CLAUDE FARRÈRE『L’Homme qui assassina』(クロード・ファレール『殺した男』)

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CLAUDE FARRÈRE『L’Homme qui assassina』(PAUL OLLENDORFF 1915年?)


 クロード・ファレールの本はこれまで5冊読んでいて、今回読むのは5年ぶり。文章がとても分かりやすいので気に入っています。難しい単語も、ときどきトルコ語らしき意味不明の語が出てきますが、それは読み飛ばし、辞書も引かず数ページ一気に読めた個所もありました。 

 ひとことで言えば、異国情緒を背景にした男の友情物語。12年前、王の不興を買って危うく死刑されそうになり、主人公のフランス軍人に助けられ国外逃亡したトルコの軍人が、今は国王直属の元帥になっていて、新しくトルコに赴任してきた主人公に恩返しをする話です。任侠映画を見ているような雰囲気もありました。

 主人公は、イギリスのトルコ債権管理責任者の妻であるハヴァナ生まれのフランス女性と知り合います。彼女は不幸な結婚を嘆きながらも主人公をスタンブールの隠れた名所に案内するなどし、しだいに親密になって行きますが…。「殺した男」というタイトルに結びつきそうにない話が延々と続くので、どうなるのかと思いながら読んでいましたが、途中からそれをほのめかすような伏線がいろいろと出てきて、最後の20ページあたりでようやく殺人事件が起こります。犯人探しの議論がありますが、死刑が確定していた極悪殺人犯が犯人として名乗り出たということになって、誰も傷つかないように終わります。不自然ですが、元帥が国王と相談して事件をもみ消したということを暗示しています。この場合これ以外には終わり方はないでしょう(曖昧な書き方になってしまいましたが、推理小説的な謎解きに関わるので)。

 強い男、正しくて、精神の強靭な男への崇拝が感じられました。ファレールは実際にフランス海軍士官だったというだけに、軍隊的な誇りや忠誠心を称揚し、フランスへの愛国心を大切にしていることがよく分かります。それが極端に過ぎて、強く正しい善玉と卑怯な悪玉が明瞭に分離して描き分けられているところは、大衆小説的と言えます。

 この小説のいちばんの魅力は、西洋と東洋が入り混じったさまざまな民族の坩堝で、第一次大戦前の諸外国の外交官がしのぎを削っているコンスタンティノープルを舞台にしているところでしょう。ヨーロッパ側とアジア側を隔てるボスフォラス湾があり、あいだにはガラタ橋がかかり船が行き交っています。古いモスクや霊廟、町のいたる所に散在する墓地が出てきます。馬、馬車、ケーブルカー、汽船、小舟、列車など、いろんな乗り物が出てきますが、もちろん徒歩でガラタ橋を渡ったり小路や林の中の坂道を行ったりします。がもっともコンスタンティノープルらしく情緒のあるのは小舟で、これはロティ作品でも存分に活躍していました。「静河」とでも訳せばいいのか「Les Eaux Douces d’Asie」という小川を遊覧したり、夜のボスフォラス湾をわたる場面はもっとも美しい部分です。

 どんどん西洋化の進んでいくトルコにあって、新しい町ペラと、伝統的な木の家屋が残り路地の入り組んだ古いスタンブールの町が対比され、古き良きトルコへの讃美が感じられます。ピエール・ロティのやはりコンスタンティノープルを舞台にした『アジャデ』、『東洋の幻影』、『魔法を解かれた女たち』の連作を彷彿とさせます。実際に、アジャデのらしき墓や、ロティが『アジャデ』を書いていた家も登場します。この作品は師のピエール・ロティの『アジャデ』三部作を受け継ぐものとして書かれたものだと思います。

 フランス大使、イタリア大使、ロシア大使館員、イギリスのトルコ債権管理責任者、ドイツの商人、アルメニア人の老貴婦人その他コンサルタント、公社員、金融家などとの社交のなかで、主人公はトルコの元帥との友情を深めていきます。元帥のかつての上司の将官宅に招かれたとき、今は老いた将官が、若かりし頃フランス軍に留学したときに見たフォンテーヌブローの風景を描いている場面がありました。過去への愛惜と西洋への憧れの入り混じった感情に心を締めつけられました。

 主人公は、「侯爵」と呼ばれることを嫌がっていますが、そう書くことで、貴族であることを誇りにしていることもうかがえます。同様な自己撞着は、主人公がスタンブールの古い町、文化に好意を寄せながら、ヨーロッパ強国がトルコから甘い汁を吸っているのを自覚している、ことにも見られます。

中村禎里『回転する円のヒストリア』

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中村禎里『回転する円のヒストリア』(朝日新聞社 1979年)


 中村禎里という著者についてはまったく知りませんでしたが、理系と文系が融合したような随筆で、面白く読めました。「数理科学」という雑誌に連載されたものを中心にまとめています。理学部ご出身の方で主として生物学がご専門のようですが、科学全般や思想全体に対しても大局的なパースペクティヴをお持ちで、また日本の習俗や文学にも詳しく、古今東西の歴史的蘊蓄が散りばめられていました。

