:楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(ウェッジ文庫 2009年)


 塚本邦雄の青春というものはなかなか想像できませんが、本当のところどうだったんだろうと興味が湧いたので購入。
 塚本邦雄のあの豊富な語彙や奇想はどうやって培われたのか、戦時下なのにフランス映画やシャンソンの趣味はどうやって形成されたのか、評論におけるあの厳格な審美観に基づいた断定口調の自信をどうやって身につけて行ったのか、断定口調の影に何かのコンプレックスが潜んではいないかなど、何らかの回答が得られないものかと期待して、興味津々面白く読みました。


 塚本邦雄の評論はあまり読んでもいず読んでいても忘れていますが、これまでの評論の中で、自身の過去について折りに触れて書いてきているようです。とくに『初学歴然』という自伝的な本があることを知りませんでした。この本はそれら既存の書物に書かれたものをまとめ、テーマ別あるいは時系列に並べた上に、初出誌や、当時の人が塚本邦雄について書いているものをあたったり、またいろんな人の証言を加味して、分かり易く整理しています。


 語り口は、材料を素直に開陳して、その感想を述べるといった筆の運びで好感が持てます。塚本邦雄ばりのクセのある文章を書くのかと思いきや、それとは正反対の書き方です。若い世代だからでしょうか。

 とくに後半において、『水葬物語』がいかにして出来上がったか、そこにいたるまでに塚本に影響を与えたもの、創作への思いの変遷を伝えることに成功しているように思います。


 短歌開眼にいたるまでは、祖父(直接的には母)と叔父の影響があったようです。シャンソンなどの音楽は叔父のステレオの影響が大きい。音楽や映画の素養は、徴用を受けて海軍工廠で働いていた呉時代に、音楽喫茶「鳥雄」や呉港館(洋画専門館)で磨かれたとのことです。戦時下に洋画専門館がありフランス映画を見ていたというのも驚きでした。


 面白かったのは、塚本邦雄が20代後半のときに初めて「シネマ時代」寄稿した文章が引用されていますが、著者の言うとおり「邦雄節が早くも全開」しています。

音樂も映畫も匂ひの有る筈は無いのにこゝに二つ強烈な香を發散するものがある。それはアルゼンチン・タンゴとシャルル・ボワイエである。然も兩々全く共通した香りである。・・・ヴァイオリンのすゝりなきを縫ふピアノの旋律、それをうらづけるあのバンドネオンのリズムセロの唸り、これらの醱し出すタンゴのアトモスフエールとさびのある然も甘い聲でフランス訛りの英語を操るボワイエの一寸厚い唇白い額に走る靜脈、うつろな瞳等の構成する味。何とよく似てゐるではないか。/p155

 短歌の作風は、当初の母親を詠む等の抒情的な作風から、西脇順三郎『あむばるわりあ』(大理石に寄せる頭の影は薔薇となる)や、安西冬衛『軍艦茉莉』『座せる闘牛士』、春山行夫『植物の断面』ら「詩と詩論」の一群の詩人によるモダニズムの衝撃を経て大きく方向転換します。その頃の決意として次のような文章があります。

「只事歌」はもうたくさんで、「誰にでも詠めるやうな歌は死んでも作りたくない」/p179
 歌はわたくしを盛る器ではなく、一行の美しい詩でなければならない――。/p242

 そして、ランボー、ラディゲ、コクトー、さらには、下條義雄(エスカミリオもろ手あぐればわれもまたトウレアドウル踏みならすなる)、船津碇次郎(なにもかも失くしたいまの耳に聞く林の奥の古いオルガン)ら同時代歌人の影響を経て、最終的には、どうやら友人の杉原一司(わが指のあひだに沈む陽があかし神はいづこへほろびしならむ)との「特訓ともいうべき実作と批評のやり取り」が、あの作風を決定的にしたもののようです。

 執筆が新聞連載で、その都度テーマに沿って書かれている関係か、時系列では前後して書かれているので少々混乱しました。