吉田敦彦ほか『神話学の知と現代』

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吉田敦彦+山崎賞選考委員会『神話学の知と現代―第8回哲学奨励山崎賞授賞記念シンポジウム』(河出書房新社 1984年)

 

 山崎賞というのは、哲学者の山崎正一が大学退職金の一部を基金として、哲学の研究で優れた業績を上げつつある人の将来の研究に期待する意味を込めて贈る賞で、村上陽一郎市川浩坂部恵らが受賞しています。この本は第8回目に受賞された吉田敦彦を中心に開かれたシンポジウムの記録です。2部に分かれていて、第1部はフランス文学者の渡辺守章、第2部は神話学者の大林太良をゲストに、活発な議論が展開されています。

 

 シンポジウムや座談会の記録は、堅苦しい論文を読むのとは違って、言葉が平易で分かりやすいこと、質問と回答という形なので問題点が浮き彫りになること、本音トークが聞けること、楽しい雰囲気が味わえるなどありますが、この本はそのシンポジウムのよいところが出ています。山崎正一と吉田敦彦両氏があらかじめ構成をよく練られたもののようで、吉田敦彦の基調報告、ゲストのコメント、さらに哲学者の面々による質問という形で進行、座長の山崎正一氏が味のあるまとめをしています。

 

 山崎正一の問題意識は明確で、この賞の過去の受賞者の顔ぶれを見ても、近代科学の考え方あり方を乗り越えようとする視点が感じられますが、この本でも近代科学主義が欠落させている部分として神話を取りあげ、最後の結論部でも、神話は科学を補完するもので、人間はどうしても抽象的なのっぺらぼうな世界に生きることはできず、文化という一種の澱みみたいなものと切り離しては生きられないと主張されているように受け取りました。

 

 いくつかの興味深い論点が見られましたので、いつものように曲解をまじえて紹介してみます。

①現代の神話:現代の人間はそれぞれが別の価値で動いているように見え、自分たちも意識していないが、実は深いところで共通する神話を生きているのでは(吉田、p40、243、256)。これに対し、目に見える形でストーリーになっていないと神話とは言えないのでは(大林)という意見があり、神話の原材料みたいなものと訂正している(p258)。→これはユング的な心理学の領域にも関係してくるものだと思う。

②神話の読み直し:ヨーロッパ人にとって神話のような機能をしているものは、日本人にとっては「日本の神話」ではないかもしれない。例えば自然観や、伝統詩歌によって伝承され共有されている感覚的な風景のほうがそういう機能を果たしているのでは(渡辺、p45)。神話には言説、図像、儀礼の三つの要素があり、ギリシア神話には儀礼が残っていないが言説は多く、日本神話はその逆で(渡辺、p82、137)、もし神道儀礼がなくなってしまえば、日本神話は残らないだろう(渡辺、p142)。

③神話の定義:例えばキリスト教の信者からは神話という言葉は絶対に出ないことからすると、神話というのは自分たちの信じていない異教の神々の話という前提がある(渡辺、p36)。神話の言葉というのはもともと音声言語で、身振りとかを全部含めた言葉の呪力が神話を支え、神話が土着的に生きていたが、今はそれが普遍化され神話の言説だけが知識として瀰漫している。それは真の神話ではない(渡辺、p52)

④古代神話のルーツ:インド・ヨーロッパ語族の神話の三機能構造がアメリカ大陸で見られることについて、インドから東南アジアを通って、さらに太平洋をこえたという経路があり得る(大林、p185)。日本については、農耕起源神話など縄文中期の文化はニューギニアなどの古栽培民の文化と近似していただけでなく、オセアニアを経由してアメリカ大陸の古栽培民の文化とも、近似性を持っていたのでは(吉田、p214)。弥生時代から古墳時代の前期までは日本の文化は中国南部の文化と連なっていたが、古墳時代の半ばごろから北の騎馬民族文化が入ってきた(江上波夫の説を紹介、大林、p186)。

⑤親離れ:現代の日本にはいつまでもスサノヲ・コンプレックス(母からの分離の拒否)から脱却できない男たちが満ち溢れている。ある男には妻が、べつの男には娘が、また別の男にはマイホームが、母の代りとなっている(吉田、p241)。もともと動物の場合は生まれた時点で母親しかいない場合があり、父親という存在は人間になってからかもしれないし(山崎、p241)、オスとメスがコドモを育てることに協力する動物でも、コドモが一人前になる前に子と別れるので、動物の場合は父親の意識も母親の意識もない(吉田、p241)。

⑥人間と動物:人間がなぜ知恵を働かせ、整合性を持った神話や文化を生み出して生きるのかと言えば、人間が自然的には整合性を欠いているからで、人間以外の生物は本能に従って生きるだけで、種の存続のためにもっとも合理的で整合的な環境に適応した生き方ができるので、サピエンスである必要がそもそもない(吉田、p260)。人間は秩序のために無秩序を、合理のために非合理を、根本的に必要としている。同種の動物同士がむやみに殺し合ったり、雄が雌を強姦することはなく、人間の専売特許(吉田、p261)。

 

 私なりの面白い発見としては、

①タイラーやフレーザーあるいはデュルケームのような大学者たちは、だれも実際に未開人の所に行って研究することは一切せず、宣教師、行政官、探検家、商人などの報告を資料として分析していた(吉田、p17)。→これはアームチェア・ディテクティヴのようなものか。

②お釈迦さまも、豚肉食べて豚肉の中毒で死んじゃいました(大林、p218)。→自ら禁を犯したのかと調べてみると、釈迦の時代は肉食可だったみたい。

③むかしは若者宿、娘宿というのがあって、若者宿の方から集団的にデートに押しかける時、いちばん下のやつが提灯を持って先に行く。そこから「提灯持ち」という言葉ができた(大林、p248)。

