:現代詩講座別巻『海外の詩』

           
佐藤朔ほか『現代詩講座別巻 海外の詩』(創元社 1950年)
                                   

 現代詩講座シリーズ最終巻。第四巻にあたりますが、本の背表紙、奥付、中表紙とも「別巻」と書いてあります。これだけ番外の位置づけのようですが、表紙も函にも「4」の文字が。

 この巻は、海外の現代詩の紹介にあてられています。第一部が、英、仏、米、独、ソの現代詩の概観、第二部は、社会主義シュルレアリスムの二つの切り口からの世界の詩の概観、第三部は、各国の現代詩人20人を取りあげてその詩作品について解説しています。内訳は仏11名、英4名、米1名、独2名、ソ2名。ここで現代詩という範囲はおそらく二十世紀に活躍したという感じでしょうか。

 この四巻のシリーズのなかではいちばん読みにくく感じました。というのは、これまでの三巻では、日本の詩人たちが日本の詩の行く末を真剣に考えながら、口ごもるようにしかし自らの言葉で語っていたのに対して、この巻の執筆者たちの多くは海外の詩を自分のものとして語ることができず、また海外の状況を完全に把握できないでいるからでしょう。外国文学者というのは、専門家の特権を生かして、みんなの知らないような名前や運動をちりばめて、得意がっているようなところが、残念ながらあるように思います。ちと言い過ぎでしょうか。

 なかでは、瀧口修造の「シュルレアリスムの伝統」、詩人論では、吉田健一「ポオル・ヴァレリイ」、高村智「ジュール・シュペルヴィエル」、中村真一郎「ピエール・エンマニュエル」、中桐雅夫「エディス・シットウエル」、窪田啓作「アンリ・ミショオ」、福永武彦「ロオトレアモン」が興味ふかく読めました。

 滝口修造は、シュルレアリスムの淵源をボオドレエルの人工楽園、ロオトレアモンの悪、ランボーの錯乱的幻覚に見、さらにマラルメの到達した「めくらめくような不動」とブルトンの「痙攣的美」との近親性を指摘。吉田健一は英語が専門なはずなのに、ヴァレリーの原詩をフランス語で読み解き鑑賞するその技量に驚かされるとともに、私の好きな「紡ぐ少女」を取り上げていて嬉しく思いました。

 高村智という人は執筆時まだ大学院生なのに、しっかりした文章でシュペルヴェイルの魅力を解説しています。あまり名前を聞きませんが、この後どうなったのでしょうか。中村真一郎福永武彦両氏は、当時新進気鋭だった様子が、文章の切れ味の鋭さに現われているような気がします。

 この頃の時代を反映してか、社会主義詩やソヴィエトの詩が取り上げられ、またエマニュエル、アラゴン、エリュアール、スペンダーなどフランスを中心に、第二次世界大戦下の抵抗詩が、数多く収められています。振り返って第三巻までの日本の詩の状況を見ると、当時の日本ではこうした抵抗詩がまったくと言っていいほど書かれていなかったことが不思議です。戦争を仕掛けた側だからでしょうか。ドイツでも同じような感じでしょうか。

 新しく興味を抱いた詩人として、シドニイ・キーズ、ピエール・ルヴェルディ、レオン・ポール・ファルグ、ロベール・ガンゾ、ダウテンダイ、エディス・シットウエルなど。また英米詩人に、フレイザーユングの神話的な影響が色濃いことや、サンドバークの詩がギンズバーグの詩に似ているのを発見しました。そう言えば、この本では、ビート詩人について触れられていませんが、この本の出版の頃には、まだビート詩人は登場していなかったということでしょう。