:レオン・ブロワ『薄気味わるい話』


                                   
レオン・ブロワ田辺保訳『薄気味わるい話』(国書刊行会 1989年)

                                   
 ボルヘス編纂の「バベルの図書館」の一冊。フランス世紀末の作品だしタイトルも面白そうなので、読んでみました。ブロワの本では、他に『絶望者』『貧しき女』『フィアンセへの手紙』を持っていますが、まだどれも読んでおりません。アンソロジーにも入ってないようなので、この作家を読むのは初めてだと思います。『薄気味わるい話』はもとは36の短篇集らしいですが、その中から12の短篇を訳したものです(選んだのはボルヘス)。

 世紀末というのでジャン・ロランのような爛熟した極彩色の美しい世界を期待していましたが、あにはからんや、詩的感興・絵画的イメージに欠け、文章はとげとげしていてガサツ。素材もリアルな生活から取られていて、私の趣味にはあいません。

 期待が大きすぎたので少し悪く言いすぎたかもしれません。なかにはフランスの作家らしく機知に富んだ面白い表現がところどころありました。

わたしは、自分の足もとで、地底に住む暗黒の騎士たちの一団が、速がけで走りすぎる響きを聞く思いがしたものだ(p56)。

新婚夫婦の蜜月の、その三日月が細くなってやがて青空に溶けて行くそのときもまだこぬというのに、はやくも苦難のあらしは吹きはじめてきた(p101)。

天から転げ落ちて、息絶えようとする雷が汚れた深淵でどろどろと鳴っている声さながらであった(p109)。

それは、わが内に三百頭の獅子を養っていようと、その群れをも窒息させかねまじい、強烈な臭いであった(p169)。


 ブロワは、宗教界や文学ジャーナリズムに対する呪詛が災いして、長らく不遇だったようですが、その真骨頂は辛辣な語り口のようです。いくつか引用します。

商売に手を出す才覚もなくなり、昔のような機転も利かなくなった男は、老いぼれた蠅に似ていた。糞の上を飛びまわる力も失い、蜘蛛ですら、餌食にしようとは思わぬそんな蠅に(p33)。

死者もうらやむ程の土地だった。というわけは、庭の景観が見捨てられた墓地さながらだったということを納得しておく必要がある(p64)。

古代でもっとも唾棄すべき下種野郎の一人、サルスティウスはほざいたものだ(p82)。

死人が生きている者らの中に、―いや、正確には、生きているふりをしている者らの中に、いつの間にかそっと忍び込んでいることがありうるのだ(p109)。

本を読んでうっとりと甘い気分にひたりたいお方は、どうぞこの先は読まずにおいていただきたい(p125)。


 12の作品のなかでは、「あんたの欲しいことはなんでも」が出色の出来。短篇らしいアッと言わせる工夫があって、アメリカのミステリー短篇を読んでいるような雰囲気。もうひとつ面白かったのは「ロンジュモーの囚人たち」で、巻頭でボルヘスが「カフカをも予兆している」と書いているように、仲の良い夫婦がどうしたわけか偶然のなせるわざで町の中に閉じこめられてしまうという不条理を描いています。語り口はこうした物語にぴったりで冴えています。


 田辺保の訳文はこなれていて読みやすい。また栞に寄せた文章は、いきなりブロワの業績を語るのではなく、貧困が欠如、罪とみなされる近代社会のあり方を語り、中世の貧者の後継者であり、預言者、巡礼者であるレオン・ブロワの特質を讃え、なぜ今日ブロワを取り上げるのかという問題意識を提示していて素晴らしい。