:ファブリオ三冊


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森本英夫訳編『ファブリオ』(東洋文化社 1980年)
森本英夫訳編『フランス中世艶笑譚』(社会思想社 1985年)
森本英夫訳編『フランス中世処世譚』(社会思想社 1985年)

                                   
 森本英夫訳編のファブリオのシリーズです。あとこれに『フランス中世滑稽譚』があれば、全部そろうはずですが、未入手。ファブリオを読むことにしたのは、最近読んだ新倉俊一の本に紹介されていたので、その続きで。10年ぐらい前に松原秀一『西洋落語―ファブリオーの世界』『中世ヨーロッパの説話』の二冊を読んで面白かったのを覚えていますが、何が書いてあったかすっかり忘れているので、今回はこの三冊に限り感想を書くことにします。

 話は脱線しますが、むかしの読書ノートを見ていて気付きましたが、松原秀一の本では、最近知ったつもりでいたケルト伝説中に浦島伝説や羽衣伝説の類話があることについていろいろ言及があったみたいですし、また同じ時期に読んだ饗庭孝男の『中世の光』では、最近はじめて読んだつもりのロマネスク建築について記述されていたようで、その感想が書いてありました。知識が蓄積せずまったく成長というものがないのが分かってがっかりしたところです。


 東洋文化社のメルヘン文庫『ファブリオ』が最初に出版され、それを受けて社会思想社教養文庫で三冊が出されたようです。したがって重複した話があるのと、文体がメルヘン文庫版と教養文庫版で少し違っています。メルヘン文庫版では、原話の韻文の雰囲気を出すために、改行を盛んにしています。それもはじめのほうは改行がはっきりしていますが、本の後半になってくるに従って、普通の文章に近くなっています。

 メルヘン文庫版はそうした試行錯誤がありありとしていて、「お蔵番修道士の話」では、登場人物の一人に大阪弁をしゃべらせているところがあります。森本氏は横浜市ご出身で当時大阪市大に勤務されていたようで、大阪弁が面白かったから採用されたと思いますが、これは関西人としてかなり不自然な印象を受けました。教養文庫版では標準語に戻っています。


 重複していたのは、『ファブリオ』と『フランス中世処世譚』で、
「お天道様に融けた子供の話」(『中世処世譚』では「お天道様に溶かされた子供の話」)、
「溺れる仲間を救ってやった男の話」(「溺れた仲間を救ってやった男の話」)、
「知恵の詰まった財布の話」(「良識の詰まった財布の話」)、
「百姓医者」(「にわか医者」)、
「女衒婆さんオブレの話」、
「罰を受けた妻の話」(「玉を抜かれた奥方の話」)の6話。
『ファブリオ』と『フランス中世艶笑譚』では、「お蔵番修道士の話」が、原話は異なっていますが、ほとんど同じ趣向の作品です。この「お蔵番修道士の話」の後半部分がまた「長い夜の話」(『フランス中世処世譚』)と似通っています。


 ファブリオの面白さは、まず語りの面白さにあります。少し長くなりますが、『フランス中世処世譚』の「玉を抜かれた奥方の話」の冒頭部分の語りを引用します。「女房をお持ちの皆々方よ、女房どもにへいへいとかしずき、尻に敷かれっぱなしの亭主どもよ、おまえたちは、ただただ自分の恥を天下にさらしているのにすぎないのだ。さあそんなおまえたちのために書かれた一つの教訓を聞くがよい。そしてその話を模範として見ならうがよい。女房どもが尻を向けて寝るのではないかと心配のあまり、なにもかも言いなりになることなどすべきでない。」(p8)

 次に面白いのは、頓智が効いた話で、夫は名医だが殴られないと診察しないという妻の策略にやりこめられる「百姓医者」、奸計を用いて善良な農夫をまんまと騙し目の前で彼の妻と交わる「出歯亀司祭の話」、姪と称して夫が家に連れてきた娘と入れ替って助平な夫に復讐する「アルルーの粉屋の話」、夫には貞淑な妻と思わせ同時に学僧と情を通じる女の狡知を描いた「オルレアンの商家の女房の話」、人妻に恋い焦がれる若者の望みを頓智を使って実現させる「女衒婆さんオブレの話」、三人の泥棒が一つの干豚をあの手この手で盗ったり盗られたりする「三人の泥棒の話」(『フランス中世処世譚』収録)などがあります。また、一つの物をめぐっての応酬というパターンが面白く、この干豚の代りに一つの死体をめぐって奇妙なやり取りが延々と続く「長い夜の話」では、その執拗さと物が死体だけにグロテスクさが漂います。

 『フランス中世艶笑譚』の後半には、下半身が主役になった話が集められていて、なるほど、新倉俊一が「紹介を憚る卑猥な作品や糞尿譚も含まれ」(『フランス中世断章』p236)と書いていた中身が分かりました。「女の局所に話をさせる騎士の話」、女性の局部を市場で買う「修道士の夢」などは、現代の作品と言われても騙されるほど奇想天外で過激な感覚。「男性自身を拾った三人の婦人の話」もまさにタイトルどおりの話でナンセンスの極み。

 その他、妻を教育する話や、浮気が失敗する話、教訓話など、現世の生活を背景にした話がほとんどですが、一作だけ、賭け好きな男が聖ペテロと勝負して、閻魔大王から見張っておけと言われた地獄の釜の中の魂を巻き上げられる「聖ペテロと大道芸人の話」(『ファブリオ』所収)は異質な感じの地獄譚になっています。

 『ファブリオ』の解説で、「ファブリオは、封建貴族のみならず、当時抬頭して来た町人階級をも含めた男性を中心に発展した文学であろうかと思われる。領主の館の広間で宴が開かれた折、領主夫人や令嬢のため、恋の冒険物語が語られた後で、女性たちは部屋に引きさがり、男たちの酒盛りとなる。そんな時座興として、居合わせた詩人なり大道芸人が語ったものであろう。」(p220)というのは、新倉俊一の推理と同じもので、なかなかの慧眼。

 『フランス中世艶笑譚』『フランス中世処世譚』では、表紙や挿絵に中世版画風の絵が使われていますが、これが驚いたことに、角章子さんという日本人の作品。『ファブリオ』では、角さんの作品も一部使われているとのことですが、主に当時の中世版画が使われています。