④欧米化に対して自国文化の伝統のアイデンティティが言われるが、実を言えば、アイデンティティなんかどうでもよく「抵抗したい」ということ。金持ちになったら家系図も欲しいという場合、なぜ欲しいかといえば、こちらももともと立派なものであったと言いたいということ(山崎、p272)。

神話の本二冊

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 大林太良『神話の系譜―日本神話の源流をさぐる』(講談社学術文庫 1997年)

大脇由紀子『徹底比較 日本神話とギリシア神話』(明治書院 2010年)

 

  引き続き神話に関する本を読んでいきます。前回も書きましたが、酒を飲みながら、ギリシア神話と日本神話が似ているという話をしていて、また興味がぶり返して、まっさきに読んだのが『日本神話とギリシア神話』です。この本は初心者向けの入門書の体裁を取っていてとても分かりやすく書かれていますが、内容は充実しています。第一章は、概説に加え神の異称一覧と神々の系統図を配し、第二章では、神の性格に焦点を当て、左ページに日本神話、右ページにギリシア神話というふうに対照させながら解説し、第三章では、神話のテーマに基づいて日本とギリシアを比較しています。

 

 ギリシア神話と日本神話の神同士の比較では、ガイアとイザナミをともに初源の女神として取り上げ、二人に共通するのは「奥さま」の恐ろしさを神格化したものだと指摘したり(p36)、厄災をもたらすが守護神でもあるゼウスとスサノオ(p44)、戦いの守護神と位置づけられるアテネ神功皇后(p56)、春の女神であるコノハナサクヤビメとアプロディテ(p62)、酒と豊穣の神であるが祟り神でもあるディオニソスと大物主(p74)、多くの偉業を成し遂げるが最期は父から離別されるヘラクレスヤマトタケル(p84)、月の女神アルテミスとツクヨミ(p98)、冥界の女王であり大地母神穀物神的な要素も持つペルセポネとイザナミ(p102)などの類似が解説されています。

 

 また、テーマ別の比較では、アイエテス王の金羊毛を盗み逃走するイアーソンを守ろうとして、彼を愛する王の娘メデイアが弟アプシュルトスの体を引き裂き投げ捨て、王がばらばらになった死体を拾っている間にイアーソンを逃がすという話と、イザナギが黄泉の国から軍隊に追いかけられ逃げるときに、身につけたものを投げるとそれが山ぶどうや筍となって追っ手を足止めしたという話が呪的逃走のテーマという点で共通していること(p167)、大地と農業の女神デメテルが、馬に変身した弟のポセイドンに犯され激怒して洞窟のような所に隠れてしまったので穀物が取れず世界が飢饉となり、日本では、太陽神アマテラスが弟スサノオの乱暴狼藉に怒り洞窟に隠れたので世界が真っ暗になるが、両者ともに卑猥なダンスで元に戻るという点が類似していること(p173)の二つが印象的でした。

 

 また恥ずかしながら、いろいろ知らないこと(あるいは忘れていたことかも)を教えられました。例えば、日本の「天皇」という語は古代中国の北極星を神格化した「天皇大帝」から作られたこと(p14)、皇族以外の身分から皇后となった初めての女性は仁徳天皇の后イワノヒメであること(p58)、「イオニア海」、「ボスポロス海峡」(「牝牛の渡り場」の意)という言葉は、ゼウスがイオを牝牛に変身させた時、虻が刺すので、ヨーロッパからアジアへ逃げようとして海を渡ったことに由来すること(p61)など。

 

 

 『神話の系譜』はいろんな専門誌、学術誌に掲載した論文をテーマ別にまとめたもので、上述の本に比べると、複雑で分かりにくい。範囲は中国、朝鮮、北方ユーラシアからインド・ヨーロッパ、東南アジア、オセアニアと世界中を網羅しているうえに、テーマも各種あり、その例がまた多すぎて食傷気味、頭がごちゃごちゃになってきました。もう少し咀嚼してほしいとは思うが、こうした丹念な資料の読み込みのうえに、著者の主張が展開されているので無視もできません。著者による「原本あとがき」と「解説」(田村克己)が全体を俯瞰していて分かりやすいので、こちらを先に読んだ方がいいかも。

 

 世界中でこんなに似た神話がたくさんあるというのは不思議です。民話についても、一か所にあった話がどんどん伝えらえて広まって行ったという伝播説と、同じ人間の考えることだから話が似てくるという普遍説(と言ったかどうか忘れた)がありましたが、神話についても同様のことが考えられます。しかし細部にわたって何か所も類似してくるとなると伝播としか思えません。

 

 いくつかの共通するモチーフを列挙すると、日、月が神の目であるというモチーフ(p12)、洪水神話(p25、p247)、失われた釣り針型の話(p100、p210)、見るなのタブーを破ったため夫婦が離別するというメリュジーヌ型ないし豊玉姫型の話(p100)、天界の代表者たる男と水界の代表者たる女とが結婚しその子あるいは孫に地上の支配者が生まれるという構造(p114)、王権の根源が天(p114)または海(p116)にあるという考え、あるいは土中よりの始祖出現モチーフ(p127)、穀種漂着モチーフ(p129)、性器損傷(p136)、二人の当事者の一方が称することが真実であるか否かを試すモチーフ(p143)、天上他界観(p145)、天地分離神話(p205)、死体化生(ハイヌヴェレ)型の作物起源神話(p222)、若木迎えや柱祭の儀礼(p225)、呪石のテーマ(p275)、石を取るかバナナを取るかと言われてバナナを取ったために人間は死ぬことになったというバナナ型の死の起源神話(p291)など。他にもまだまだありますが書ききれません。

 

