清水茂の二冊

  
清水茂『遠いひびき』(舷燈社 2015年)
清水茂『翳のなかの仄明り―詩についての断想』(青樹社 2004年)


 先日読んだ『詩と呼ばれる希望』に続いて、清水茂を読んでみました。『遠いひびき』は、11章のそれぞれが独立したテーマをもった随想集、『翳のなかの仄明り』は、長年、著者が考察や感想を書き溜めていたノートから、いくつかをまとめた一種のアフォリズム集で、二冊の性格は異なります。

 『遠いひびき』は、『詩と呼ばれる希望』の翌年の出版で、冒頭のボヌフォワの思い出を綴ったエッセイは、その続篇のような性格ですが、そのほかは、死や別れ、喪失としての死、この世に残す記憶、あの世につながる扉や橋、手紙などのテーマをめぐって、静謐でもの悲しさが漂う随想が収められています。ここには清水茂の最上の部分があるように思います。

 例えば、少し長くなりますが、次のような文章。「いちばん遠いひびきは何だろうか。私がまだなかば夢のなかにいたときに、はじめて耳にしたひびきは何だったのであろうか。何も覚えていない。あれやこれやとひっきりなしに音楽を聴きたがったり、自然のなかのさまざまな物音に耳を傾けていたがったりするのは、もしかすると、いまだに想い出すこともできないその遠いひびきを探し当てたいと思っているからなのではあるまいか・・・そして、自分の人生の最後の瞬間に、もう一度だけ、それがはっきりと聞こえてくるということもありはしないだろうか」(p200)。

 一方、『翳のなかの仄明り』のアフォリズムという形式には、短さゆえに説明不足で分かりにくいところがあり、またひとりで悦に入っている自己満足的な印象もあり、あまり好感が持てません。内容も、クラシック音楽の話題をちりばめたり、海外生活の一コマに触れたりと、典型的な文化的エリートのにおいがする。私は、そういう点で、断然、『遠いひびき』の方が好み。


 このテイストの違う二冊から、共通のテーマのようなものを私なりに探ってみますと、大きく4つのテーマが見えました。
①宇宙の記憶という神秘主義的な考え方:ギリシアの墓碑に死者の記憶を永遠にとどめようとする意思を見、中世の壁画のおぼろげな色彩にはかなさを覚えた著者は、記憶が失われることへの無念さに心を痛める。著者は、神、あるいは記憶し回想し夢想する宇宙というものを想定し、「神あるいは宇宙の記憶に委ねる」という言葉に救いを求めようとしている。存在したというその事実そのものはどのような時間の作用によっても否認することはできないと。

②詩や芸術の原初のかたち:幼な児は、一切が名をもたずに実質そのものとしてそこに在る原初の世界に放り出される。成長とともにものの名を知ることにより一つの世界が開かれると同時に原初の世界は閉じていく。しかし幼な児のなかに宿り続けた原初の記憶は詩の温床となる。詩の欠如とは、人々がなまの世界との接触をとおして自らの世界像を作らなくなってしまったことから生じるものだ。

③(②の変奏として)癒しとしての芸術のあり方:かつて芸術は、中世の大聖堂のようなものも含め、苦しみを癒してくれる力を持っていた。が、現代にあっては多くは意味を放棄し苦痛や暴力を語るものになってしまっている。本来は、小鳥が巣をつくるように、魂が居場所を整えようとするのが音楽や絵画や詩である。そこには魂にとっての、どこか遠い故郷の匂いのようなものが宿っているはずだ。鳥の囀りを聞くとき、居合わせたよろこびに心を震わせるだけで、鳥の囀りを他のものと比較はしないのに、人々は、オペラ劇場で、「このまえ聴いたソプラノのほうがもっと上手だったわね」と言う。
→一方、清水は、娯楽の芸術というものに対しては、存在は認めるが、自分にとっては、それに対する批評も含めて無意味だと言う。このあたりが、文化的エリート臭があって残念だ。

