中平解の回顧随筆二冊

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中平解『霧の彼方の人々』(清水弘文堂 1991年)
中平解『冬の没(い)りつ日』(清水弘文堂 1993年)


 前回読んだ『フランス語學新考』の戦前の文章と比べると書き方がずいぶんやさしくなっています。中平解が晩年に人生を振り返って、主に人との交流の思い出を中心に綴った随筆です。はじめに『霧の彼方の人々』を書き、そこで書ききれなかったことを続編として、『冬の没りつ日』を出したということです。戦前の高校、大学生活が濃密な人間関係のなかで営まれていたのか、それとも著者が交際家で多くの人と交わっていたのか、書き進むにつれて、あの人もこの人もと増えて行ったようです。

 80歳を越えてからの回想録なので、先輩たちが亡くなって行くのと、途中に大きな戦争があったので、次々といろんな人が登場しては死んでいくといった荒涼とした雰囲気が感じられます。記憶のおぼつかなさを嘆き、自問自答しながら、一つ一つ書き起こしていくさまは、タイトルどおり「霧の彼方の人々」を呼び起こそうとするかのようです。それと、昔を振り返って、一高時代の怠慢を反省する言葉や、あの時ああすればよかったという慚愧の念、知人の消息を知らないままあの世に行くことの寂しさをあちこちで洩らしているのが印象的でした。

 高名な文学者、学者とともに、知らなかった多くの学者らの名前が出てきますが、その時代の雰囲気が感じられて貴重です。例えば、大正十年五月ごろ、鴎外が帝室の諡について講演をしたのを聞きに行って、和服姿の鴎外が黒板に難しい漢字を書き連ねていたこと(『霧の彼方の人々』p55)、菊池寛が人前で講演するのが2回目とやらで、「話を始めて五分もするかしないかに、巧くしゃべれなくなって、しきりにハンカチで額の汗をぬぐっていたが、そのうちに、どうしても話が続けられないから、今日はこれで止めさせてくれ、と言って、すごすごと帰って行った」という顛末や(同p60)、夭折した小川泰一という仏文学者の通夜で、白水社社主の草野貞之(レニエの『ヴェニス物語』を訳している人)がお経を読んだが、それは彼がお寺の息子で、東京帝大で印度哲学を専攻していてお経を読むことなど朝飯前だったからという話(同p94)、また『コンサイス仏和辞典』の校正刷に赤字を入れる仕事をしていたとき、当時暁星の先生をしていた田辺貞之助を学校に訪ねて協力を引き受けてもらったこと(『冬の没りつ日』p41)など。

 一高の誰それ、三高の何某というふうに、人の話をするときにつねに学歴が前振りで出てくるのは、戦前の文化だとは言えあまりいい感じはしませんでしたが、その一方で、濃密な人間関係が羨ましくもありました。明治大学予科でフランス語を教えていたときの生徒たちへの思いは、昭和17年から19年にかけてだったこともあり、勤労奉仕にみんな狩り出されたり、空襲での犠牲者もいて、格別なものがあったようで、その後も長くみんなとの付き合いが続いたようです。

 意外な一面としては、東京帝国大学時代に、あまり詳しい説明がなかったのでどういう組織かよく分かりませんでしたが、新人会という社会運動の学生組織に入って活動していることで、共産党系の人物と交わったり、メーデーに出たりしていること、それから一時、NHKに勤めていた時代があり、名古屋中央放送局で、当時はラジオのはずですが、文学講座や語学講座、さらには大学受験講座を製作したり、文化講演会を催して講師を招いたりしていたこと。

 『冬の没りつ日』のなかの一篇「夢の中で別れに来た人―上林暁のこと」は、ほかの随想とやや趣が異なり、オカルト的な話を記したもので、上林暁が亡くなったちょうど同じ時刻に、中平家で玄関から誰かが入ってくる音がしたので、奥さんが見に行くと、戸が開いていたが誰もいなかったという一件をはじめ、知人の死と中平家での怪異が符合するといった話が、4話ほど紹介されていました。

中平解『フランス語學新考』

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中平解『フランス語學新考 改訂版』(三省堂 1943年)


 著者が1935年に最初に書いた本の改訂版。この後、もう一度改訂しているようです。初歩の文法では些末なこととしてあまり説明されないが、実際の読書ではひっかかるような27の表現を取りあげて、本国の文法書や辞書を紹介しながら、丁寧に解説しています。フランス書読書をめざそうとする人にとってはありがたい文献と言えましょう。

 この本でも、『フランス文学にあらわれた動植物の研究』と同様、引用例文の数が多すぎるのが、わたしにとっては不満なところ。事実を積み上げようとする気概には感服しますが、読むほうはたいへんです。同じ作家の同一の作品で複数回引用されることが多いですが、少なくとも同じ作家の例文は一つに留めおくべきでしょう。というわけで、例文のかなりの部分は飛ばし読みし、補遺(たぶんこれが改訂の部分か)は読まずに終わりました。

