:吉田正俊『西と東の狂言綺語』


吉田正俊『西と東の狂言綺語』(大修館書店 1979年)


 この本も大事に寝かせていたもの。マニエリスムに関する本を取りあげたついでに、「マニエリスムと言語」という60ページほどの章があるこの本を読んでみました。著者は英文学者ですが、同姓同名の歌人がいて、私もしばらく混同していました。ところがこの本を読んでみると、和歌への造詣が深く、同一人物だとしてもおかしくないと思えるぐらい。

 「マニエリスムと言語」については、ホッケのマニエリスム論がベースになっていると思われますが、ベルナルド・ロッセルリーノの墓碑彫刻や金銀細工師チェルリーニのふしぎな葉模様についての言及があり、また専門の英文学の領域でもマニエリストとしてのシェイクスピアを論じるなど、独自の視点が加わっています。

 がこの本の魅力はなんと言っても日本の和歌をマニエリスムの文脈から位置付けて捉えていることです。日本の和歌の伝統のうち、とくに連歌俳諧には西欧のマニエリスムと同様のことば遊びが見られるとし、問答という制約のなかで作者の情緒にかかわりなく歌を作る姿勢は、ロマン的真情をストレートに吐露したり、写実や写生に至上の価値を置いたりする動きとは対蹠点にあると称揚しています。そして、この連歌俳諧の精神が、将来、日本の詩壇や歌壇・俳壇に返り咲くのではと期待を寄せています。

 印象深かった論点は、この当時英文法の世界で新しく出てきたという「新情報は旧情報より後に置く」という統語論を紹介している部分。旧情報で状況を示しておいて、文末で新情報を提示するという文章の姿が、抑揚の点でも文の最後の部分に最強のストレスが置かれることで証明されるとし、詩歌においてもこの原則が重要だと指摘しています。著者はそれを「サスペンスの美学」と名付けています。


 他にも、いくつか興味深い指摘がありました。
①西欧の修辞学と、日本の平安時代の歌論を比較し、同じような制約が見られるとしている。西欧では同語の重複を避けるのにとどまっているのに対し、日本では異語同義の場合も退けていて、日本の方が厳しいとも。
②「美的価値は作品に内在し、時代の趣味に応じて変化するものではない」という新批評の主張を取りあげ、比喩の多くは時代とともに陳腐化するもので、時代の影響を受けざるを得ないと反論している。
③遠近法の「透視画法」は単なる画法でなく、その根底は世界観、形而上学に連なるもので、宇宙(マクロコスモス)における人間(ミクロコスモス)の位置を決定する手段であり、人間の運命さえ統御できるという思想を含んでいる。


 不勉強な故に、新しく知り得た情報としては、「燃ゆる思ひ」という比喩は「燃ゆるおも火」という掛詞からきていること、漢詩李商隠象徴主義的な詩を書いていること、塚本邦雄の『緑色研究』は、毒殺者トマス・グリフィス・ウェインライトについて書いたワイルドの評伝『ペンと鉛筆と毒―緑色の研究』から来ていると思われること、我が家の近くを流れる竜田川が出てくる「ちはやぶる神代もきかずたつた川・・・」が屏風を見て詠んだ屏風歌だったことなど。