 著者はまた一見似ていなくても、構造を比較することで類似の点が見つかると主張して、別地域の神話の構造を克明に比較していますが、素人なりに考えて、あまり意味があるとは思えないこじつけのような気がするところがあります。また似ているからどうなのかと言いたくなるところもあります。

 

 田村克己が解説で、自分が神話を研究するようになったきっかけとして、「肉のかたまりのようなものが切り開かれて人間の形をとるとか、首がころころと転がり最後に月になるとか」神話の内容の奇妙さに惹かれたと正直に告白していますが(p299)、私もそういう興味で神話の本を読んでいます。

 

 いくつか紹介しますと、

姑から辛い水汲みの仕事を命じられた貧しい女が、白髪の老女から桶を叩くとすぐに水で一杯になる魔法の棒を与えられるが、怪しんだ姑が魔法の棒を盗んで桶を三度叩いたところ、水は溢れ出たが水を止めることを教わらなかったため全村が水中に没し姑も溺れ死んだという話(江蘇省南京)(p27)→デュカスの「魔法使いの弟子」と似ている。

爺と婆が背中合わせで合体していたために、お互いに顔も見たことがなかったが、神さまが哀れんで稲妻となって二人を割り、以後子どもを作ることができるようになって、子孫が繁栄したという話(山形県真室川)(p53)→爺さんと婆さんに子どもができるとは。

治水工事の名手の禹は工事中は熊に変身している。妻がその姿を見てしまい恥ずかしくなって、崇高山の麓で化して敬母石となってしまった。禹が「わが子をかえせ」と叫ぶと、石が破れて子どもが生まれたという敬母石の伝説(『漢書』)(p63)、同様の話として、息子に王位をうばわれたクマルビが、息子に対抗できる怪物を作ろうとして、巨大な岩と交わって精液を流しこみ、岩が孕んで全身が閃緑岩からなる棒のような形の子どもを産む話(ヒッタイト神話)(p67)がある。

釈迦と弥勒ともう一神が最初の一組の人間を作ったが、夜のうちに何もせずに灯火に火を点し、水鉢に植物を生やすことのできるものが人間に魂を入れ守護霊となれるとして、三人で夜番をする。二人が眠り釈迦が目覚めていると、弥勒の前の松明に火がつき植物が生えているのを見て、その火を消し水鉢を自分のと入れ替える(モンゴル・ブリヤート族の神話)(p141)→釈迦がインチキをするとは。

班孟が墨を口中に含んで噛み砕いて、広げた紙に向かって噴き出すと、墨汁はみな文字となり、紙いっぱいの文字が自然に意味のある文章となった(『神仙伝』巻十)(p143)。

以上『神話の系譜』より。

 

トロイア戦争で大勝利をおさめた後、オデュッセウスの船は「ハス食い人(ロトファゴイ)」の国に上陸、至福の忘却に酔いしれるというハスの実を食べた水兵たちは、帰郷のことをすっかり忘れてしまう(『オデュッセイア』)(p130)。

丹後国風土記逸文では、浦島太郎の亀が「五色の亀」として登場、浦島太郎が舟に亀を乗せそのまま寝ていると、亀が突然他に類のないほど美しい女の人に姿を変え、その亀と太郎が結ばれる(p150)。→こんなパターンもあったか。浦島次郎の出てくる話は知っているが。

以上『日本神話とギリシア神話』より。

 

 ところで、ずいぶん以前から、神話について書かれた本を読んでいますが、いくら読んでも、神の名前や物語の筋が頭に残らないのは、困ったものです。

藤縄謙三『ギリシア文化と日本文化』

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 藤縄謙三『ギリシア文化と日本文化―神話・歴史・風土』(平凡社 1994年)

 

 

 飲んでいて、ギリシア神話と日本神話の類似について喋っていたら、また興味が湧いてきて、その関連の本を読んでみました。藤縄謙三という名前は学生時代から知っていて、たしか『ホメロスの世界』か何かをその頃買った記憶がありますが、そのうち読まないまま古本屋に売ってしまったようです。今この本を読んでみて、たいへん後悔しております。

 

 近頃まれなくらい私の趣味にフィットして、読みながら何度も快哉を叫びました。ギリシアの専門家ではありますが、社会、歴史の分野の人なのに、ホメロスや抒情詩、牧歌詩など文学畑にも精通しているのに感心しますが、さらに驚きなのは日本の古典文学にも深い理解を示していることです。文章がとてもこなれていて読みやすく、痴呆症寸前の私の頭にもするりと入ってきます。翻訳も然り。マルクスの引用などでも(p326)、自分で手を加えて分かりやすく直しています。たくさんの知識を自分の頭のなかで咀嚼して整理し、自分なりの考えとして体系的に述べていて、そのため章や項目だてがあっても断片的でなく、ひとつの長編物語のように脈絡を持って綴られているのがすばらしいところです。

 

 そしてその底流に一貫して聞こえてくるのは、次のような感慨です。「四季の移り変わりに即応して営まれた日本人の生活は終り、俳句の季語も意味不明になりつつある。要するに日本の固有文化は今や死滅しつつあり、しかも古典文化として生き続けるのも困難な状況にある。私の書物は、実はその死を予感して歎く挽歌であったようである」(p387)。

 

 いくつかその主張のポイントを私なりに紹介してみますと、まずギリシア文化と日本文化の比較に関しては、

ギリシアでは地母神崇拝が根底にあり聖なるものは人々の身辺に存在したが、日本人は生活の場から離れた所に神を敬して遠ざけていた。そのため、神話を基盤としてその上に何かが発展形成されるということがなかったし、遠くのもの、異国的なものに対する憧憬や劣等感、また遠くの権威に頼ろうとする習性が生まれた(p40~43)。