④詩の意味とリズムについて:言葉には二つの側面があり、一方は意味作用だが、詩においては当然音の要素が重視される。翻訳もまた詩でなければならないとすると、リズムは作者自身の固有のものであり、翻訳者との隔たりは免れ得ないので、テクストのリズムを完璧に蘇らせることは決してできない。

J.-H.ROSNY AINÉ『LA FEMME DISPARUE』(J=H・ロニー兄『消えた女』)


J.-H.ROSNY AINÉ『LA FEMME DISPARUE』(COSMOPOLITES 1925年?)


 幻想小説アンソロジーでよく掲載されているロニー兄の作品です。以前、『L’ÉNIGME DE GIVREUSE(ジヴリューズの謎)』という分身を扱った超自然的小説を読んだことがありますが(2022年11月5日記事参照)、本作は、幻想小説やSFのジャンルに入る作品ではありませんでした。

 大衆冒険読み物といった感じで、結局は一種の探偵小説。冒頭から自然を舞台とした追跡劇があり、一気に物語に引き込まれました。今回は謎解き小説で、ネタバレが致命的になるので、犯人解明の最後の部分は略しますが、およその物語は、次のようなものです。

若くして美貌のフランシスカ夫人は、手紙を持って、幼馴染の兄妹のところへ行こうと、森のなかを馬車で進んでいると、悪漢3人に襲われた。御者は殺されてしまうが、彼女は子どものころから森でよく遊んで熟知していたので、巧みに追っ手をかわして逃げる。一方、夫人の到着を待っていた幼馴染のシモーヌは、夜になっても来ないので、村長に連絡し捜索隊を出してもらう。捜索隊は、襲われた馬車を見つけ、中にあったスカーフを犬に嗅がせて、あちこち探す。森の湖の近くで彼女の帽子が発見されたが、ついていたダイヤがなくなっていた。近くに小舟があり、血しぶきの痕があった。

翌日、予審判事、パリから凄腕で評判の刑事もやってきて、調査が始まる。シモーヌフランシスカ夫人が何か不安に怯えていたと証言する。がそれが何かは分からない。刑事は、フランシスカをねらった事件か、単なる追剥か、決めかねた。捜索隊が、犯人を追い詰め、3人のうちの一人の確保に成功した。問い詰めると、3人組の一人元骨董商の男に誘われたという。その男は刑事もよく知っている狡猾な盗賊だった。捜索隊はまた、手袋を湖の対岸の岩場で見つけたと知らせてきた。次に、森の狩番から、こんなものが郵便受けに入っていたと封筒を持ってきた。それは、フランシスカから彼女の恋人シモーヌの兄ミシェル宛に書かれたものだった。

タイミングよく、兄が遠方から急を聞いて駆けつけてきて封を開けると、身の危険を感じているから、遺産の一部を兄妹に分けるという内容で、ほかに死んだと思っていた娘が生きていたという密告があったことを明かしていた。3人組のうちもう一人も、森で隠れているところを発見された。男は帽子についていたダイヤを持っていて、ミシェルが問い詰めると、フランシスカは小舟に乗って逃げたという。死んでなかったと知ってミシェルはホッとする。フランシスカ失踪の報を受けて、彼女の姪とその叔母の独身婦人もシモーヌの家にやってきた。ほどなく、パリに逃げていた元骨董商が愛人とともに捕まったという知らせがあった。

二人を村へ連れもどして尋問すると、この事件の首謀者は別の男で、その男からたまたまバーで依頼されたということが分かった。愛人はシモーヌになら話すと言い、首謀者の風貌について詳しく話す。その後、フランシスカの目撃情報ももたらされた。が、その周辺に聞き込みをしても収穫はなかった。刑事たちが戻ると、家に居たシモーヌはもう一度戻りましょうと提案した。シモーヌは医者も同行させ、聞き込みの際は知らないと答えていたフランシスカの友だちの家に直行すると、奥の部屋でフランシスカが譫妄状態で寝ているのが見つかった。さらにシモーヌは、驚くべき推理を働かせ、首謀者の人相書きを描いて、事件の真相を暴いていく。


