清岡卓行『夢を植える』(講談社 1976年)
清岡卓行『夢のソナチネ』(集英社 1981年)
清岡卓行『ふしぎな鏡の店』(思潮社 1989年)
『書物の王国2 夢』で、「帰途」を読んで面白かったのと、「幻想文学 特集:夢文学大全」で、東雅夫が、戦後作家の夢をテーマにした作品として、『夢を植える』をあげていたので、清岡卓行の夢を扱った三冊を読んでみました。『夢を植える』、『夢のソナチネ』は掌篇小説集、『ふしぎな鏡の店』は詩集で、そのなかの「四行詩十二篇」は『夢のソナチネ』にも収められていました。本人も、「掌篇小説は散文詩の領域に重なることもあるはずで、そのときは、どちらの名称で呼んでも差し支えないと思われる」(『夢を植える』p186)と書いているように、詩と小説はここでは交じり合っています。
掌篇小説は、内田百閒の掌篇と同じく、これは夢だとは何も言わずに、夢で見るような光景を描いています。百閒と異なるところは、百閒が戦前の古い日本が舞台になっていたのに対して、清岡では戦後の西洋的な生活がベースになっていて明るい感じがするところでしょう。現実では起こり得ないようなことが平然と起こったり、知らぬ間に場面が変わっていたり、不思議な味わいがあります。
非現実的な場面はほとんどの作品にありますが、例えば、視野が分裂し、左側には冬の雪景色、右側には夏の炎天下の海水浴場が見え、その境界は明確であるが、その垂直線に自分が水平線となって直角に交じりたくなるという「光景の分裂」、鏡を見たら、口の中で歯が7,8本抜けて舌の上に転がっており、何とか元の場所に収めようと悪戦苦闘してようやく整ったが、口をあけて笑おうとしたら、また7,8本が抜けてしまうという「へんな歯」(いずれも『夢のソナチネ』所収)など。
知らぬ間に場面が変わっている例では、50歳にもなるのに旧制高校の制服を着て川のほとりを歩いていたら、知らぬ間に学校の廊下になっていて、昔の先生の顔を見ると庄野潤三になっていたという「チーズ」(『夢を植える』)、電車に乗って人を探しながら別の車両へ移ろうとしたら、そこは船底の三等旅客部屋で、甲板にあがろうと扉を開けたら、そこはお寺の広い間で、坊主が経を唱えているといった具合の「はぐれる」(『ふしぎな鏡の店』)など。
もうひとつ百閒を思わせるところは、困った状況をしつこく描いていることです。例えば、背広を着ているのになぜか裸足で町を歩いていて、恥ずかしいと思っていたら、次に気付いたときズボンまで脱いで背広にパンツ姿になっていたという「町の中ではだし」や、なぜか公衆浴場の女湯につかっていて上がることもできずじっと耐えているという「風呂場で」(いずれも『夢を植える』)、空港へと急いでいるのに、電車がプラットフォームから離れたところに停車したり、駅を出てタクシーを拾おうとしたら、馬車しかなく困惑する「空港へ」(『夢のソナチネ』所収)など。
その他、奇妙な感覚を刺激されて面白かったのは、液体の塊の感覚で、万年筆の先から青いインクがシャボン玉のように次々と空中に飛び出て白い空間に浮かぶという「青と白」、プールサイドで水を卵大にして背広姿の男の背に投げるという「バナナの皮」、それぞれ『夢のソナチネ』、『夢を植える』の冒頭に配されていました。それとグロテスクなユーモアを感じさせられたのは、道の真中に人間のものらしき大便があり、一人の男が犬にそれを嗅がせた後、集まっている人間の尻をひとりひとり嗅がせていたのを見て、不安を感じながら道を歩いていると、その犬が私の尻に鼻をぴたりと付けてしまうという「いやな犬」(『夢を植える』)。
清岡卓行は、夢を題材にした詩をたくさん書いて、詩人仲間から「夢屋」と言われていたと、『夢を植える』の「あとがき」に書いていますが、もともと清岡が影響を受けたシュルレアリスム的手法は夢の世界に近いから当然と言えるでしょう。彼自身、『夢のソナチネ』のあとがきで、自ら創作の手法を次のように明かしています。
睡眠中に見る夢を対象とする掌篇の描きかたはじつにさまざまで、ありのままの記録という不可能と、まったくの虚構という無意味との中間において、無数の実際の場合がある・・・記録と虚構を巧みに合金させて一つの夢を自立させるほかに、夢と現実をいろいろな形で並べあわせるとか、二つ以上の夢を空間的に重ねたり、時間的につないだりするモンタージュをとりいれるとか、多くの手法がある(p226)
作品の中に、自身の仕事や経験を織り交ぜたものがいくつかありました。プロ野球の事務局に勤めていたことは知っていましたが、プロ野球の「猛打賞」が彼の発案というのは初めて知りました。