②国家的な不幸が起こった際、ギリシア人は神の正義について考えたが、日本人は神の祟りと考えた(p49)。

③日本人が歴史を川の流れに喩えるのに対して、西洋人は歴史を何か構築物のようなものと見ている(p111)。

ギリシア人は先天的に視覚的であり、幾何学的な精神の持ち主であったのに対し、日本人は陰影とか、おぼろげな景色とかを愛して来た(p132)。ともに「thauma idesthai(見て驚嘆すべきもの)」、「見れど飽かぬ」という共通した表現はあるが、その対象は、ギリシアが武器や戦車や城壁、染めた糸や衣類など人工的な製作物であるのに対し、万葉時代の日本人は、椿や萩、浜辺や月夜の景色など、すべて自然のものである(p148)。

⑤日本の抒情詩は、自らの内面に注意を向け自分一人の悲哀の情に耽るもので、主体の情感を歌おうとしているが、ギリシアでは、悲劇も喜劇も神殿建築も彫刻もポリスの公共事業として行なわれ、抒情詩人でさえ公共の世界を常に意識しており、孤独な情緒に耽るということが少なかった(p168~170)。

⑥西洋においては、人々は平等の立場に立って定理を基準にして判断を下していたが、日本では、真理は師から弟子へ親子関係のように相続されてゆくものであった。そのため真理を普遍的また公共的なものと考えない傾向が生まれ、芸術に向かう場合も、作品そのものよりも作者の内心や人柄の方に人々は関心を持つようになっている(p185)。

⑦「国家」を意味する「おほやけ」が「大宅」すなわち支配者の家を指す語であるように、日本では家の中の秩序関係がそのまま拡大して国家の秩序の原理なっているが、ギリシアでは、一夫一婦の単婚小家族が原則でどの家も基本的には同一の構造であったから、特定の家が他の家々を完全に包み込んでしまうことはなく、王と一般自由民の関係も、政治的な思惑による同等の関係であった(p199~204)。

ギリシア人は宇宙の形成を生殖の過程として理解する傾向があり、牧歌的な生活というのはこの宇宙的なエロスの力の中で生きることであった。それゆえ西洋の牧歌的文学の伝統は青春の文学であり、季節のうちでは春が傑出して愛好されていた。それに対して日本の伝統的文学には、西洋の牧畜や農業のような生産活動との結びつきがなく、秋が最も好まれたのも、秋が収穫の季節だからではなく、もの悲しさや紅葉の美しさのためであった(p340~352)

⑨西洋における牧歌的な生活の理想は、神話的な黄金時代の楽園、若々しいエデンの園のような生活へと近づくことであったが、日本における自然への没入の思想は、自己を清らかにして極楽浄土に近づくことを意味し、また芭蕉の「うき我をさびしがらせよ閑古鳥」のように老人趣味的であった。中国の陶淵明の桃源境は、ギリシア人やヘブライ人の理想郷と類似していて、労働のない極楽とは違って、軽度の楽しい労働のある世界である(p368~372)。

 

 それ以外に印象に残った指摘では、

①『日本書紀』のどのページにも、大小の天変地異や災害や疫病についての記述があるように、天皇は神霊に満ちた国土の生動と呼応すべき存在であった(p64~66)。

②18世紀の古典主義までは、古代ギリシアの美は永久に通用すべき美の模範とされていたが、19世紀の歴史主義の登場によって、古代ギリシアの美も歴史的な形成物に過ぎなくなり、相対的な価値しか持たなくなった(p108)。

③古代、中世、近代という三時代区分の起源は、ルネサンス時代の人々が中世的世界を脱却しようとして、古代のギリシア・ローマを模範と考え古代への回帰を希求したことにあり、日本で同じ時代概念を考えるのはおかしい(p118)。

④短歌のいくつかに視覚から聴覚へという構成が見られるが、これは日本的な精神の構造を示しており、叙景詩に抒情性を与えている(p157)。この典型的な和歌の構造は、庭園の風景を観賞したあと薄暗い部屋で湯の沸く音を聴く茶室の時間構成と似てはいないか(p159)。

⑤古代人の原始的な信仰では、霊魂は現世と完全に異なった土地へ行くのではなく、人間の間近に留まって地下で死後の生活を営む。この信仰から埋葬の必要が生じ、子孫によって規則的に供物が捧げられることになる。またこれが、食物調理のための火に清浄なものを見る「かまど」の崇拝と合わさり、家族宗教という一つの宗教を成立させていた(p191~192)。

プラトンは支配者階層内だけの共産主義を説いていた。結婚には優生学的な配慮を行ない、悪い親から生まれた子どもや不具の子どもは内密理に葬ることにして、人口数を一定にするという内容(p224)。→プラトンがこんなことを書いているとは!

アリストテレスによれば、人間の幸福は無為の生活ではあり得ない。幸福とは良く行なうことであって、一種の行為にほかならない。この行為は、必ずしも他人と関係を持つ必要はなく、自分自身のためになされる思惟が最も行為的であり、それゆえ観想的生活がすぐれて幸福な生活ということになる(p240)。

ユートピア思想とか革命思想とかは、牧歌的な理想の伝統を地盤にして育ったもの(p323)。

科学的精神だけでは工業文明は成立せず、そこには人間の労働を節約しようという一種の怠惰の精神がなければならない。しかし、機械の発明による産業革命は、結果的には労働の強化を生み出しただけであった(p326)。それを見ていたウィリアム・モリスは、工業をなるべく工芸の如きものに変質させ、労働というものを苦痛から解き放ち、人生最大の喜びに転化することを考えた(p330)。

たにまち月いち古書即売会ほか

 天牛堺書店がなくって以来、何とか大阪で古書市があるタイミングで飲み会が来ないかと思っていたら、ちょうどうまい具合に、大阪城集合の飲み会が、大阪古書会館古書市の初日に当たりました。つい興奮して下記を購入。

