André Dhôtel『La nouvelle chronique fabuleuse』(アンドレ・ドーテル『新・架空噺』)


André Dhôtel『La nouvelle chronique fabuleuse』(Pierre Horay 1984年)


 2年前読んだ『Les voyages fantastiques de JULIEN GRAINEBIS』(2022年1月15日記事参照)が面白かったので、手に取ってみました。期待どおり、不思議な冒険譚の数々が収められていました。文章は、このまえ読んだJ.-H.ROSNY AINÉ『LA FEMME DISPARUE』より少し難しくなったように思います。

 冒険譚といっても、大掛かりな冒険が語られているわけではありません。日常的なささやかな冒険、少年時代に近所の野原に行くような冒険です。序を含め、全部で11篇の短篇が収められていて、一人称で語られていますが、うち5篇がマルティニャン君への呼びかけのかたちで、綴られています(ほか1篇にもマルティニャン君が名前だけ登場)。

 内容にも共通したところがあります。それは、偶然の出会いのテーマです。出会うのは、人けのない駅のベンチで隣り合わせた男であったり、森のなかでじっと動かない男であったり、廃線になったプラットフォームのベンチで寝ている男であったり、ベンチに腰かけている老人であったり、歩いているとき横に並んだ美少女であったり、踏切番の娘であったり、あげくは鷲であったり、犬と狼の出会いであったりします。

 出会った人物には不思議な秘密があり、話者は好奇心を刺激されますが、なぜかまた偶然の再会が何度も起こります。小説ならではの出来事です。偶然に出会うという状況にふさわしい場所として、駅のプラットフォームとか、駅の構内、待合室、反対側の列車の窓に見える顔、森のなかの小道、橋、カフェ、市場さまざまな場所が登場します。

 郊外の土手があり線路があり小川が流れている景色が、いくつかの物語に共通して出てきましたが、なかで、この本の三分の一を占める中篇「L’enfant inconnu(見知らぬ子)」では、田園、荒地、森、小川など自然を舞台にした少年期の黄金時代のような体験が語られ、『モーヌの大将』を思い出させるところがありました。

 蛇足ですが、いつも私が気にしている日本の話題については、「日本の建物も、想像上の寺に通じるように入口をつくると聞いた」(p15)という言及がありました。

 面白さをうまく伝えられるか自信はありませんが、各篇の内容を簡単にご紹介します(ネタバレ注意)。
Mon cher Martinien,(マルティニャン君)
序にあたる部分。「世の中に神秘などない・・・とにかくすべては遠くにあるんだ。だから遠くを見つめるしかない・・・幼時のみ遠くを知っていた」(p7)と語り、いくつかのそうした謎を書いてみようと宣言する。

〇Autrefois et toujours(かつてそして今もずっと)
ある男と偶然に出会い、あと2回会えば秘密を話そうという妙な提案を受ける。不思議なことに、偶然2回会うことになり、その男から学生時代に知り合った一人の女性への思いを聞く。絶えずその女性のことを考えているうちに、現実の中に女性の幻影が忍び込んで来たと話す。男の狂気を感じさせる話。

〇Martinien, tu ne m’écoutes pas(マルティニエン君、君は私の言うことを聞いてないね)
あるときポンヌフの橋で不動の姿勢をとっている男を発見した。すると女性が近づいてきて、その男に指輪を見せると仲良く一緒に歩いて行った。不思議な現象に好奇心を刺激され、次に男を見かけたときその訳を問うと、14歳のとき市場で偶然出会い安指輪をプレゼントした美しい少女と、また偶然邂逅したという。「わしと彼女は恋をする年頃になる前と、もうそんな年ではなくなってから出会ったわけだが、恋よりも素敵だと思う」(p29)というセリフがいい。

◎Le train de l’aurore(明け方の列車)
駅のホームで廃線の前のベンチで横になってじっと待っている男。駅員は、空想の列車を待っている男だと言い、男が3回のデートをすっぽかして女性に振られた話を物語る。がその夜、たまたま事故の影響でそのホームに留まった列車のなかに彼女の姿を見て、恋が復活した。何かしようとして、いろんな理由で3回続けて失敗するという民話風語りのある物語。

〇Paroles perdues(言葉のない世界)
家の前のベンチに腰かけている老人の隣に座って話をする。お互いに、美しい少女を一瞬見かけたり、束の間同じ空間に居たりして、言葉も交わさないまま別れ、その後心の中にずっとその少女のイメージが残りつづけるという共通の体験を話し合い、敬服し合う。ほのぼのとした雰囲気が漂う一篇。

〇L’aigle de la ville(街の鷲)
森の奥まで建物が建ち、平野は耕され、工場が立ち並び、狭い街路に大勢の人々が暮らす大都会。そこに鷲が舞い降り、子どもたちに、眼の中の不思議な景色を見せてくれる。鷲は見たものを眼の中に留めるという。人はそこに失ってしまったものを見つけるのだった。

〇L’oiseau d’or(金の鳥)
郵便配達員が配達の途中、森でキノコを探そうとしたら、薊の葉の下に強く輝くものを見つけた。金の鳥で後を追いかけているうちに遠くまで行ってしまい、配達が深夜までとなる。一晩草叢で寝て、明け方列車に乗ろうとしたら、そこでまた不思議な少女と出会う。金の鳥の化身だろうか。それともこの世以外の空間に紛れてしまっていたのか。郵便局に戻って何と言い訳したらいいのか。