 この本の優れたところは、あくまでも読書の過程のなかで遭遇した文法的事柄について書いていることで、本読みのために書かれているということです。文法のための文法ではないところがよい。恥ずかしながら、これまでまともに文法を勉強してこなかったので、知らなかったことが数多くあり、勉強になりました。著者が勢い余って、本国の文法家に対しても異論を述べているところはすばらしい心意気ですが、結局異論が併記されることで、曖昧になって混乱する部分がないとは言えません。

 専門的になりますし、正しく理解できているかどうか、心もとないですが、いくつか要約翻訳、独断的改変を交えて、ご紹介しておきます。  
①Goûtez-moi ce vin(この葡萄酒の味を見て下さいよ)という表現があるが、このmoiは話者がそのことに何らかの意味で関心を持っていることを示すもので、一種の虚辞である。しかし虚辞というのは、論理的、文法的には蛇足であっても、それあるがために、文全体に感情的要素を加味する働きを持っていることを見逃してはいけない(p1~3)。虚辞のneについては、話者の思考のなかに疑念がある場合には、今でもneを用いるのが正確であり、少なくともエレガントである(p66)。

②現在形を使って未来のことを表わす表現法があるが、これはフランス語に限ったことではなく、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語オランダ語などにも見られ、言語の一般的傾向である。国語のなかには、未来形を持っていないものすらある(p29)。元来、未来のことを言う場合には、そこに不確かな感じが伴う訳であるが、未来形を用いる代わりに現在形を用いれば、確かな感じを与え、表現に力を生ずるのである(p35)。条件を示すsiの後では、たとえ未来のことであっても現在形を用いるが、未来の観念をはっきり言い表わしたい場合には、devoir+inf.、parvenir à+inf.、pouvoir+inf.を用いたり、dans deux heures(2時間後)というように時間を書く(p41)。

③名詞節の従属節が文の初めに来ている場合には、主節の動詞の性質にかかわらず、一般的に、従属節の動詞は接続法になる(p63)。これは話者の思考の流れが、普通の論理的な進行を取らずに、その部分を初めに言い出すことによって、相手の注意を惹こうとする感情的な気持を反映しているからである。これとの関連で、倒置形が文全体に情動的な性質を与えるということがある。つまり、転換の結果として、文はその論理的な性質を失って主観的な雰囲気(atmosphère de subjectivité)に包まれるのである(p64)。

④言葉の歴史において、場所を示す動詞・前置詞と、動きを示す動詞・前置詞は、しばしば交換される。一般に、場所的意味は動き的意味の方へ広がって行く(p100)。例えば、aux environs de(~の付近で)は、空間についての表現と言われるが、実際には、いろいろな書物で、(~の頃に)という意味で時間の場合にも用いられている(p93)。もともと空間の概念を示す言葉であるiciまたはlàが、時間の場合に適用されるのも、やはりそうした例の一つである(p97)。

⑤et Florent de se mettre aussitôt à la recherche(でフローランはただちに探し始めた)という例のように、物語的不定法は、普通deを介して主語と結びついて、過去の動作を表わすが、多くの場合において、物語的不定法のある節は、接続詞etで始っていて、Et+主語+de+不定法現在の形を取る。主語がない場合もある(p46、51)。

⑥Ce queは、近代の口語において、感嘆副詞としてcombienやcommeの代りに用いられる。例文としては、Depuis qu’il y vient, ce qu’elle est gâtée!(彼がやってきて以来、どれだけ彼女が甘やかされたか)(p53)。

⑦理由を示すのに単に形容詞や過去分詞を用いただけで足りる場合がある。例文としては、Décidé à me débarrasser du poids de la vie(人生のやっかいごとを払いのけようと決めて),で、Comme j’étais décidé à me débarrasser du poids de la vie,の意味と同じであるが、これは、Décidé comme j’étais à me débarrasser du poids de la vie,としたほうが理由が強調されることになる(p117)。この場合、commeの後では、形容詞または過去分詞を代表する虚辞のleが用いられること(comme je l’étais)もあるし、用いられないこともある(p119)。

⑧17世紀にも、ne・・・point queやne・・・pas queの用いられている例があるが、これらは今のne・・・que(~しかない)の意味であった。18世紀末以降のne・・・pas que(~だけではない)は、近代的な表現であると言える(p135)。ne・・・pas queの特殊な表現として、ne faire pas que+inf.というのがあり、これはne faire que+inf.の否定形である。例文として、Elle ne fait que tousser.は「彼女は咳ばかりしている」であるが、Il ne fait pas que lire.となると「彼は読書ばかりしている訳ではない」となる(p146)。それと同様に、il n’y a pas que・・・quiの形式は、il n’y a que・・・quiの否定であるから、Il n’y a que lui qui le sacheが「それを知っているのは彼のみである」という意味であるのに対して、Il n’y a pas que lui qui le sacheは、「それを知っているのは彼のみではない」となる(p149)。

⑨単純過去は徐々に半過去にその領域を侵されるようになった。それと同じく、単純過去の複合形である前過去も、半過去の複合形である大過去にその領域を侵されるに至ったのである(p200)。

