:H.H.EWERS(エーヴェルス)『dans l’épouvante(恐怖小説集)』

ikoma-san-jin2009-04-22

H・H・エーヴェルス『恐怖小説集』

 なぜドイツ語の仏訳本をわざわざ読むのかと尋ねられれば、たまたま古本市で見つけた本が手元にあったからとお答えするほかはありません。
 他国語を翻訳した文章は読みやすいという定石どおり、最近読んだフランス語本の中ではいちばん読みやすい文章でしたが、転勤引越しのドサクサで読むスピードが出ないまま、ずいぶん長い間かかってしまいました。
 徒歩通勤でこれまでの車中の読書時間がなくなったことも一因です。最近ようやく家での読書パターンも確立して、昔のペースが若干戻ってきたところです。

 昔翻訳で読んだ記憶では、エーヴェルスは穏やかな幻想を描くタイプの作家と思っていましたが、今回一新されました。グロテスクで迫真の想像力を駆使して現実味のある世界を作り上げる一種のリアリズムの作家ということが分かりました。血生臭いスプラッター系の描写が過剰で辟易する部分もありましたが、登場人物が物語の進展にしたがって徐々に奇妙な状況に追い込まれて行き、最後に異様な体験をするという物語を形づくる想像力と語りのうまさは傑出しています。

 外国語の文章を読んでいて最も気持ちが良いのは、外国語を感じずに思わず読みふけってしまっている自分を発見した時です。
 外国語は、日本語の古文や漢文系文章、法律の文章などと同じく、文体の一種と考えることも可能ではないでしょうか。極端な話ではありますが。

 この本には全部で10編収められています。うち4編は翻訳があるようです。
簡単に下記にご紹介します。あらすじですので読みたくない方は飛ばしてください。

Le pays des fées(妖精の国)
ハイチへ上陸した船の乗客である6歳の子どもと婦人。子どもは船の中でみんなに可愛がられるような無邪気な娘。絵本に培われた豊かな想像力を持った娘は、船のまわりに群がる乞食たちの異様な姿を妖精と思いこんで、みんなにすばらしさを吹聴する。病気でただれた姿、エレファントマンたち、その群れの中ではしゃぎまわる娘を見て母親が卒倒する。

La sauce tomate(トマトソース)
闘鶏と同じような賭博試合が人間同士で行なわれる。凄まじい想像力、「エマニュエル夫人」のキックボクシングの試合と同様、アドレナリンが上昇するような昂奮を覚えた。

Le cɶur des rois(王の心臓)
フランス王朝の末裔が、とある画家から、絵を買い取って欲しいとの招待を受けて、画家の家へ訪れる。家臣を帰らせて独りとなった末裔に画家がその正体をあらわす。フランスの歴代の王の心臓の木乃伊を画材として、歴代の王たちがなした圧政の地獄絵を再現し、絵の中で逆に王が罪人として責めさいなまれているところを描く狂気に満ちた画家であった。

La jeune fille blanche(白い少女)
貴族?の館で行なわれる秘密ショー。パレストリーナの高雅な音楽とともに、白い肌の裸の少女が白鳥を胸に抱き登場する。高揚する音楽に合わせて白鳥を高々と差し上げ一気に引き裂く。赤い血が白い肌を伝う。

Messieurs de la cour(裁く人)
死刑を宣告しギロチンでの処刑を見届ける裁判官が経験談を語る。死刑囚の最後の瞬間はみんな取り乱して暴れるものも居るが、一人思い出に強烈に刻印されている死刑囚が居た。その死刑囚は、断頭台に登る途中の階段でくるっと振り返り、「タタタ、ティティティ、タタタ」と声高く歌い、みんなを睨みつけるように見回した。そして断頭台で「全員道連れに・・・」と叫んだ瞬間にギロチンが落とされた。前に居た司祭が大きく息を吸い込むのが分かった。その死刑囚の姿が脳裏に刻みついて離れない。

La fin de John Hamilton Llewellyn(ジョン・ハミルトン・ルヴェリンの最期)
どんな死に方がしたいかみんなで談議したなかで、画家のルヴェリンが芸術と女のために死にたいと言ったが、その時談議した仲間が次々に予想外の死に方をしたのに対して、まさしく彼はその死に方をした。シベリアの奥地でマンモスと一緒に氷付けになっていた女性が大英博物館の奥に収蔵されたが、ルヴェリンは時間と空間を越えた女性という観念に感銘を受けて、何とかその美を絵に写し取りたいと、お金を用意して(そのために賭けをするシーンがある)、警備員に賄賂をつかませて部屋へもぐりこむ。念願かなって氷り漬けの美女と対面し解凍するが、解凍の一瞬は美しく甦ったかのようだったがやがて温まるに連れてどろどろの汚物と化しクラゲのようにルヴェリンにまとわりつく地獄絵のような状態となる。ルヴェリンは発狂して精神病院で死んでしまう。

