高藤由明『匂い遊びの博物誌』

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高藤由明『匂い遊びの博物誌』(現代出版 1986年)


 しばらく香りについての本を読みます。これはボードレールの詩に南洋の果実や香料の単語がたくさん出てきたので興味が湧いたからです。最初は読みやすそうな本からと思い、「メディアジャーナリスト」と紹介されていた著者の本を取りあげました。香りの専門家ではないと弁解しながら、いろんな参考書で得た知識を自分なりに整理して書かれていました。また自分で質問を投げかけながら答えていくというように、書き方には読者へのサービス精神が見られます。私と年齢が近いので、同じような読書体験をしていることがうかがえました。  

 最初の本なので、初歩的なことでも知らない(忘れている?)ことがたくさんありました。いくつか重要なものを書いておきます。
①まず香りの感覚器官との関係については、嗅覚は諸感覚のなかでもっとも原始的な感覚であり動物的な感性をもっていること、味覚と併せて口のなかの匂いが嗅覚に伝えらえることで味わいが生まれること、甘い匂いが辛く感じられたり酸っぱい匂いを甘く感じたりする幻臭症という症状があること、匂いの快・不快は人間の側の主体的な状態によること。さらに著者は、第六感は衰えた嗅覚の本来の能力をさした言葉ではないかと問うています。

②香りと宗教体験との関係では、火がつくと明るく燃えて香を漂わせる香木の神秘に古代人が神の気配を感じたこと、香り高いものには汚れを祓う祓魔的効果(エクソシズム)があると考えていたこと、クリスマスローズがとくにその効果が強いとされ実際に狂気やうつ病の治療に用いられていたこと。

③女神イシュタルが勇者を誘惑するのに甘い芳香を用いたり、クレオパトラアントニウスと初めて会ったときも薔薇の花を敷き詰めるなど、香料は性的な誘因の道具として使われるが、一方、薔薇はキリスト教世界では聖母マリアの花とされ聖性も帯びている。

④香りの歴史的な紹介としては、西洋では、ソロンが香料の乱用にたまりかねてアテネ市内での香料の販売を禁止したり、古代ローマの市内にある店の四分の一以上が香料店だったというように、ギリシア、ローマで香料が盛んだったこと、アルコールの溶解力の発見はビザンチンが最初だとされていること。中国では沈香が盛んで、それが595年に初めて日本に入ってきたこと、また鑑真和尚が麝香をもたらしたこと、桃山文化が花開いたころポルトガルやスペインの商人との交易により香水が初めて日本に来たこと、明治期に松沢常吉という人が日本で初めて香水を製造したこと、大正6年資生堂から「花椿香油」が販売されたこと。

⑤香料はいろんな視点から分類ができる。材料からは植物性香料と動物性香料の大きく二つの種類に分けられる。香料の割合とアルコールの度数との違いで、アルコール度の高い順に香水、オー・ド・パルファン、オー・ド・トワレ、オー・デ・コロンに分けられる。また匂いによって、フローラル調、アルデヒド調、ウッディ調、モッシィ調、オリエンタル調、グリーン・ノートに分類される。香りの立つ時間の順に、トップノート、ミドル・ノート、ラスト・ノートと異なる表情をすることも紹介されていました。

 そのほか次のような指摘がありました。
*腐ったものやカビ、排泄物は悪臭を放ち、危険を知らせてくれるが、逆に、毒キノコや昆虫に対する食虫植物など、毒でありながら甘い匂いをもつものもある。
*死者の側から見た場合生きている人間は我慢のならない臭いを発するらしい。
*古代人が樹の樹脂を焚いて香りを儀式に用いたことから、ラテン語で「燃焼による」(Per fumum)という言葉が香水を意味するパフュームの語源となった。

 嗅覚を失うと食欲も性欲も減退し気力も失せてしまうように、匂いは人間にとって潤いや色気のもととなる重要な要素である、私たちの科学は匂い―嗅覚をあまりにも置き去りにし過ぎてしまったのではないか、というのが全体を通しての著者の主張のようです。

 「この本には匂いがつけてある」(p15)と、書籍マニアにとっては面白い試みがあったようですが、古本なのであまり匂いはしませんでした。