四天王寺秋の大古本祭り報告ほか

 報告が遅くなりましたが、10月初旬、四天王寺秋の大古本祭りの二日目に行ってまいりました。コロナでたびたび中止となり、1年ぶりの開催とのことでした。本格的な古本市は久しぶりだったせいか、はじめの1時間は何も買わずにうろうろするだけでしたが、1冊買ったとたんに堰が切れたように買ってしまいました。不思議なものです。今回はいつもに比べて高額な本が目立ちます。

窪田般彌『ヴェルサイユの苑―ルイ十五世をめぐる女たち』(白水社、88年7月、150円)
小林恭二『実用 青春俳句講座』(福武書店、88年6月、150円)→以上二冊は「ぶんさい」の出品、どうやら店主がお亡くなりになったようで、値付けよりさらに半額になっていた。合掌。
山田登世子『リゾート世紀末―水の記憶の旅』(筑摩書房、98年6月、1300円)→フランスの温泉地や海水浴場の話が読めるかと期待して。シアルの出品。
ドーデ萩原彌彦譯『巴里の三十年』(創藝社、昭和26年9月、300円)→1857年から1887年までのパリをドーデとともに生きることができると期待して。池崎書店。
清宮伸子『ロワールの贈り物―ルリュールとの出逢い』(沖積舎、00年7月、1000円)→アカデミィ(広島からわざわざ出店)。
小山勝治『荷風パリ地図―日本人の記録』(毎日新聞社、昭和39年7月、500円)→小門勝二の本名。本棚をよく見たら、旺文社文庫で持っていてかつ20年ほど前に読んでいた。
MICHEL HERBERT『LA CHANSON À MONTMARTRE』(LA TABLE RONDE、67年7月、1000円)→シャ・ノワールを舞台とする当時の詩人たちが総出の本。以上二冊、楽人館。
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 家に帰って鏡を見ると、古本を見過ぎたのか、あるいは古本市のあと仲間と飲んだ酒のせいか、右目が真っ赤になっておりました。

 オークション、ネットでの買い物は下記のとおり。
『齋藤磯雄著作集Ⅳ―書簡・日記他』(東京創元社、平成5年6月、892円)→書簡は、日夏耿之介、阿藤伯海、長谷川潔渡辺一夫と。
谷川渥対談集『芸術の宇宙誌』(右文書院、03年12月、1650円)
青木信『エセー塚本邦雄―往きゆきてつひに還らぬ』(書肆季節社、93年11月、300円)
中平解『霧の彼方の人々』(清水弘文堂、91年7月、1200円)→回想録
ヘルベルト・フォン・アイネム藤縄千艸訳『風景画家フリードリヒ』(高科書店、92年9月、935円)
グリーアスン遠藤貞吉譯『近代神秘思想』(聚芳閣、大正15年6月、800円)→日夏耿之介譯で持っているが、附録として、「ケルト気質」等の論文13篇が入っていたので。
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 最後に、古本ではありませんが、珍しい本を買ったのでご報告。
谷内修三『誤読―嵯峨信之「時刻表」を読む』(象形文字編集室、17年9月、1500円)→ブログをもとにしたオンデマンド出版。批評的な言葉が付け加えられることで、元の詩がいっそう引き立つ。

何かの気配を感じさせる音楽 その⑤

 フランス篇の第2弾。今回も分量が多くなりそうなので、核心部分だけで他は端折ります。まず前回の続き。ショーソン管弦楽作品のCDが届きました。
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ショーソン交響曲/交響詩「祭りの夕べ」/交響詩「ヴィヴィアンヌ」』(ERATO WPCS-28027)
ミシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・カピトール管弦楽団
 もやもやと胎動する感じの夢幻的な雰囲気の楽想が多く、交響曲の第1楽章、第2楽章、交響詩「ヴィヴィアンヌ」、交響詩「祭りの夕べ」の冒頭部分はよく似ていて、どの部分にも気配があると言えばあるようにも思います。ここでは、交響曲の第1楽章をその代表として挙げておきます(https://www.youtube.com/watch?v=7wC9fu998BQ)。


 ドビュッシー1862年生まれ)は、フランス音楽のなかで、ラヴェルと並んで、気配を感じさせる音楽の筆頭ではないでしょうか。同時代の文学界では、ちょうど象徴主義が全盛のころで、その影響が多大に表れていると思います。まずドビュッシーの代表的な管弦楽作品が収録されている次のCD。
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DEBUSSY『Pelléas et Mélisande-Suite/Prélude à l’après-midi d’un faune/3Nocturnes』(471 332-2 GH)
Claudio Abbado(Cond)、Berliner Philharmoniker
 1曲目の「牧神の午後への前奏曲」は、全篇夢幻的雰囲気に包まれています。冒頭からしばらく、まどろみから徐々に世界が開かれて行くというところに濃厚に気配があります(https://www.youtube.com/watch?v=EELy3fQTDYE)。雰囲気を醸し出すのに、ハープとフルートの組み合わせが効果的。ピッコロやクラリネットによる小鳥の囀り風も。何度か同じパターンを繰り返しながら展開していき、途中若干盛り上がる部分もありますが、気配はあれど最後まで実体は現れず終るといったところでしょうか。

 次の「三つの夜想曲」は3曲とも気配があります。1曲目の「雲」は同形音の反復のうちに始まり、2分半ばあたりから、「春の祭典」のような雰囲気も出てきて、まさに雲をつかむような音楽(https://www.youtube.com/watch?v=DrJmvVFp408)。2曲目の「祭り」も、2分50秒ぐらいから、何かが近づいてくる高まりがあります。3曲目の「シレーヌ」は、女声合唱が入って「ダフニスとクロエ」を思わせ、途中、揺りかごでゆすられているような揺らぎも感じられ、胎内回帰の幻想といった感じです。

