CLAUDE SEIGNOLLE『Le Rond des Sorciers』(PHÉBUS 1993年)
CLAUDE SEIGNOLLE『LES CHEVAUX DE LA NUIT et autres récits cruels』(marabout 1967年)(『夜の馬車―残酷譚集』)
2冊も並べていますが、実際に読んだのは、『Le Rond des Sorciers』15篇のうち6篇と、『LES CHEVAUX DE LA NUIT』13篇のうちの3篇です。ほとんどが以前読んだ『HISTOIRES ÉTARANGES(不思議な話)』に入ってました(2010年12月31日記事参照)。「Le Rond des Sorciers」だけが中篇で、後は短篇。この前も書きましたが、2010年に『HISTOIRES ÉTARANGES』を読んだ時はそんなに文章が難しいと感想を記していないのに、今回文章が難しいと感じた所が多々ありました。これはたまたま読んだ作品が難しかったのか、あるいは昔はたんに見栄を張っていただけなのか、それとも、いよいよぼけて私の読解能力が落ちてきたのか、いささか不安になってきます。
中篇「Le Rond des Sorciers」は、因襲と迷信にみちた村で親子三代にわたって起こる事件を描いています。この作品は、主人公の頭のなかの幻想と現実とが交錯するところに生まれる怪異を描く幻想小説ではなく、実際に起った怪奇な事象をそのまま語るというスタイルを取っていて、現代の民話とも言えるものです。一種の魔法合戦が繰り広げられるのが面白いところですが、最後の部分がわたしには残酷に過ぎて興醒めでした。簡単にあらすじを書いておきます。
迷信深い村に住む一家。祖父が呪われて死んだ時、沼地にある樫の木のまわりに呪術師たちの踊った跡がついていた。その時と同じような跡がまたついていたのを発見した父は、近隣の村に住む義足の呪術師を訪ねると、「教会の洗礼の水に映った顔がお前を殺す。月夜の真夜中に樫の木のところへ最初に来るのがその男だから銃を持って待て」と言われる。教会へ行き水面を見ると息子の顔が浮かび、夜待っていると、息子がいつも吹いている口笛が聞こえ近づいてくる。結局銃は撃てないまま、父は呪われて死んでしまった。その後、一家の雇われ人が呪術師の留守を狙って魔法書を盗み出し、魔力を解かれた呪術師はほどなく死ぬ。魔法を身につけた雇われ人は思うがままに、一家の親戚から息子の嫁にと送り込まれていた娘をわがものとし、息子を追い払い、魔法の力を借りて息子を呼び戻そうとした女主人を油で焼き殺す。だがさらに強い魔力が働いたのか、春一番の光によって雇われ人の首は直ちに切り落される。その時樫の木のまわりを見ると呪術師たちの踊った跡がついていた。
この本の序として、編集者J.-P.Sという人が(まさかジャン・ポール・サルトルではないでしょうな)、「高く飛翔するためには地上の堅固な支えが必要なことも弁えている」と書いているように、セニョールの怪奇な筆致はリアリズムに支えられています。起こりそうもない話、何ということのない話であっても、読み進めるうちにリアルな情景が眼前に浮かんできます。人物造型や細かい細工、伏線などで、隙間なく効果を盛り上げる巧みな手法は、アメリカの文学学校で教えているような小説技法を思わせます。テイストも若干アメリカン・ゴシックホラーに通じるものがあります。あまりに綿密強直過ぎて、もう少し脱線やユーモアなど膨らみがあるほうが好ましいと思いますが。
ちょっとした部分での微細な表現が精彩を放っている例として、「Mais qui est le plus fort?」のなかの200年前に25歳の若さで亡くなった聖女の墓を掘り返す場面で、昨日死んだばかりのような姿で俯いてお尻を見せているのを見た人々の反応の描き分けが面白い。「参事会員は驚きの声を上げ、司祭は跪き、墓堀人は讃嘆の言葉を放った」。
以下、各短篇を簡単にご紹介。まず『Le Rond des Sorciers』の5篇。
〇Une santé de cerisier(桜の健康)
相愛のカップルだが、女性が奇病で死にかけ、医者も見放す状態。男性の留守中に、軽率な従姉妹が怪しい祈祷師を招き入れると、祈祷師は女性の腕に針を刺し、その針を家の前の桜の幹に刺し込んだ。すると女性は奇蹟のように治癒した。何週間か後、桜が朽ちかけていたので、男性が斧でバッサリと打ち倒すと、女性は足に激痛を感じて倒れ、帰らぬ人となる。人と木が共鳴する物語。女性が治癒した時頬が桜色になっていたというのが出色。
◎Mais qui est le plus fort?(でも誰がいちばん強い?)
