:塚本邦雄の詩歌論三冊

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塚本邦雄『詩歌宇宙論』(読売新聞社 1980年)
塚本邦雄『非在の鴫』(人文書院 1977年)
塚本邦雄『現代百歌園―明日にひらく詞華』(花曜社 1990年)


 いいと思った順に並べてみました。
『詩歌宇宙論』は、著者が「跋」で「現代詩歌三部門の綜合的な『宇宙』を、私は久しく夢見て来た」と書いているように、詩、短歌、俳句の三つの世界を均等に扱った評論集。『非在の鴫』は短歌に重きが置かれ、しかも王朝短歌中心。『現代百歌園』は現代短歌の鑑賞附詞華集です。

 短歌も俳句も私にとっては難しく、一読しても意味が解らないことが多く、塚本邦雄の断定的な解説を読んで、その勢いにたじたじとなるばかりです。寿司屋の親父のように、いつも怒っているような気がしますが、それだけ短歌や俳句に真摯に向き合っているということなのでしょう。

塚本邦雄の幅広い教養には圧倒されてしまいます。和歌のみならず経典やフランス語詩にいたるまで、修辞に関する知識と美意識の凄さ。塚本邦雄には記憶力の良さが基本にあると思います。花の名前などを熟知し、古典詩歌の暗唱ができるというところから出発して物を見ているので、私などとは見ているものが違うという気がします。


『詩歌宇宙論』は三部に分かれていて、第二部は短歌、第三部は俳句、そして第一部は詩歌全体にかかわる評論という構成です。とくに第一部は、良寛の短歌・俳句・漢詩、鴎外の短歌作品、啄木が歌集に入れなかった作品群、宮澤賢治の詩や童話、堀口大學の翻訳作品、「ビリチスの歌」の翻訳などを論じていて、目を見ひらかせられるような鋭い指摘に溢れています。

 良寛の多彩な才能を知り、鴎外の女性に対する思いのほか厳しい目線には驚きましたが、啄木論で、啄木が歌集に入れなかった歌や、歌集に入れる添削前の歌の方が歌集の歌よりも一段とすぐれていることを、例証指摘しているあたりはとても説得力がありました。宮澤賢治の作品の背後にある該博な知識にも驚きました。

 堀口大学論では、小説の翻訳の文体にある詩的な要素を論じ、ボードレールの「旅への誘い」の各家による翻訳比較をしていますが、微妙な訳し方の違いが分かって面白かった。鈴木信太郎堀口大學が的確な訳し方をしていて、意外と齋藤磯雄がズレていることが分かりました。ピエール・ルイス「ビリチスの歌」の翻訳比較では、川路柳虹の炯眼に驚くとともに、文語体の訳の素晴らしさも味わえました。

「戦後詩十選」では田村隆一、鈴木漠、石原吉郎の作品をあらためてすばらしいと感じました。第二部では、黒松正一郎を論じた一篇が群を抜いており、馬場あき子、濱田到を論じたのもよく、第三部では、平井照敏を論じたのが◎、鷹羽狩行がその次。これで塚本邦雄の他の詩歌論もますます読みたくなってきました。


『非在の鴫』は、お恥ずかしい話ですが、鴫を長らく鴨と見誤っておりました。珍しい漢字なもので意表を突かれて。

 冒頭の「鴫こそ二つ」は、俗謡歌謡の技巧へ傾く心を抑えながら、厳格を旨とする短歌の世界で綺語を愛し続ける塚本邦雄の立場がよく理解できる一篇。「いかなる鴫」「『待宵』の主題」では作品における虚実を問題にし「私」偏愛者に痛罵を浴びせ、「綺語禁断」では綺語を擁護し、その他、木本通房、大井廣や日比修平らのマイナー歌人を称揚したり、禁忌用語の規制のあり方や酒飲みの生態について憤懣をぶちまけたりしています。異色は最後のヴァテック論。

 日比修平という「水甕」という雑誌を舞台に活躍した歌人の歌の異様な響きに魅せられたところです。

 鴫についていろいろ書いている揚句に、最後の「跋」で、鴫を近くで見たことがないと正直に告白しているのが面白い。


『現代百歌園』は新聞に連載したもので、ここで引用され評されている限りで、気に入った歌人をあげると、佐々木幸綱、安永蕗子、山中智恵子、島田修二、高野公彦、福島泰樹、山下富美、河野愛子、松平盟子釈迢空、雨宮雅子、瀬戸内艶、川口常孝、高瀬一誌といったところでしょうか。

 これら三冊で、気に入った作品を引用しておきます。
鶴の首いとはた長し白磁なす壺に春ある水仙の聲(馬場あき子)/p166
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり(馬場あき子)/p170
寡婦となる運命を肩に汝が視入る点滴静注きらめき落つる(黒松正一郎)/p199
ふりむきて地球のうしろのぞきゐる麒麟やさしも永遠(とは)の花影(安森敏隆)/p213
畦を違へて虹の根に行けざりし(鷹羽狩行)/p227
以上『詩歌宇宙論

いづかたへ羽根掻く鴫の立ちぬらむまだ明けやらぬ霧の迷ひに(兼宗朝臣)
仄かにも鴫の羽音ぞ聞ゆなる残ることなき秋のねざめに(寂蓮)/p33
思ひ出でばおなじながめにかへるまで心にのこれ春の曙(慈円)/p68
見ぬ世まで思ひのこさぬながめより昔に霞む春の曙(良経) /p117
荒れわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露の夕暮(俊成)/p140
蛞蝓はまだ棲まねどもとろとろと日のけぶる野は痒くてならぬ
てふてふはとてもしつこいよしなれば伏せの姿勢で遣りすごすべし
温室の天の硝子に海港のとある景色が逆様に見え
夜を光る蟲水中に無数ゆゑ下駄や位牌が打ちよせられぬ(日比修平)/p180
光の中の光の縁を飲むごとく夜の夢のみぞ明き淵(原田禹雄)/p188
以上『非在の鴫』より

夜ふかくゆめの底ひを照らしたる藤むらさきの雷にめざめつ(高野公彦)/p37
わが死なんときの来たらばかたわらにあかがね色の蝉鳴き給え(川口常孝)/p166
父の骨抱きつつ行けば父ならぬわが死ののちの風韻(ひび)くなり(笹野儀一)/p201
以上『現代百歌園』より