 最後の「ペレアスとメリザンド組曲」では、3幕の「城の地下」の冒頭がもっとも不気味。ティンパニが先導して、木管系が同じ波形の旋律を繰り返します(https://www.youtube.com/watch?v=uwO1F_ltUks)。2幕の「庭の泉」も1分ごろから気配が現われ次第に低弦とティンパニで高まって行きます(https://www.youtube.com/watch?v=bXtOBfFkezw)。

 代表作と目される「海」は気配の雰囲気に満ち満ちている傑作です。
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Debussy『La Mer』(TESTAMENT SBT・1438)
Carlo Maria Giulini(Cond)、Berliner Philharmoniker
 1曲目の「海の夜明けから真昼まで」では、冒頭無音の静けさのなかから、ハープの響きが胎動を予言すると、4音の弦の下降音が現われ繰り返され、散発的に木管が鳴ったりするなど、何かが形作られつつあるという気配が立ちこめ、やがて東洋的音階が出現します。これは波でしょうか(https://www.youtube.com/watch?v=NvkO7jWPlPM)。3曲目の「風と海との対話」でも、冒頭から弦が激しく動き、何かが蠢いている気配があります(https://www.youtube.com/watch?v=dhIl-mGl1KQ)。

 ドビュッシー室内楽でも名曲がたくさんありますが、なかでは描写的な色彩のある「6つの古代碑銘」(パイヤール編曲)に該当する部分がたくさん聞かれます。
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室内楽名曲集』(ERATO WPCS-4627/8)
ジャン=フランソワ・パイヤール指揮、パイヤール室内管弦楽団
 2曲目の「名なき墓のために」は全篇お化けが出そうな雰囲気で、どこを抜粋してよいか分からないぐらいです。揺らぎのある音と不安定な旋律、とくにヴァイオリンの伸びるような音とトレモロが特徴的です(https://www.youtube.com/watch?v=kiaeh6TRBNU)。5曲目の「エジプト女のため」も揺らぎのある背景音の上にヴァイオリンが不安定な旋律を奏でます。聴く人を恐がらせようとしているみたい(https://www.youtube.com/watch?v=drlrX8gtWlw)。6曲目の「朝の雨に感謝のため」も冒頭から神経を逆なでするようなせわしないリズム、旋回するような旋律が不安を煽ります(https://www.youtube.com/watch?v=j4_z1Hcbbvc)。東洋的な印象もあります。

 ドビュッシーピアノ曲をひと頃たくさん聞きましたが、「前奏曲集」の7曲目「西風の見たもの」に若干雰囲気があったように思います。ほかにドビュッシーがポーの「アッシャー家の崩壊」と「鐘楼の悪魔」を歌劇にすべく自ら台本を用意した作品があって、曲はスケッチが残ってるだけのものを別の人が完成させたCDを買いましたが、期待が大きすぎたせいか、だらだらとした感じで、ピンときませんでした。


 デュカス(1865年生まれ)にもあります。
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DUKAS『DER ZAUBER LEHRLING』(ERATO 5054197080197)
ARMIN JORDAN(Cond)、NOUVEL ORCHESTRE PHILHARMONIQUE DE RADIO-FRANCE
 ディズニー映画で有名な「魔法使いの弟子」では、冒頭もやもやとした感じが1分ほど続いたのち、合図のようなフレーズが間を置いて2回ほど入った後、何かが道をやってきます(https://www.youtube.com/watch?v=ikq5uJIBMIo)。次の収録曲、バレエ音楽「ラ・ペリ」の2曲目は、全体的に神秘的な雰囲気で少し東洋的なムードが感じられるところもありますが、とくに、冒頭部分などはお化けが飛び回っている印象(https://www.youtube.com/watch?v=2ENa-IuRWsQ)。次の交響曲では第2楽章のアンダンテが美しく、夢幻的な気分に浸され、冒頭からもやもやとした感じが延々と続きます。


 アルベール・ルーセル(1869年生まれ)も、デュカスやショーソンと似たところがあります。奇想に満ちている点ではプロコフィエフを思わせるところもあります。
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roussel『Le Festin de l’araignéeほか』(ERATO 3984-24240-2)
Jean Martinon(Cond)、Orchestre National de l’O.R.T.F.、Charles Dutoit Jean Martinon(Cond)、Orchestre de Paris
 「Le Festin de l’araignée(蜘蛛の饗宴)」は、蜘蛛が昆虫を食べるのがテーマと聞いただけで変てこりんなバレエ音楽ですが、第1部のおそらく「黄金虫の登場」のところのユーモラスな曲想や(https://www.youtube.com/watch?v=wL1g3vSUUgg)、第2部の恐らく「蜉蝣の死」か「蜘蛛の苦悶」の奇想に満ちた部分が特筆すべきところ(https://www.youtube.com/watch?v=sEEvc6p9XCI)。次の「Bachus et Ariane(バッコスとアリアドネ)」は、多彩な表現を駆使した劇的な作品で、第1幕は全体的に差し迫った雰囲気がありますが、とくに9分あたりからの高揚感が印象的(https://www.youtube.com/watch?v=_nGPbPxaCo0)。


