:引き続き平井照敏の俳句の本


平井照敏『有季定型―現代俳句作法』(飯塚書店 1982年)


 続いてもう一冊平井照敏の俳句入門書です。四部に分れ、第一部は季語を中心に切れ字やリズムなど俳句の型にも触れ、俳句を成り立たせる核心を探っています。第二部は俳句雑誌に掲載した時評、第三部は芭蕉についての評論、第四部にはそれ以外の俳句入門的な文章、という構成になっています。


 本筋から離れますが、引用されている句を読んでいて、困るのはすんなりと意味が分からない句が結構あることです。もともと初心者で古典的なことばの素養がないということもありますが、他の人はどうなのかと不安に思ってしまいます。

 ひとつは、一読だけでは読みが不十分ということなのか、繰り返し読んだり、しばらく間を置いてまた見てみると、徐々になじんでくるということがあります。これはクラシック音楽の未知の曲を聴くときに、5,6回聴いてようやく全体像がつかめてくるというようなものでしょうか。俳句の場合、まったく意味が分からずかつ何の魅力も感じない句は、再度読む気も起こらないうえに、無理して何度見てもなじんできません。不思議なもので、意味が分からなくても読んですぐどこか胸に響く句と、きちんと整ってはいても言葉が素通りしていく句とがあるようです。

 句の前書きや解説を読んで、句が作られた場や情景が頭に描けるようになると、意味が分かり句の味わいが急に増してくることがよくあります。この本でも二つの例でそれを感じました。一つは有名な「降る雪や明治は遠くなりにけり」(中村草田男)で、雪と明治がどうして結びつくのか私にはよく分かっていませんでしたが、「草田男が母校の小学校を訪れた時の句で、町の様子や建物が昔のままに雪がちらつく景色を見ているうち明治にタイムスリップをしていたところ、黒絣の内気な明治の子ではなく、現代の洋装をした元気な小学生が走ってきたのを見て、明治も遠くなってしまったと痛感した」という趣旨の解説を読んで、初めて句の味わいが分かりました。

 もう一つは「寒卵地球をくらく抱きけり」という著者自身の句で、「卵黄をぼんやりと思いえがいているのである。それを宇宙にうかぶ地球のようだと考えているのである。この句をごく自然に読めば、そうとしか読めないのではないか」(p272)と本人は書いていますが、正直、言われてみないと分かりませんでした。

 ということは、逆に解説がなければ真の味が分からない句も多いということで、「前書きがなければ成り立たないのは名句ではない」とか聞いたことがあるように思いますが、そうならば作者の側に問題があるということになります。ひょっとすると、わずか十七文字という俳句そのものに限界があるということかもしれません。私はどちらかと言うと、十七文字を独立させて考えるのではなく、前書きや解説と合わせて読むことで、味わいを強めればいい、それが名句であるという考えに軍配を上げたいと思います。


 平井照敏氏の論旨からまったく外れてしまいましたが、この本で書かれていることで印象深かったところ、および触発されて考えたことは、
①切れ字を重ねてはいけないというのは、切れ字が詠嘆だから。詠嘆は一回でよい(p11)。
②季語はイメージ性のゆたかな、すぐれた詩語であって、時間をあらわすことばであると同時に空間をあらわすことばでもある。写生的にものをとらえる俳句の中心的なもので、季語がなければ句は色感を失って無味乾燥になる(p39〜45)。逆に言えば、無季の句にも、季題に匹敵するゆたかな語がなければならない(p72)。
③季語の世界はピラミッド状に秩序を成していて、頂点には景物(花、月、雪、時鳥、紅葉)、和歌の題、連歌の季題、俳諧の季題、明治以降の俳句の季題、最後に季節現象を示す季語というように裾野が広がっており、上に行くほど美意識の核心をなしている(山本健吉)(p67)。
④「ボードレールならずとも、真実がある異常さの発見であるとすれば、不思議さもうつくしさも、そしておそろしさも、なにげなさの裏にふと気付かれる異常さであり、その異常さとの遭遇は、幾分なりとも、おそろしさをわかちもつものではあるまいか」(p152)。
⑤女性の俳句を3パターンに分類している。(1)巫女的な力を持つもの、(2)生きる気力の失せた女の美しいみじめさを示すもの、(3)(1)(2)の中間で、平凡な小さなしあわせを見つめるもの(p194)。
バシュラールが『水と夢』序文で想像力の二つの方向を次のように書いている。一つは、新しさの方向に動き、ピトレスクなものや変わったもの、思いがけぬ出来事などをよろこび、もう一つは、存在のなかに沈潜する方向に動き、プリミティブなものと永遠なものを同時に見つけ出そうとする(p220)。→『水と夢』は読んだが、まったく覚えていない。
⑦著者が「結合することばの関係が想像力のうちに変幻する句」(p172)や異相性を備えている句(p266)に着目していることに共感した。


 面白かった句は、
犬一猫二われら三人被爆せず(金子兜太
海に出て木枯帰るところなし(山口誓子
ゆきふるといひしばかりの人しづか(室生犀星
雪明りゆらりとむかし近づきぬ(堤白雨)
天地の息合ひて激し雪降らす(野沢節子)
老い皺を撫づれば浪かわれは海(三橋敏雄)
野菊まで行くに四五人斃れけり
昔より我を蹤けくる蝶ひとつ(以上河原枇杷男)
狂人が柔みつくしたる春の猫(安井浩司)
屁をひってしまへばかるし放屁虫(加藤楸邨夫人)
雪はげし抱かれて息のつまりしこと
雄鹿の前吾もあらあらしき息す
雉子啼くや胸ふかきより息一筋(以上橋本多佳子)
遠雷や影欲るものに影を売る
地の外に行方のありて鳥渡る(以上小林英)
落日や金泥に立つ大桜
髪切れば肩より落つる夏の闇(以上井原理恵子
何かわが急ぎゐたりき顏さむく(楸邨)
春の雪青菜をゆでてゐたる間も(細見綾子)