郡司正勝『和数考』

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郡司正勝『和数考』(白水社 1997年)


 宮崎興二の数尽くしのような記述が面白かったので、数に関する本を本棚から引っ張り出してきました。20年ほど前に一度読んだことのある本ですが、まったく忘れているので再読しました。20年前の読書ノートでは、「博覧強記とはこのこと。ユング的な祖型の考え方で数字がどういう位置を占めるか前から気になっていたが、日本人にとっての数字観を豊富な事例で立証してくれた好著」と紋切型書評風文章が書いてあるきりでした。

 宮崎興二が日常語を中心に数のつく言葉を拾っていたのに対し、古典劇が専門の著者だけあり、昔の言いまわしが数多く取られていて奥が深いのと、用例が数多いのが特徴。なぜ七のつく言葉が他の数字の倍ぐらいあるのかは分かりません。                                                   

 直接の数を表現するのではない数のあり方が面白い。例えば、「一度いらしてください」は「二度いらしてください」とは言わないし「二度は来るな」という意味にはならない。「おひとついかが」の「ひとつ」は単なる挨拶だし、「ひと風呂浴びよう」の「ひと」は掛け声のようなもの。「第一、そんなことないじゃありませんか」などと言うときの「第一」は数ではない。

 数がもともと持っている象徴的な意味について、各数字を見てみると、
一は、発端であって、しかも一つの世界をすでに完成するかたち。一番という意味(天下一)、二へ続かないという性質(一枚看板、一夜漬)、勢いを示す(一気飲み、ひとつとっちめてやろうか)、二度とはないことを指す(一雨)、それしかないという覚悟を示す(裸一貫、男一匹)など。

二は、負の数字で、蔑まれる表現が多い。二の次、二番煎じ、二の舞、青二才、二流など。この負の役割をやや取り返すのが、二枚目。

三は、格が高く、世界の構成を示す言葉が多い。仏教の生死輪廻の世界を表現する三界、仏教の言葉の三宝(仏、法、僧)、日本の宝の三種の神器、過去・現在・未来を示す三世、日本で太陽・月・星を表わす三光、天・地・人を意味する三体、キリスト教の三位一体、ダンテの三界(煉獄・天国・地獄)などがある。悪い意味(三文小説)もある。中国では三は終りを意味した。

四は、凶の数で、「シ」という発音が「死」に通じて縁起が悪い。数が単位として手ごろなのか、仏教の四大(地水火風)、季節の四季、方角の四方、人間一生にあらわれる四相(生、老、病、死)という言葉がある。

五は、肉体と精神を制約する数字である。五臓とか五体、中国の古代思想の五行(木火土金水)、五つの元素を表現した仏教の五輪塔(地水火風空)、また仏教の言葉で人間を構成している五蘊(色受想行識)、儒教にも五倫、五常という道徳があり、チベットには五趣生死輪廻図という天・人・地獄・畜生・餓鬼を描いた絵がある。

六は、仏教に縁のある表現が多い。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道、三途の川を渡るに必要な六道銭、六地蔵、六欲、六塵、六念など。六は五の世界から一つ出たこの世でないものに入ってゆく数であり、あの世を見てきたような話をする六部、この世の無常を夢・幻・影・泡・電・露の六種で喩える六喩がある。

七は、ラッキー・セブンというが、西洋でも元は凶の数字であった。七福神もめでたいのではなく、七難に当てたから七になった。人間は七度まで蘇生できるとされ、七生報国という言葉がある。また七は物忌の数であり、七周忌は大切にされる。正月七日は禍々しい日であり、邪気を祓ういろんな行事があった。七月七日もお盆を迎えるための禊ぎ祓いの日であった。

八は、その七の凶を救助する数字。八幡は七を調伏している。日本民族の大好きな数でまず末広がりと喜ぶ。三種の神器の鏡、剣、玉に八の形容詞をつけて、八咫鏡、八握剣、八坂瓊勾玉としたり、八百万の神、八稚女、八岐大蛇、「八雲立つ、出雲八重垣・・・」という歌もある。中国でも、八稜の鏡、八鈴鏡や仏教の八葉の蓮華という言葉がある。また八は隅々まで全部ということの表象で、八紘一宇、八方ふさがり、さらに八十八カ所を巡ると仏の国をすべて拝んだことになる。

九は、中国でとくに縁起のいい数、その証拠に、蓮根の九穴が喜ばれ、九連宝燈も嬉しい。九曲、九天、九献という言葉があり、九尾の狐は幸福のシンボルであった。日本ではそれほど喜ばれていない。九尾の狐も妖狐である。九は数のきわまりであり、九州という言葉も究極の地だから九であるという。

十は、納めの数で、満ち足りる姿を表現する十分がある。十二分はもう沢山だということになりかねない。これ以上の悪はないという意味で、十戒という言葉がある。


 英語やフランス語でも同じように、数に象徴的な意味を持たせているに違いないから、そうした本があれば面白いと思います。