 ラヴェル(1875年生まれ)も気配を感じさせる傑出した作曲家と言えましょう。とくに下記のCDは秀逸。
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ラヴェルボレロ/ラ・ヴァルス/スペイン狂詩曲/ダフニスとクロエ第2組曲ほか」(GRN-528)
アンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団
 「ラ・ヴァルス」は全体がリズムの奔流に包まれるすばらしい曲ですが、冒頭もやもやした雰囲気から次第に気配が結実してワルツの形をとってくるところが素敵です(https://www.youtube.com/watch?v=wSK-YjjkauA)。次の「スペイン狂詩曲」の1曲目「夜への前奏曲」は、冒頭から下降する4音の音形の繰り返しが不安な情緒を掻き立てます。昔のアメリカテレビドラマ「世にも不思議な物語」か「アウターリミッツ」で聞いたことのあるような音階です(https://www.youtube.com/watch?v=6rxfJ-06AnE)。この4音のフレーズは「スペイン狂詩曲」の他の曲にもどこかに顔を出します。「ダフニスとクロエ第2組曲」は全体的に雰囲気のある曲で、1曲目の「夜明け」は冒頭、ドビュッシーの「海」を思わせるようなところがあり、うねる低弦に木管が煌めきながら展開して行きます(https://www.youtube.com/watch?v=ObK7_ogf1ws)。2曲目「無言劇」も、冒頭4音のフレーズが繰り返され、ハープや木管のフレーズが交じり合いながら、もやもやとした霞んだような雰囲気が延々と続きます(https://www.youtube.com/watch?v=nicP4wMgsKg)。

 「左手のためのピアノ協奏曲」は協奏曲と銘打ちながら、「左手のための」というのも変わってますが、標題音楽交響詩的描写的な雰囲気があり、ジャズ風の洒落た楽想も現れる内容の点でも妙ちきりんな曲です。
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RAVEL『Piano Concertosほか』(EMI 7243 5 66957 2 6)
Samson François(Pf)、André Cluytens(Cond)、Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire
 冒頭から協奏曲らしからぬ不気味な暗雲立ちこめる雰囲気でしばらくもやもやとしたまま次第に盛り上がり、ピアノ独奏が入るまで続きます(https://www.youtube.com/watch?v=jPcd9bh1AA8)。10分過ぎから背景に現れ2拍子のリズムが歩みを刻むような部分にも気配が感じられました。

 他の曲はCD名を上げませんが、バレエ音楽マ・メール・ロワ」では、「前奏曲」の初めの方の弦のトレモロや2曲目の「紡ぎ車の踊りと情景」の冒頭、「フィナーレ」の最終部にも気配が感じられました。「子供と魔法」の3曲目「やっ!僕のきれいな中国のお茶椀だ!」の2分40秒あたりにも雰囲気がありました。夢幻劇序曲「シェラザード」はオリエンタリスムの曲想のある曲ですが、気配の点ではそれほどでもありません。


 アンドレ・カプレ(1878年生まれ)も気配の音楽を語るうえで、決して忘れてはいけない作曲家です。
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『幻想的な物語ほか』(HMA 1951417)
アンサンブル・ミュジク・オブリク、ローランス・カベル(ハープ)
 「幻想的な物語」は、ポーの「赤死病の仮面」を題材にしたハープ四重奏曲で、全篇夢幻的で、現代音楽に直結する感性が感じられます。とくに冒頭部分はグロテスクで神秘的、不気味さが感じられ、幻想音楽の筆頭に挙げられるべき作品となっています(https://www.youtube.com/watch?v=belis9noJJE)。

中平解の語学随筆二冊

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中平解『言葉―風土と思考』(芳文堂 1943年)
中平解『郭公のパン―ことばの随筆』(大修館書店 1955年)


 先日読んだ『日本の名随筆 香』のなかの中平解「フランス文学と花」を読んで、フランスの小説がたくさん引用されていたのに驚いたので、しばらく中平解の本を読んでいこうと思います。中平解の本は、古本市やオークションなどで見つけるたびに面白そうなので買いためておりました。ずいぶん溜まってきたので、ここで一気に読もうと思います。まず少し手ごわそうな『フランス語學新考』を後回しにして、古い順から上記2冊を選びました。

 昔の学究らしく、とても勉強熱心なのに驚きます。他の本から知ったことも含めて書くと、動植物に関する一つの単語について、こまめにあちこちの辞書や先人の本を参照し、知り合いを通じてその動植物の日本各地での言い方について情報を得たり、またフランスの小説を読むたびに、植物名や動物名などをカードに記録しているようです。そこで得た知識を伝えようとするあまり、脱線に次ぐ脱線で、本筋がどこにあるか分からなくなってしまうぐらいです。それを避けようと、『言葉』では細かい部分を註釈に回していますが、そうなると今度は、註釈の方が本文より量が多くなってしまう有様(本文対註釈は、3:7ぐらいか)。とても博学ですが、本人は、田舎の自然の中で育ったので人より木や花や虫に詳しいだけだし、先人の書いた物をまとめ直したにすぎないと、いたって謙虚です。

 この二冊のなかで、言葉の一般的な法則というか性向についての著者の論点を紹介しておきます。
①日本で「猫柳」と言ってるものは、フランスではchaton(子猫)と言い、中国では「狗尾草」という似たような表現である。また「鶺鴒」は、日本では「いしたたき」とも言い、これは尻尾を振って石を叩くようにしているからだが、フランスでは俗にbranlequeue(しっぽ振り)と言う。また「鶏頭」はフランス語では、crète-de-coq(鶏のとさか)と言う。場所が変わっても人間の見方は変わらないというのが不思議。

②尾も頭も切り離さないで用いる「尾頭付」の魚を「御頭付」と勘違いしたり、もとは鰊をカドと言っていて卵は「カドの子」であったが、沢山あるので「数の子」と言うようになったり、インドのベンガルから来た塗料で「ベンガラ」と言ってたものが、赤い色から紅を連想して「紅殻」となったり、「ナプキン(napkin)」を布巾の連想から「ナフキン」と言ったりするのは、縁語牽引という。

③チーズのことをフランス語でfromageと言うが、これはもとformageであった。abreuver(牛馬に水を沢山飲ませる)という言葉は、12世紀にはabevrerだったものが、13世紀にはabreverになり、現在の形になった。これをmétathèse(字位転換→別の本では音位転換)という。

