:中国の幻獣および怪異噺の本二冊

///表紙
伊藤清司『中国の神獣・悪鬼たち―山海経の世界』(東方書店 1986年)
過耀良編『妖怪畫談全集 支那篇』(中央美術社 1929年)


 どちらも中国の妖怪が出てくるのと、『妖怪畫談全集』に『山海経』の挿絵がたくさん収録されていることぐらいで、まったく別種の本。前者は研究書、後者は物語集。『妖怪畫談全集 支那篇』は学生の頃に買った本で、同じシリーズで『ドイツ・ロシア篇』というのも所持しています。古本屋でもあまり見かけない珍しい本で、嬉しくて時おり取り出して挿絵を見たりしていましたが読んでおりませんでした。

 二冊に掲載されていた挿絵のなかで、お気に入りの絵を引用しておきます。
鳧徯○姪
入山符
以上、『中国の神獣・悪鬼たち』より
雷神天呉
一臂國形天
讙頭國
以上、『妖怪畫談全集 支那篇』より


 『中国の神獣・悪鬼たち』は「山海経の世界」と副題にあるとおり、山海経に描かれた妖怪・鬼神を紹介しながら、古代中国の人びとが抱いていた一種の世界観を浮き彫りにしています。中国の邑を語る冒頭の文章では、昔の邑の情景が目の前に現れるようで、引き込まれてしまいました。

 村落で生活する人々の平穏な「内なる世界」が、山林川沢の危険な「外なる世界」と接触するところに、妖怪・鬼神が現れたようです。物騒な目にあったりするので山稜、曠野、渓谷、川など至るところに妖怪がいると思ったり、病気や伝染病で悲惨な目に合うのも妖怪・鬼神の咎だと信じ、洪水や日照り大風等の自然現象、火災、蝗の大群による飢饉の発生も妖怪・鬼神の仕業と考えたのです。さらに驚くのは兵乱や労役も人為ではなく超自然的存在の所業だとしていることです。例えば、貍力(りりょく)という獣が現れると、その地方に土木工事がたくさん行われるという具合。(日本では、年度末になるとこうした妖怪が跋扈するようです)。

 そうした厄災を避けるためには、あらかじめ妖怪・鬼神を識別することが大事だという理由から、山林川沢に棲む怪力乱神ならびに猛禽獣や蝮蛇類の博物誌を作成しようとしたのが、『山海経』の成立した所以のようです。怪獣の姿が跋扈する青銅器もどうやら同じ趣旨で作られたようです。さらに識別から一歩進んで、鬼神を祀ることによって善神に変えるということも起こってきます。例えば、回禄という怪神は火を操る荒ぶる妖怪でしたが手厚く祀ることで火伏せもしてくれる神になったということです。この「祀る」ということが神と妖怪の境目だと言います。

 では、誰が『山海経』を編纂したのか、それは著者もはっきりとは言ってませんが、山沢の利権が専制君主権力を形成する重要な経済的基盤となり、族長層による私有財産化や開墾が行われ、山沢の独占的な囲い込みが進められていったことからすると、国家的存在か職能集団的な存在の関与が想像されると言います。


 あちこちに面白い記述がありました。
疾病等の原因が鬼神の仕業と考えられていた社会では、医者は神々を祀る聖職者でもあったこと。
また古代の医法には実の多さが子沢山を連想させるところからオオバコを懐妊促進の薬としたり、貍(猫)が鼠を退治するところから、鼠瘡という病気を治すのに貍豆という豆の実を用いるなど、呪的要素や言語遊戯的趣味の濃い論理が見られること。


 鳳凰麒麟などの瑞祥をもたらす神獣というのは、実は見方が逆だという中尾万三説に感心しました。天下泰平だから辺境との交通が安全に保証され、遠くから珍しい鳥獣が献上され得るのであって、戦乱の世ではそうしたことはあり得ない、つまり瑞祥があったから珍奇な鳥獣の延長線上にある鳳凰麒麟が生れたというわけです。


 『妖怪畫談全集 支那篇』は巻頭の「山海経」の妖怪画と、本文の妖怪談とは何の繋がりもなく、本文は『聊斎志異』や『捜神記』『廣異記』などの怪異譚を集めたものとなっています。全部で54篇。なかでは、「雲飛と盆石」(宜室志)、「死者の媒介」(聊斎志異)、「牡丹燈」(剪燈新話)、「畫皮」(捜神記)が出色。

 「牡丹燈」は有名な話なので省略。「雲飛と盆石」は石狂いの男の一生を追った話。河で拾ったある奇石を愛でる男の前に老翁が現れ、「3年預かる、嫌なら3年寿命が縮まる」と言われ拒否したところ、翁が92あるうちの3つの穴に手を触れると直ちに穴が溶けてふさがるという場面が印象的。「死者の媒介」(聊斎志異)は琴をめぐる音楽譚で、琴合戦で鳥を集める名人の調べ、無人の部屋の琴がひとりでに奏でる怪、亡霊の正体を映す古鏡、亡霊の奏でる筝の妙なる曲など、盛り沢山。亡霊が仲人をするという趣向もある。「畫皮」は、道教的神秘術の感じられる一篇。鬼が人間の皮を一振りすると美人に変じたり、老婆に窶した鬼と道人の術比べで、最後は鬼が首を切り落とされた途端に煙となって壺の中に吸いこまれ、皮一枚も巻物のようにして壺の中に押し込められる場面が面白い。

 他には、亡霊の夜宴に紛れたとき盗んだ盃が後年現実の盃と符合する不思議を描いた「妖盃物語」(聊斎志異)、本のなかから抜け出た美人を妻にする「書癡」(玉堂輭話)、恋に焦がれ死んだ女の心臓が風景を映した珠になる「怪珠」(玉渓編事)、妻の首を美人の首とすげ替える「木像の怪」(聊斎志異)、拾ってきた卵から生まれた子どもを育てるが最後は羽が生えて飛んで去る「雷祖」(稽神録)、古廟の塑像四姉妹が男を誑かす「妖女姉妹」(廣異記)、妖怪譚とは思えないようなユーモアがある「幽霊才女」(聊斎志異)、浦島太郎説話のような「神仙境」(捜神記)、かつて富豪に厚遇されていた貧乏な若者が実は狐で、その富豪が零落した時に恩返しをする「妖孤の祠」(廣異記)、天井から滴る水が血生臭かったというのがどこか不気味なリアル感のある「妖女を咬む」(廣異記)、怪物が大きな眼玉だけとなって庭を旋転するというシュルレアリスティックな「眼玉の怪」(幽怪録)、封を切らずに中の酒を飲むなど道術が展開される「済南道人」(塔寺)。