〇La folle oseraie(狂った柳園)
恋人同士だが喧嘩ばかりしている。河岸で待ち合わせしたが、それぞれ河を挟んで反対側で待っていた。お互い譲らず男の方がストライキをし二日間意地を張り合った。三日目男が遂に背を向けて柳園の道を去っていこうとしたとき二人の感情のもつれが消えた。また喧嘩になって男が背を向けて柳園に去ろうとしたら女が寄り縋った。それ以来、柳園で二人が仲良く歩く姿が毎日目撃された。柳園には不思議な作用があるらしい。

〇Histoire printanière(春の物語)
春の訪れで浮き浮きした気分で、雪見草を摘み歩いていると、美少女が歩いて来て一瞬横に並んだ。少女の去り際に雪見草をプレゼントした。次の年、駅の待合室で偶然会ったら、彼女が雪見草を置いて立ち去った。次の夏、今度はカフェでガラス越しに彼女がこちらを見ているのに気づいた。その後もホームで反対側の電車に乗ってる姿を見かけたり、階段で手すりを隔てて擦れ違ったりした。片思いの初恋のときめきを思い出させる話。

La longue histoire(長い話)
狼が出没する村。狼よけに飼われている獰猛な犬と狼が戦った後、強い友情で結ばれることになった。村人は狼と仲の良い犬を怖れて撃ち殺し、狼は犬の代わりに、遠くからその家を見守るようになった。が、その家の幼な子が若者になったとき、狼に護られていることを不名誉と感じ狼を撃つ。傷ついた狼は若者に愛の眼差しを向け、若者は後悔するという話。

〇L’enfant inconnu(見知らぬ子)
農場主の息子と女友だちは、土管の奥から悪態をつく踏切番の娘と出会い、その野性的な振る舞いに魅力を感じ、仲良くなる。その後貧しい娘は農場に雇われよく働いたが、農閑期に倉庫で煙草を吸っているのを咎められ解雇される。しばらくして金の鎖がなくなっているのが判った。事件は結局お蔵入りとなったが、息子が森の井戸のところで金の鎖が隠されているのを見つける。そのとき娘が現われて返せと迫り、娘は鎖を手に取ると小川の中へ捨てた。その後、娘は失踪し、別の町でふしだらな生活を送っていた。あるとき、娘が泥棒呼ばわりされて取り囲まれているところを息子と女友だちとで救い出す。やがて年月が経ち、息子は女友だちと結婚し、踏切番の娘も馬具商と結婚して、それぞれ二人ずつの子も生まれた。家族同士で交流するようになったある日、ピクニックへ行ったとき、小川の水かさが減り、金の鎖が現われた。見知らぬ少年がそれを素早く持ち去って逃げる。

中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』


中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮文庫 2008年)


 入院することがあり、ベッドで寝転がっても読める文庫本を持って行ったので、しばらく文庫本が続きます。日本の古語に疎いので、この本を読んでみたところ、新しく知り得たことが沢山ありました。言葉の基本的な成り立ちに関すること、それと個別の言葉の由来や仲間語に関することです。少し長くなるかもしれませんが、驚きの発見を書いてみます。

 まず、基本的な成り立ちについては、下記のとおりです。
①一音のことばは、日本語のなかでも最も古く、かつ基本的なことばであること。例えば、「み(身)」「て(手)」「ち(血)」。

②ことばは、母音を変化させながら、新しいことばを生むこと。「ぼんやりと漂うもの」という意味の「け」も、「か」「き」と変化していきます。たとえば「かおり」の「か」や「きもち」の「き」に。

③音自体が意味を含んでいること。
「い」の音で始まることばはどれも厳かで、「いのち」「いむ(忌む)」「いつく(斎く)」「いのり」。
摩擦音のサ行ことに「す」で始まる古いことばには激しい動作を表わすものが多く、「すさまじ」「すごむ」。
「ち」は不思議な力のあるものを指し、「いかづち」「おろち」「ちち(父)」「ち(血、乳)」。
「と」で始まることばには鋭いといった語感があって、「とぐ(研ぐ)」「とがる」。

④文字数の多いことばはいくつかの要素に分解できること。例として、
まほろば」は、美称の「ま」+秀でるの「ほ」+愛称の「ろ」+接尾語の「ば」で、すばらしい場所をいう。
「けはひ」は、ぼんやりと漂うものという意味の「け」+長く続くという意味の「はふ(延ふ)」で、何となく漂っている「け」がだんだんと延びて、こちらに近づいてくる状態をさす。
「かおり」は、「け」が変化した「か」+酒を醸造することをいう「をり」で、何となくたちこめている匂いのこと。
「さいわい」は「さきはひ」で、花が咲くの「さく」が変化した「さき」+ある状態が長く続くという意味の「はひ」。
「たましひ」は、霊魂を表わす「たま」+「しひ」で、この「(し)ひ」は永遠を表わし、「いにしへ」「とこしへ」の「しへ」との関係が考えられる。
「ねがふ」は、和らげることを意味する「ねぐ」+反復継続の意味を表わす「ふ」で、何を和らげるかというと、神様の心を和らげるということ。神職の「ねぎ(禰宜)」や、いたわる意味の「ねぎらう」も「ねぐ」の仲間。
「あはれ」は、「あ」+「はれ」で、ともに感動すると自然に発生する声から生まれたことば。