 予審判事、凄腕の刑事らプロたちが事件に取り組むなかで、失踪した女性の幼馴染が素人なのに次々に謎を解いていくという痛快な探偵ものとなっています。登場人物の個性の描き分けが面白くて、次のような感じです。

予審判事は、静かで分別があり正確に仕事をこなすが、自らの洞察力の欠如を感じていて、事件が混み入ってくると、観察を続けて時が解決してくれるのを待っている。事実はそのうち自ら語り出すものだというのが持論。捜査を先頭で進めている者の意思を邪魔しないというのが取柄。

パリから来た刑事は、難事件を次々と解決する辣腕で評判で、現われただけで刑事と分かるような雰囲気、尋問する態度にもいかにも刑事らしい怖さがある。調査を進めながら、さまざまな可能性を推理し、それをみんなに披露する。シモーヌが次々謎を解いていくのを素直に悔しがる。

シモーヌは、予審判事の寛容さに感謝し、刑事の推理の中からヒントを得ながら、持ち前の想像力と女性の勘とで、事件の謎を一つずつ解決していく。悶々としている兄ミシェルの心を見破り、フランシスカ夫人との仲を取り持つのも彼女。 


 フランシスカ夫人の娘の名が、ロザリオから途中でロザリトに変わって、また最後にロザリオに戻りましたが、単なる印刷ミスか、呼び名がもともと変化するものか、よく分かりませんでした。

矢内原伊作『顔について』


矢内原伊作『顔について―矢内原伊作の本 1』(みすず書房 1986年)


 前回読んだ清水茂『詩と呼ばれる希望』の解説で、担当編集者が、矢内原伊作と清水茂がともに雑誌「同時代」の同人であり、深い交友があったことについて触れていたこともあり、架蔵していた矢内原伊作の本を読んでみました。これまで、単著としては、昨年に『古寺思索の旅』を(10月20日記事参照)、かなり昔に『歩きながら考える』を読んだことがあります。いずれも、高い評価をつけています。

 矢内原伊作は、本来的に哲学の人で、詩人の要素も感じられます。何よりも、自分の頭でいろいろと思いを巡らし、感性を研ぎ澄ませ、情熱的に語っているところに魅力があります。文中に、既存の哲学者、思想家の名前は一切出てきません。ひと頃、大森正蔵や彼の弟子筋の哲学者たちが、やはり同じようなスタンスで哲学を語っていたことを思い出します。

 語り口のひとつの特徴は、冒頭の「顔について」で顕著に見られるように、日常的な言葉の使い方からわれわれの物事の捉え方を考えたり、日常的な体験に基づいて思いを巡らしているところです。例えば、「壺には手があり机には足がある。しかし顔のあるものはない。顔を合わせる、顔出しする、顔つなぎ、顔触れ、顔みせ。これらの言葉において顔は人間そのものを意味している」(p5)とか、「見分けるのは理性の能力であり判断することであるが、聞き分けがよいとはただちに従うこと」(p26)といった具合。

 また、後半の「水との対話」、「火との対話」、「石との対話」の三部作は、バシュラールの物質の詩学に通じるものがあります。「顔について」の「鼻」、「口」、「耳」、「眼」で展開されているものも五感をめぐる哲学と言えるでしょうし、「海について」と「山の感想」の山と海という視点も新鮮です。これらは、自然に取巻かれた人間世界のなかでの根元的な要素となるもので、それらの考察をとおして人間世界の成り立ちを探ろうとしているかのようです。

 思考のパターンが一つあって、それをいろんなケースに適用させているのが見てとれます。それは、二つの対立するものを、双方が互いに相手を成り立たせるための必要不可欠な存在と見なし、相互に入り組んだものとしてとらえる見方で、アンビバレントのなかに一種の美学が感じられます。私の説明が行き届かないので、実例を見るのがいちばん理解しやすいと思います。少し分量が多くなりますが、引用しておきます。