鈴木信太郎譯『マラルメ詩集』(創元社、昭和24年6月、1500円)→少々高いが、散文詩の訳が岩波文庫版には入ってなかったので。

與謝野晶子選『吉井勇選集』(アルス、大正15年1月、300円)→装幀が味わい深い。

高橋廣江『パリの生活』(第一書房昭和15年6月、500円)

菅野昭正『詩の現在―12冊の詩集』(集英社、74年4月、100円)→値段が安いこともさることながら、馬淵美意子、入沢康夫、粒来哲蔵、吉田一穂が取り上げられていたので。

河島英昭『ローマ散策』(岩波新書、00年11月、200円)→またローマ見物に行きたいと思って。

丸山一彦校注『新訂 一茶俳句集』(岩波文庫、90年5月、300円)

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  3月もうまい具合に、水の都の古本展の期間に麻雀会、たにまち月いちの初日に大相撲観戦(とは名ばかりの飲み会)が入ったので、しばらくは安泰です。

 

 昨日は、奈良で新酒利き酒会があったので、ついでに「柘榴の國」へ寄ろうとしたら、店主がご病気でお休みでした。代わりに朝倉書店で、下記。

秦恒平閑吟集―孤心と恋愛の歌謡』(NHKブックス、96年2月、300円)

 

 別の日、奈良で催しがあった際、早く着きすぎたので時間潰しに入ったもちいどセンター街の智林堂(だったと思う)で。

村松嘉津『明治と昭和―時評と随想』(神道文化会、昭和61年5月、500円)→珍しい本だと思うが、前半は右翼的な時評で、後半にパリ生活の随想が収められている。

手塚富雄訳『ゲオルゲ詩集』(岩波文庫、昭和47年6月、150円)

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 オークションでは、

久保田万太郎『いまはむかし』(和田堀書店、昭和21年8月、300円)

久保田万太郎/久米正雄『互選句集』(文藝春秋新社、昭和21年9月、300円)

『新選石原吉郎詩集』(思潮社、79年7月、300円)

山中登久子『森岡貞香断章』(本阿弥書店、平成22年9月、500円)

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菅谷規矩雄『詩とメタファ』

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菅谷規矩雄『詩とメタファ』(思潮社 1983年)

 

 「メタファ」という言葉につられて読んでみました。2部に分かれていて、第Ⅰ部は「現代詩手帖」に長らく連載していた時評をまとめたもの、第Ⅱ部は、詩の音数律やメタファについて書かれています。菅谷規矩雄は以前詩のリズムに関する本を読みました(2013年8月1日記事参照)。あまり覚えておりませんが、今回もその延長上の議論が少しあったように思います。

 

 第Ⅰ部の時評のもっぱらの関心事は、書かれた時が1982年ということもあって、戦後詩の終りがテーマになっています。戦後詩の世界に、それまでとまったく違ったタイプの詩が増えて来るのをまのあたりにして、それをどう考えるかが中心となっています。どの立場から眺めるのかでずいぶん違ってくると思いますが、戦後詩のまっただ中を生きてきた著者には、いささか困惑気味な様子がうかがえます。

 

 いくつかの言葉を拾っていくと、その感じが分ると思います。

①「世代の興奮は去った」という感覚のなかから、わかい詩人は登場してきた(p133)。

佐々木幹郎あたりを境にして、それ以後の若い詩人たちの作品に対して、しだいに波長が合いにくくなった(p143)。

③読者には分かりやすいが、批評には分かりにくい詩―詩はそのように現象している(p145)。

④ことばを失って声だけが騒々しいような詩・・・われらの詩もまた・・・騒音の都市の再生装置と化した(p54)。

⑤詩は思想であることをやめてしまった―それだけが詩の可能性である。身がるになった詩のことばは、風俗の衣裳をつぎつぎに着かえながら、やがていつしか〈都市〉そのものをくぐりぬけてしまい、おのれの自然たる生理そのものに帰着することになる(p30)。

⑥どうやら自由詩の時代も終りに近づいているんじゃないか。詩作者はしきりに形式をほしがっている(p100)。

⑦〈方法としてのメタファ〉が、口語自由詩たる戦後詩の構成上の原理すなわち〈構造〉である・・・いまや、メタファは、作品構成の原理であることをやめてしまった(p115)。

⑧かつてこれほどまでに詩の〈自由〉が現象したことはないだろう・・・詩はいま、メタファの分解の過程にある―それは〈場面の詩〉に端的にしめされている(p136)。→場面の詩というのは、「語法としての喩を意図的に排除することで、〈作品構成〉じたいをひとつの喩とすること」(p198)と説明していて、その例として、鈴木志郎康「家族情景詩」や天沢退二郎「日常綺譚集」を挙げていた。

 

 著者の文体そのものがまさに戦後しばらくの時代を特徴づけています。自分だけ分かっていて読者をないがしろにしたような文章。私も学生の頃はこういう文体をかっこいいと思っていましたが、いま読んでみると、ややこっけい感を感じてしまいます。それはひとことで言えば、男性的すぎるというか、分かりやすく言うと、かっこつけていて喧嘩腰なのです。例えば抽象的な難しいことを延々と書き連ねた後に、「オトコとオンナの永遠の訣れが、これからはじまるのだ」(p31)とか、「『しょせんこの世は男と女』とうそぶいてみるしかない」(p53)と書いたりするのは、どういうセンスでしょうか。

 

 第Ⅱ部ではいくつか面白い指摘があり、またそれについて考えてみました。

①「当時の記録者たちにとっては、漢字は、たとえば現代におけるカセット・テープレコーダーよりもはるかに強力で有効な武器つまり〈道具〉であったろう」(p165)とあり、文字の誕生の意味を新しい感覚で知ることができた。