Journal d’un oranger(オレンジの樹日記)
これまでの残酷グロテスク趣味はなく、詩的でファンタジーに溢れた世界が描かれている。ある男の手記の形で綴られる。男は、多くの男をひきつけ失踪させる魔力を持った女性から遠ざかろうとして果たせず、魔力に囚われてしまう。女性の命ぜられるままに、次第に自分がオレンジの樹と思うようになり、最後にオレンジの樹となってしまう(実際は精神病院に入れられる)話。現実と観念についての哲学的議論がこの現象の裏づけとしてしばし語られる。眠る男が目ざめた時じっと見守る女性に「何をしているの」と尋ねたのに対し、「しーっ、静かに、あなたの夢を摘んでいるのよ」という答えが印象的。

Le Juif mort(死んだユダヤ人)
どんどん状況が困惑に満ちた狭い世界にはまり込んでいくグロテスク小説の傑作。どもりのユダヤ人と決闘することになり朝早く森に向かった仲間たち。決闘を何とか避けようとして何回かやり直すが、ついにユダヤ人のおでこに命中して死んでしまった。仲間たちが坐る狭い馬車の中に死体を坐らせるように積んで、雨が降り道がぬかるんだなかを、2時間ほどかけて病院へ向かう。狭い馬車で揺れるたびに死体が寄りかかってくるのでみんな気持ち悪がる。道中酒を飲んで気を紛らわせながらようやく運び込んだが管区が違うとのことで拒否される。仕方なくさらに4時間の距離の別の病院へ向かうが、酒を飲みすぎてべろべろになった仲間たちは死体に酒を飲ましたり、タバコを吸わせたりふざけていると、ついに死体がどもりながら喋り出す。

La fiancée du tophar(木乃伊のフィアンセ)
下宿探しに疲れ果てた男が別の部屋の住人が自分の部屋を通ってしか出入りできないという奇妙な部屋を契約をしてしまう。住人と話をしてみるとオシリスの祭りなど古代の話に通じているようだ。その男はときどき大きな荷物を運び込んでくるが中身は分からない。ある日間違って届いた荷物をあけてみると猫の死骸が詰まっていた。主人公には近くの公園で知り合いになった幼い女の子の友達がいてときどき部屋に遊びに来ている。その女の子は心臓が弱く時々発作を起こす。女の子が遊びに来ているとき住人がやって来て話をしていると発作が起きてしまう。医者を呼びに行って戻ってくると住人が家の前に居て一緒に部屋へ戻ると女の子の姿は影も形もない。住人はしばらくして転居していく。その直前彼の知人のパーティに呼ばれて彼が一足先に帰った後、彼の職業に関連して会話をするがどうもかみ合わない。どうも彼は死体に関係した仕事のようだ。大家さんのところに女の子の大事なロケットがあったので聞いて見ると住人の部屋を掃除していると出てきたという。しばらくしてカフェでばったり住人と出くわす。自分の行けなくなった考古学の講演に変わりに行ってくれないかとのこと。行ってみると世紀の大発掘と称するトファールの木乃伊の話であった。講演の最後にその現物を開陳するというので見たところ、生きているようなその姿はまさしく部屋へ遊びに来ていた女の子であった。

La Mamaloi(ママロワ)
男の手紙と手記の形を取って綴られる、。ハイチで商売をしている男が現地人のメイドに恋しているが、彼女がヴードゥー教の巫女(mamaloi)であることを知り、ヴードゥー教のことをいろいろ調べる。彼女も自分のことを好きならしい。ついにある日、ヴードゥー教の秘儀に潜入するが、それは生贄を捧げ血生臭い興奮状態の中で繰り広げられる集団乱交の世界であった。二人の間に白い子どもが生まれるが、その頃よりメイドの精神状態が不安定になり奇妙な言動を繰り返すようになった。男は危険を察知しブードゥー教の本部へ駆けつけるが一歩の差でメイドが子をひねり殺したところで、憤激のあまり愛するメイドを殺してしまう。実はヴードゥー教の祭司よりその子を殺さなければ男を殺すと言われ自ら子を殺めたことが残された手紙で分かった。文中現地語で呪文や叫び声が書かれているが、歓喜の絶頂で叫ばれる“Aa-bo-bo”は日本の卑語の「ぼぼ」から来ているのではないだろうか。