 まだまだありますが、これくらいで。

中平解のフランス動植物随筆二冊

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中平解『風流鳥譚―言語学者とヒバリ、その他』(未来社 1983年)
中平解『鰻のなかのフランス』(青土社 1983年) 


 この二冊は、中平解のなかでは、『郭公のパン』と並んで、かなりまともな随筆の部類ではないでしょうか。『語源漫筆』や『フランス語博物誌』では、フランス語やラテン語が頻出して専門的な印象がありますし、『フランス文学にあらわれた動植物の研究』にいたっては、フランス語がページの大半を占めていて、フランス語を知らないととても読めません。『フランス語學新考』、『フランス語学探索』は完全な文法書のようです。中平解は初めは言語学の道を歩んでいましたが、徐々に「フランス文学の背景学」とも言うべきジャンルに踏み入って行ったようです。

 かなり高齢になってからの執筆なので、自らの研究について回顧する言葉が多いのが特徴です。いくつか拾ってみますと、「フランスのことを知ろうというのは、大それたことだ、と言う人があるにちがいない。いや、わたし自身がそう考えている者である」(『風流鳥譚』p74)とか、「フランス語・・・これだけ広大無辺なものを、人間一代できわめようとするのは、どだい無理なことなのだから、何代もの時間をかけて、少しずつほぐして行くよりほかに方法があるまい」(同p49)と探究の困難について語り、あげくに、「自分の眼で姿を見、耳で声を聞いたわけでもないフランスの鳥のことを、専門家でもない文学者の書いたものを根拠として、厚かましく書いて行くのがいやになった。だから、ここで筆を捨てるのが一番いいのだが、それでは敗けたことになる。たとえ、このような不正確な記述があろうとも、恐れずに書き続けて行くことにしよう」(同p100)と煩悶を綴っています。

 フランスで生活したことがないのを悔やむ言葉が多いですが、「フランス人だからと言って、フランスのことが何でもわかるわけでないのは、日本人だからと言って、日本のことが何でもわかるわけではないのと同様である」(同p86)と開き直って、物事を深く注視することの大切さを説いています。「ぼんやりとした人生しか送らなかった者は、ぼんやりとしたまま死んで行くのであろう」(同p80)という言葉は耳が痛い。とにかく詳細を知ろうとする執念には狂気さえ感じます。


 この本の記述のなかのいくつかを、わたしが習っているフランス語の先生に確かめてみました。
①フランスの林檎は日本のより小さい(『鰻のなかのフランス』p118)。→先生によれば、日本では、間引きしたりして大きく育て1個単位で売っているが、フランスでは自然のまま小さく数多く育て、キロ単位で売っているとのこと。

②フランス人は西瓜を食べない。あるフランス人は、スイカアルジェリア人が食べる果物だと言った(同p141)。→フランスでも北の方に住んでいる人は夏に水分をそれほど欲しないので、あまり食べないとのこと。このフランス人の発言には差別のニュアンスがあるとも。

③フランスでは、ヒバリを食べ、鏡の光でヒバリをおびき寄せる鏡猟(chasse au miroir)という言葉があり、その鏡のことをmiroir à alouettesと言う(『風流鳥譚』p13、p62、p64)。→ジビエとして食べていると思うが、ヒバリとしてレストランに供されることはない。Le miroir aux alouettesという言いまわしがあって、「ピカピカしたものに魅かれて行ったがつまらなかった」という意味とのこと。


 その他これらの本には、いくつか面白い話題がありましたので、要約してご紹介しておきます。
①戦前の日本人はいろんな鳥の肉を食べていたらしい。著者も鶴、雁、キジ、ヤマドリ、ツグミなどを食べている。
戦前は石川、富山、福井、群馬、栃木などの各県で山の稜線に霞網を張って渡り鳥をとらえ、年間約400万羽の鳥を焼鳥として賞味していたという(『風流鳥譚』p19、p56)。→ネットで見ると、戦後、霞網猟は禁止されたとのこと。

②日本人は千年以上もの間、鶯をウグイスだと思い込んでいるが、ウグイスにあてている漢字の鶯は、中国では別名黄鳥と呼ばれている鳥で、ウグイスではない。フランスではこの黄鳥のことをloriotと呼んでいる。この言葉は「黄金の」を意味するラテン語から来ているから、中国とフランスとで命名の動機が等しい(『風流鳥譚』p101、p103、p144)。

③中国では鮎はナマズのことである。鯰という漢字は日本人の考え出した国字であり、アユのことは、中国では香魚と呼ぶらしい(『風流鳥譚』p146)

④「棚から牡丹餅」を待つことを、フランス人はattendre que les alouettes tombent toutes rôties(ヒバリが焼鳥になって落ちてくるのを待つ)と言う(『風流鳥譚』p22)。

⑤日本はかつてフランスから大量のウナギのシラスを輸入していた。昭和52年度の農林水産省の調べによると、フランスから、日本産シラスの十分の一弱が輸入されていた(『鰻のなかのフランス』p32)。