(引用者注:能の女面について)・・・いかなる表情ももたないことによってあらゆる表情をもっており、いかなる顔にも似ていないことによっていかなる顔にでもなることができる。表現はただ一つのものをあらわすが、象徴は隠すことによって一切をあらわすのである/p8

顔には裸体がない・・・脱ぐことのできない衣裳を始めから纏っているからであり、むしろ顔そのものが衣裳だからである/p9

人は化粧によって顔をつくるように表情によって感情をつくる・・・気分は顔色にあらわれることによってはじめて気分となる/p12

自ら変化するものは変化そのものを知らない。変化そのものを知っているのはそれ自身は変化しないものである/p93

山は・・・行く手に立ちふさがり、視界を限る。しかし同時に一つの山はその向こうに横たわるもう一つの山を思わせ・・・世界が無限であることを思わせるのだ・・・閉じることによって開くこと、これはまたあらゆる芸術作品の本質的な性格でもある/p113

火は自分自身をほろぼすことによって他を照らす。燃えること、それは死に近づくこと、あるいは刻々に死んで行くことだ/p140

人類は考える前にものをつくったのであり、ものをつくることによって考えることを知ったのである/p164


 また、着眼点が実に的確で面白い。

一度口から出た言葉はもはやもとに戻すことはできぬ・・・語る口は言葉の出口であるのみならず、そこからわれわれの心が覗かれる口でもある。それゆえにわれわれは口を慎まねばならない/p20

聞きながら考えることはできず、聞くことは従うことである/p29

印刷術は語られ聞かれる言葉を読まれる言葉に変ずることによって、肉体による眼と耳と口との統一を観念に解体し、集団を個人に解体することによってまったく新しい文化を創造した・・・しかるにラジオは眼と耳と口との統一を耳に解体したのであり、それによって読まれる言葉をふたたび聞かれる言葉に還元したのである/p35

仏足石・・・歩み去った仏の記念といったものではない。目に見えぬ仏がそこに立っていることを示すネガであり、いわば生命という目に見えぬ、したがって石に刻むことのできない存在の陰画である/p192


 芸術論にもそうした特徴が現われています。

芸術作品の意味は、それ自体が完結した美しいものであることにあるのではなく、むしろそれ自体は未完結なものとして、そこにない現実の全体を喚起し、無限のひろがりのなかに向かって人を解き放つ点にあるのである/p113

制作過程がつねに計画通りに行くようなら、それは技術であって芸術ではない、といえるだろう。とすれば芸術は、その制作意図と結果とのあいだに介在する不確実性によって特徴づけられる。何ができるか分からない、という危険な不確実性が大きければ大きいほど、制作のよろこびもまたいっそう大きくなる。技術は既知のものをつくり、芸術は未知のものをつくる/p146

芸術とは、生命の陰画あるいは印刻を示すことによって、目に見えぬ生命を喚起するものにほかならない。画布や石が美しいのではなく、それらによって喚起される目に見えぬものが美しいのである/p192


 こうして並べてみると、矢内原伊作の文章は、アフォリズム的な断言調に特徴があることが分かります。言い切ってしまうところに恰好よさがあり、また連綿と論理が展開していくところに、弁舌の芸のようなものがあります。散文詩と言っていいのかもしれません。思考の過程が明らかになるように、少し疑問形も挿みながら展開して行けば、もう少し柔らかい雰囲気になったと思いますが。

 
 私が共感した文章もありました。

山に登ることと山を見ることとは別のことだ。登攀には緊張があり、観望には解放がある。風来坊の私が選ぶのは無論後者の方である/p112

 今回は引用ばかりになりました。

清水茂『詩と呼ばれる希望』


清水茂『詩と呼ばれる希望―ルヴェルディ、ボヌフォワ等をめぐって』(コールサック社 2014年)