 冒頭の一篇「金の輪」は、病気の男の子が夢のなかで、見知らぬ男の子と二人で金の輪を回しながら白い道を走るのを見たあと亡くなる、という小川未明の「金の輪」の話を紹介したもので、「虹のように美しくはかない『金の輪』の話に、あるいは未明の長女・晴代の死が投影しているのかもしれない・・・金と白の配色に、亡き子の安住の地が燦然無垢であるように願いをこめ」(p6)と書いてあるのを読んで、科学者なのに、ウェットな感性がうかがえて驚きました。その前に読んだM・ルルカーの『象徴としての円』が哲学的理念的な記述に溢れていたので、余計にそう感じたのかも知れません。

 ときたまユーモアの溢れた文章に出くわすことがあり、人柄に好感が持てます。例えば、「テープがそうである。吹きこんでおいた名曲名演奏を聴こうと思い見当をつけて回しはじめると、ぞっとするほど迷調子の炭坑節がひびきわたったりする。昨年、忘年会にそなえた練習の苦心のあとであった」(p43)とか、「回転運動には手足はいらない・・・プラトンの宇宙動物は・・・ひたすら回転する孤独な動物であった。私がそこに連想するのはタンク・タンクローであるはずがない」(p86)など。

 設問の設定の仕方がユニークで、理系らしい面白い着眼点を持っています。設問としては、日本ではなぜ馬車が発達しなかったのであろうか(p7)、螺旋が左まきに上がるか右まきに上がるかの違いは、どこから来るのだろうか(p33)、ボクシングやプロレスのリングは四角いのに、土俵はなぜ円いのか(p70)、それに関連して、力士をとりかこむ観衆はなぜ輪をつくるのか(p71)、円への憧憬がどのような理由によって説明されるべきか(p108)、日本人にとって赤とは何を意味したのだろうか(p109)など。

 面白い着眼点がうかがえる指摘としては、例えば、
①かつては車を忌避していた日本で、血しぶきを上げながらでも自動車が全盛をきわめているのは、人々の機械信仰、すなわち利用者にとって制御可能なものという確信から来ているとしているところ(p9)。

②ルーレットの36分割とサイコロの6分割の同類性に着目して、赤と黒の2種類のサイコロでルーレットと同じ36種を振り出すことができると考えたり、その二つを結ぶものとして中国のヒネリ独楽を発見したりしているところ(p19、47)。

③円と渦巻との違いについて、円環は完結し閉鎖した集団を包むが、渦巻の最大の特徴は開放性であり、絶えず異分子をとりこみ、自己を分解しては吐きだしてゆくと見ているところ(p40)。

④しかし、閉鎖性のシンボルとしての円にあっても、円環上の回転する実体はじつは不変ではなく、例えば、山手線の車輛で運ばれる乗客はたえず変動しているし、血液と各細胞はたえず物質を変換している。形式的には閉鎖循環の系であっても、実質的には開放的なこともある(p104)。

⑤螺旋壁画を天地の方向に圧しつぶすと、絵巻、巻物となる。書物の最初の形態は巻物であったが、巻物は中途からの読みや読み戻りには不向きだったので、羊皮紙や紙の登場によって、次第に冊子形式にとって代わられた(p42)。

⑥土俵はなぜ円いのかという理由について、人垣の輪に見られるように、すべての観衆がひとしく競技者に近づくには円形が都合よいことと、ボクシングやプロレスなどでは競技者が外に逃げ出せないようにロープを張るためにはどうしても四角でないといけないが、相撲ではその必要がないこと(p71、72)。

⑦太陽は、仏像の光背、キリスト教聖像の光輪などさまざまなものに円形のシンボルとして表れているが、太陽から抽出可能な視覚要素は円にはかぎらない。太陽は赤色でもあり日本の古墳期には呪術的な用途で朱色が多用されていた。太陽の赤は、血液の赤と炎の朱をつなぐものでもあった(p109、110)

 知らないことを教えられた部分もありました。舞台の早変わり仕掛としての回り舞台は日本人が考案したそうで、創案者は大坂の狂言作者・並木正三(1758)だと言われていること(p46)、寛文(1661~73)ごろの相撲は、輪形の土俵と、四本柱を縄でむすんだ正方形の土俵が併存競合していたこと(p71)、「輪入道」と「朧車」というふたつの恐い絵があること(p10)。

 「日本人は、とくにまろやかさ、そり、ゆがみを嗜好する民族であった。吉村禎司はその例として、縄文土器のうねり、草仮名書のながれ、屋根・石垣・鳥居・刀のそり、茶室の床柱のゆがみなどをあげている。ここに、西欧合理主義の円とも、東洋神秘主義の宗教的・呪術的円とも異なる、美的な円みを見いだすことができる」(p119)という文章を読んで、日本美についての本も読みたくなってきました。

M・ルルカー『象徴としての円』

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マンフレート・ルルカー竹内章訳『象徴としての円―人類の思想・宗教・芸術における表現』(法政大学出版局 1991年)