 『鰻のなかのフランス』で、フランスで食べたリンゴや梨が甘くておいしかったというのを読んでいたら、猛烈に、フランスへ行って食べてみたいという思いが強くなりました。焼き栗も。あと、赤ブナと言われる大きな樹や結局学名しか分からなかったPrunus Pissardiという樹も見てみたい。

百万遍の「秋の古本まつり」ほか

 百万遍の「秋の古本まつり」初日へ行ってきました。京都の大型古本市が1年ぶりに再開したということでしたが、今年は古本仲間も集まらず、一人寂しく会場をさまよいました。

 古本市に行く途中にある臨川書店に、開店前に到着しましたが、今回はフランス語の本がほとんど出てなくて、仕方なく、下記一冊を購入しました。こういう場合不幸が重なるもので、W買い。本のタイトルどおり笑うしかない。
澤田瑞穂『笑林閑話』(東方書店、85年10月、300円)

 本会場では、まずキクオ書店三冊550円平台からスタート。
本間久雄『滞欧印象記』(東京堂昭和4年12月、184円)→この本は掘りだしものだと思う。
阿部良雄『絵画が偉大であった時代』(小沢書店、昭和55年7月、183円)
田山力哉『巴里シネマ散歩』(社会思想社、96年2月、183円)
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 次に、三密堂では、三冊500円収穫なく、仕方なく高い本を買う。
山田稔『天野さんの傘』(編集工房ノア、15年7月、1100円)
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 Indigoで、2冊550円を2セット。
加藤郁乎『意気土産』(小沢書店、昭和54年10月、275円)
加福均三『にほひ』(河出書房、昭和18年8月、275円)
中村良夫『風景学入門』(中公新書、00年5月、275円)→W買い
中村良夫『風景学・実践篇―風景を目ききする』(中公新書、01年5月、275円)
 昼飯に行く途中、吉岡書店の店頭陳列で、
形の文化会編『シンボルの物語』(工作舎、96年12月、700円)
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 午後の部は、ふたたびキクオ書店の三冊550円から。朝気づかなかった本がいろいろとありました。
LOUIS LANOIZELÉE『Souvenirs d’un Bouquiniste』(l’Age d’Homme、78年9月、184円)→セーヌ河畔の古本屋の親父が交友関係を綴ったものらしい。この日いちばんの収穫か。
坪内稔典『モーロク俳句ますます盛ん―俳句百年の遊び』(岩波書店、09年12月、183円)→W買い。しかも読んだことのある本で、タイトルどおりモーロクますます盛ん。
有永弘人『フランス文学研究ノート』(カルチャー出版社、昭和52年4月、183円)
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 竹岡書店では、恒例の三冊550円では見つからず、高い本の棚から。
樋口桂子『メトニミーの近代』(三元社、05年4月、880円)
 玉城文庫で、
上田篤『日本人の心と建築の歴史』(鹿島出版会、06年1月、700円)
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 以上、計15冊、5880円、一冊平均392円。うち3冊もW買い。
 
 オークションでは下記。「比較文学」が安く手に入りました。
比較文学 第30巻」(日本比較文学会、昭和63年3月、100円)
比較文学 第31巻」(日本比較文学会、平成元年3月、100円)→矢野峰人先生追悼
比較文学 第36巻」(日本比較文学会、平成6年3月、300円)→島田謹二先生追悼
比較文学 第44巻」(日本比較文学会、平成14年3月、100円)
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 ミショーの単行本4冊を500円で落札。
アンリ・ミショー小海永二訳『荒れ騒ぐ無限』(青土社、80年2月、125円)→W買い
アンリ・ミショー小海永二訳『魔法の国にて』(青土社、昭和51年2月、125円)→所持している『ミショー全集Ⅱ』と重複
アンリ・ミショー小海永二訳『閂に向きあって』(青土社、80年7月、125円)
小島俊明訳『ミショー芸術論集』(思潮社、77年6月、125円)
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 珍しいところでは、 
ヘルテル編永井照徳譯『印度古譚集』(大東出版社、昭和14年10月、1000円)
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 その他、
フランツ・カフカ吉田仙太郎編訳『夢・アフォリズム・詩』(平凡社、96年6月、610円)
フェルディナン・ファブル山内義雄訳『美しき夕暮』(角川文庫、昭和31年11月、300円)

 この後は、しばらく古本市もないので、古本報告は少しお休みすることにします。

中平解『フランス文学にあらわれた動植物の研究』

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中平解『フランス文学にあらわれた動植物の研究』(白水社 1981年)


 フランスの小説からの原文の引用が大半を占め、550ページもあるうえに細かい字で印刷された大部の書。いつもフランス書を読む時間枠を使って何とか読み終えました。引用している文章は比較的読みやすかったので、分からないところは飛ばしながら、辞書を引かずに読みました。著者が探求の成果を見せたい気持ちは分かりますが、読者のことを考えて、もう少し例文を精査して少なくしたほうが良かった。説明の一つの例を示すのに、同じ表現が見られるいくつもの文章は不要だし、同一の引用文が別の説明部分に重複して出てきたりするのは気になりました。