⑤おなじことばでも使い方が違えば別語とするモノ分類に対し、働きが似ていれば同じことばだと考えるのが働き分類。例えば、「うつす」は、「映す」「移す」「写す」と漢字を当てれば違う言葉になるが、共通する概念は「移動」。

⑥渡来した漢字が和語のようになっている例があること。
「むぎ」は、外来語の「麦」が日本語化したことばにすぎない。「麦(ばく)」の「ば(ba)」の呉音のb音が次に入って来た漢音でm音に変化して「む(mu)」となり、また「く(ku)」のk音と「ぎ(gi)」のg音は喉の形が同じで転換したもの。
紙を意味する「かみ」も外来語で、渡来した漢字は「簡」で音は「かむ」、それにに「i」が付いて「かみ」ということばになった。
一方、書くという意味の「かく」は、文字を書くことのなかった古代日本にすでにあった和語である。掻いて表面の土や石を欠くということばだった「かく」を「書く」という意味に転用したのだ。


 個別の言葉の由来について、いろいろと面白い例が紹介されていました。これには著者の推測も含まれています。
①顔の部分を表わす言葉「め(目)」「はな(鼻)」「みみ(耳)」「は(歯)」は植物のことばと似ている。「め(芽)」「はな(花)」「み(実)が二つ」「は(葉)」。これは偶然の一致でなく、植物の成長過程や部分との共通認識があったということである。

②「つめ(爪)」とは「つめ(詰)」で、手の先にある末端だから「おしまい」という意味。

③「かみのけ(髪の毛)」は、上のほうにある「かみのけ(上の毛)」というところから来た。

④「ひ(日)」がさまざまな派生語を生んでいる。「日知り」から「ひじり(聖)」が生れ、「ひる(昼)」ということばを生み、
「ひ(日)」はまた「か」とよばれ「ふつか(二日)」「みっか(三日)」となり、「かよみ(日読み)」から「か」が「こ」に転じて「こよみ(暦)」となった。

⑤季節のことばでは、「はる(春)」は、張る、晴る、墾るの時期だから、「あき(秋)」は、収穫の時期で十分に食べることができたので「あき(飽き)」と名付けられ、「ふゆ(冬)」は「ひゆ(冷ゆ)」から来た。「なつ」の語源は、「あつ(熱)」が変化したという説があるがよく分からない。古代ギリシャでは夏という季節がなく三季だったともいう。

⑥「あめ」は、「あめ(天)」「あめ(雨)」「あめ・あま(海)」を全部含むことばで、古代の人々はもともと「天」を指し示す言葉として使い始めたのではないか。似たことばに「そら(空)」があるが、これは実のないことを意味する「そら(虚)」で、「そらごと(空言)」「そらみみ(空耳)」「そらんずる」などと同類。

⑦水が一杯の「うみ(海)」は昔は「み」とも言い、「みず(水)」の古語は「みづ」で、これも「み」と言った。さらにあふれることを「みつ(満つ)」と言った。

⑧「こころ」ということばは、「ころころ」の詰まったもので、「たま」と同じく丸いものと考えられていた。一方、欧米では心臓はハート形、中国では小さな四角形の「方寸」と考えられていた。

⑨「あそぶ」の「あそ」は「ぼんやりとした状態」。「あそ」と「うそ」は仲間のことばで、「うそ(嘘)」とは、ぼんやりとした中身のない話のこと。似たものとして使われる「いつわり(偽り)」は、間違った内容をいい、まったく異なる。

⑩回転することをいう「まわる」は、旋回する「まう」に「る」が付いたことば。「まう」と「おどる」では動きが違う。「おどる」の古語は「をどる」で、「をど」とは上下運動をいう。この「をど」は、「おどろく」とも関係があるかもしれない。

⑪男女が新たな縁をつくることを意味する「むすぶ」と、発生する、生えるを意味する「むす(生す、産す)」、生命が生まれるような湿度が高くて熱い状態を意味する「むす(蒸す)」には、生命の誕生という共通点がある。「むす」に「こ」や「め」が付いたことばが、「むすこ」と「むすめ」。

⑫「はし」には本来「間」の意味があった。「はし(箸)」も「くちばし(嘴)」も二本の間でつかむから「はし」、「はし(橋)」も両岸をつなぐから「はし」と言った。


 仲間語として、挙げられていたものは次のようなものです。著者は、発音の細かい差は気にせず、意味の上から仲間語として考えた方がいいと主張しています。
「さき(咲き)」、「さけ(酒)」、「さかり(盛り)」、「みさき(岬)」
「ひ(日)」、「ひ(火)」
「はる(晴る)」、「はる(春)」、「はる(張る)」、「はる(墾る)」、「はら(原)」、「はらう(祓う)」
「あき(飽き)」、「あき(秋)」、「あきらかにする(明らかにする)」、「あきらめる(諦める)」
「とこ(常)」、「とき(時)」
「うつつ(現)」、「うつる(映る)」「うつす(移す)」


 結論としては、漢字が日本語のもつ働きの意味を奪ってしまっているので、漢字から日本語の意味を考えることをやめて、ひらがなで考えることが重要と主張しています。漢字の使い方をもう少し慎重にして、ひらがなでじっくり考えるようにしたいものです。

