:W・デ・ラ・メア『恋のお守り』


W・デ・ラ・メア橋本槇矩訳『恋のお守り』(旺文社文庫 1981年)

                                   
 デ・ラ・メアの短篇小説を10編収めています。とくに気に入った作品は、「クルー」、「奇妙な店」、「オール・ハロウズ大聖堂」の3篇。「恋のお守り」というタイトルと表紙の絵から、ファンタスティックでロマンティックな物語を期待して読んだ人は、狂ったような登場人物や、イギリス人らしい諧謔のセンス、もってまわった文章に戸惑うかもしれません。

 デ・ラ・メアの詩集『耳を澄ますものたち他』を買った時に、ぱらぱらと読んでみて静かで神秘的な雰囲気に魅せられたことで、小説はどうかなと気になり読んでみました。時代的に象徴主義の影響が感じられるような気がしたこともあります。

 その予感があたりました。いくつかの短篇には象徴主義的な性格が濃厚に感じられました。物事をはっきりと明示せず、暗示することによって読者の想像力を掻き立てるという手法が見られることです。暗示することで謎めいた雰囲気が生まれ、その「謎」が物語を引張っていきます。その謎は不思議な存在感を持った物であったり、得体がよく分からない人物であったり、人物の狂気(謎だから狂気なのです)であったりします。

 具体的には、「恋のお守り」では、主人公が行きつけの骨董店の老人からもらう不思議な時計であり、「プリンセス」では、憧れの東洋のプリンセスが住んでいたが今は無人と思われた古い屋敷であり、そこで出会った老婆の謎めいたセリフ、「ミス・ダヴィーン」や「つむじまがり」の狂人めいた登場人物たちが口にする謎に満ちた言葉、「オール・ハロウズ大聖堂」の老廃した大聖堂に憑りつく悪霊の気配。

 訳者も解説で、「デ・ラ・メアは個人そのものというより、個人と個人を取り巻く霊気(オーラ)、恋する人の肉体からあくがれ出た魂のもつ雰囲気をめざしている。だからデ・ラ・メアを雰囲気の作家と呼ぶこともできる」(p298)と書き、彼が師としたヘンリー・ジェイムズ心理的幽霊小説の影響を指摘しています。

 他にもいろんな特徴が目につきますが、ひとつは詩人らしい感性が物語を美しく彩っていることです。いちばんそれが現われていたのは、「奇妙な店」のかごが奏でる繊細で美しい音が創り出す別世界であり、「マライア蠅」で、幼い女の子が喋る幼児語と、女の子をからかう大人たちの言葉遊びの応酬に、詩人らしいセンスが感じられました。

 もう一つの要素は、語りの魅力で、登場人物がとうとうと長広舌をくりひろげるなかに、曖昧な奇妙な世界が創り出される面白さ。そこにはイギリス特有のグロテスクな諧謔が見え隠れしているようにも思います。顕著に現れているのが「クルー」のブラウン氏の語りで、むかし雇われていた農園で同僚が次々に死んでいく話ですが、内容も謎めいているうえに、真実を歪曲しているような語り方が感じられ、また同僚らを心理的に操って死にいたらせたような節もあり、本当にこの言葉を信じていいのかと、読者を疑心暗鬼に落とし込んでしまいます。そして宙ぶらりんのまま物語が終わってしまうのです。

 訳者が解説で、デ・ラ・メアと比肩できる作家と紹介していたアイルランドのリアム・オフレッティの作品や、デ・ラ・メアが夢をテーマに編集した選集を読んでみたくなりました。


 いくつか印象的な文章に出会いました。

このような大切な経験は、ものいわぬ本当の自分に深くかかわっていて、心の奥に秘められ、深く根をおろしているからだろう。(「プリンセス」よりp59)

一篇の詩がもの静かで美しい顔に似ているといえるのなら、この顔こそまさしく詩そのものだった。(「プリンセス」よりp66)

じいっと耳をすましているものたちがかもしだす、そんな静寂(「奇妙な店」よりp137)

→本当は静寂だから耳をすますのであって、それを逆転させた修辞。

デ・ラ・メアの世界は子供と老人と妖精と月光、そして雪あかりや黄昏、夢想や霊の囁き、墓地、奇妙な古い屋敷にとりついたまぼろしの世界である。・・・彼の世界ではすべてが月光や雪あかりの中で生起する。あるいは黄昏の中で起きる。そこではすべてがおぼろで神秘的でありながら、読者の中に強い郷愁に似たものをひきおこす。わたしたちの昼の意識がいち日の覚醒状態を終えて、ようやく夜のとばりのむこうの闇と夢の中へまぎれ込もうとする黄昏時の刹那を、デ・ラ・メアは捕える、と言えるだろうか。(「解説」p299〜300)