 研究書の体裁を持っていますが、実は随筆に近いもののように思います。学術随筆と言えばいいのでしょうか。著者が個人的に「フランス研究」という冊子を書き綴っていたものを、第1冊から第4冊までをそのまま本にしたもので、編集の手が加わったという感じはありません。なので物事が時系列に進行し、前に書いたことを打ち消したり、もう一度なぞったりしながら進んで行きます。例えば、これまで読んだフランスの小説のなかで、marron(栗)の木を意味するmarronnierという言葉にはお目にかかったことがないと書いたしばらく後で、ありましたと例文を引用したり、記憶違いでしたと訂正したりしています。普通なら本にするときに、その部分はあらかじめ訂正しておくと思います。その分著者の実直な人柄が感じられもしますが。

 著者が若い頃から、フランス小説を読みながら、出て来る植物や動物の名前をカードに記録していて、ネット情報では1万枚になると出ていましたが、それを活用したのがこの書物です。さまざまな小説作品のなかに、植物や動物、それにまつわるフランス人の生活風景が描かれているのを引用して、解説しています。文章のほとんどは森や野原を描いたもので、引用されている作家は、『語源漫筆』でフランスの森林小説家の第一人者と紹介されていたA.Theuriet、Nesmyの二人をはじめ、Colette、G.Sand、H.Bazin、Maupassant、BalzacZola、R.Rolland、H.Bordeauxらの作品が多く、珍しいところでは、T.Gautier、Fournier、J.H.Rosny、J.Green、Cendrars、A.Hardellet、M.Rollinat、Aragonなどがありました。

 著者はフランスの自然が大好きのようですが、これは自らも認めているように、幼少時に日本の自然に親しんだ素地があるからです。これだけフランスの自然が好きであれば、もっとフランスに住んで、あちこちを回りたかっただろうと思います。文章のはしばしにそうした感慨が洩らされていました。時代がもう少し遅ければ、海外に気軽に安価に行ける時代になって、著者にとってはたいへん幸せなことになっていたでしょうに。

 中平解が試みようとしたことを考えると、もとは柳田国男の影響を受けて、日本語の方言を収集したりしていますが、それをフランス語で応用しようとして、しかし、離れた日本にいてはそれができないので、小説の中に出てくる範囲に限って言葉を収集しようとした、ということができると思います。いろんな小説に、ほぼ同じような表現で樹々や鳥のことが描かれているのを読んでいるうちに、個々の小説から離れて、全体が一種の神話を形成しているような気になって来ました。

 フランス語を専門にされている方からすると初歩的な話があるかもしれませんが、私にとって、いくつか印象的だった事柄を書いておきます。
①「棺桶に片足をつっこんでいる」という表現が日本語であるが、フランスでは同様のことを言うのに、「Je commence à sentir l’odeur de mon sapin(拙訳:自分の柩のにおいがし始める)」と言う。Sapin(モミ)というのはcercueil de sapin(モミの木で作った柩)のことで、モミは腐りやすく、燃えやすいので、わが国でも棺桶を作るのに用いられる。英語では、「to have one foot in the grave(墓穴に片足を入れる)」という表現があり、こちらの方が日本に近い。
→「Bois blanc(モミの木など)について」の章での記述ですが、モミの木について書くふりをしながら、延々と柩について書いているのが面白い。

②フランス語のcrépuscule(薄明)は、当初は明け方の薄明を指していて、日没時の薄明の意味に用いられだしたのは16世紀になってから。現在では、明け方の薄明を言うときは「crépuscule du matin」と言うのが一般的。元のラテン語のcrepusculumはcreperus(疑わしい、さだかでない)から生まれた名詞で、これは日本語の「たそがれ」、「かわたれ」が、「うす暗くて誰かはっきりわからぬ」と言うところから生まれたのと似ている。

③cancanは幼児語でアヒルを指すが、これは本来、鳴き声のオノマトペルイ・フィリップ時代にcancanという踊りが流行ったが、これは《le déhanchement du canard(アヒルが腰を振って歩くこと)》に似ているところから付けられた。日本流に言えば「アヒル踊り」。これは1900年のMontmartreのcancan踊りとは別のもの。

④フランスでは、「紡錘(つむ)」のことをfuseauと呼ぶ。これはfusain(マユミ)とよく似た形だが、fusainの木は木質が緻密で堅いので、fuseauを作るのに用いられたからである。日本でもマユミは、昔、「つむ」を作るのに多く用いられたので、ツムギとも呼ばれた。フランス語では、木炭画のこともfusainと言うが、これはfusainの木で作った木炭をfusainと言い、このfusainで画いたデッサンだから、fusainと呼ぶのである。

⑤ragotというフランス語は、2歳のイノシシの子を指すが、ずんぐりした人という意味もある。また15世紀にはreproche(非難)の意味も派生したが、19世紀初めにcommérage(陰口)の意味に移った。これはもともとragoter(イノシシのように唸る)から連想されたものだろう。これに似たものに、grogner(ブタ、イノシシ、クマ、犬などが唸る)から「ぶつぶつ不平を言う」という意味が生じたり、gronder(犬などが威嚇するような低い声を出す)から、「子どもなどを叱る」という意味になったりしたのがある。