 「十字」と「渦巻」の次は「円」についての本です。円による文様は装飾のもっとも古いモチーフのひとつであり、また古来より、円はさまざまな信仰や宗教において重要な役割を与えられています。円はそれを生んだ人々の思想、感情と内的につながっているという考えをもとに、これまで円が時代や文化のなかでどのように捉えられてきたかを、いろんな資料を集めあらゆる角度から検討しています。一種の事典のようなものでしょうか。面白くまた勉強になりました。数多くの例証を読んでいるうちに、いくつかの基本的なことが見えてきます。例えば、

①何から円を学んだか、ということで、ひとつは、太陽や月、眼や臍や乳頭など身体的部位、水の波紋や雪の結晶など自然現象、花や果物、幹・茎の断面などの植物に見られる形状としての円。もうひとつは、太陽や月の動きが作る循環軌道。

②円は幾何学的性質に特徴があり、四角形や三角形とちがって、一様に丸みをもち、中心があり、求心力と遠心力が拮抗し、直径の倍数では円周曲線が測れないという不可解な存在であったこと。また円周によって空間は外部と内部に分けられること。

③そこから円の理念的象徴的な性質が生まれた。自己を取り囲む世界は円として経験され、神が創造した世界も円として考えられた。宇宙は円であり、神自体も球形として考えられることもあった。

 この本はとくに、③の理念の部分についての考察が多く、いくつかの指摘がありました。
①西洋においては、神を象徴円として描く系譜が、オルフェウス教からキリスト教神秘主義の新プラトン学派を経て近代にまで及んでおり、例えばあるルネッサンスの詩人は、「中心点が至る所にあり、どこにも周辺のない無辺際の円」として神を讃えている。神の姿は、神が創造した世界の内側に描くべきか、外側かという中世の画家たちの疑問に、アリストテレスはこう答えたという。「神は万物を己のなかに含み持っているがゆえに万物の内にあり、しかし、同時に、万物のうえに立つゆえに万物の外にある」と。 

②仏教においては、円はすべてを包括する仏陀の完全無欠を暗示するものである一方、輪廻転生という考え方や、サンスクリット語で「円」を意味する「曼荼羅」の世界観を持つ。ユングは、曼荼羅的世界は、中世の薔薇窓やナヴァホ族の砂絵など仏教以外の他の文化にも見られ、現代人の無意識の内にも潜んでいる、と指摘している。

③円周によって囲われた内部は、神聖な場所になる。宗教や法律や魔術に見られる影響圏、魔法陣という考え方がそれであり、中国の幸運の円の図柄はそれを表現している。円は、空間と時間を清め、己を神聖化し完全化し再び神の永遠の円に帰還しようとする人間の憧憬の可視的な表現となる。

④円と回転運動との関係。世界とそれに属する生き物が円形運動より生じたとする考え方は様々な宗教に見られる。円の中心は轂(こしき)となり臍となり、外部の影響から独立してそれ自体において回帰する運動を生み出すエネルギーの源となる。古代エジプト人は宇宙の形状を円だと考え世界を「太陽が回るもの」と呼んだ。ケルト人においては車輪は太陽の象徴であった。時間を時計から読み取るように、一年の太陽の運動を地球の縁から読み取ることができる。古代の文化民族において時間は循環的であったのである。この思想は「万物は去り、万物は帰る。存在の輪は永久に回る。時間は円である」と言うニーチェ永劫回帰につながっている。

 いくつか印象に残る記述がありました。

神の知ろしめす宇宙という円と私たち自身の生という円のそれぞれの中心を符合させることによって生存在の不調和と不確実性から脱出することが、幾千年もの間の人間のもっとも深い憧憬であった/p1

砂や石で円い壁や城をつくる・・・自分でつくった建物、すなわち「自分の世界」を築くことによって、子供はたいていは自分と円の中心とを同一視する。子供は自己を世界の中心として体験する・・・自己を小宇宙として経験し認識する/p25

そもそも生自体が死の国をめざして転がる車輪である/p107

人間がこの世に生を受ける場所とこの世を去る場所には存在の根源が口を開けている/p127

人は・・・知性に、論理に、ある時は感情にと、人間以外の動物にはない属性に頼りつつ、それをもって外の世界に対抗しようとして来た。しかし、忘れてはならないのは、人間の歴史にはもうひとつ、象徴による外界に対する接近方法があったということだ。この言葉によらない方法は、言葉をもたない分だけ人々の関心をそそらないが、その裏に自我では捉えられない生命の大きな源泉があるとしたらどうだろう(訳者あとがきより)/p175

 訳者あとがきで、ロマン主義的な論考と紹介されており、系譜として、ヴィーコ、クロイツァー、バッハオーフェンの名が挙げられていました。いずれも名前を聞いたことがある程度なので、また蒐書に励んでみようと思います。

パスカル・キニャールの二冊

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パスカルキニャール高橋啓訳『めぐり逢う朝』(早川書房 1992年)
パスカルキニャール吉田加南子訳『音楽のレッスン』(河出書房新社 1993年)