④日本語の語源を考える時、音は一緒なのに漢字が邪魔をする場合がある。スミ(炭、墨)、ヒ(日、火、灯)、アメ(天、雨)、ハナ(端、鼻、洟)、カミ(上、神、髪)、イキ(息、生)など。「アシタ(明日)」はもともと「アシタ(朝)」であり(フランス語でもdemainは元の意味はde matin)、「明朝」の意味で使っていたのが「明日」の意味を帯びるようになったものと考えられる。同様に「夕べ」も「昨晩」「昨夕」の意味に用いられている。
以上、『言葉』より。

⑤フランス語のbiche(牝鹿)のもとはおそらくラテン語のbestia(いきもの、獣類)であろう。このことは、フランスにおいていかに鹿が狩猟の対象として重視されていたかが分かる(『言葉』より)。Bible(聖書)はギリシャ語biblia(本、複数形)から来ており、イスラム聖典coranも本来は読み物のことである。フランス語のpomme(りんご)はラテン語poma(木の実)から来ており、日本語のモモも本来は「丸い形をした木の実」を指していた。このように重要なものが一般的な言葉の代表のようになって定着することがある。
 
⑥同じ動植物でも、場所が違えば、気候などによって生態が異なることがある。フランスで「一匹の燕は春を作らぬ」と言うが、イギリスやドイツでは「一匹の燕は夏を作らぬ」と言ったり、フランスの小説を読んでいると、コオロギが5月ごろ森の中で鳴いている場面が出てきたりする。フランスではたいへんいい匂いと書いている花も、日本ではあまり匂わなかったりする。

⑦日本語には母音の発音がいくらか変わることによって、似ているものを区別する特徴がある。アナゴとウナギ、アマイ(甘い)とウマイ(甘い)、クロイ(黒い)とクライ(暗い)、マル(丸)とマリ(毬)、アサ(朝)とアス(明日)、ムラ(村)とムレ(群)、オキ(沖)とオク(奥)、ハエル(生える)とフエル(殖える)、アニ(兄)とアネ(姉)、アガム(崇む)とオガム(拝む)、ヤミ(闇)とヨミ(黄泉)、アクビ(欠伸)とオクビ(噯気)、イブキ(息吹)とイビキ(鼾)、イネ(稲)とヨネ(米)など。

⑧フランス語のcordonnier(靴屋、靴修理屋)は、13世紀ごろに生まれたcordoanier(コルドバ革の靴屋)と、cordon(靴などの紐)とのcontamination(混成)によってできたもの。croisement(混成)というのもあり、sabot(木靴)はsavate(古靴)とbot(木靴)が合体したもの。日本語でも、「ヤブル」+「サク」が「ヤブク」となり、「トラエル」+「ツカマエル」が「トラマエル」となる。(contaminationとcroisementがどう違うのかよく分かりませんでした)。

⑨イギリスとフランスとでは、マツとモミが互いに取り違えられているようである。しかし、日常語として用いられる植物の名などは、細かに物の区別を見る学者が作ったものではなく、一般民衆の言葉として生まれたものであるから、これくらいの混同があるのは当たり前であろう。
以上、『郭公のパン』より。


 個別の語源についての指摘は、分量が多くなるので、最小限にとどめますが、次のようなものです。
①フランス語animal(動物)」はラテン語のanimalis(生物、動物)から借りたものだが、さらにラテン語
anima(息)から来ているので、animalとは息をしているもの、すなわち「イキモノ」ということになる。

②フランス語のbranche(枝)の語源は、俗ラテン語のbranca(動物の足)である。これは動物の身体から4本の足が出ている姿が、樹の幹から枝が出ているのに似ているところから思いついたものだろう。漢字でも「肢」と書くのは、人間の身体の枝だからである。

③フランス語のbougre(奴)は古くはもっと悪い意味を持っていたが、俗ラテン語のBulgarus(ブルガリヤ人)から、ogre(鬼)はHongre(ハンガリヤ人)の訛ったものであろうと言われている。これらは外国人に対する蔑視的な表現で、他にも「挨拶なしに去る」ことを、フランスではs’en aller à l’anglais(イギリス人風の去り方をする)、イギリスではto take French leave(フランス人風の去り方をする)と言うなど。
以上、『言葉』より。

④フランス語のprunelle(瞳)は、prune(西洋スモモ)の指小辞で、本来小さい西洋スモモを意味するが、それは瞳がそう見えるからである。またpupilleとも言うが、これはラテン語のpupilla(小さい女の子)から来ている。瞳に映る人の姿が小さいことからこの名が生まれたとされる。中国の「瞳」も目の中の童子ということであろうし、日本語の「ヒトミ」も「人見」であり、人が中に見えるからであろう。

⑤フランス語のpenser(思う)の語源は、ラテン語のpensare(熟考する)で、もともとは「重さを計る」という意味だった。日本語でも「おし計る」、「気持がはかりかねる」という言い方がある。一方、フランス語で物の重さを計ることをpeserと言うが、これもラテン語pensareから来たもので、peserには熟考するという意味もある。日本語で「思う」と言う時の「オモ」も「重り」や「重い」の「オモ」と同じだろう。

⑥フランス語にlâcher une sottise(馬鹿なことを言う)という表現があるが、lâcherには「放す」という意味がある。日本語の「はなす(話す)」も「口から離す」という意味ではないだろうか。「嘘をつく」、「ため息をつく」の「つく」も激しい勢いで出すというのがもとの意味。フランス語でため息をつくのは、pousser un soupirで、口からため息を押し出すということだ。「何をぬかすか」というときの「ぬかす」は「言う」ということだが、これも「口から抜かす」ということである。
以上、『郭公のパン』より。