清水茂の二冊

  
清水茂『遠いひびき』(舷燈社 2015年)
清水茂『翳のなかの仄明り―詩についての断想』(青樹社 2004年)


 先日読んだ『詩と呼ばれる希望』に続いて、清水茂を読んでみました。『遠いひびき』は、11章のそれぞれが独立したテーマをもった随想集、『翳のなかの仄明り』は、長年、著者が考察や感想を書き溜めていたノートから、いくつかをまとめた一種のアフォリズム集で、二冊の性格は異なります。

 『遠いひびき』は、『詩と呼ばれる希望』の翌年の出版で、冒頭のボヌフォワの思い出を綴ったエッセイは、その続篇のような性格ですが、そのほかは、死や別れ、喪失としての死、この世に残す記憶、あの世につながる扉や橋、手紙などのテーマをめぐって、静謐でもの悲しさが漂う随想が収められています。ここには清水茂の最上の部分があるように思います。

 例えば、少し長くなりますが、次のような文章。「いちばん遠いひびきは何だろうか。私がまだなかば夢のなかにいたときに、はじめて耳にしたひびきは何だったのであろうか。何も覚えていない。あれやこれやとひっきりなしに音楽を聴きたがったり、自然のなかのさまざまな物音に耳を傾けていたがったりするのは、もしかすると、いまだに想い出すこともできないその遠いひびきを探し当てたいと思っているからなのではあるまいか・・・そして、自分の人生の最後の瞬間に、もう一度だけ、それがはっきりと聞こえてくるということもありはしないだろうか」(p200)。

 一方、『翳のなかの仄明り』のアフォリズムという形式には、短さゆえに説明不足で分かりにくいところがあり、またひとりで悦に入っている自己満足的な印象もあり、あまり好感が持てません。内容も、クラシック音楽の話題をちりばめたり、海外生活の一コマに触れたりと、典型的な文化的エリートのにおいがする。私は、そういう点で、断然、『遠いひびき』の方が好み。


 このテイストの違う二冊から、共通のテーマのようなものを私なりに探ってみますと、大きく4つのテーマが見えました。
①宇宙の記憶という神秘主義的な考え方:ギリシアの墓碑に死者の記憶を永遠にとどめようとする意思を見、中世の壁画のおぼろげな色彩にはかなさを覚えた著者は、記憶が失われることへの無念さに心を痛める。著者は、神、あるいは記憶し回想し夢想する宇宙というものを想定し、「神あるいは宇宙の記憶に委ねる」という言葉に救いを求めようとしている。存在したというその事実そのものはどのような時間の作用によっても否認することはできないと。

②詩や芸術の原初のかたち:幼な児は、一切が名をもたずに実質そのものとしてそこに在る原初の世界に放り出される。成長とともにものの名を知ることにより一つの世界が開かれると同時に原初の世界は閉じていく。しかし幼な児のなかに宿り続けた原初の記憶は詩の温床となる。詩の欠如とは、人々がなまの世界との接触をとおして自らの世界像を作らなくなってしまったことから生じるものだ。

③(②の変奏として)癒しとしての芸術のあり方:かつて芸術は、中世の大聖堂のようなものも含め、苦しみを癒してくれる力を持っていた。が、現代にあっては多くは意味を放棄し苦痛や暴力を語るものになってしまっている。本来は、小鳥が巣をつくるように、魂が居場所を整えようとするのが音楽や絵画や詩である。そこには魂にとっての、どこか遠い故郷の匂いのようなものが宿っているはずだ。鳥の囀りを聞くとき、居合わせたよろこびに心を震わせるだけで、鳥の囀りを他のものと比較はしないのに、人々は、オペラ劇場で、「このまえ聴いたソプラノのほうがもっと上手だったわね」と言う。
→一方、清水は、娯楽の芸術というものに対しては、存在は認めるが、自分にとっては、それに対する批評も含めて無意味だと言う。このあたりが、文化的エリート臭があって残念だ。

④詩の意味とリズムについて:言葉には二つの側面があり、一方は意味作用だが、詩においては当然音の要素が重視される。翻訳もまた詩でなければならないとすると、リズムは作者自身の固有のものであり、翻訳者との隔たりは免れ得ないので、テクストのリズムを完璧に蘇らせることは決してできない。

J.-H.ROSNY AINÉ『LA FEMME DISPARUE』(J=H・ロニー兄『消えた女』)


J.-H.ROSNY AINÉ『LA FEMME DISPARUE』(COSMOPOLITES 1925年?)