 キニャールの作品は、ずいぶん昔に、端正で詩的な文章が目にとまって、『辺境の館』というのを読んだことがあるくらいです。この二冊も以前に買ってそのままにしていたものですが、来年、奈良日仏協会のシネクラブで、アラン・コルノー監督の映画『めぐり逢う朝』が取り上げられるというので読んでみました。 『めぐり逢う朝』は、2ページから長くて10ページの短章27章で構成されている小説。『音楽のレッスン』は「マラン・マレの生涯の一挿話」、「マケドニアの若者が船をおりて」、「成連の最後の音楽のレッスン」という3つの作品からなり、最初の二つはアフォリズムと小説が合体したような散文作品、最後の作品は、きわめて短い断章からなる寓話風小説です。

 もともと、『音楽のレッスン』を読んだコルノー監督が、音楽家の映画を作りたいとキニャールを訪問し、シナリオは無理だが小説ならと応じたのが、『めぐり逢う朝』ということです。そんなわけで、『音楽のレッスン』の「マラン・マレの生涯の一挿話」は『めぐり逢う朝』と同じ話をマレを中心として描いた作品ですし、ともに声変りという言葉がキーワードになっています。「成連の最後の音楽のレッスン」も楽器はヴィオールではなく琵琶ですが、師が弟子の楽器を叩き壊す場面など、『めぐり逢う朝』と共通したところがあります。


 『めぐり逢う朝』は、人間のあらゆる声音をまねるまでヴィオールを極めたが、宮廷からの誘いを断り、桑の木の小屋でひたすら研鑽する師サント=コロンブと、後に宮廷音楽家となって大成する弟子マラン・マレの相克を描いた芸術家小説です。コロンブの妻の亡霊が登場して会話が繰り広げられたり、ボージャンという同時代画家の静謐な絵とのコラボレーションもあります。「風であることに苦しみがないとでもお思いになって? ただ、この風はときおりあの世に音楽のかけらを運びます。ときには光があなたの目にわたくしたちの現世(うつしよ)の姿を運ぶこともあるのです」(p104)という亡霊のセリフに見られるようにいささか哲学的な難解な小説。

 これまで読んだ範囲で言えば、キニャールの小説は、断片が素材のまま放り出されているという印象を受けます。一般的な小説であれば、一人称であれ三人称であれ物語を単一の視点から語り、筋道立って同一のレベル、統一の取れた形で世界が描かれますが、『めぐり逢う朝』は、史実の断片と架空の物語という次元の異なるものが入り混じり、著者のある観念に基づいた形象が散りばめられているので、観念小説的、寓話的、神話的な語り口が感じられます。ネタバレになりますが、サント=コロンブの長女マドレーヌがマレに恋し、あげくに棄てられて、マレからプレゼントされた靴の紐で首を吊るという悲劇が織り込まれているのに、淡々と描かれ決してドラマティックにはなりません。

 現実味が薄いのは、400年ほど前の人物のことを書いているからでしょうか。普通の小説であれば、本当らしさを作りあげるためにいろいろ枝葉末節を付加して肉付けするものでしょうが、物語の観念的な主題に触れる以外のことはほとんど書かず、荒削りな印象があります。また、端正で詩的な文体のなかに露骨な性的な言辞が混じる違和感が不思議な感覚をもたらしています。これはいかにもフランスらしい。

 サント=コロンブがマレを連れて、ボージャンのアトリエを訪ねるくだりの雰囲気は、画家の筆使いに演奏の極意を求めたり、役者の朗誦の声に音楽の発声法を学んだり、雪に向かって小便をするときの音で装飾音を会得したりと、求道的な印象があります。キニャールには近代のヨーロッパに欠けているものを求めているようなところがあって、それが古代ギリシア古代ローマ、東洋という題材を選ぶ一つの理由のような気がします。


 アフォリズムが満載の『音楽のレッスン』を読んで、アフォリズムというものについて考えました。アフォリズムがよくないのは、私の場合、分かったような気になって、その実、雰囲気に流されて、何も分かっていないことがよくあることです。とくに詩的な美辞麗句には気をつけなくてはいけないと自戒するところです。キニャールの文章は、詩的で繊細な美が感じられる一方分かりにくい文章で、悪く言えば、文学青年の習作のような印象を受けることがあります。これはフランス文学特有の気取り、プレシオジテと言うのか、エスプリと呼べばいいのか、ではないでしょうか。

 こう書いても分かりにくいと思いますので、具体例を下記に列挙してみます。いずれも『音楽のレッスン』の「マラン・マレの生涯の一挿話」より。

声変りを飼いならし、それによって、声変りから生ずる変化を飼いならすこと。それによって、退去を手なずけ飼いならすこと。徴をつけられてしまった退去/p15

アウグスティヌスは言っている。「神は時間の中で響く声では語らない」と/p64

音楽は、すべてうつろな語りだ。そしてあらゆる語りは時間の中にあり、語りそれ自体が、飼いならすということに要約される/p67

ヒトの時間の内にあって、音楽とは戻ってきた時間の亡霊だ/p71

知らないものを待つことだ。しかしこのように待つとき、わたしたちは知っているのだ、知らないものとは、知られてはいないが、しかしそれまでまったく知らなかった未知のものであるはずはない、と。私たちが知らないそのものは甘美で、去ってはまた戻ってくる―そして戻ってくるため、それだけのために去るのだと/p74

