非ず。
〇Le Pressoir mystique(神秘の圧搾機)
エピグラフの「どうしておまえの衣はワインを踏む者のように赤いのか?」「私に同調しようという者が居らず、怒りにまかせて彼らを踏みつけたので、血が私の衣にふりかかったのだ」という聖書の問答をそのまま展開した散文詩。ねばねばした血が空から降り続くようになり、窓は塞がれて暗くなり、人々は終末の予感に慄く。あまりに臭いので、衛生当局は嗅覚を遮断する器具を鼻に装着させ、頬に貼りつくマスクを義務化する。人々は隠れ住み、多くの神経症者が出て、町は崩壊の一途をたどる。神は何の目的でこんなことをするのか。コロナ禍を思い出させる一篇。

〇Le mont Coelius(コエリウスの丘)
足の悪い主人公が親戚一同から昇進を祝福されているところに、公文書が届いた。二人の叔母は「叔父さんの具合が悪いみたい」と涙で目を赤くしている。何か様子がおかしい。ひそひそ話で「個室なら1日100フラン」という声が聞こえる。足の手術をされるのか。事務官がやって来て、「3日は待てない」と言い残していく。そして馬車に乗せられ着いた先は工場のようなところだった。叔母たちと別れを告げる間もなく部屋に放り込まれると、何か臭いがして意識が遠のいていく。民族浄化で不具者から処置していくという通達だったのだ。1937年作で、すでにガス室が予言されている。

Le Tau(タウ)
新しい住まいに身を落ち着けたその夜、大勢の人々がランプを手に階段を上がって来た。戸を開けて見ると、勝手に入りこんできて風呂やベッドを独占される始末。人混みをかき分け下に降りると、物凄い人の波が通りを埋めている。宮殿前広場まで行ったところで、知らぬ間に柵の中に閉じ込められていた。閉じ込められた人に共通するのは、曲がった鼻、土色の肌、肉厚の唇、どうやらみんなユダヤ人のようだ。その後、河に毒が入れられ、飢えと渇きに苦しめられ、疫病が流行る。だが復活祭の次の日、何故かみんなは来たときと同じように去って行った。悪夢の8ヵ月を描いている。

Le camp des lépreux(癩者の収容所)
有刺鉄線の張り巡らされた荒廃した収容所に閉じ込められた男が、メモと記憶を頼りに語る。夢の中で空を飛ぶ術を身につけ、ある日、山を越えて、臭いにおいのする田舎の旅籠に降り立つ。銀貨で支払おうとすると使われておらず騒然となる。この旅籠は室内がライオンのモチーフで飾られ、家系の名前もライオンの派生語だった。何か不吉な予感がする。と、突然逮捕され、他の囚人とともに競技場へ連れて行かれ、アリーナへ放り出されると、向うの扉からライオンが次々と出て来て…。男は無意識のうちに空中へ飛び上がり、難を逃れることができた。しばらく飛んでいくと収容所が見え、また夢の中へ戻る。

Babel(バベルの塔
余暇の窓と仕事の窓と二つの窓を行き来しながら、主人公は、現代とも古代とも区別のつかない世界を望遠鏡で覗いている。仕事の窓からは、巨大なコンクリートの丘が見え、工場が林立し、労働者が蠢き、余暇の窓からは、宮殿や空中庭園が見え、巨大な塔が聳え、奴隷たちが作業をしている。各地の植民地から連れて来られた労働者や奴隷たちは、過酷な生活を強いられ、かつ拷問は日常茶飯事だ。言語は20近くあり意思疎通が難しく一つの命令書でも4ページにもなる。キリスト教が徐々に浸透すると同時に、同郷人たちが小さなグループを作り始めた。キリスト教の司教を拷問で問い詰めるが、次第に都から人々が地方へと去って行き、やがて砂嵐が都を襲って、巨大な塔も崩れ落ちてしまう。

Le Cyclope(キュクロプス
独房の覗き窓からいつも一つ眼が覗いている。私はすることもなく白紙のノートに思いを書きつける。私には奇妙な病気があった。それは虐待されている人を見ると、その人になってしまうという奇癖だ。精神科医神経科医に診てもらい、最後は祈祷療法も試みた。一方、世の中は次第に興奮の渦に巻き込まれ、多様性を失い硬直化して行った。ある日、戦争犯罪を告発する映画を観て、戦争裁判で罪人を処罰する人々の顔に下劣な笑いを見た。正義は慈愛と驚くほど似ているが、真っ向から対立するものなのだ。戦後1945年の作。