ボルヘス『夢の本』


J・L・ボルヘス堀内研二訳『夢の本』(河出文庫 2019年)


 持っていたと思っていたが見当たらなかったので最近買った本。ボルヘスによる夢のアンソロジー。夢なので総じて短く、いちばん長いもので24頁、全部で113の話が収められています。さすがにボルヘスだけあって、面白いものを集めていますが、なかには、どうしてこれが入っているのかというようなものも混じっていました。訳者によるあとがきと、谷崎由依さんという作家による解説が的を得、かつ私と趣味を同じくしていて、共感できました。

 冒頭に置かれた古代の神話や聖書、物語に出てくる夢はあまり面白くありません。言いたいことを夢に仮託しただけで、夢である必然性が感じられないからです。何といっても面白かったのは、夢と現実が入れ子構造になったような話で、これにもいろんなパターンがありました。いろんな種類の夢がごっちゃに並べられていたので、分かりやすくするために、分類をしてみました。

 叙述法によって全体を大きく分けてみると、①神話、伝説、②物語、③夢についての論述、④詩といった形が考えられます。そのなかで、さらに神話や物語について、テーマ別にまとめてみますと、

①予知夢として括れるもの
1)神が英雄の出現を予言する夢
2)夢が未来の出来事に警鐘を鳴らす話
3)長年にわたって夢に見続けていた風景や人物に出会う話

②予知夢に関連して夢の解釈に関するもの
1)夢を解釈する話
2)夢の解釈を間違えて不幸が訪れる話

③夢と現実が入り乱れるものとして
1)現実の中にまで浸透してくる夢
2)夢で見たことを本当のことと思う話
3)夢のなかに生きている人物の話
4)夢の中でしたことがあらかじめ手紙で依頼されていたという話

④夢と自分という存在との関係を問うものとして
1)自分の姿を夢のなかで見る話
2)自分は誰かに夢見られている存在だという話

⑤悪夢に関するものとして
1)悪夢を見ている友人を助けようと姿勢を変えてやったり呼びかけたりする話
2)悪夢から醒めたと思ったのが夢で、悪夢が実行される話
3)悪夢から逃れるために目を醒ます話

⑥死後の夢として
1)死後に見た夢
2)死後、魂が夢のようにさ迷って再び目を醒ます(生き返る)話
3)すでに死んでいると告げられる夢

⑦夢の力を感じさせるものとして
1)創作のひらめきを起こさせる夢
2)夢の中で神々を見る話
3)夢の中でありえない光景を幻視する話

⑧夢の性質を語る話


 なかでも、面白かったのは、『紅楼夢』の挿話である「宝玉の果てしない夢」(カイヨワ『夢の現象学』で紹介されていた。何度読んでも面白い。3月25日記事参照)、目覚めると夢の中でもらった花を手にしていたというコールリッジの「証」、自分は夢の中の人物だというパピーニの「病める騎士の最後の訪問」、グロテスクきわまりない幻想詩『夜のガスパール』第三の書の「Ⅱ―スカルボ」、極彩色のパリを描いたボードレールの「パリの夢」、「コールリッジの夢」(これもカイヨワの書にあり)、悪夢にうなされる友人を助けようとするポール・グルーサックの「夢うつつ」、あんたはある王が夢見ている存在だから目を覚めると消えてしまうと宣告するルイス・キャロルの「王の夢」、死刑の夢かと思ったら現実だったというオー・ヘンリーの「夢」、野蛮な古代の神々を射殺する夢を描いたボルヘスの「ラグナレク」、バートランド・ラッセルが見た詭弁論理学的夢を語るバルティウスの「本当か否か」、味噌買橋の話(2022年12月25日記事参照)と似ている『千夜一夜物語』の「夢を見たふたりの男の物語」、長年お互いに夢で見続けた修行の友と出会うディヴィッド・ニールの「師の帰還」。


 夢についての論述のなかで印象深かった文章を引いておきます。

夢の中では感情がイメージを抱かせる・・・我々は恐怖をいかなる形象にでも投影することができる。そして、それは目覚めている時において必ずしも恐ろしいものである必要はない(ボルヘス)/p11

この私は私を夢に見る人がいるから存在するのです・・・人間の生は夢の影であると言った詩人たちがいますし、また現実はひとつの幻覚であるとほのめかした哲学者たちもいます。しかし、私の夢を見ている人は誰なのか?(パピーニ)/p118

最後の方の夢だけがそれよりも前の夢を蔽ったり消し去ったりするが故に残存するという現象が必ず生じるのである。それはちょうど行軍中の部隊のうち最後の方の隊列だけが道に識別可能な足跡を残すのと同じである(グルーサック)/p243

夢が出来上がるために事物自体は大切な要素もしくは材料ではなく、夢を見ている時には事物を表現する力、目覚めた時にはそれを喚起する力が大切なのである(グルーサック)/p243