:現代詩講座第三巻『詩の鑑賞』


金子光晴ほか『現代詩講座第三巻 詩の鑑賞』(創元社 1950年)

                                   
 現代詩講座シリーズ第三弾。この巻は具体的な詩作品の鑑賞が中心なので、読みやすく、早く読み終えました。巻末に、児童詩の指導のあり方、教科書掲載の詩について、詩の朗読方法などが掲載されており、この巻全体が学校の先生向きな感じもしました。
 「詩の鑑賞」は五部に分かれ、一部から四部までは、金子光晴草野心平三好達治、村野四郎の四人が、日本の近代詩人をほぼ時代順かつある程度グループ別に紹介し、第五部は、小野十三郎が明治以降から現代までの社会主義詩、民衆詩の分野の詩人を取り上げています。

 この巻では、三好達治の「詩の鑑賞Ⅲ」の部分が、三好達治の著書『詩を読む人のために』で一度読んだことがありました。阪本越郎の「詩の朗読の方法と実際」はあまり類書を読んだことはありませんが、至極もっともな指摘で詩の朗読をする人には役に立つと思います。

 取りあげられていた詩でとくによかったと思われたのは、何度も読んでいるものですが、馬淵美意子「牡丹の花びら貝」「返事(蓮)」「蝉」、丸山薫「家」「犬と老人」、萩原朔太郎「地面の底の病気の顔」「蝶を集む」「静物」、安西冬衛「軍艦茉莉」「韃靼海峡と蝶」。

 それから次に、川路柳虹「吐息」、西条八十「鶯」「恋と骨牌」、吉田一穂「白鳥」、田中冬二「沼べり」「晩春暮夜」「古風なガス燈の町」「洋燈」、立原道造「わかれる昼に」「さびしき野辺」、西脇順三郎「太陽」北園克衛「夜の要素」、笹澤美明「記憶」「菊」、鮎川信夫「行人」も心に残りました。

 「軍艦茉莉」を読んでいて、ポーの「アッシャー家」で読んだことのある雰囲気だと感じていたら、村野四郎も同じ感想を書いていたので、私の感覚も狂っていはいないと安心しました。

 安西冬衛、近藤東には、単純に西欧でもない、アジアと入りまじったようなエキゾチックな魅力が感じられ、また映画的な手法に似た凝縮された美学があるように思えました。なぜか近藤東の詩を読んでいて、「東京流れ者」第一作のピアノの鍵盤の上にピストルが落ちるシーンを思い出しました。

 読み終えて、戦争を挟んだ前後が日本の詩がいちばん活況を呈していた時代だという感想を持ちました。これら「詩と詩論」メンバーの詩や、西脇順三郎はあまり真面目に読んでこなかったので、これから読んでみたいと思います。

 今日は暑いのでこれくらいで。