②「文字としての四音句が音声としての四音句と一致するとはかぎらない」(p161)とあるように、録音もない文字だけの時代に、実際にどんな詩の読み方(歌い方)をしていたのか定かでない以上、たとえば記紀を題材にして音数律などあれこれ推理をめぐらせることに意味があるのか。それよりも今日巷で流通している音声を分析することの方が地に足がついていないか。

③先日読んだ『山家鳥虫歌』で替え歌がひじょうに多いことに驚いたが、この本で、折口信夫の「替え歌・・・どうして、神授とも思われた伝承の歌詞を、新しく変更してさし支えを感じなかったのか・・・ふしを思い、此こそ、神意の寓る所と信じた」(p167)という文章を読んで、歌は言葉よりもふしを重要視していたことを納得した。

④「歌謡の〈リズム〉は本源的に指示性に対応し、そして〈旋律〉は本源的に自己表出性に対応する―という仮定が可能である」(p172)とあったが、歌唱におけるリズム、音節、言葉、旋律、響きの構造を考えるのは重要だと思われる。ここでは、発声がリズムを呼び、リズムが言葉を引き出し、歌が誕生するが、旋律と言葉は不可分であり、この一体性を支えているのがリズムという解釈がなされている。

⑤「フランスのシュルレアリスムは、まさに〈喩〉の濫発による〈喩〉じたいの解体・下落をよびよせるものであった」(p116)とあるのを読んで、新体詩が七五調の陥穽で衰退していったように、メタファも濫用されると効力を失うということだろう。要はいかに新鮮なリズムや喩を発見するかだ。

⑥「メタファの概念を、あくまで修辞の一形式―という狭義のものにとどめておくべきだとかんがえる」(p196)と書いているのは、「場面の詩」の概念と矛盾するような気がする。メタファは言語の本質に根差していて、文芸そのものもある種のメタファだと思う。

 

 この本で取り上げられている詩を読んで、あらためて田村隆一谷川雁鮎川信夫の詩の抒情的な調べの魅力、入沢康夫の「死者たちの群がる風景」の緻密な構成に感心しました。また架空の王国の観察記録という体裁の高橋睦郎『王国の構造』や、高橋徹という人の「桃花源」をテーマとした『陶淵明ノート』も読んでみたいと思いました。

CLAUDE SEIGNOLLE「Le Rond des Sorciers」(クロード・セニョール「呪術師たちの輪舞」)ほか

 

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CLAUDE SEIGNOLLE『Le Rond des Sorciers』(PHÉBUS 1993年)

CLAUDE SEIGNOLLE『LES CHEVAUX DE LA NUIT et autres récits cruels』(marabout 1967年)(『夜の馬車―残酷譚集』)

 

 2冊も並べていますが、実際に読んだのは、『Le Rond des Sorciers』15篇のうち6篇と、『LES CHEVAUX DE LA NUIT』13篇のうちの3篇です。ほとんどが以前読んだ『HISTOIRES ÉTARANGES(不思議な話)』に入ってました(2010年12月31日記事参照)。「Le Rond des Sorciers」だけが中篇で、後は短篇。この前も書きましたが、2010年に『HISTOIRES ÉTARANGES』を読んだ時はそんなに文章が難しいと感想を記していないのに、今回文章が難しいと感じた所が多々ありました。これはたまたま読んだ作品が難しかったのか、あるいは昔はたんに見栄を張っていただけなのか、それとも、いよいよぼけて私の読解能力が落ちてきたのか、いささか不安になってきます。

 

 中篇「Le Rond des Sorciers」は、因襲と迷信にみちた村で親子三代にわたって起こる事件を描いています。この作品は、主人公の頭のなかの幻想と現実とが交錯するところに生まれる怪異を描く幻想小説ではなく、実際に起った怪奇な事象をそのまま語るというスタイルを取っていて、現代の民話とも言えるものです。一種の魔法合戦が繰り広げられるのが面白いところですが、最後の部分がわたしには残酷に過ぎて興醒めでした。簡単にあらすじを書いておきます。

 

 迷信深い村に住む一家。祖父が呪われて死んだ時、沼地にある樫の木のまわりに呪術師たちの踊った跡がついていた。その時と同じような跡がまたついていたのを発見した父は、近隣の村に住む義足の呪術師を訪ねると、「教会の洗礼の水に映った顔がお前を殺す。月夜の真夜中に樫の木のところへ最初に来るのがその男だから銃を持って待て」と言われる。教会へ行き水面を見ると息子の顔が浮かび、夜待っていると、息子がいつも吹いている口笛が聞こえ近づいてくる。結局銃は撃てないまま、父は呪われて死んでしまった。その後、一家の雇われ人が呪術師の留守を狙って魔法書を盗み出し、魔力を解かれた呪術師はほどなく死ぬ。魔法を身につけた雇われ人は思うがままに、一家の親戚から息子の嫁にと送り込まれていた娘をわがものとし、息子を追い払い、魔法の力を借りて息子を呼び戻そうとした女主人を油で焼き殺す。だがさらに強い魔力が働いたのか、春一番の光によって雇われ人の首は直ちに切り落される。その時樫の木のまわりを見ると呪術師たちの踊った跡がついていた。

 

 この本の序として、編集者J.-P.Sという人が(まさかジャン・ポール・サルトルではないでしょうな)、「高く飛翔するためには地上の堅固な支えが必要なことも弁えている」と書いているように、セニョールの怪奇な筆致はリアリズムに支えられています。起こりそうもない話、何ということのない話であっても、読み進めるうちにリアルな情景が眼前に浮かんできます。人物造型や細かい細工、伏線などで、隙間なく効果を盛り上げる巧みな手法は、アメリカの文学学校で教えているような小説技法を思わせます。テイストも若干アメリカン・ゴシックホラーに通じるものがあります。あまりに綿密強直過ぎて、もう少し脱線やユーモアなど膨らみがあるほうが好ましいと思いますが。