 フランスを舞台にしたエッセーを読んでいたら、なぜか清水茂を読みたくなりました。この本は、清水茂のフランス滞在を題材にした初期エッセイとは違って、副題にあるように、ルヴェルディ、ボヌフォワシュペルヴィエルの詩や詩論を軸にして、詩について語ったものです。取り上げられている詩は、私好みのものが多く、また上記3詩人の詩についての考え方にも共鳴する部分があり、面白く読めました。ただ違和感のある著者の文章もいくつか目につきましたが。


 とても心に響いた詩句は次のようなものです(すべての引用ができないので核心の一語のみ)。
扉の前で一人の男がうたっている/音もなく窓が開く(ルヴェルディの詩集『屋根のスレート』より「秘密」最終行)→これには著者の次のような解説がある。「標題の『秘密』は読後なお秘密のままであり、それは散文的に解き明かされることがない・・・窓を開くのは、誰なのか。周囲では、あらゆるものが深い静寂のなかに依然として身を潜めているのが感じられる」(p10)。

見知らぬあの男は何処から来たのか・・・いつも同じ人が立ち止まる(同詩集「忍耐」途中行と最終行)→これにも、「この詩篇にも、不安めいたものの漂う空気がある」(p11)という解説があった。

雪が降る、それは帰ってゆくことだ・・・自分がべつの子ども時代を幸福に生き得たかもしれない町に(ボヌフォワ詩集『雪のはじまりと終り』「唯一の薔薇窓Ⅱ」冒頭連)(p108)。

そこには、泡のなかで/かつてのおまえだった子どもがいまも遊んでいる(ボヌフォワ詩集『碇の、ながい鎖』「イタケ島のまえを行くウリセス」最終行)(p143)
→最後の一行に重い意味が込められている詩が多いところからすると、最初にこれらのフレーズが浮かび、それから逆算して詩全体が書かれたのかもしれません。

 墓碑銘の詩句は死者と生者を繋ぐ絆であり、時空の隔たりを超えて人間感情に深く訴えるものであるとして、ボヌフォワリルケ、蕪村などがいくつか引用されていますが、ユルスナールが編訳した古代ギリシァ詩華集『冠と竪琴』に収められた墓碑銘としての詩「逝いた子のために」(p37)がとても感動的です(長いので引用は略)。

 もうひとつ詩ではありませんが、美しい文章。
庭の奥でひとりの子どもの姿を見かける。まさしくかつての自分であった子どもの姿である。―「私はきみの小さな顔を手で包みたい、わが神よ。きみの顔をそっと私のほうへ向けたい。こう言いたい、目を開けて、私がこんなにも彷徨してきたことを許しておくれ、と」(ボヌフォワ『彷徨する生』の冒頭「本を読みなさい」)(p149)。


 詩についての考えに共鳴した部分は、
アンリ・ブレモンの文章のなかの「一篇の詩の魅力に捉えられるということはその詩の意味を把握するということではない」という一節(p166)。

シュペルヴィエルが試作法を明かした次の文章。「〈詩〉は私の場合、いつも潜在的な一種の夢に由来している。この夢が勝手に進んでゆくという印象のあるインスピレーションの日々は別として、私はこの夢に好んで方向を与える・・・私はそれを堅実な夢にしたいのだ・・・そして、この夢にとっては、外部とは白紙のページのことだ」(p169)。

バシュラールの「目で見ているものを同時に夢想したのでなければ、ほんとうによく世界を見たことにはならない」という言葉(p171とp232の2回出てきた)。

「おそらく、詩のことばとはもっとも単純な用いられ方によって、もっとも言語に託すことの困難な実質を表現しようと試みるものです」という著者の感想(p180)。これに続いて次のように書いていました。「詩においては・・・概念的解明が必要なのではなく、詩を通じての、発信者と受信者とのあいだでのイデーの共鳴、もしくは共振の生じることが必要なのです。これは〈詩〉の体験の直接性ということでもあります」(p180)。