 幻想小説アンソロジーでよく掲載されているロニー兄の作品です。以前、『L’ÉNIGME DE GIVREUSE(ジヴリューズの謎)』という分身を扱った超自然的小説を読んだことがありますが(2022年11月5日記事参照)、本作は、幻想小説やSFのジャンルに入る作品ではありませんでした。

 大衆冒険読み物といった感じで、結局は一種の探偵小説。冒頭から自然を舞台とした追跡劇があり、一気に物語に引き込まれました。今回は謎解き小説で、ネタバレが致命的になるので、犯人解明の最後の部分は略しますが、およその物語は、次のようなものです。

若くして美貌のフランシスカ夫人は、手紙を持って、幼馴染の兄妹のところへ行こうと、森のなかを馬車で進んでいると、悪漢3人に襲われた。御者は殺されてしまうが、彼女は子どものころから森でよく遊んで熟知していたので、巧みに追っ手をかわして逃げる。一方、夫人の到着を待っていた幼馴染のシモーヌは、夜になっても来ないので、村長に連絡し捜索隊を出してもらう。捜索隊は、襲われた馬車を見つけ、中にあったスカーフを犬に嗅がせて、あちこち探す。森の湖の近くで彼女の帽子が発見されたが、ついていたダイヤがなくなっていた。近くに小舟があり、血しぶきの痕があった。

翌日、予審判事、パリから凄腕で評判の刑事もやってきて、調査が始まる。シモーヌフランシスカ夫人が何か不安に怯えていたと証言する。がそれが何かは分からない。刑事は、フランシスカをねらった事件か、単なる追剥か、決めかねた。捜索隊が、犯人を追い詰め、3人のうちの一人の確保に成功した。問い詰めると、3人組の一人元骨董商の男に誘われたという。その男は刑事もよく知っている狡猾な盗賊だった。捜索隊はまた、手袋を湖の対岸の岩場で見つけたと知らせてきた。次に、森の狩番から、こんなものが郵便受けに入っていたと封筒を持ってきた。それは、フランシスカから彼女の恋人シモーヌの兄ミシェル宛に書かれたものだった。

タイミングよく、兄が遠方から急を聞いて駆けつけてきて封を開けると、身の危険を感じているから、遺産の一部を兄妹に分けるという内容で、ほかに死んだと思っていた娘が生きていたという密告があったことを明かしていた。3人組のうちもう一人も、森で隠れているところを発見された。男は帽子についていたダイヤを持っていて、ミシェルが問い詰めると、フランシスカは小舟に乗って逃げたという。死んでなかったと知ってミシェルはホッとする。フランシスカ失踪の報を受けて、彼女の姪とその叔母の独身婦人もシモーヌの家にやってきた。ほどなく、パリに逃げていた元骨董商が愛人とともに捕まったという知らせがあった。

二人を村へ連れもどして尋問すると、この事件の首謀者は別の男で、その男からたまたまバーで依頼されたということが分かった。愛人はシモーヌになら話すと言い、首謀者の風貌について詳しく話す。その後、フランシスカの目撃情報ももたらされた。が、その周辺に聞き込みをしても収穫はなかった。刑事たちが戻ると、家に居たシモーヌはもう一度戻りましょうと提案した。シモーヌは医者も同行させ、聞き込みの際は知らないと答えていたフランシスカの友だちの家に直行すると、奥の部屋でフランシスカが譫妄状態で寝ているのが見つかった。さらにシモーヌは、驚くべき推理を働かせ、首謀者の人相書きを描いて、事件の真相を暴いていく。


 予審判事、凄腕の刑事らプロたちが事件に取り組むなかで、失踪した女性の幼馴染が素人なのに次々に謎を解いていくという痛快な探偵ものとなっています。登場人物の個性の描き分けが面白くて、次のような感じです。

予審判事は、静かで分別があり正確に仕事をこなすが、自らの洞察力の欠如を感じていて、事件が混み入ってくると、観察を続けて時が解決してくれるのを待っている。事実はそのうち自ら語り出すものだというのが持論。捜査を先頭で進めている者の意思を邪魔しないというのが取柄。

パリから来た刑事は、難事件を次々と解決する辣腕で評判で、現われただけで刑事と分かるような雰囲気、尋問する態度にもいかにも刑事らしい怖さがある。調査を進めながら、さまざまな可能性を推理し、それをみんなに披露する。シモーヌが次々謎を解いていくのを素直に悔しがる。

シモーヌは、予審判事の寛容さに感謝し、刑事の推理の中からヒントを得ながら、持ち前の想像力と女性の勘とで、事件の謎を一つずつ解決していく。悶々としている兄ミシェルの心を見破り、フランシスカ夫人との仲を取り持つのも彼女。 


 フランシスカ夫人の娘の名が、ロザリオから途中でロザリトに変わって、また最後にロザリオに戻りましたが、単なる印刷ミスか、呼び名がもともと変化するものか、よく分かりませんでした。

矢内原伊作『顔について』


矢内原伊作『顔について―矢内原伊作の本 1』(みすず書房 1986年)


 前回読んだ清水茂『詩と呼ばれる希望』の解説で、担当編集者が、矢内原伊作と清水茂がともに雑誌「同時代」の同人であり、深い交友があったことについて触れていたこともあり、架蔵していた矢内原伊作の本を読んでみました。これまで、単著としては、昨年に『古寺思索の旅』を(10月20日記事参照)、かなり昔に『歩きながら考える』を読んだことがあります。いずれも、高い評価をつけています。

 矢内原伊作は、本来的に哲学の人で、詩人の要素も感じられます。何よりも、自分の頭でいろいろと思いを巡らし、感性を研ぎ澄ませ、情熱的に語っているところに魅力があります。文中に、既存の哲学者、思想家の名前は一切出てきません。ひと頃、大森正蔵や彼の弟子筋の哲学者たちが、やはり同じようなスタンスで哲学を語っていたことを思い出します。