               

 ちょっとした部分での微細な表現が精彩を放っている例として、「Mais qui est le plus fort?」のなかの200年前に25歳の若さで亡くなった聖女の墓を掘り返す場面で、昨日死んだばかりのような姿で俯いてお尻を見せているのを見た人々の反応の描き分けが面白い。「参事会員は驚きの声を上げ、司祭は跪き、墓堀人は讃嘆の言葉を放った」。

 

 以下、各短篇を簡単にご紹介。まず『Le Rond des Sorciers』の5篇。

〇Une santé de cerisier(桜の健康)

相愛のカップルだが、女性が奇病で死にかけ、医者も見放す状態。男性の留守中に、軽率な従姉妹が怪しい祈祷師を招き入れると、祈祷師は女性の腕に針を刺し、その針を家の前の桜の幹に刺し込んだ。すると女性は奇蹟のように治癒した。何週間か後、桜が朽ちかけていたので、男性が斧でバッサリと打ち倒すと、女性は足に激痛を感じて倒れ、帰らぬ人となる。人と木が共鳴する物語。女性が治癒した時頬が桜色になっていたというのが出色。

 

◎Mais qui est le plus fort?(でも誰がいちばん強い?)

10日も帰ってこない妻に待ちくたびれた夫は、教会へ行き、愛の迷いを解くと言われる聖女の墓に手を当てて早く戻るように祈願した。するとさっそくその深夜、妻がベッドに入って来て二人は雷に打たれたように愛しあう。が翌日、夫は体の前面が焼け焦げた状態で発見された。一方、教会の老朽化をきっかけに地下に埋葬されている聖女を大聖堂に移そうと司祭たちが聖女の墓を掘り起こすと、そこに見たものは骸骨ではなく、まるで昨日死んだような姿で、しかも体の前面が焼け焦げた聖女の姿だった。死女の恋譚の一種。

 

◎Un exorcisme(悪魔祓い)

急に腹痛を訴える父。医者も原因が分からずひどくなる一方なので、息子らは祈祷師を呼ぶ。祈祷師が家や作業場などを丹念に見て回ると、倉庫の壁に木ねじを打ち込まれた藁人形を発見する。祈祷師は、二三日中に倉庫に犯人が戻ってくるので、そいつを殺せば父親は快癒すると息子たちに言い残し、8ルイの報奨金の半分を手にし帰っていった。そして3日目の夕方、やってきた男は・・・。頓馬な悪魔祓い師の滑稽譚。

 

〇Ce Martin-là(そのマルタンは)

誰もが嫌っているが村に肉屋がないので仕方なく買っている巡回肉屋。実は金持ちから金品を奪うとともに人肉を血詰めソーセージにして売る肉屋だった。肉屋の車の前に通せんぼする男がいて、車のなかにある羊の心臓を売ってくれと言うので、なぜそれが分かるか不審ながら邪険に断った。と、すぐに警官の尋問に遭い、ここには人の死体はないと自信満々に車のなかを見せたところ、羊の頭は殺した人の頭になっていた。さっきの男は悪魔で、復讐されたのだ。

 

Le Christ est vengé(復讐されたキリスト)

キリストが頭に茨の冠をかぶせられたのは、カササギのせいだと、教会合唱隊の子らが、鳥もちでカササギを捉え、針を刺して復讐する。カササギに針を刺す描写がおぞましい残酷譚。あまり好きでない。

 

 次に、『LES CHEVAUX DE LA NUIT』の3篇。                            

Minnah l’Etoile(ミナー、僕の☆)

ナチの迫害から逃れてパリにきたユダヤ娘のミナー。見た目は金髪碧眼のドイツ人だった。フランス語を教えているうちに仲良くなり婚約した。彼女を怖がらせようとカタコンブに連れて行っても驚かないのに、ある通りで怖い幻を見て縋りついてきた。そこは未来に彼女がナチにつかまる場所だった。胸に五芒星のペンダントをしていたために。

 

◎Le marchand de rats(鼠売り)

墓のなかから出てきたような老人が、長い棒の先に、生きた鼠や腐敗した鼠をぶら下げて売り歩いている。病気の薬だ、その証拠にわしは元気だと。誰かがお供の犬に毒入りの肉を食わせ、老人は愛する犬を埋葬するために、墓堀人が要求するまま鼠を全部差し出した。鼠も犬も奪われた老人は砕けて粉々の塊となる。奇怪な鼠売りの造型が出色。

 

〇Le chein pourri(腐った犬)

見えないドイツ軍と対峙し、日々食糧補給、ごみ処理と戦っている食事班兵士。ゴミ処理場をうろつく疥癬病みの痩せた犬を穴に落とし込んで棒で滅多打ちにする。がその夜死んだはずの犬が目の前に。ゴミ処理場の虫がうようよした描写や、脱毛して膿疱だらけの犬の胸の悪くなるような描写が出色。汚濁小説とでも言うべきか。

近世民謡『山家鳥虫歌』ほか

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浅野建二校注『山家鳥虫歌―近世諸国民謡集』(岩波文庫 1984年)

藤沢衛彦『図説 日本民俗学全集2 ことば・ことわざ・民謡・芸能編』(高橋書店 1971年)の「民謡編」のみ

 

 ポール・クローデルが『Dodoitsu』に訳している元の日本語の都々逸を読んでいるうちに、すっかり変なリズムが頭に沁み込んでしまい、もっと読みたくなってしまいました。この『山家鳥虫歌』が都々逸の七七七五調が定着した初期の頃の代表作ということなので本棚から取り出し、ついでに藤沢衛彦の著書のなかで、近代民謡史を分かりやすく書いている部分を読んでみました。

 

