中平解『フランス文学にあらわれた動植物の研究』

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中平解『フランス文学にあらわれた動植物の研究』(白水社 1981年)


 フランスの小説からの原文の引用が大半を占め、550ページもあるうえに細かい字で印刷された大部の書。いつもフランス書を読む時間枠を使って何とか読み終えました。引用している文章は比較的読みやすかったので、分からないところは飛ばしながら、辞書を引かずに読みました。著者が探求の成果を見せたい気持ちは分かりますが、読者のことを考えて、もう少し例文を精査して少なくしたほうが良かった。説明の一つの例を示すのに、同じ表現が見られるいくつもの文章は不要だし、同一の引用文が別の説明部分に重複して出てきたりするのは気になりました。

 研究書の体裁を持っていますが、実は随筆に近いもののように思います。学術随筆と言えばいいのでしょうか。著者が個人的に「フランス研究」という冊子を書き綴っていたものを、第1冊から第4冊までをそのまま本にしたもので、編集の手が加わったという感じはありません。なので物事が時系列に進行し、前に書いたことを打ち消したり、もう一度なぞったりしながら進んで行きます。例えば、これまで読んだフランスの小説のなかで、marron(栗)の木を意味するmarronnierという言葉にはお目にかかったことがないと書いたしばらく後で、ありましたと例文を引用したり、記憶違いでしたと訂正したりしています。普通なら本にするときに、その部分はあらかじめ訂正しておくと思います。その分著者の実直な人柄が感じられもしますが。

 著者が若い頃から、フランス小説を読みながら、出て来る植物や動物の名前をカードに記録していて、ネット情報では1万枚になると出ていましたが、それを活用したのがこの書物です。さまざまな小説作品のなかに、植物や動物、それにまつわるフランス人の生活風景が描かれているのを引用して、解説しています。文章のほとんどは森や野原を描いたもので、引用されている作家は、『語源漫筆』でフランスの森林小説家の第一人者と紹介されていたA.Theuriet、Nesmyの二人をはじめ、Colette、G.Sand、H.Bazin、Maupassant、BalzacZola、R.Rolland、H.Bordeauxらの作品が多く、珍しいところでは、T.Gautier、Fournier、J.H.Rosny、J.Green、Cendrars、A.Hardellet、M.Rollinat、Aragonなどがありました。

 著者はフランスの自然が大好きのようですが、これは自らも認めているように、幼少時に日本の自然に親しんだ素地があるからです。これだけフランスの自然が好きであれば、もっとフランスに住んで、あちこちを回りたかっただろうと思います。文章のはしばしにそうした感慨が洩らされていました。時代がもう少し遅ければ、海外に気軽に安価に行ける時代になって、著者にとってはたいへん幸せなことになっていたでしょうに。

 中平解が試みようとしたことを考えると、もとは柳田国男の影響を受けて、日本語の方言を収集したりしていますが、それをフランス語で応用しようとして、しかし、離れた日本にいてはそれができないので、小説の中に出てくる範囲に限って言葉を収集しようとした、ということができると思います。いろんな小説に、ほぼ同じような表現で樹々や鳥のことが描かれているのを読んでいるうちに、個々の小説から離れて、全体が一種の神話を形成しているような気になって来ました。

 フランス語を専門にされている方からすると初歩的な話があるかもしれませんが、私にとって、いくつか印象的だった事柄を書いておきます。
①「棺桶に片足をつっこんでいる」という表現が日本語であるが、フランスでは同様のことを言うのに、「Je commence à sentir l’odeur de mon sapin(拙訳:自分の柩のにおいがし始める)」と言う。Sapin(モミ)というのはcercueil de sapin(モミの木で作った柩)のことで、モミは腐りやすく、燃えやすいので、わが国でも棺桶を作るのに用いられる。英語では、「to have one foot in the grave(墓穴に片足を入れる)」という表現があり、こちらの方が日本に近い。
→「Bois blanc(モミの木など)について」の章での記述ですが、モミの木について書くふりをしながら、延々と柩について書いているのが面白い。

②フランス語のcrépuscule(薄明)は、当初は明け方の薄明を指していて、日没時の薄明の意味に用いられだしたのは16世紀になってから。現在では、明け方の薄明を言うときは「crépuscule du matin」と言うのが一般的。元のラテン語のcrepusculumはcreperus(疑わしい、さだかでない)から生まれた名詞で、これは日本語の「たそがれ」、「かわたれ」が、「うす暗くて誰かはっきりわからぬ」と言うところから生まれたのと似ている。

③cancanは幼児語でアヒルを指すが、これは本来、鳴き声のオノマトペルイ・フィリップ時代にcancanという踊りが流行ったが、これは《le déhanchement du canard(アヒルが腰を振って歩くこと)》に似ているところから付けられた。日本流に言えば「アヒル踊り」。これは1900年のMontmartreのcancan踊りとは別のもの。

④フランスでは、「紡錘(つむ)」のことをfuseauと呼ぶ。これはfusain(マユミ)とよく似た形だが、fusainの木は木質が緻密で堅いので、fuseauを作るのに用いられたからである。日本でもマユミは、昔、「つむ」を作るのに多く用いられたので、ツムギとも呼ばれた。フランス語では、木炭画のこともfusainと言うが、これはfusainの木で作った木炭をfusainと言い、このfusainで画いたデッサンだから、fusainと呼ぶのである。

⑤ragotというフランス語は、2歳のイノシシの子を指すが、ずんぐりした人という意味もある。また15世紀にはreproche(非難)の意味も派生したが、19世紀初めにcommérage(陰口)の意味に移った。これはもともとragoter(イノシシのように唸る)から連想されたものだろう。これに似たものに、grogner(ブタ、イノシシ、クマ、犬などが唸る)から「ぶつぶつ不平を言う」という意味が生じたり、gronder(犬などが威嚇するような低い声を出す)から、「子どもなどを叱る」という意味になったりしたのがある。

⑥日本の植物でフランスへ伝わったものには、アオキ、ウルシ、カキ、コウゾ、チョロギ、フジ、ビワ、ボケなどがあるが、このうち日本語のまま伝わっているものはアオキのaucubaとカキのkakiだけである。ウルシはverni du Japon、コウゾはmûrier à papier、チョロギはcrosne、フジはglycine、ビワはméflier du Japon、ボケはcognassier du Japonと言う。

⑦栗をフランス語でmarron(マロン)というのは、日本でも料理や菓子の名で有名だが、そのmarronの木を意味するmarronnierにはめったにお目にかからない。フランスの小説などに出て来るmarronnierは、marronnier d’Inde(セイヨウトチノキ)のことで、いわゆるマロニエである。栗の木はchâtaignierの方が使われ、châtaigneは栗のことである。このmarronとchâtaigneの使い分けで面白いのは、marchand de marronsは「焼き栗屋」、marchand de châtaignesは「生のクリを客に売る商人」であるということである。