 こう書いていて思い出しましたが、『辺境の館』にも次のようなアフォリズム的な一節がありました。

花々の影が欄干にさしていますが、それはけっして花そのものではありません。花々は階段の下、花瓶におさまっております。男は、新大陸に向かうカラベル船のように、自分の欲望のなかに消えたのです。夢見る者が夢のなかに消えてしまうように/p89

 『音楽のレッスン』の3つの作品の中では、「成連の最後の音楽のレッスン」がいちばんおもしろく読めました。師匠の無理難題に必死でついて行く弟子の姿が、東洋的な修業の過程とともに描きだされています。ユルスナールの「老絵師の行方」(『東方綺譚』所収)をどことなく思い出しました。

大和岩雄『十字架と渦巻』

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大和岩雄『十字架と渦巻―象徴としての生と死』(白水社 1995年)


 10年近く前に、螺旋や渦巻についての本を何冊か読み、このブログでも感想を書きましたが、その続きで、形についての本を何冊か読んでいきたいと思います。まず、面白そうなタイトルのこの本から。基本的な形がどうして生まれたのか知りたいと読みました。宗教学、神話学、文化人類学、古代史、美術にまたがる興味深いテーマです。

 神話学や文化人類学の本で、注意しなければならないのは、事実と推測、妄想の区別をしないといけないことだと思います。私みたいにすぐ信じてしまうような素人では、なかなかその区別ができません。この本ではしばし、その三者が混在しているような気がします。例えば、黒マリアについての記述のところで、黒マリア信仰が現在もあり、黒マリアがシャルトルのノートル・ダム寺院の地下室やモン・サン・ミシェル修道院の地下にあるというのは事実で、それらがキリスト教時代の建物の下部から見つかったということで、黒マリアがキリスト教以前か初期の信仰の影響によるものというのは推測できると思います。しかし、それがケルト民族の宗教やマグダラのマリア信仰にもとづくというのは、少し想像力の領域に入っているような気がします。 

 文様についても深く考えすぎな気もします。渦巻なども初めは呪術的な意味があったかもしれませんが、それが一種の流行のように伝播するにつれて、初めの意味は薄れて行ったのではないでしょうか。また縄文文様についても、縄=蛇として、呪術的な意味を見ようとしていますが、縄目の作る美しさを当時の人々が愛でたという単純なことが考慮されていないのも一方的な気がします。この本に書かれている三分の一はそうした想像力の飛躍にもとづいて、自説を理論的につなげようとしているところがあるように思います。と書きながら、実は私もどちらかというと、地道な考証よりは大胆な仮説が好きなので、以下の感想も上記と矛盾するところがあるかもしれません。ご寛恕をお願いします。


 いろいろと知らないことを教えられました。まず十字架については、種類を整理しておくと、普通目にする十字架の形であるラテン十字架は4世紀以降からのものであり、それまではタテ・ヨコが同じ長さのギリシア十字架(正十字架)だった。エジプトでは、アンクと言われる十字架の上に輪がついた形で、コプト教徒(エジプトのキリスト教徒)もアンクを用いていた。ヘルメス(メルクリウス)は、自身が持つカドゥケウス(蛇杖)をシンボル化した太陽と月を結ぶ十字架の記号で表わされるが、十字架はそれの変形したもの。アイルランドケルト十字架は、ラテン十字架で否定された円が十字架についている。その円が大きくなって十字を囲んでしまう形に回転の運動を与えて表現したものが卍(まんじ)である。

 次に、十字の持つ意味について考えると、3世紀ごろまでは、十字架崇拝はキリスト教が公認していない異教徒の信仰で、古代世界における十字架は、永遠の生命をもつ樹として、宇宙の中心にあって空間と時間を標示するものだった。本来は円環的時空間によっていたが、キリスト教神学がそれを直線的時空間に変えたのである。すなわち、キリスト教のラテン十字架は、円・回転・輪廻の否定から生まれている。十字は主として、統合と中心を示すものとして、混沌に対して秩序を表わす象徴的図形となった。

 また、十字架はイエスが磔にされたものであり、生贄として死んでいく神として神聖なものであった。一方、太古から十字架に人形を吊るしたものが畑に立てられ、穀物を守っていた。現代でも見られる案山子は、こうした生贄呪術の名残で、十字架にかかったイエスを思わせる。また十字路に子を置く風習があったが、これは十字路の神ヘカテに生贄として捧げた儀礼の名残である。


 渦巻については、水の渦と蛇のとぐろという二つの源が考えられる。天地開闢以前の原初の混沌が生命の生むカオスである海洋によって表わされる一方、無限循環の混沌はウロボロスとしての蛇で表わされているが、この始源のカオスである両者の象徴が渦巻と考えられる。また蛇や龍は水神として水の渦と結びついている。迷宮も一種の渦巻・螺旋であり、生―死―生の反覆の無限性が表現されている。迷宮の聖域に到達するためには、象徴的な死を体験しなければならないのである。