 藤沢衛彦の本や『山家鳥虫歌』解説をもとに、曲解をまじえて私なりに総合しますと、貴族社会で誕生した短歌や俳句とは別系統の国民歌謡の流れが、おおよそ次のように捉えられるようです。

①国民歌謡は、いろんな切り口で分別できる。労働に合わせ歌われるもの、神事・仏事で歌われるもの、盆踊やお祭りなど年中行事で歌われるもの、子守唄などがある。

②労働民謡は、農作業でみんなとリズムを合わせ、また豊作を神に祈るというところから生れた田植唄が代表だが、時代を経るにつれ次第に神の観念が失せ、単純な抒情歌となり、男女の機微の要素が加わっていく。他に臼挽唄、馬子唄、船頭歌などがある。

③仏教僧が果たした役割も大きく、鉢扣(はちたたき)や声聞師(じょうもんじ)、呪師(のろんじ)、琵琶を持った盲法師らが、民衆に広めていった。室町時代の『閑吟集』には仏教的色彩があり、日蓮宗の僧隆達がその影響下に、隆達節を発展させた。

④民衆に広まるなかで、平安朝からの情感をうつした七五七五の半今様風から七七七五の定型律に収斂していった。

⑤そうした歌謡は、地方においてそれぞれ郷土の特色を反映して発展したが、ちょうど日本がそれまで指針としていた中国文物から独立して国内の研究に眼を開いた時期であったので、『山家鳥虫歌』やそれ以前の『樵蘇風俗歌』、『和河童謡』、『小歌しやうが集』のなかに収集されていった。

 

 『日本民俗学全集2』では、ほかに音楽的な要素として、陽旋法(田舎節)と陰旋法(都節)の移り変わりや音階について詳述されていましたが、私には少しも理解できませんでした。そもそも昔は録音もできなかったわけですから、どうして音階が想像できるのか不思議です。

 

 『山家鳥虫歌』では、各地方ごとに全392句が紹介され、地方ごとのまとめとして、長常南山という人がその地方の人柄、お国柄、伝説について述べていましたが、この文章が味わい深く、またとくに怪異についての記述が多いのが気に入りました。怪異の部分は新井白石『鬼神論』からの引用と断りがありましたが、全体についても、解説によればほとんど『人国記』からの引用とのことです。「相模の国は淫風多き所」とか「女の生れながら男子に化し男の女に化したる類・・・淫風盛んなるが故なり」など、「淫風」という言葉がしきりに出てくるのが面白く、昔からよく使われていたことを知りました。

        

 類句のパターンがいくつかあり、よく耳慣れたものもありました。そのパターンをいくつか紹介しておきます。

「×××へば千里も一里」:こなた思へば千里も一里 逢はず戻れば一里が千里(他に「逢うて戻れば○○」「惚れて通へば○○」「思うて通へば○○」など)/p22

「声はすれども姿は見えぬ ××××」:声はすれども姿は見えぬ 君は深山(みやま)のきりぎりす(他に「○○谷の鶯声ばかり」「○○それかあらぬかきりぎりす」など)/p53

「×になりたや××の×に」:松になりたや有馬の松に 藤に巻かれて寝とござる(元禄から宝永にかけて流行した「有馬節」という類型歌の元歌)/p72

「ここはどこじゃと××に問えば、ここは×××××」:ここはどこぞと船頭衆(せんどしゅ)に問へば ここは梅若角(すみ)田川(他に「○○と駕の衆に○○ ○○は住吉天下茶屋」「○○と馬子衆にきけば ○○は信濃の中仙道」)/p101

「××で名所は×××よ」:水戸で名所は千波の川よ 蓮のめごめに鴨が住む/p110

「×××・×××が三×××ござる 一に××二に××」:「笑止笑止が三笑止ござる、一に出ぬ首尾二に舟の雨、土手の夕暮橋場の烟(けぶり)・・・」(他に「嬉し嬉しが三嬉しござる・・・」「床し床しが三床しござる・・・」など)/p271

 

 耳に残る歌を引用しておきます。

飲めや大黒歌えや恵比寿 殊にお酌は福の神(山城国風)/p23

人の事かと立ち寄り聞けば 聞けばよしないわしが事(河内)/p47

声はすれども姿は見えぬ 君は深山(みやま)のきりぎりす(和泉)/p53

昔思へば恨めしござる なぜに昔は今ないぞ(和泉)/p60

胸で苦しき火は焚くけれど 煙(けぶり)立たねば人知らぬ(摂津)/p68

来るか来るかと川下見れば 伊吹蓬の影ばかり(相模)/p96

飲みやれ歌やれ先の世は闇よ 今は半ばの花盛り(能登)/p149

わしとお前さんはいろはにほへと、やがてちりぬるお別れじゃ(『三重民謡』子守唄)/p164

月は東に昴(すばる)は西に いとし殿御は真中に(丹後)/p164

心通はす杓子のさきで 言はず語らず眼で知らす(伯耆)/p172

奈良の大仏さんに釣り竿もたせ、鯨つりたや五島浦で(『全長崎歌謡』南松浦・名所名物)/p180

酒は呑みたし酒代(さかて)はもたず、酒屋ばやしを見て通る(『賤が歌袋』)/p182

闇夜なれども忍ばば忍べ 伽羅(きゃら)の香りをしるべにて(薩摩)/p242

 以上『山家鳥虫歌』所収。

 

きのふけふまで振袖着たに/けさは鳥辺の灰となる(臼挽)/p434

金の威光の大平顔も/きのふかぎりのさんづ川(山家)/p434

けはひ化粧で外からぬれど/むさい心は塗られまい(和河)/p439

生れ来たりしいにしへとへば/なにも思はぬこの心/p460

奇妙ふしぎは一つもないぞ/知らにゃ世界がみなふしぎ(以上2首は盤珪禅師の「臼挽歌」)/p460

以上『日本民俗学全集2』所収。