:ピエール・シャンピオン有田英也訳『わが懐かしき街』


ピエール・シャンピオン有田英也訳『わが懐かしき街』(図書出版社 1992年)

                                   
 パリ本を集中的に読んでいます。先に読んだドオデエ『巴里左岸』と同じようなトーン、やはりフランス風雄弁冗舌体で書かれています。5、6区あたりの通りの固有名詞が続々と登場し、遠い昔の考えようによれば些末な話を延々と聞かされたという感じです。

 ひとつ不思議なのは、この本がビブリオフィル叢書に入っていることです。古本屋の盛衰とか古本屋の親父の生態について書かれたものかと期待して読み始めましたが、古本に関連づけられるのは、舞台となっている街に古本屋が多いこと、古い資料をもとに描かれた物語であることの二点。

 内容は、死にゆく者の姿を記録したノンフィクションが中心で、古本を愛でる話ではありません。タイトルも『フランス近世臨終譚』ぐらいの方がよかったのではないでしょうか。マザランヴォルテール、ヴィレット侯爵、アナトール・フランスラシーヌ、アドリエンヌ・ルクヴルール、ドラクロワ、そして一行だけですがワイルドの最後にも触れられています。

 死を前にした物語ですから、それなりにドラマチックで、人間味あふれる姿が描かれています。古本や日記など貴重な資料に基づいて、それをまるで見てきたように物語っているので、その部分は熱をもって読むことができました。

 もうひとつは、著者の見聞による回顧録のような文章があり、おもに文人の生態が語られています。河岸の古本屋もしばしば登場します。後半、レミ・ド・グールモン、ルネ・ヴィヴァンとナタリー・バーネイの話が出てきたので、読んだ甲斐がありました。

 訳者による巻末の「解説」はなかなか丁寧でよくまとめられていて好感が持てました。
 
                                  
 ブキニストに関連した情報。
スターンが『センチメンタル・ジャーニー』のなかでコンティ河岸の古本屋について書いているらしいこと(p77)、「オクターヴ・ユザンヌとともにブキニストのヘロドトスとも言える正真正銘の文人シャルル・ドドマン」が河岸の古本屋によく来ていたこと(p88)、レミ・ド・グールモンが河岸の古本箱とカフェ・フロールを毎日さまよっていたこと(p374)、アポリネールがエッセイ『ふたつの岸辺の散歩者』でブキニストについて濃やかな愛情をこめて描いていること(p404)、ヘミングウェイがブキニストとのやり取りを記していること、アラゴンが『パリの田舎者』で区画整理のためにパサージュ・オペラを追いたてられるブキニストを愛惜した文章を残していること(p405)など。


 その他エピソード。
アドルフ・レッテがさんざん迷惑をかけたユイスマンスに困り果てて助けを求めるとユイスマンスが旅行に必要な千フランを用立てたこと(p94)、エリック・サティが1890年代には「薔薇十字会」の傍流で神秘主義に凝っていたこと(p403)など。


 シャンピオンはマルセル・ショオブに私淑し評伝と全集を刊行した人のようです。幼い頃、父親の真似をして古本屋ごっこをしたとの記述がありましたが(p396)、古本屋ごっこというのはどんなことをするのでしょうか。