:筒井清忠の西條八十関係2冊 

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筒井清忠西條八十』(中央公論新社
筒井清忠編著『西條八十と昭和の時代』(株式会社ウェッジ)


 読んだ順番は『西條八十と昭和の時代』からですが、こちらの方が後から出版されたので、前半は中公版『西條八十』の縮約となっています。とても分かり易くまとめられていて、本編の『西條八十』を読むにはちょうど良かったと思います。『西條八十と昭和の時代』の後半は、中公版『西條八十』を補完するインタビューと座談会となっていますが、これが面白い。


 何よりも西條八十の詩の才能にあらためて感嘆しました。「砂金」や「美しき喪失」に収められた詩篇の美しさ、童謡や戦後の歌謡曲の何気ない詞の素晴らしさ、墓の銘文に至るまで、詩の魂が漂っています。


 西條八十の生涯についてはあまり知りませんでしたが、電撃的なプロポーズ、夫妻で天ぷら屋を開業していたこと、フランス語の師吉江喬松の存在が大きかったこと、『赤い鳥』での白秋との対立、日夏耿之介と近い所にいたこと、戦後怪奇小説をたくさん書いたこと、同僚の谷崎精二がいじわるで日夏耿之介西條八十を早稲田から追い出したことなどを知りました。


 『西條八十と昭和の時代』では、山折哲雄久世光彦へのインタビューがとても面白い。最後の座談会はこの問題を語るにふさわしいメンバーを揃えていて、皆さん物知りで話がどんどん進むのでこれも楽しく読めました。


 著者の視点は明快で、詩人として出発し学者でありながら、歌謡曲の作詞家としても活躍した八十の歩みを辿り、日本の大衆社会化の歴史を「歌謡」と「詩」、「作詞家」と「学者」という二項の対立や融和から探ろうとしています。戦争への加担の問題も大きく取り上げられています。著者はどちらかというと前者に組していて、大衆への共感というか、インテリへの敵意が顕著に感じられますが、これは筒井さんが全共闘活動を通じて身につけたものと思われます。


 西條八十にはどこか堀口大學と共通する西欧のにおいを感じていましたが、背後に日本的な無常感があること、無常感には明るい無常感と暗い無常感の2種類があって、八十はその両者を使い分けることができたという山折哲雄さんの指摘には、共感しました。


西條八十と昭和の時代』の書影は、本の表紙が引越しの荷物のどこかに紛れてしまったので、やむなく中扉の写真を掲載しておきました。