 「どこの国のことばでも語源がわかることは愉しい」(『郭公のパン』p249)と本人も述懐しているように、嬉々として語源追及にいそしんでいる様子がうかがえて、微笑ましくなります。また「毛虫眉と云えば、亡くなった祖父の顔を想い出す。毛虫と云っても嫌な気持がしないどころか、懐かしさに堪えない気持である」(『言葉』p88)など、近しい人を大切にする素朴な心情が伝わってきて、人柄に好感が持てました。

Jean Lorrain『Le Poison de la Riviera』(ジャン・ロラン『リヴィエラの毒』)

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Jean Lorrain『Le Poison de la Riviera』(LA TABLE RONDE 1992年)


 今はなき天牛書店堺筋本町店で買った古本。ロラン最後の作品のようですが、序文で、ティボー・ダントネが衝撃的な事実を暴いています。それはロラン研究の第一人者として、伝記も書き、死後出版を一手に引き受けていたジョルジュ・ノルマンディが、本作を改竄し自分の名前で発表していたというものです。

 ノルマンディは、まずロランの死後、1909年に「リヴィエラの噂話と人形たち」というタイトルで、原作の四分の一程度の分量の4つの短篇を自分の作品として発表し、1911年には、「クーリエ」紙に「故人」の筆名で全文を少し修正して連載。誰にもばれないことに気をよくして、1912年には、自分の名前で『ある娘の秋』というタイトルで単行本として出版した。ロランの親友であったラシルドは作者がロランだと見抜いて、メルキュール・ド・フランス誌で告発した。それに対するノルマンディの反論は不明だが、しかしラシルドが隠遁した1943年には、『リヴィエラの毒』というタイトルでまた自分の名前で再版した。

 ロランの死の5週間後に出版された小説『Le Tréteau(大道芝居小屋)』にも、すでに改竄が見られるといいますが、なぜそんなことをしたのでしょうか。ダントネは次のように書いています。

ノルマンディは師の悪徳と悪癖を小さく見せようと努力した。それがロランの一部なのに。そもそもノルマンディには、スキャンダルを恐れる小心なところがあって、彼の作品には辛辣なところもなく、師の淫らな才能も見当たらない。もうひとつの理由は、息子に加えられた侮辱、殴打、恥辱を雪ぎたいと願う、息子を失ったばかりの母親との約束があった(p9)。


 南仏の国際的リゾート地帯が主に舞台となった作品。前回、前々回と読んだロラン作品に比べて少し文章が難しくなり、細かいところは意味の分からない部分もありましたが、大筋はおおよそ次のようなものです。

作家のダルボスは、長年付き合っていた高等娼婦で女優のヴィヴィアンヌを、愛妻を亡くして傷心している彫刻家ドゥリクールに紹介した。ダルボスの師であったロジェ・ブルトンの彫像を作るモデルとして推薦したのだ。二人はダルボスの書いたモデル小説をきっかけに深く愛しあうようになり、南仏ナプールの近くの山の別荘に隠れる。

それ以前、ヴィヴィアンヌは、ダルボスから新進劇作家のファヴォルブルを紹介されて、ダルボスからファヴォルブルに鞍替えしていたが、ファヴォルブルがあまりに横暴なので、ドゥリクールと一緒にいるところを見せつけて高慢な鼻をへし折りたいというのと、自分も40歳近くになりそろそろ潮時なので、ドゥリクールと隠遁生活がしたいという気持ちを持っていた。

ダルボスはドゥリクールとヴィヴィアンヌが暮らしている別荘へ招かれて楽しく食事をする。帰りにドゥリクールに駅まで送られるが、途中ファヴォルブルらしき人物を見かける。駅に着くとドゥリクール宛の電報があり、ボードレールの記念碑の製作者として選ばれたとの通知だった。ドゥリクールは翌日単身パリへ戻る。

ダルボスは長年、フェサール男爵夫人という金持ちの文学好き老女につきまとわれており、南仏に来てもまた手紙電話攻勢を受けうんざりしていたが、彼女が自殺を図り、医者からの要請でしぶしぶ見舞いに行く。そのとき一緒にいた弟子のルフォアを連れて行く。ルフォアは売り出し中の作家で恋人もいたが、貧乏で、金持ちの女性と結婚することを願っていた。

ファヴォルブルは新作「嵐」を上演するにあたって、パブリシティのためにヴィヴィアンヌを利用したいと考えていた。エージェントを使ってヴィヴィアンヌの居所を察知したファヴォルブルは強引に彼女を拉致し、南仏カプ=ダーユの別荘に軟禁する。別荘に軟禁されながらも、ヴィヴィアンヌは親友のボグゼスカ夫人を通じて、ドゥリクールに手紙を書く。が、ドゥリクールから返事は来ない。

一方ダルボスは、記者仲間からファヴォルブルがヴィヴィアンヌと一緒に車に乗っているのを見たと聞き、ナプールの山の別荘へ行くが、すでに引き払われた後で、パリのドゥリクールのアトリエを訪ねていくことにする。しかし、扉は閉ざされたまま、電報を打っても返事がなく、再訪し強引に扉を破って入ると、ドゥリクールは中で頭を撃ち抜いて死んでいた。

結末は次のとおり。ダルボスは、縒りを戻そうと呼びかけるヴィヴィアンヌからの手紙を丸め捨て、アフリカへ旅立った。「嵐」の上演が失敗に終わったファヴォルブルは、昔愛人だった女優と一緒になる。ルフォアはフェサール男爵夫人と結婚し、カマルグの夫人の地所でのんびり暮らしながら、男爵夫人はもうすぐ死ぬので一緒になろうと、恋人へ手紙を書く。ヴィヴィアンヌは社交界から身を引き、ひとりブルゴーニュの田舎での隠遁生活に入った。

