:遠藤周作のフランス滞在記

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遠藤周作ルーアンの丘』(PHP 1998年)
遠藤周作『フランスの大学生』(新風舎 2005年)


 日本人のフランス滞在シリーズ。だんだん飽きてきました。今回は、新しいところで遠藤周作の二冊。『ルーアンの丘』は留学当時日本の雑誌に寄稿した「赤ゲットの仏蘭西旅行」と、滞在日記で未発表だった最後の6ヶ月分が収録されたもの。『フランスの大学生』は帰国の年に出版された著者の初単行本の再刊。
                                   
 『ルーアンの丘』を読み始めて、正直言って、前回読んだ中村光夫の手記と比べ、戦前文学者と戦後の違いはあるにしても、風格ある大人とわがままな子どもの違いのような印象を受けました。中村光夫の文章が客観的にまわりを見つめ自分を位置づけようとしているのに対し、遠藤周作は自分の感性を第一に考えるあまり感性に溺れていて、一人芝居をしているように映りました。何故生前に本人が出版しなかったかがよく分かりました。

 ひとつ収穫をあげるとすると、「赤ゲットの仏蘭西旅行」で、狐狸庵閑話のノリがすでに若い頃からのものであることが分かったことです。その部分は味があって面白い。


 『フランスの大学生』はそれに比べると、とくにⅠ章「四つのルポルタージュ」は世間に発表するという意識が顕著なためか、よく調べかつ整理されていて、ルポルタージュとしてよくできていると思いました。なかでも「フランスにおける異国の学生たち」は表現主義映画的な奇怪な人物の煩悶を描いて小説的味わいがあり群を抜いて面白く読めました。

 Ⅰ章「フランス大学生とコミュニスム」によれば、戦後のフランス大学生のコミュニスム観は、次の5点に集約されるようです。①コミュニスムに共感する学生の精神的展開の出発点は「抗独運動」であること(p34)、②政治的、経済的な人間の救いは時代的には緊急事だが、それで人間の救いが充たされるとは考えていない、③党が教義を押しつけ、自分の全人格を党の命令に従わせるのではないかと不安を持っている、④党がソビエトへの絶対服従によって機械化していると見ている(以上p37)、⑤フランスに顕著な特徴として、つねにコミュニスムをカトリシスムと対立させて考えていること(p42)。

 Ⅱ章「牧歌」になると、『ルーアンの丘』と同じような、独りよがりな内面の独白形式の文章が復活します。ユージェニー・ド・ゲランの日記、モーリアックやジュリアン・グリーンの諸作品などについての感情に溢れた自問自答が繰り広げられますが、いかんせん作品を読んでないので、よく理解できませんでした。

 かろうじていくつかの問題意識が読み取れました。ひとつはⅡ章の「テレーズの影を追って」のなかで、フランス文学の主流がモーリアックやジイドなどの心理を描く方法から、サルトルやマルローなどの社会を重視し行動する方向へ移っていることを知り、筆者の本心は前者にあるのに、後者との間のジレンマに苛まれています。それが「子を飢えさせても、島崎藤村は『破戒』を書くべきだったのか。それとも『破戒』を捨てて妻に幸福をあたえるべきだったのか」(p213)という頓珍漢な問いを大真面目に書いていることに表われています。日本でもサルトルの影響で「飢えた子を前にして文学に何ができるか」というような設問が流行りましたが、文学と異なる土壌で文学の論議をしている愚かしさを感じてしまいます。

 もうひとつは、Ⅲ章「四季」の「冬―霧の夜」の作家的良心が吐露されている部分です。筆者が悪魔的都市だと言うリヨンで聴いた犯罪に関する講演をきっかけに、人間の本性にある獣的な暗黒について、サドや黒ミサや戦時中の拷問や虐殺などを例に引きながら考察し、最後に次のように書いています。「ぼくにとって人生を今、支えているものは、人間の不思議さとその無限の暗黒に対する執拗な情欲である。ぼくが人間を思う時、あるほの黝い湿地帯、沼のように光のはいらない部分に、身をかがめようとするのだ」(p191)。この辺りに作家としての出発点があるようです。

 コインブラで聴いた「ポルトガルの四月」のことが出てきて(p62)懐かしく思い出されました。当時フランスで流行していたみたいです。