:堀切直人『本との出会い、人との遭遇』


堀切直人『本との出会い、人との遭遇』(右文書院 2004年)
                                   
 久しぶりに堀切直人を読みました。昔の記録を見ると、82年1月に『迷子論』を読んだ後、『水晶幻想』、『日本夢文学誌』(たしか渋谷西武のリブロポートで大枚をはたいて買った)、『石の花』と読み継いでいたようです。『喜劇の誕生』あたりから読まなくなってしまいました。

 私も大学時代に佐藤春夫の「西班牙犬の家」や萩原朔太郎江戸川乱歩小川未明室生犀星等に入れ込んでいたので、そんなところから同世代で似たような感性の持主がいると共感し、かつその探索の広さに驚いて、むさぼるように読んだことを覚えています。その後は、10年前に『野に属するもの』を読んだぐらいです。


 この本の前半に収められている文章は、「読書人」を定期購読している時に毎週(隔週か?)楽しみにしていたものですが、まとめて読んでみて、あらためて同世代ならではの共通する経験に思いを馳せました(堀切氏の方が3年年上か)。神田に国鉄神田駅から歩いていった経験(鹿島茂さんも何かで同じようなことを書いていた)、神田古本街よりも高田馬場古本街に愛着があったこと、「ガロ」体験、現代思潮社体験、唐十郎の赤テント体験など。牧神社、南北社、仮面社などの出版社の名前も懐かしい。

 この本の後半には、著者が編集者として活動していた頃の、種村季弘山口昌男大岡昇平島尾敏雄埴谷雄高から、武田百合子村松友視色川武大坪内祐三高山宏にいたるまで、いろんな作家との出会いのエピソードが語られています。

 文章の中に『山中綺譚』(未刊行)( p79)というフレーズがあったので、気になりました。これはひょっとすると小説ではないでしょうか。早く刊行してほしいものです。また「種村季弘が最近、私家版で出した小冊子『猫なで怪人銘々録』」(p227)という文章もあり、これも手に入れて読んでみたいものです。


 共鳴した部分を引用しておきます。                

昔から私は、ぴかぴかの新品、人気絶頂の有名人、当節評判のベストセラーなどが大の苦手で、古びたもの、流行遅れのもの、誰からも見捨てられたようなものに心惹かれる性癖があった。といって、骨董品、アンティークなどには何の興味も覚えない。時代の半歩先を行く、などというキャッチフレーズを最近見かけたが、時代の半歩後ろ、いや二、三十歩後ろあたりをぶらぶら歩いていると気が休まり、ゆっくりものが考えられるようなのである。/p2

道が狭く、路地が多く、高層ビルなど見当たらない旧市街地に、古本屋と古い飲み屋は隠れひそんでいる。私にとっては、そうした隠れ里に足を踏み入れたときこそ、得がたい幸福な瞬間の一つなのである。/p3

暗い森の奥へ迷いこんで何か不思議なものに遭遇する。私はそうした迷子体験をくり返し味わいたくて、古本屋に足を向けていたのである。/p10

『復興期の精神』に収められた「晩年の思想」というエッセイで、花田は青春を礼賛する世の風潮に敢然として異を唱えている。青春は、人を盲目にする、愚昧な季節である。この季節の熱狂に無防備のまま身を委ねる者は精神の成長をそこでストップさせ、以後、青春へのノスタルジアに酔ったまま生涯を徒らに過ごすほかない。青春のとばっ口で「物々しく」年をとり、「晩年」を行き抜いてこそ、人は成長することができるのだ。/p49

明治三十八、九年から関東大震災の起こった大正十二年まで・・・この時期の北原白秋西条八十小川未明佐藤春夫萩原朔太郎内田百輭宇野浩二豊島与志雄などの詩や詩的散文はどれも、青春期の憂鬱な気分や、異常に研ぎすまされた感覚、少年期の怯え、幻覚などを、微細な陰翳に富む、メロディアスな文章で書き綴っていて、私自身はその時代に生きていたはずもないのに、読み進めるうちに、不思議と懐かしさ、既視感をおぼえてならないのであった。/p83

私には、自分の注目するライターが無名かマイナーのうちは親近感を抱くが、その人がメジャーになると、掌中の玉を取られたような寂しい気分になって、そのライターから心が離れてしまうという性癖がある。/p198