 語り口のひとつの特徴は、冒頭の「顔について」で顕著に見られるように、日常的な言葉の使い方からわれわれの物事の捉え方を考えたり、日常的な体験に基づいて思いを巡らしているところです。例えば、「壺には手があり机には足がある。しかし顔のあるものはない。顔を合わせる、顔出しする、顔つなぎ、顔触れ、顔みせ。これらの言葉において顔は人間そのものを意味している」(p5)とか、「見分けるのは理性の能力であり判断することであるが、聞き分けがよいとはただちに従うこと」(p26)といった具合。

 また、後半の「水との対話」、「火との対話」、「石との対話」の三部作は、バシュラールの物質の詩学に通じるものがあります。「顔について」の「鼻」、「口」、「耳」、「眼」で展開されているものも五感をめぐる哲学と言えるでしょうし、「海について」と「山の感想」の山と海という視点も新鮮です。これらは、自然に取巻かれた人間世界のなかでの根元的な要素となるもので、それらの考察をとおして人間世界の成り立ちを探ろうとしているかのようです。

 思考のパターンが一つあって、それをいろんなケースに適用させているのが見てとれます。それは、二つの対立するものを、双方が互いに相手を成り立たせるための必要不可欠な存在と見なし、相互に入り組んだものとしてとらえる見方で、アンビバレントのなかに一種の美学が感じられます。私の説明が行き届かないので、実例を見るのがいちばん理解しやすいと思います。少し分量が多くなりますが、引用しておきます。

(引用者注:能の女面について)・・・いかなる表情ももたないことによってあらゆる表情をもっており、いかなる顔にも似ていないことによっていかなる顔にでもなることができる。表現はただ一つのものをあらわすが、象徴は隠すことによって一切をあらわすのである/p8

顔には裸体がない・・・脱ぐことのできない衣裳を始めから纏っているからであり、むしろ顔そのものが衣裳だからである/p9

人は化粧によって顔をつくるように表情によって感情をつくる・・・気分は顔色にあらわれることによってはじめて気分となる/p12

自ら変化するものは変化そのものを知らない。変化そのものを知っているのはそれ自身は変化しないものである/p93

山は・・・行く手に立ちふさがり、視界を限る。しかし同時に一つの山はその向こうに横たわるもう一つの山を思わせ・・・世界が無限であることを思わせるのだ・・・閉じることによって開くこと、これはまたあらゆる芸術作品の本質的な性格でもある/p113

火は自分自身をほろぼすことによって他を照らす。燃えること、それは死に近づくこと、あるいは刻々に死んで行くことだ/p140

人類は考える前にものをつくったのであり、ものをつくることによって考えることを知ったのである/p164


 また、着眼点が実に的確で面白い。

一度口から出た言葉はもはやもとに戻すことはできぬ・・・語る口は言葉の出口であるのみならず、そこからわれわれの心が覗かれる口でもある。それゆえにわれわれは口を慎まねばならない/p20

聞きながら考えることはできず、聞くことは従うことである/p29

印刷術は語られ聞かれる言葉を読まれる言葉に変ずることによって、肉体による眼と耳と口との統一を観念に解体し、集団を個人に解体することによってまったく新しい文化を創造した・・・しかるにラジオは眼と耳と口との統一を耳に解体したのであり、それによって読まれる言葉をふたたび聞かれる言葉に還元したのである/p35

仏足石・・・歩み去った仏の記念といったものではない。目に見えぬ仏がそこに立っていることを示すネガであり、いわば生命という目に見えぬ、したがって石に刻むことのできない存在の陰画である/p192


 芸術論にもそうした特徴が現われています。

芸術作品の意味は、それ自体が完結した美しいものであることにあるのではなく、むしろそれ自体は未完結なものとして、そこにない現実の全体を喚起し、無限のひろがりのなかに向かって人を解き放つ点にあるのである/p113

制作過程がつねに計画通りに行くようなら、それは技術であって芸術ではない、といえるだろう。とすれば芸術は、その制作意図と結果とのあいだに介在する不確実性によって特徴づけられる。何ができるか分からない、という危険な不確実性が大きければ大きいほど、制作のよろこびもまたいっそう大きくなる。技術は既知のものをつくり、芸術は未知のものをつくる/p146

芸術とは、生命の陰画あるいは印刻を示すことによって、目に見えぬ生命を喚起するものにほかならない。画布や石が美しいのではなく、それらによって喚起される目に見えぬものが美しいのである/p192


 こうして並べてみると、矢内原伊作の文章は、アフォリズム的な断言調に特徴があることが分かります。言い切ってしまうところに恰好よさがあり、また連綿と論理が展開していくところに、弁舌の芸のようなものがあります。散文詩と言っていいのかもしれません。思考の過程が明らかになるように、少し疑問形も挿みながら展開して行けば、もう少し柔らかい雰囲気になったと思いますが。

 
 私が共感した文章もありました。

山に登ることと山を見ることとは別のことだ。登攀には緊張があり、観望には解放がある。風来坊の私が選ぶのは無論後者の方である/p112

 今回は引用ばかりになりました。

清水茂『詩と呼ばれる希望』


清水茂『詩と呼ばれる希望―ルヴェルディ、ボヌフォワ等をめぐって』(コールサック社 2014年)