 渦巻の源として、ほかに貝殻の螺旋、犠牲獣の内臓の描く形が挙げられていましたが、さらに風の起こす旋風・竜巻やカタツムリの渦巻があるように思います。重層円は動きがありませんが、回転する車輪は渦巻に近いものとして言及されていました。渦巻文様に近いものとして、蔓性植物の文様、縄文、ケルト組紐文様が取り上げられていました。この本にはありませんでしたが、グロテスク文様やアラベスクなどとの関連も興味があるところです。

 渦巻と十字架に対する著者の結論めいた文章を引用しておきます。「キリスト教の学者はカオスを渦巻、コスモスを十字形に代表させ、十字架をシンボルとするキリスト教をコスモス的、多神教アニミズム要素の強い異教を渦巻的とみて、ドルイド教の影響のあるケルトの渦巻表現などを代表例にあげ、渦巻と十字架をカオスとコスモスに重ね、対立させているが、渦巻と十字架は、まんじや十字を円が包む表現が示すように本来は一体である」(p240)


 その他で印象に残った記述は、
精子を受けて妊娠するという現代人と同じ考え方を、はたして古代人はしていたか。古代の人々は父親の介在を認識してなかったようだ。子どもは岩や深淵、洞穴のなかで成長し、母の胎内に潜りこむと信じていた民族もいる。ヨーロッパには現代もなお、子どもは沼沢や、泉、川、木などからやってくるという俗信が残っている。

②沖縄や古代の日本で墓を子宮とみなしていたのは、死者が墓=母胎に入って再生すると考えられていたからである。同じように、死んだ子どもの魂は女性の子宮に入り込んで再生すると信じられていたので、死産児の遺骨は、玄関の床下や女性トイレの脇など女性が頻繁にまたぐところに埋められた。また、女性の伝統的な着衣の下部が閉じられていないのは、子どもの魂が再入しやすいようにとの心配りに由来するという説(金関丈夫)もある。

③「聖なる処女」というのは、イシュタルやアフロディーテーに仕える娼婦・巫女の添え名であり、文字どおりの処女を表わしているのではなく、単に「未婚」の意であった。『原福音書』によれば、聖母マリアは神殿娼婦の一人であった(ウォーカー説)。日本でも、応神天皇の孫である衣通姫(そとほしひめ)は平安時代には遊女の祖と言われており、近世になると小松(光孝)天皇の皇女が遊女の祖と言われるようになる。神武天皇も野遊びする娘を一夜妻とし、後に皇后にしている。これは、娼婦マグダラのマリア、娼婦であった皇母ヘレナ、皇后テオドラ、グノーシス派の娼婦ヘレンとも重なるものである。

 「生命現象の運動が渦巻の螺旋であることが生物学の領域で確かめられたように、物理学でも、エネルギーの元は渦巻状の回転であることがわかってきた」(p383)という記述がありましたが、生命やエネルギーの源には、無限の反復が可能な円環の形があるようです。

HUBERT HADDAD『Un rêve de glace』(ユベール・アダッド『氷の夢』)

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HUBERT HADDAD『Un rêve de glace』(ZULMA 2006年)


 前回読んだ『Géographie des nuages(雲の地誌)』が出色の出来ばえだったので、勢いこんで読みましたが、若干期待外れ。アダッドの小説の処女作のようです。そのせいか文章が凝っていて、単語も聞きなれないような語彙が出てくるのと、途中で改行もなく子どもの頃の情景に切り替わることがたびたびあり、初心者には読みにくい作品となっています。

 私が期待外れなのはもう一点。編集者は「序」で、この作品の魅力を、詩的な雰囲気と、あわいを探る力にあると書いています。たしかに現実と幻影、妄想の混淆があり、幻想小説の部類には入るものと思いますが、物語があまりにシリアスすぎてモダン。私が好むような懐旧的で夢幻的な雰囲気はありません。主人公の頭のなかでは夢幻的かもしれませんが、残酷で猟奇的な性向には共感ができません。


 話の内容を簡単に要約すると(ネタバレ注意)、
かつて医学生だったが、モルヒネ中毒のために指導教官から追放され、今は病院に付設された死体安置所の警備員をしている男が主人公。医学生時代に好意を寄せていた女性患者を指導教官が手術の失敗で死なせたことと、自分が追放されたことへの復讐を図ろうと、待ち伏せして尾行し銃で撃つ。慌てていたのでウィンドーに映った影のほうを撃ってしまった。指導教官はガラスで頭を傷つけられ、それがもとで精神に異常をきたす。

ある日、死体安置所に運ばれてきた若い女性の死体を見ると、指導教官の若い妻エヴァだった。手首を切って自殺したという。警備員は一目でその屍体に恋をし、死体安置所から近くの自分の部屋に運び込んで、眺めすがめつしていると、心臓のところに小さな穴が3つあるのに気づく。指導教官は鍼灸の専門でもあり、急所を心得ていた。