10日も帰ってこない妻に待ちくたびれた夫は、教会へ行き、愛の迷いを解くと言われる聖女の墓に手を当てて早く戻るように祈願した。するとさっそくその深夜、妻がベッドに入って来て二人は雷に打たれたように愛しあう。が翌日、夫は体の前面が焼け焦げた状態で発見された。一方、教会の老朽化をきっかけに地下に埋葬されている聖女を大聖堂に移そうと司祭たちが聖女の墓を掘り起こすと、そこに見たものは骸骨ではなく、まるで昨日死んだような姿で、しかも体の前面が焼け焦げた聖女の姿だった。死女の恋譚の一種。
◎Un exorcisme(悪魔祓い)
急に腹痛を訴える父。医者も原因が分からずひどくなる一方なので、息子らは祈祷師を呼ぶ。祈祷師が家や作業場などを丹念に見て回ると、倉庫の壁に木ねじを打ち込まれた藁人形を発見する。祈祷師は、二三日中に倉庫に犯人が戻ってくるので、そいつを殺せば父親は快癒すると息子たちに言い残し、8ルイの報奨金の半分を手にし帰っていった。そして3日目の夕方、やってきた男は・・・。頓馬な悪魔祓い師の滑稽譚。
〇Ce Martin-là(そのマルタンは)
誰もが嫌っているが村に肉屋がないので仕方なく買っている巡回肉屋。実は金持ちから金品を奪うとともに人肉を血詰めソーセージにして売る肉屋だった。肉屋の車の前に通せんぼする男がいて、車のなかにある羊の心臓を売ってくれと言うので、なぜそれが分かるか不審ながら邪険に断った。と、すぐに警官の尋問に遭い、ここには人の死体はないと自信満々に車のなかを見せたところ、羊の頭は殺した人の頭になっていた。さっきの男は悪魔で、復讐されたのだ。
Le Christ est vengé(復讐されたキリスト)
キリストが頭に茨の冠をかぶせられたのは、カササギのせいだと、教会合唱隊の子らが、鳥もちでカササギを捉え、針を刺して復讐する。カササギに針を刺す描写がおぞましい残酷譚。あまり好きでない。
次に、『LES CHEVAUX DE LA NUIT』の3篇。
Minnah l’Etoile(ミナー、僕の☆)
ナチの迫害から逃れてパリにきたユダヤ娘のミナー。見た目は金髪碧眼のドイツ人だった。フランス語を教えているうちに仲良くなり婚約した。彼女を怖がらせようとカタコンブに連れて行っても驚かないのに、ある通りで怖い幻を見て縋りついてきた。そこは未来に彼女がナチにつかまる場所だった。胸に五芒星のペンダントをしていたために。
◎Le marchand de rats(鼠売り)
墓のなかから出てきたような老人が、長い棒の先に、生きた鼠や腐敗した鼠をぶら下げて売り歩いている。病気の薬だ、その証拠にわしは元気だと。誰かがお供の犬に毒入りの肉を食わせ、老人は愛する犬を埋葬するために、墓堀人が要求するまま鼠を全部差し出した。鼠も犬も奪われた老人は砕けて粉々の塊となる。奇怪な鼠売りの造型が出色。
〇Le chein pourri(腐った犬)
見えないドイツ軍と対峙し、日々食糧補給、ごみ処理と戦っている食事班兵士。ゴミ処理場をうろつく疥癬病みの痩せた犬を穴に落とし込んで棒で滅多打ちにする。がその夜死んだはずの犬が目の前に。ゴミ処理場の虫がうようよした描写や、脱毛して膿疱だらけの犬の胸の悪くなるような描写が出色。汚濁小説とでも言うべきか。