⑥日本の植物でフランスへ伝わったものには、アオキ、ウルシ、カキ、コウゾ、チョロギ、フジ、ビワ、ボケなどがあるが、このうち日本語のまま伝わっているものはアオキのaucubaとカキのkakiだけである。ウルシはverni du Japon、コウゾはmûrier à papier、チョロギはcrosne、フジはglycine、ビワはméflier du Japon、ボケはcognassier du Japonと言う。

⑦栗をフランス語でmarron(マロン)というのは、日本でも料理や菓子の名で有名だが、そのmarronの木を意味するmarronnierにはめったにお目にかからない。フランスの小説などに出て来るmarronnierは、marronnier d’Inde(セイヨウトチノキ)のことで、いわゆるマロニエである。栗の木はchâtaignierの方が使われ、châtaigneは栗のことである。このmarronとchâtaigneの使い分けで面白いのは、marchand de marronsは「焼き栗屋」、marchand de châtaignesは「生のクリを客に売る商人」であるということである。

Hubert Haddad『Géographie des nuages』(ユベール・アダッド『雲の地誌』)

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Hubert Haddad『Géographie des nuages』(Paulsen 2016年)


 Hubert Haddadを読むのは、『Le Secret de l’immortalité(不死の秘密)』(2014年7月23日記事参照)、『Le peintre d’éventail(扇絵師)』(2017年2月12日記事)に次いで、これで三冊目です。著者名Haddadの日本語読みをこれまで、アダとしていましたが、間違っていたようなので、すべてアダッドに変えました。今のところこの三作しか読んでいませんので、偉そうなことは言えませんが、アダッドは短篇に妙味が発揮されるタイプの作家のようで、長編の『Le peintre d’éventail』は本国で賞を受けていますが、実はそれほど感心しませんでした。三冊のなかでは、本作がもっとも充実していると思います。

 著者による「まえがき」と「あとがき」の付いた3篇の短篇集。短編集ですが、一つ目と二つ目は、ともに主人公が出版社の編集者で、送られてきた新人原稿が話の発端にあり、連作のようになっています。また「まえがき」、「あとがき」は、アダッドならではの架空世界を描く幻想小説論になっています。

 「地理」という言葉がキーワードになっていますが、これは測量的なものではなく、個人が自分の想像力で創りあげる領域を意味しています。著者はおよそ次のようなことを言っています。「砂漠、海洋、森、山に、劇的なものや人物が受肉していくのだ。作家は、いろんな異なる雑種を混合させることで、この地球の表面の再発明、再構築を同時に行う。それぞれの物語は幽霊島であり、波間や大地に映る雲の影だ。言葉で風景を作りあげるのだ。微妙なニュアンスこそが作家の唯一の領域であり、表現も、現実と夢のあいだで、波打ち、つながり、またほどけていく。雲が風のまにまに形を変えるように」。架空の地理学の系譜として、ガリバーの巨人国、「シルトの岸辺」のファルゲスタン、アリスの不思議の国、ローマ譚「クレリエ」の恋愛地図、パニュルジュの生まれたユートピアボルヘスのウクバルを挙げ、ポーの「アルンハイムの地所」を幻想地理の傑作と賞揚しています。

 各篇を簡単にご紹介しておきます(ネタバレ注意)。
◎La Chambre royale(豪華な部屋)
 パリの出版社で持ち込み原稿を担当している女性編集者が、「閉ざされた部屋の儀式」と題された原稿の表紙だけ見たところで、謎の呼び出しを受けてスコットランドへ飛ぶ。彼女を待ち受けていたのは、飛行機の墜落事故に関係した尋問だった。テロリストと思われる男のポケットから彼女の若い頃の写真が出てきたのだ。男の死に顔を見せられるが見覚えがない。しかもこの男は出版社の彼女宛に書留で何かを送っていた。尋問は過酷を極めたが、しかし飛行機のブラックボックスが回収され、テロではなかったことが判明して、彼女は解放される。ホテルまで送ってもらう車の中で、なぜか彼女の幼い頃の思い出が浮かんでくる。母がピアノ、姉がヴァイオリンでシューマンの曲を演奏していたが、上の部屋に身体が不具の謎の男がいてその部屋が臭かったこと。パリに戻って届いていた例の原稿を読んでみると、驚くべきことに、彼女の幼い頃の情景そのままを描いた作品だった。愕然としていると、社の同僚から、昨日気の狂ったような男が彼女を訪ねて来て原稿を間違えて送ったと言ってた、と告げられる。謎めいた一篇。