 挿話として、女優ファンティーニが南仏ロデヴの公演の際、パリから来た新聞記者や批評家100人全員を籠絡したという話や、誰彼かまわず愛の交歓をする富豪チョコレート伯爵夫人の話、ヴィヴィアンヌの取り巻きの若者とファヴォルブルとの剣による決闘、などがありました。

 Une histoire à clefという言葉が出てきて、モデル小説なる用語があることを知りましたが、この作品はまさにモデル小説で、さらにその上、この小説のなかで披露される別の物語も小説の登場人物たちのモデル小説になっています。すなわち、現実―小説―小説中物語の入れ子構造になっているのです。それぞれの人物を図式にすると、ジャン・ロラン=ダルボス=コーショワ、ジャン・ロラン=ロジェ・ブルトン=モルラン、ジャン・ロラン=ルフォア=×、リアーヌ・ド・プージ=ヴィヴィアンヌ=イヴェーヌ、アンリ・ベルンシュタイン=ファヴォルブル=×、×=ドゥリクール=フェザン、タファール男爵夫人=フェサール男爵夫人=×(×は該当がないという意味)。ロラン自らをモデルにした3人の人物が出てきますが、ダルボスは作家として大成してからの、ロジェ・ブルトンは理想像、ルフォアはデビュしたてのころのロランの姿です。

 また、『リヴィエラの毒』の作中だけでも、人物の関係が同じ構造だったり、性格が相似する人物が反復されて出てくるところが見受けられました。ダルボスの文学仲間ガストン・ルメートルと大富豪の恋多き老女チョコレート伯爵夫人の関係が、貧乏文士ルフォアと富豪の老女フェサール男爵夫人とそっくりだったり、高等娼婦で女優のヴィヴィアンヌ、女優で娼婦的な振る舞いをするファンティーニ、それと高級娼婦で後に男爵夫人となるドロレス・ダンドールの三人の相似。

 モデル小説ですが、付随的な状況説明では、実名で当時の文学者、芸術家やグループの名前が出てきます。モーリス・ロリナ、アルベール・サマン、ピエール・ロティ、イドロパ、フェリシアン・ロップス、モーパッサン、ゾラ、アナトール・フランス、それらに混じってジャン・ロラン本人の名前が出てくるところが面白い。

 もっとも印象に残ったのは、奇態な飾りを身に着け、白塗り仮面に顰めたような笑いを浮かべた70代の骸骨、フェサール男爵夫人の狂気に満ちた色恋で、まさにグロテスクの極み。これがロランの描きたかったものに違いありません。また本作の根底には、女性不信というか女性への憎しみが色濃くあり、ヴィヴィアンヌの身勝手な画策が原因で純粋なドゥリクールが自殺に追いやられた後、ダルボスがヴィヴィアンヌからの手紙をくしゃくしゃにして床に叩きつける場面によく表れています。また最後の章でルフォアが恋人に書き送った手紙と、エピローグのヴィヴィアンヌのその後の生活の描写には、虚飾の文学や社交への訣別と、隠遁生活への憧憬という、死を前にしたロランの真情が溢れているように感じられました。

 魅力的な建物がいくつか登場します。フェサール男爵夫人の地所カマルグのセルヴィエールの館、ナプール近くの山に彫り込まれたようなアガーヴの別荘、若くして自殺した卿が造ったカプ=ダーユのロビニエ荘。それらの独創的また豪奢な建物が、まわりの自然美とともに描写されています。18世紀の人たちが生活を楽しんだことへのロランの礼讃がうかがえ、レニエとの共通項が感じられました。ロランが、18世紀に対する偏愛をテーマにした『Griserie(陶酔)』という詩集を出していることも知りました(p280)。

 他に、読んでいて気づいた些末な点ですが、日本に関して三カ所記述がありました。チョコレート伯爵夫人が世界各地を漫遊したというところで、「藤の花の日本」というのが出てきたのと(p91)、ヴィヴィアンヌがドゥリクールに悪漢から見つからないよう遠くに逃げましょうと呼びかける場面で、インドとともに出てきたのと(p171)、ロビニエ荘の部屋の装飾のなかで、「日本のユリ」、「狂ったように好色なラオスと日本の版画」というのがありました(p196)。ほかにRoman balnéaire(湯治小説)なる言葉が出てきました(p127)。

ジャン・ロラン『ポルトレ集』ほか

 今月は古本買いを若干抑え気味にしました。なかでは、オークションで買った下記が値段は高いが、珍しいもの。
JEAN LORRAIN『Portraits Littéraires et Mondaines』(BAUDINIÈRE、1926年11月、4142円)→人物の紹介をするポルトレで、レニエ、ドールヴィイユイスマンス、ペラダン、ミルボー、A・ドーデなど文人や、ギュスターヴ・モローサラ・ベルナールらを取りあげている。RENEFERという人の銅版画の挿絵が各章の冒頭にあり、全部で14点。ここに挙げた妙に印象的な人物像はミルボーの章の挿絵、おそらくミルボーの小説の人物Abbé Julesではないかと思われる。生田耕作旧蔵書。
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 奈良へ用事で行ったついでに、「柘榴の国」で下記。
「饗宴 第8號」(書肆林檎屋、80年12月、1100円)→有田忠郎の「ジョー・ブスケをめぐって」が読みたかったが、すでに所持している有田忠郎の単行本『夢と秘儀』に収録されていた。
 下記は、そのとき買わなかったが、持ってないことが分かったので、奈良まで自転車で行ったついでに買った。
「饗宴 呉茂一先生追悼号」(書肆林檎屋、78年12月、1100円)
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 その他オークションでは、
福永光司『「馬」の文化と「船」の文化―古代日本と中国文化』(人文書院、96年3月、814円)
長谷川朝暮訳『赤き酒(ルバーイヤート)』(吾妻書房、昭和32年9月、1100円)
吉江喬松『輝く海』(春秋社、大正13年7月、500円)
野田昌宏『「科學小説」神髄―アメリカSFの源流』(東京創元社、95年8月、800円)
田辺貞之助『フランス文章読本』(共立出版、昭和31年8月、430円)→今さらとも思うが。
サルヷドル・デ・マダリアガ相良次郎譯『英佛西文藝の比較』(研究社、昭和8年7月、400円)→タイトルだけで買って失敗みたい。
篠田桃紅『墨いろ』(PHP、16年10月、400円)→『日本の名随筆 香』に載っていた文章がすばらしかったので。
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 日本の古本屋で、
幻想文学51 アンソロジーの愉楽」(アトリエOCTA、97年11月、900円)
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朱 捷『においとひびき』

