:塚本邦雄『定型幻視論』(人文書院 昭和47年)


 『塚本邦雄の青春』を読んだついでに、塚本邦雄自身がどのように詩歌を論評しているか、長年積ん読していた本を取り出して読んでみました。


 三島由紀夫の評論に通じるパセティックな美文調です。読み進むに連れだんだん乗せられていく気がしてきました。
 その根底には、執筆当時の短歌が置かれていた状況に対する著者の焦りがあります。マンネリに陥った無用な短歌への蔑視と同時に、短歌という短詩型文芸への誇りがない交ぜになった複雑な心境です。ある詩人から短歌に対して浴びせられた「奴隷の韻律」という言葉がしきりに出てきますが、この言葉によほど傷つけられたに違いありません。


 著者は、この本全体を通じて、短歌が他の芸術ジャンルとどのように異なり、かけがえのないどんなものを持っているかを必死で探ろうとし、伝えようとしています。例えば次のような文章です。

小説が語り終わった時、評論が説き終わった時、戯曲が演じ終わった時、散文詩が描き終わった時、その時から短歌は歌い始める。・・・溶暗の中から、しずかにわく反歌として、短歌はよみがえるものであろう。/p28

他の文字ジャンルがわれわれの日々の生を記録し、劇化し、そして「社会に参加」するとき、短歌は嘆声を洩らし、俳句は唇を噛むだけだ。然しその生と重さを等しく永遠に持続するわれわれの日々の死は、何によって伝えられ、鎮められるだろう。/p110

 とくに、隣接している俳句、短歌、詩の考察に関しては執念が凄まじく、この3つの詩型はお互い反目し合うものだとして、定型や韻律などに関する過去のさまざまな争点を述べた後、3つの詩型の作者は決してお互いサロン化することなく競い合う緊張感が必要だと熱っぽく語っています。しかしこれらの詩型が通じている広場(ポエジー)は共通だという認識を披露し、次のような厳しい言葉も登場します。

一人の定型詩人は、短歌、俳句はいうまでもなく、定型及びこれに関連する研究と制作はことごとくマスターし実践すべきであろう。/p101

 短歌について論じているなかでのポイントの一つは、喩の問題です。
 塚本邦雄は当時の短歌の状況に対して激しく攻撃していますが、攻撃しているのは「リアリズムを詐称する自然主義末流の今日の短歌」/p46であって、喩を大切にしない態度です。そして次のように言います。

短歌とは、高度の「暗示」「啓示」をその最も重要な機能とする短詩型で、メタファー、シミリー、アレゴリーが、一種の生命的要素となることは自明の理である。/p47

 あるいはさらに進んで次のようにも。

言葉はそれ自体、メタファーに他ならない。/p130

 またこの本で論じられているもう一つのポイントは、民衆性をどう考えるかというところにあります。それは次のような問題意識から出発しています。

詩歌をより広く、より多く歌われるという面にだけ集約して評価するならば、歌謡曲を越えるものはあるまい。茂吉の全歌集は、一枚の美空ひばりのLPの作詞者に膝を屈することになり、吉岡実の詩集一巻は「ブルーシャトー」の詩にかなうべくもないだろう。/p18

「うたわれる詩」とは流行歌のことで、「読まれる詩」とは広告のキャッチフレーズのことであろうか。・・・現代詩人(歌人俳人)の熱愛して止まぬ民衆は、詩歌の総合誌にのるそれらの二つの傾向の代表詩よりも、フランク永井のうたに於ける時間の意識の濃厚さに、開高健作品といわれるウィスキーの、空間を充分に活用した謳い文句に、詩的酩酊を味わっているのだ。/p39

 どちらも例証には時代を感じさせますが、当時の言葉でいえば、前衛と大衆の問題と言うことでしょう。

 そしてまた塚本邦雄は、当時の社会主義リアリズムが先導する民衆短歌や社会性俳句に対して、厳しく非難します。

社会性、民衆詩派の、つくり上げられた公式の「私見」こそ、詩即ち魂の問題ともっとも遠いものだ。左官も肉屋も医師も、ただ一つの、自分だけに語るべき「私見」をもっているだろう。/p111

流行歌も浪花節も、その意味では、民衆短歌や、社会性俳句よりも、個人の魂により近い「うた」である。/p112

 塚本は、最終的には、万人から受け入れられることを拒否し、峻厳な美の世界の追及と、短歌史の最前線で開拓していく道を選んだと言えます。その使命感溢れる文章。

単に気晴らしのために書くといった、無自覚な、素人の文学としての短歌は考慮の外にするべきなのです。/p89

氏(谷川俊太郎のこと)以外のたれに、果たしてどれくらいの快感と慰藉を与えるのだろう。それよりも氏の詩業の上に又現代詩の新しい一頁に、果たしてどのような意義をもつ一行を書き加えるのであろう。/p177

 この前衛と大衆の問題は、プロと素人という形に変わって、今日まで受け継がれていると思います。

 究極の美を追及し、いい加減な手合いを烈しく弾劾する、この厳しさはどこから来るのでしょうか。戦闘心というのが当時の時代風潮であったのは確かです。また別の角度から見れば絶対というものへの信頼というものがあります。短歌史を自分が背負っていくんだというようなトップランナーとしての気概が感じられます。
 またそれが逆に塚本邦雄の文章を重苦しくさせている理由だと思います。