◎Si tu veux que je meure(私が死ぬのをお前が望んでいるなら)
 零細出版社主のところへ女性の名で小説原稿が送られてくる。タイトルは「私が死ぬのをお前が望んでいるなら」だ。熱に浮かされたように読み終え、これは間違いなく世紀の傑作だと信じた社主は、住所しかなかったので、自ら車を運転して、田舎の古びた館に住む執筆者に会いに行く。しかし現われたのはかつてビリヤード・チャンピオンだったが今はアル中の老人だった。執筆した女性は37歳離れた妻で10年前に死んだと言う。ブランデーを飲みながら語る老人の話は、母殺しと売春の過去を持つ若妻には身体障害の妹がいて、秘密の日記を書いて年老いた自分を嫉妬で狂わせたというもので、小説の内容そっくりだった。妻は、病床の妹がうわごとのように呟く物語を口述しただけと言う。1年後老人も亡くなるが、実は母殺しと売春の過去を持つ若妻というのは妹の方で、老人の話は虚言だったことが分かる。結局その傑作は秘蔵することにする。

〇La Vie nocturne de Babylone(バビロンの夜の人生)
 獄舎のなか、一人の男がずっと夢見続けている。男はある女優に一目ぼれし、端役として撮影現場に潜りこむまでして彼女につきまとうようになったが、彼女のパトロンらしき元ボクサーでレーサー、マフィアともつながりのある弁護士に目をつけられ、殴り倒されてしまう。女優は彼の住む屋根裏部屋まで付き添い看護し、別れ際に口づけまでしてくれた。その一瞬は真実の生として男の脳裏に永遠に記憶された。しかし、彼女は帰りがけ階段から落ちて死んでしまい、男は犯人として逮捕され20年の刑を受けた。男は夢の中で、自分は無実でパトロンが彼女を階段から突き落としたと主張する一方、パトロンは、実は自分は女優の父親で、男が娘を屋根裏部屋に監禁し乱暴したあげく殺した、娘を返せと言う。同囚の老バビロンは、殺したか無実かそんなものはどうでもいい、すべての夢は突き混ぜて、あの世でまた別の夢に再編するのだと呟く。

 「hakanaï(儚い)」という日本語が冒頭の短篇(p16)と、「あとがき」(p108)にも出てきました。アダッドの幻想美学の根幹にある言葉のようです。

中平解のフランス語語源解説4冊

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中平解『フランス語語源漫筆』(大学書林 1958年)
中平解『フランス語語源漫筆(2)』(大学書林 1961年)
中平解『フランス語博物誌〈植物篇〉』(八坂書房 1988年)
中平解『フランス語博物誌〈動物篇〉』(八坂書房 1988年)


 中平解の語源随筆の続きです。八坂書房の『博物誌』は、大学書林の『語源漫筆』では混在していた植物と動物をそれぞれの篇に分け、新たに植物では4項目、動物では5項目を付け加えたものです。宗左近青土社の清水康雄が八坂書房社主に『語源漫筆』の再刊を推薦したいきさつがあとがきに詳しく書かれています。このあとがきでは、『語学漫筆』執筆当時にお世話になった人の多くが故人となったことへの追悼と、過去の記述を振り返っての間違いや至らなさを反省する言葉が印象的でした。

 前回の本と同様、とても勉強熱心で、いくつもの種類の辞書を参照しながら探究している様子がうかがえます。著者は、フランスに住んでいないので、実際はどうか分からないとか、見たことがないとか盛んに書いていますが、今の世の中なら、ネットでもっと簡単に知ることがいくつもあるような気がします。またたくさんのフランス小説を読んで、そのなかに出てくる植物や動物などの単語を記録しているようですが、これもテキスト検索でいろんなことが可能になるので、もっと探究が広がったのではないでしょうか。しかし、効率は悪くても自分で丹念に探すということに意味があるので、単純に今の便利になった世の中がいいとは言い切れません。

 『語源漫筆』二冊のほうでは、前回読んだ『言葉』と同様、日本各地の方言を調べて、呼び名が同じ趣旨ながら微妙に変化していることを並べ立てていますが、30年を経た『博物誌』ではそうした記述が消えています。これも今の日本では、TVや教育の普及で、地方差がなくなりつつあり、こうした地方の呼び名が消えつつあったから、あるいはそうした異同を考えることに意味を見出せなくなったからではないでしょうか。

 いくつか内容をご紹介しておきます。まず言葉の法則的なことから。
①時代とともに語形が変化するのに法則がいろいろある。chou(キャベツ)もcou(首)も古くはcolで、sou(スー、貨幣単位)もsolであった(『語源漫筆』p24)。Espagne、Champagneは、古くはEspaigne、Champaigneと綴ったが発音に引っ張られて今日のような綴りになった。逆にMontaigneは綴りに引っ張られて発音の方が変化した(『語源漫筆』p69)。発音されなくなったsが消える現象もある。Moustarde(マスタード)→moutarde、feste(祭)→fête、forest(森)→forêt(『語源漫筆』p99)。また、フランス語の語頭のsが英語で消える現象もある。英語のstomach(胃)は古代フランス語estomacから、spirit(精神)もフランス語espritの古形espiritから、study(勉強する)はフランス語étudierの古形estudierからの借用(『語源漫筆』p111)。