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朱 捷『においとひびき―日本と中国の美意識をたずねて』(白水社 2001年)


 引き続き香りについての本。今回は、中国人で日本在住の研究者が、日本の匂いと中国の響きに関する感じ方考え方の比較を行ったものです。来日して、「におい」に関する微妙な使い方の差に気づいた著者がフィールドワークや古典研究、語源研究を通じて、徐々にその深層を明らかにしていくという物語的な面白さもありました。文章は中国生まれの方が書いたとはまったく感じさせないこなれた日本語でとても読みやすい。

 論点のいくつかをまとめておきますと、
①日本では「匂うような美しさ」というように、嗅覚を視覚に転用した表現が見られるが、これは世界に例のない日本特有の表現である。万葉時代の「にほふ」は視覚の表現というのが定説であるが、嗅覚的表現もある。平安末期の国語辞書には、「光彩」という項目の下に、「香」などの嗅覚の語彙が22もあり、これは古代日本人にとって、嗅覚と視覚が渾然一体だったことを示している。

源氏物語では、人物評価をする際に「にほひ」が重要な役割を担っており、評価基準としては、「あて」(高貴)や「なまめく」(優美)よりもさらに一段上の価値を有するものとされている。そしてこの源氏物語に始まった美学が、新しい感覚として後続の文学作品に受け継がれていき、「にほひ」は古典文学の世界で人物批評のキーワードとなっていった。

③「匂」は和製漢字であり、その元となっている「匀」、「韵」はもともと「ひびき」のこと。ひびきは物事の余情を示すもので、同じ余情を日本人は「にほひ」で表現するため、「にほひ」の漢字表記に借用したらしい(岡本保孝氏の説)。しかし、「匀」では日本語の「にほひ」の嗅覚的側面が消えてしまうので、「匂」という和製漢字をわざわざ作ったのである。

④一方、中国では、花の美しさを表わすのに「韻」ということばを使う。これは中国人にとって聴覚がいかに格別であるかを示している。他にも中国語の「聞香」は、本来は音を聞く聴覚が香りを嗅ぐ嗅覚に転用されているもので、日本語の「にほひ」が視覚から嗅覚へ移行したのと似ている。中国では、人物評価をする際、「韻が無い」という表現があり、「におい」を基準にして人物評価を下していた源氏物語と対照的である。絵画を評する場合も、日本では「にほひすくなし」、中国では「気韻生動」と、日本人は「におい」、中国人は「ひびき」を評価基準としている。

⑤中国では、古来より、音楽に宇宙の本源的な調和を見て、音楽的美に対する憧憬が培われてきた。音楽的美への追求は、宇宙本体論など哲学談義や、究極的な人間性への追求と深く結びついていた。日本では、高貴さや上品さよりも、異性を惹きつける魅力の色香を重要視し、生命の色つやを求めるのに対し、中国では、精神の高尚さと色香は同列し難いものと考え、生命の霊的純粋さを求めた。


 その他、印象的な指摘があちこちにありました。
①「にほひ」の「に」の語源は「丹」で、水銀の原鉱石朱砂のこと。古代人は、焼いて分解したものがまた元にもどるという朱砂、水銀の特性に、青春をいつまでも続けさせる神秘的な力を感じとっていた。西洋においても、水銀は、
神秘的な物質で、輝きと内的生命力とを賦与する本質を秘めた奇蹟の物質であった。空海は朱砂を瞑想時の精神集中力を高めるため、また不老長寿のための妙薬として飲んでおり、高野山の奥之院が金銀銅水銀の鉱区だったという説があること。

②蕉風俳諧には、連句の際、ことばでも意味でも連関しないが、言外の匂いを聞き取ることによって、前句に句を付ける「匂いづけ」という技法がある。この「にほひ」すなわち余情を俳諧に取り入れたことは、蕉風俳諧の到達点のひとつである。

③中国の漢字の成り立ちを見れば、「和」の本字「龢」は吹奏楽器の形に由来し、音楽の「樂」という文字も本来「琴」の意味で、「木」の上に弦の「糸」があり、「白」は弦を調節するものであった。言語の「言」は本来「音」と同じ字で吹奏楽器の「簫」、「声」は打楽器の「磬」、「喜」は太鼓の「鼓」など、音声、喜悦をあらわす漢字は、すべて楽器の形をかたどっており、音楽から由来している。古代中国人にとって、楽器や音楽が、言語や美的感情の基礎でもあったのだ。

 人間形成に音楽を重んじた孔子の言葉、「六十にして耳順(したが)う」の説明があり、「耳に逆らうことばを聞いても、怒らないでいられるのは、老熟した人にかぎられる」(p187)とありました。もう七十にもなっているのに、怒ってばかりとは情けない。

北原白秋晩年の二冊

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北原白秋「香ひの狩猟者」(『白秋全集23』〔岩波書店 1986年〕所収)
北原白秋『薄明消息』(アルス 1946年)