葬式の前日、警備員は、やはりエヴァを窓越しに見て恋し通夜にやってきた男から、エヴァが夫から虐待されていたことを聞く。警備員は殺人を確信し、その男に心臓の小さな穴が死因だと告げる。男は「正義は復讐する」と叫んで駆け出す。警察沙汰になればエヴァが解剖されると恐れた警備員は、その日、何もかも棄てて、エヴァを車に乗せて、幼いころ過ごした海辺の館めざして逃亡する。途中、警察が逃げた警備員を追っているというニュースを聞く。

その館の青い部屋で、幼い頃、誰もいないとき、若い叔母(?だと思う)が突然死に、なすすべもなく屍体がそのまま腐敗していく様子を見るという酷い体験をした。主人公は、青い部屋を冷蔵室に改造し、エヴァとともに永遠の生を生きようとする。警察がその館に捜査に入ったとき、青い部屋は氷の洞窟のようになっており、霜のなかで二人は凍りついた姿で横たわっていた。


 この粗筋だけでは、死体安置所の不気味な雰囲気、嘔吐を催すような解剖の様子、主人公が屍体を愛でる妖しい雰囲気を伝えることができないのが残念です。おそらくそれがこの小説の大事な部分だと思うからです。アダッドがいちばん描きたかったのは、最後に警官たちが館に踏み入ったときの青い部屋の情景だったに違いありません。冷凍技術を身につけた主人公が配線をして部屋を巨大な冷蔵室に仕上げており、床には氷の柱が乱立しまるで洞窟のようで、氷が降りかかるなかを警官たちが滑らないようにそっと進むと、ベッドの上に、寄り添う二人の姿が霜で覆われてかろうじて見えた、という場面。

 この小説は、病院に付設された死体安置所という設定が決め手です。主人公は元医学生で死体安置所の冷蔵室を冷凍技師と一緒に作りあげましたが、それはかつて叔母の屍体を腐敗させたことの悔恨がトラウマとなっているからです。途中で何度も、氷の夢、氷の命令と言った言葉が出てきますが、それは、死体安置所の冷蔵室と呼応するもので、エヴァを冷凍設備で長く保って行こうとする情熱のもとになっています。それが氷の命令ということなのでしょう。

 叔母の屍体が腐敗していく様子を描いたところは、小町の九相図のようなところがありました。美しく艶やかだった顔立ちが窶れて、唇は蒼くなり、手に染みができ、さらに時が経つと、顔が黄色くなって目のまわりに隈ができ、唇は枯葉のように割れた。また時が経ち、顔は木から落ちた果物のように斑になり、肌は黒ずみ、唇から歯が剥き出しになって、蠅が目のまわりにたかった、というもの。しかしエヴァの屍体を運ぶ場面では、屍体を長時間平温にさらしておいて腐敗の兆候すらないことや、冷蔵室のなかで普通の人間がしばらく留まっていられることなど、若干荒唐無稽な印象があるのは否めませんでした。

アルベール・カミュ『ペスト』

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アルベール・カミュ宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫 2020年)


 奈良日仏協会の催しで、「カミュ『ペスト』を読む」という講演会があったので、原作を読んでおこうと手にしました。最近のコロナ騒ぎに見られる社会現象を考えるうえで参考になるかなという関心もありました。恥ずかしながら、学生時代に読んだ気になって、実は読んでなかったのです。


 読んで驚いたのは、今日のコロナ禍での状況とよく似たことが書き記されていることです。例えば、人々が陥った状況としては、町が閉鎖されたことで、突如別離の状態に置かれ、相見ることもできなくなったこと(p96)、活動的な生活が送れず閑散な身の上となり、虚しい追憶の遊戯にふけるしかなくなったこと(p101)、ひょっとすると一年、あるいはもっと続くかもしれないという不安(p103)、病人の家族たちは病人が全快もしくは死亡しないかぎり二度と会えなくなったこと(p130)。

 社会の変化としては、感染予防のためのハッカのドロップが薬屋から姿を消したこと(p165)、観光旅行の破滅(p168)、兵士、修道者、囚人など集団生活の人々の間に猛威を振るい、牢獄内では所長から軽微な罪人まで平等に正義が宣告されたこと(p251)、犠牲者の累増が墓地の収容能力をはるかに越えてしまったこと(p261)、貧しい家庭は苦しい事情に陥っていたが、富裕な家庭は不自由することがなかったこと(p350)。

 ペストについての解釈などさまざまな言説としては、ペスト感染初期の段階で穏便に済まそうとする一派(自治体の長や一部の医師)と早く対処を求める一派(主人公をはじめとする医師)の対立があったり(p71~76)、アルコールは伝染病を予防するという都合のいい観測が出たこと(p115)、男がおれはペストにかかったとわめきながらいきなり出会った女に飛びかかり抱きしめたという事件の噂(p116)、感染していないという証明を出したとしても、病院を出てからすぐ感染する可能性があるので、なんら保証できないという意見(p125)。

 現在のコロナ現象との明らかな相違点は、ペストの方が致死率が高いこと。しかし空気感染にまで至っていないので外出禁止はなく、カフェや集会など大勢が集まる場所での人々の交流が盛ん。それでこの小説も成り立っていると見ることができます。またデジタル社会でないので域外との通信手段が電報しかないこと、比較的早期に血清ができたので、4月に発生したペストは翌年1月、1年もたたない間に終息に向かったこと。