②フランス語で笞をfouetというが、これはfou(ブナ)の指小語(小さい、可愛いのニュアンスを付加する)で、「小さいブナ」→「ブナの小さい棒」→「ブナの笞」→「笞」と意味が変化した。fouは一般の用法から消えて、派生語のfouetだけが現代語として残った。派生語だけが残る同様の例は、mul(雄騾馬)→mulet、viole(スミレ)→violette、raine(蛙)→rainette、corp(カラス)→corbeau、tor(雄牛)→taureau、boul(カンバ属)→bouleauといくらでもある(『語源漫筆(2)』p95,96)。

 次に個々の語源の話で面白かったこと。
③煙突を掃除するという動詞ramonerの語源はramonで、古代フランス語では「枝ぼうき」を意味し、raim(枝)から来た語である。箒は一般にbalaiであるが、これはブルターニュ語でエニシダのことをblainと言い、箒がエニシダで作られたからそう言われるようになった。英語でも箒を意味するbroomは本来エニシダのことで、どちらの国も命名の仕方が同一であることが面白い。ramageもraimから派生した言葉であるが、「木の枝」から、「木の枝の中の鳥の鳴き声」の意味になり、やがて「鳴き声」一般を指すことばとなった(『語源漫筆』p1~p5)。

④石臼を示すフランス語meuleはラテン語molaから来たもので、molaはmolere(粉にする)の派生語である。フランス語のmoulin(水車)もやはりmolereの派生語の俗ラテン語molinumから来たもの。「臼歯」のことを言うフランス語のdent molaireもラテン語のmolaris(臼の)から借りたもの(『語源漫筆』p93)。

⑤フランス語のmille(マイル)は、ローマではmille pas(千歩)に当たる距離の単位であった。pasを単純に一歩の意味にとると、非常に大きい人間でないとこれだけの距離にはならないが、ローマ時代には、はじめの足が地についたところから二度目についたところまでをpas(ラテン語ではpassus)と呼んだ(『語源漫筆(2)』p16)。

⑥moreauはもともと顔色が褐色をした人に与えられたあだ名であった。人名のLebrun、Brunot、Brunetはbrun(褐色の髪の毛を持った)から来たもの。roux(赤毛の人)の指小語がrousseauで、人名Rousseauは「小さい赤毛の男」の意味(『語源漫筆(2)』p67,68)。ほかBoul、Boule、Boulleは古語boul(カンバ属)から、またFay、Dufay、Faye、Lafaye、Delafayeはラテン語fāgĕus(ブナ)の女性形fageaから来ている(『語源漫筆(2)』p96)。

⑦フランス語のpaïen(異教徒)は、ラテン語pāgānusから来たもので、pāgānusはpāgus(村)の派生語で、古典ラテン語では「村の人」の意味であった。「異教徒」の意味でも用いられるようになったのは、都会の人たちが早くキリスト教を信ずるようになったのに対して、田舎の人びとは長い間キリスト教に背を向けていたから(『語源漫筆(2)』p79)。

ラテン語pāgus(村)はもともと「地中に打ち込んだ境界標」を意味した。この境界標から「境界標によって区切られた田舎の土地、地域」を指すようになった。日本語でも、クニ(国)は、関東、東北、中部地方などの方言に残っているクネ(垣)とつながりがあるように思われる。クネで区切られた土地がクニであろう。江戸時代の藩も、原義は「垣、まがき」の意味だった(『語源漫筆(2)』p81)。

⑨フランス語で「いやしい、下劣な」という意味のvilainは低ラテン語villānus(農家の人)から来た語。「粗野な、不作法な、洗練されない」を示すフランス語rustiqueも本来は「いなかの」という意味(『語源漫筆(2)』p79,80)。これらも田舎に対する一種の軽蔑語(péjoratif)であろう。

⑩フランス語crétinは「クレチン病患者」を指すと同時に「ばかな人間」に対しても言うが、スイスのValais地方やフランスのSavoie地方の方言cretinから来たもの。この語は、共通フランス語ではchrétien(キリスト教徒)に当たる。初めは病気の人に対する同情の言葉として用いられていたものが、後にpéjoratifとして使われるようになった(『語源漫筆(2)』p83)。

⑪ジプシーは英語gipsy、gypsyで、中世英語Egypcienの上略形であるGipsen、Giptianから来た。これは、ジプシーが16世紀の初めイギリスに現れたとき、彼らがエジプトから来たものと思ったからである。フランスでは彼らがボヘミヤ(Bohémie)から来たものと思いこんだためbohémienと言うようになった(『語源漫筆(2)』p83)。

⑫フランス語でムカデをcentipède(100の足)と呼んでいる。ムカデの漢名も百足で、まったく同じ表現法である(『語源漫筆(2)』p18)。


 他にも面白い事例がいろいろありましたが、たくさんになるのと、細かくなりすぎるので、これくらいで。

 私がフランス語を勉強し始めた学生のころは、最新流行の文学や思想について語ることが多く、語学や語源研究というのは地味であまり興味が湧かず、むしろ軽蔑さえするぐらいでしたが、この歳になってみると、逆に流行の文学は薄っぺらな気がして、とくに語源研究は歴史の重みの中に人間の本性が見え隠れして、なかなか味わい深いものがあると感じています。今頃気がついても遅いか。