 先日読んだ塚本邦雄編『香―日本の名随筆48』に収められていた白秋の文章がすばらしかったので、「香ひの狩猟者」を読み、さらに同時期に書かれた「薄明消息」を読みました。ともに晩年、と言っても50歳(昭和10年)頃から57歳(昭和17年)で亡くなるまでの作品で、「香ひの狩猟者」は詩論、アフォリズム、短唱、随想などが混然となった詩文集、「薄明消息」は「多磨」という歌誌に連載されていた身辺雑記です。昭和12年に病を発症して眼が見えにくくなったことが双方に反映されています。「香ひの狩猟者」は全集の一冊で、「多磨」同人の短歌を添削した「鑕(かなしき)」と併載。2012年秋の百万遍古本市で200円で買いましたが、立派な本なのに全集となると気の毒なくらい安い。


 「香ひの狩猟者」は全般的に香り高い文章で綴られていますが、いくつかの文章では谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に通じる微妙な感覚、繊細な感性が溢れています。例を挙げておきます。

「刹那」も時の、光の微塵であろう・・・ミレーの落穂ひろいの農人もあれは刈麦の落穂の実を、背をかがめて拾う姿ではあるまい。日のおちぼ、月のしたたり、幽かなその光の微塵であったのではないか/p190

顕微鏡下には深園もあれば大都市もある。蒼古な神話の浮橋も霞めば、近代の機構以上の橋梁もかかる。小にしては整然として花文、結晶図、蚤の小肢の毛の一つにも流線型のドライブ路も走っていよう/p192

象(すがた)には影が添ふ。香ひにも何かと湿るものがある。銀箔の裏は黝い。裏漉しの香ひそのものこそ香ひらしく染み出して来る/p194

白磁とはいっても、幽かな藍鼠のがあり、その曇りに何かまた幽かに明るものがひとところから艶だっていた。壺の向けようで、或る面がそうなるのであった。白い閑(しづ)かな色ではあった。色というより匂そのものであった/p202

 詩作の奥義に触れるような文章もありました。

朝顔・・・落ち散った象(すがた)を紙巻煙草の吸殻のやうだといへば乾く。火鉢の灰の中に散らばる紙巻煙草の吸殻を朝顔の散り花のやうだといへば香ひがつく。ものは言いやう、喩は感じ方なのだ/p193

言葉よりは匂を、その匂すら無いあたりを/p209

私たちの創る詩歌も、その一篇一篇があの漆胡瓶のように、その形のよさから、えならぬ円光と芬香とをふくらかに、またはほのぼのと放したいものではないか。内に満ちて外に匂うのである/p241

 また、なかには禅的な境地に入ったようなアフォリズムもありました。

水の中で石を抱けば軽々としたものだが、香ひの海の中で何を擁へたら軽くなるのだ/p199

月に映った指だったか、/あ、わたしか/p213

風見で風がまわっている。いや、風見がまわっているのだ。なんの、風が風見をまわしているのだ。いんや、風見から風が逃げまわっているのだ/p237

風の中にも風が吹く、波の中にも波が立つ、ほい、そうか、俺の中にも俺がいる/p271


 『薄明消息』では、眼が悪くなる前の記述を読んでいて、以前読んだ「虚子日記」を思い出してしまいました。戦前の文人歌人)というのは、今でいう芸能人のようなもので、行く先々で人気者として歓待を受け会合に出席していたようです。とくに白秋は、女学生に取り囲まれ這う這うの体で脱出したり、夜は宴会の連続で、飲んでばかりいるのに、驚かされました。「私は一人の私だが、向うは日に夜に変りもすればことごとくの新手であり・・・あちらに一杯差し上げても、こちらはまた受けて二杯ずつ、五十人には百杯と重なるので弱った」(p16)。

 飲むだけでなく、歌の添削などで徹夜が続いたりし、忙しさは地獄の様相を呈しています。それが原因だと思いますが、高血圧と糖尿病と腎臓病を発症し、合併症として眼底出血に至り、半分失明の状態に陥ったのではないかと思います。驚いたことに、病院の中でも煙草を吸い、見舞客も平気で病室で吸い、また重症になった後も、煙草はドクターストップになっておらず、ぷかぷか吸っているようなのには驚いてしまいました。
 
 眼が悪くなってからの記述は、ほとんどが病状報告で、克明に症状が書き込まれ、病人の心理がこと細かに記述されています。病状が悪化したり快方に向かったりに一喜一憂している様子は、その死を知っている第三者として見れば哀れを催します。

 いろんな人名が登場するのが、こういった日録の面白さです。大水彌三郎が「多磨」同人として、奈良で頑張っていた様子がうかがえますし、パリの日本人として有名な画家の山本鼎が白秋の妹の亭主ということも知りました。京城では金素雲と会ったり、折口信夫前田夕暮らを自宅に招いて月見をしていたり、磯部温泉にある大手拓次の墓に「藍色の蟇」刊行の報告に行ったりしています。永瀬義郎との交流もうかがえましたし、「桐の花」、「雲母集」のなかの七首が内藤濯によって仏訳され小松清が曲をつけていることも知りました。

 また病人ならではの洞察がありました。

それにしても何という今の美しい薄明であろう。曾て今迄知ることの出来なかった蒼茫の微けさが私を如何に楽しませ如何に真実に逼迫させ如何に又勇気と叡智とを与えて呉れることか/p126

色彩については感覚が鈍ったかというに、中々そうではない。かえって現実の色より、より強く感ずる。記憶や想像やらが之に混じって寧ろより匂いの深いものに受取れるようである/p141

 最後に歌を一首
虎の貌啖い飽きたるさましてぞ愚なりしかその眼とろめつ/p153