 この小説の面白さを特徴づけているのは大きく三つあると思います。ひとつは、アルジェリア港湾都市オランがペストに冒されるというSF的な設定で、それが克明なリアリズムでノンフィクション風に報告されていることです。実際に、物語全体は匿名の筆者によってルポルタージュとして語られるという仕組みになっており(最後のほうで、それが主人公の医師リウーであることが分かる)、途中でところどころ、友人タルーの手帳からの引用が交えられたりして、一つの社会のなかで、刻々のドラマが展開していくのをくっきりと浮かび上がらせるのに成功しています。

 さらに重要な要素は、ペストのなかで生きる人物のエピソードを積み上げているところです。妻を町の外の病院に入院させたあと町が閉鎖され別離の状態となった医師リウー(妻の死を知らせる電報を手にし平静を装うのは何とハードボイルド!)、父親が検事で死刑を求刑している姿を見て以来人に死を求めることを拒否しこの町に逃亡してきたタルー(人に死を求めるペストに対し自ら保健隊を結成し戦うが、結局ペストが終焉した頃にペストで死んでしまう)、秘かに小説の推敲に没頭しているしがない役人のグラン(ペストにかかって死の間際まで行くが血清が効いて治る)、たまたま取材に訪れて町に閉じ込められ恋人に会うために何とか脱出しようともがくランベール(逃げるチャンスが与えられた直後に町に留まることを決意する)、密告者の影におびえるどうやら犯罪者らしきコタール(ペストで人々が自分と同じに疑心暗鬼になり生きやすくなったと喜ぶがペスト終焉で発狂してしまう)、最後まで神の恩寵を信じながら治療を拒否しペストで死んでいくパヌルー神父、息子をペストで失ってから保健隊に参加するオトン判事など、カミュ的なテーマを具現したかのような癖の強い人物たちです。人物の造形が演劇的なのは、カミュが若い頃に演劇活動を行なっていたことがベースにあるのでしょう。

 もう一つの要素は、登場人物たちの会話からうかがえる、ペスト下での人間の生き方についての議論、神の恩寵を説く神父の説教、その神父とのあいだに繰り広げられる神学問答など、精神的な探究の様子が記録されていることです。カミュの大学の卒論テーマが「キリスト教形而上学ネオプラトニズム」とネットで知りましたが、神父の説教や神学問答にはそれが反映しているようです。人生論的、思想的な文章がちりばめられていることと、人物が観念的な枠組みのなかで動いているのを見ていると、この小説は評論ではないかとすら思えてきます。

 議論の内容は、実はよく理解できたわけではありませんが、いくつか拾ってみますと、
①緊急事態での身の振舞い方で、眼の前にある病気を何と呼ぶかは重要ではなく、患者が死んでいくのを防ぎとめること、できるだけ早く治療することが重要と主張し、それはヒロイズムでなく誠実さの問題と言い切る医師リウーの態度が印象的。

②神との関係では、「もし自分が全能の神というものを信じていたら、人々を治療することはやめて・・・神に任せてしまうだろう」(p185)と言う無神論の現実主義者であるリウー医師と、「われわれは神を憎むか、あるいは愛するか、選ばねばならぬ・・・何びとが、神を憎むことをあえて選びうるであろうか」と主張するパヌルー神父のあいだに、いくつか議論があります。罪がないのに苦しみながらペストで死んでいく子どもを前にして、「われわれに理解できないことも愛さねばならない」と言うパヌルー神父に対して、「こんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじません」と言う医師リウー。「司祭が医者の診察を求めるとしたら、そこには矛盾がある」という神父の言葉をタルーは次のように解釈します。「罪なき者が目をつぶされるとなれば、キリスト教徒は、信仰を失うか、さもなければ目をつぶされることを受けいれるかだ」(p339)。

③幸福については、次のような議論がありました。「彼らは・・・不幸と苦痛との態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じていなかった・・・まさにそれが不幸というものであり、そして絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである」(p268)。また、恋人のもとへ脱出を図るランベールを励ますリウー医師の「幸福のほうを選ぶのになにも恥じるところはない」という言葉に対して、「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」(p307)とランベールは答えます。


 物語の最後のほう、友人タルーの通夜の席で医師リウーの洩らす次の言葉には、カミュの文筆にかける思いが表われていると思います。「ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。おそらくはこれが、勝負に勝つとタルーの呼んでいたところのものなのだ!」(p431)。

 例えば、リウーとタルーが議論をした後、やにわに二人で服を脱いで夜の海で泳ぐシーンとか(p383)、バルコニーから紙きれを蝶々に見せかけて飛ばし集まってきた猫に唾をかけて喜んでいる老人が登場するのは(p38)、一見本筋とは関係のない無意味なことのように思えますが、実はこうした部分があることで、この作品を小説として救っているのだと思います。あまりに理論や観念でがちがちになった世界は面白くも何ともありませんから。