 フランスを舞台にしたエッセーを読んでいたら、なぜか清水茂を読みたくなりました。この本は、清水茂のフランス滞在を題材にした初期エッセイとは違って、副題にあるように、ルヴェルディ、ボヌフォワシュペルヴィエルの詩や詩論を軸にして、詩について語ったものです。取り上げられている詩は、私好みのものが多く、また上記3詩人の詩についての考え方にも共鳴する部分があり、面白く読めました。ただ違和感のある著者の文章もいくつか目につきましたが。


 とても心に響いた詩句は次のようなものです(すべての引用ができないので核心の一語のみ)。
扉の前で一人の男がうたっている/音もなく窓が開く(ルヴェルディの詩集『屋根のスレート』より「秘密」最終行)→これには著者の次のような解説がある。「標題の『秘密』は読後なお秘密のままであり、それは散文的に解き明かされることがない・・・窓を開くのは、誰なのか。周囲では、あらゆるものが深い静寂のなかに依然として身を潜めているのが感じられる」(p10)。

見知らぬあの男は何処から来たのか・・・いつも同じ人が立ち止まる(同詩集「忍耐」途中行と最終行)→これにも、「この詩篇にも、不安めいたものの漂う空気がある」(p11)という解説があった。

雪が降る、それは帰ってゆくことだ・・・自分がべつの子ども時代を幸福に生き得たかもしれない町に(ボヌフォワ詩集『雪のはじまりと終り』「唯一の薔薇窓Ⅱ」冒頭連)(p108)。

そこには、泡のなかで/かつてのおまえだった子どもがいまも遊んでいる(ボヌフォワ詩集『碇の、ながい鎖』「イタケ島のまえを行くウリセス」最終行)(p143)
→最後の一行に重い意味が込められている詩が多いところからすると、最初にこれらのフレーズが浮かび、それから逆算して詩全体が書かれたのかもしれません。

 墓碑銘の詩句は死者と生者を繋ぐ絆であり、時空の隔たりを超えて人間感情に深く訴えるものであるとして、ボヌフォワリルケ、蕪村などがいくつか引用されていますが、ユルスナールが編訳した古代ギリシァ詩華集『冠と竪琴』に収められた墓碑銘としての詩「逝いた子のために」(p37)がとても感動的です(長いので引用は略)。

 もうひとつ詩ではありませんが、美しい文章。
庭の奥でひとりの子どもの姿を見かける。まさしくかつての自分であった子どもの姿である。―「私はきみの小さな顔を手で包みたい、わが神よ。きみの顔をそっと私のほうへ向けたい。こう言いたい、目を開けて、私がこんなにも彷徨してきたことを許しておくれ、と」(ボヌフォワ『彷徨する生』の冒頭「本を読みなさい」)(p149)。


 詩についての考えに共鳴した部分は、
アンリ・ブレモンの文章のなかの「一篇の詩の魅力に捉えられるということはその詩の意味を把握するということではない」という一節(p166)。

シュペルヴィエルが試作法を明かした次の文章。「〈詩〉は私の場合、いつも潜在的な一種の夢に由来している。この夢が勝手に進んでゆくという印象のあるインスピレーションの日々は別として、私はこの夢に好んで方向を与える・・・私はそれを堅実な夢にしたいのだ・・・そして、この夢にとっては、外部とは白紙のページのことだ」(p169)。

バシュラールの「目で見ているものを同時に夢想したのでなければ、ほんとうによく世界を見たことにはならない」という言葉(p171とp232の2回出てきた)。

「おそらく、詩のことばとはもっとも単純な用いられ方によって、もっとも言語に託すことの困難な実質を表現しようと試みるものです」という著者の感想(p180)。これに続いて次のように書いていました。「詩においては・・・概念的解明が必要なのではなく、詩を通じての、発信者と受信者とのあいだでのイデーの共鳴、もしくは共振の生じることが必要なのです。これは〈詩〉の体験の直接性ということでもあります」(p180)。


 この本のなかの議論で、もっとも重要と思われる部分は、難しすぎて私には捉えきれませんが、いくつか記しておきたいと思います。ひとつは、現実把握にかかわる哲学的と言っていいほどの議論で、ルヴェルディの「現実のものとは、単純で、深くて、恒常的なすべてのもののことであり、時が齎(もたら)しも、持ち去りもしないものであり・・・(雲やテーブルは、太陽や雨や樹木同様、現実のものである。衣裳の個別のかたちは非現実である・・・)」(p15)とか、ボヌフォワの「現実のものとは、私たちの知性がこれは樹だと言うまえに、目にみえている樹なのだ」(p17)という言葉などに現われています。プラトンイデアに通じるものがあると思えますし、一種の言語論のようにも見てとれます。

 もうひとつは、詩の体験に関することで、ルヴェルディの「詩は客体のなかにあるのではなく、主体のなかにある・・・感動が形成されるのは主体においてだ・・・ところで、知覚と関係の選択とはそれぞれの主体ごとに変化する・・・同一の価値を正確に付与する知覚や選択というものは、おそらく、この世に、二つと存在しない」(p21)とか、「詩を理解するということ、あるいは自らのものとして、それを体験的に受け取るということ、それには他者の夢の領域に入ろうとすることに等しい困難がある」(p24)と、他人の体験や詩の理解の不可能性に言及があったり、

 さらには、「眠っていた獣のかたちの草の凹みがまだ宿っている。この草の凹みこそは象徴でもあり、最初のことばの誕生でもある・・・だが、草の凹みはやがて消えてゆき、ことばは・・・この直接的記憶から、時を経るにつれて次第に遠ざかって・・・抽象的な世界像を私たちに供することしかしなくなる」(p52)というボヌフォワの言葉を受けて、著者は、「抽象的な概念の世界の全体の網目のなかに組み込まれてしまった言語そのものに、何としても原初の記憶を喚起させる必要がある」(p60)として、詩の重要性を確認しています。


 違和感を感じた部分は、長々とは書きたくありませんが、次のようなことです。著者は、科学技術や物質的欲望を原動力としている近代文明を呪っていて、例えば、「さまざまな科学的発見は真実のためというよりは、産業社会にあって、国家、企業体の利益追求のために推し進められているというのが自明のこと」(p200)というような単純で教条的な語り口のあげくに、「専門外のことなので、よくは存じませんが」(p231)とポロリと本音を漏らしています。まさしくこの態度が近代合理主義の賜物だというのに。さらに、「このような状況のなかで、それでは詩には何が可能なのでしょうか」(p162)と問いかけていますが、詩はそうした観念的世界把握とはまったく別種のものであるはずです。他にもありますがこれくらいに。

EDMOND JALOUX『LA FIN D’UN BEAU JOUR』(エドモン・ジャルー『好日の終わり』)


EDMOND JALOUX『LA FIN D’UN BEAU JOUR』(ARTHÈME FAYARD 1930年)


 エドモン・ジャルーを読むのは初めて。廣瀬哲士の『新フランス文学』で、アンリ・ド・レニエの弟子筋と紹介されていたので、読んでみました。「LE LIVRE DE DEMAIN」という叢書の一冊で、この叢書は、やや大判の判型、多数の挿画が特徴ですが、この本では、PAUL BAUDIERという人の木版画が32葉挿まれています。
    
 前回読んだデュマに比べ一転して文章が複雑になり、よく言えば、文飾豊かで繊細、悪く言えば、ややもったいぶって気取った文体となっています。アカデミー会員らしく、至る所に神話の神々や過去の文人の名前が出てきて、西洋古典の素養がちりばめられているところは、師匠のレニエを思わせます。

(ここからネタバレ注意)
 この小説の大筋をひとことで言えば、老いらくの恋の破局を見守る物語。その破局とは、68歳の作家の熱烈なファンである20歳の女性が、作品への愛を作家への恋と思いこむ一方、作家も女性の若さと精神性に恋心を抱くが、作家が自分の歳を考え身を引く形で弟子の作家を紹介した結果、女性が真の恋に目覚め弟子との交際が深まるにつれて、今度は嫉妬に苛まれるという筋立てです。

 その顛末を見守るのが、作家の親友の息子で、ベトナムで事業をしている「私」。ベトナムからフランスへ一時帰国し、久しぶりに会った作家の変貌ぶりに驚き、作家の住むヴェルサイユに部屋を借り、作家と頻繁に交流する半年?ほどの出来事が綴られています。最後は、ベトナムの共同事業者の急死を受けて、フランスを離れるところで終ります。

 物語のもうひとつの眼目は、本好きの多感な若い女性が、自分を作家の小説の登場人物の化身のように思いこむというところで、その女性が現実と架空の狭間に生きているような夢幻的な存在として描かれているところでしょう。知的な面もあり少女らしいところもある一方、官能的な魅力もあり、「私」もその魅力に惹かれているような筆致が感じられます。

 波乱を高める要素となっているのが作家の娘の存在です。貪欲な野心家で、父をアカデミー会員に指名してもらおうと運動したり、息子を出世させようとしたり、策謀を凝らすのに熱中していて、息子が父のファンの女性を見染めたので結婚させようと画策して、夏のあいだ、息子と一緒にヴェルサイユに避暑にやってきます。「私」は、彼女から、息子と女性の結婚がうまく行くよう父の作家へ働きかけてほしいと頼まれ、困惑します。

 結局、作家の娘は、女性の方に息子と結婚する気がないのを見て、無理やり夜にその女性が息子と二人きりになるようにお膳立てし、噂を立てて結婚せざるを得なくしようと画策しますが、作家と「私」がそれに気づいて、彼女を窮地から助け出します。

 この小説が書かれた1920年代は、フランスにおいてアジアに関心が高まっている時期だと思われ、小説中いたるところに、アジアが出てきます。「私」はサイゴンの広大な邸宅に住んでいますし、作家の娘の婿は海軍大将で若い頃安南に住んだことがあり、作家の娘の息子は軍隊で中国に派遣されて帰って来たばかり、「私」の共同事業者はフエで日射病で死に、作家の弟子はうだつが上がらずベトナムへの逃避を考えるという設定になっています。挿絵まで、鎌倉大仏らしき仏像が描かれていました。

 また舞台がヴェルサイユで、パリ通りとか、大トリアノン、小トリアノンとか、ネプチューンの泉にアポロンの泉、大運河、オレンジ園など、宮殿や庭園の情景がふんだんに出てくるのが、詩情を盛り上げているところです。師匠のレニエには、ヴェルサイユを謳った美しい詩集『La Cité des Eaux(水の都)』がありますが、ジャルーはそれを小説のなかで再現したと言えるのかもしれません。