 この本のなかの議論で、もっとも重要と思われる部分は、難しすぎて私には捉えきれませんが、いくつか記しておきたいと思います。ひとつは、現実把握にかかわる哲学的と言っていいほどの議論で、ルヴェルディの「現実のものとは、単純で、深くて、恒常的なすべてのもののことであり、時が齎(もたら)しも、持ち去りもしないものであり・・・(雲やテーブルは、太陽や雨や樹木同様、現実のものである。衣裳の個別のかたちは非現実である・・・)」(p15)とか、ボヌフォワの「現実のものとは、私たちの知性がこれは樹だと言うまえに、目にみえている樹なのだ」(p17)という言葉などに現われています。プラトンイデアに通じるものがあると思えますし、一種の言語論のようにも見てとれます。

 もうひとつは、詩の体験に関することで、ルヴェルディの「詩は客体のなかにあるのではなく、主体のなかにある・・・感動が形成されるのは主体においてだ・・・ところで、知覚と関係の選択とはそれぞれの主体ごとに変化する・・・同一の価値を正確に付与する知覚や選択というものは、おそらく、この世に、二つと存在しない」(p21)とか、「詩を理解するということ、あるいは自らのものとして、それを体験的に受け取るということ、それには他者の夢の領域に入ろうとすることに等しい困難がある」(p24)と、他人の体験や詩の理解の不可能性に言及があったり、

 さらには、「眠っていた獣のかたちの草の凹みがまだ宿っている。この草の凹みこそは象徴でもあり、最初のことばの誕生でもある・・・だが、草の凹みはやがて消えてゆき、ことばは・・・この直接的記憶から、時を経るにつれて次第に遠ざかって・・・抽象的な世界像を私たちに供することしかしなくなる」(p52)というボヌフォワの言葉を受けて、著者は、「抽象的な概念の世界の全体の網目のなかに組み込まれてしまった言語そのものに、何としても原初の記憶を喚起させる必要がある」(p60)として、詩の重要性を確認しています。


 違和感を感じた部分は、長々とは書きたくありませんが、次のようなことです。著者は、科学技術や物質的欲望を原動力としている近代文明を呪っていて、例えば、「さまざまな科学的発見は真実のためというよりは、産業社会にあって、国家、企業体の利益追求のために推し進められているというのが自明のこと」(p200)というような単純で教条的な語り口のあげくに、「専門外のことなので、よくは存じませんが」(p231)とポロリと本音を漏らしています。まさしくこの態度が近代合理主義の賜物だというのに。さらに、「このような状況のなかで、それでは詩には何が可能なのでしょうか」(p162)と問いかけていますが、詩はそうした観念的世界把握とはまったく別種のものであるはずです。他にもありますがこれくらいに。

EDMOND JALOUX『LA FIN D’UN BEAU JOUR』(エドモン・ジャルー『好日の終わり』)


EDMOND JALOUX『LA FIN D’UN BEAU JOUR』(ARTHÈME FAYARD 1930年)


 エドモン・ジャルーを読むのは初めて。廣瀬哲士の『新フランス文学』で、アンリ・ド・レニエの弟子筋と紹介されていたので、読んでみました。「LE LIVRE DE DEMAIN」という叢書の一冊で、この叢書は、やや大判の判型、多数の挿画が特徴ですが、この本では、PAUL BAUDIERという人の木版画が32葉挿まれています。
    
 前回読んだデュマに比べ一転して文章が複雑になり、よく言えば、文飾豊かで繊細、悪く言えば、ややもったいぶって気取った文体となっています。アカデミー会員らしく、至る所に神話の神々や過去の文人の名前が出てきて、西洋古典の素養がちりばめられているところは、師匠のレニエを思わせます。

(ここからネタバレ注意)
 この小説の大筋をひとことで言えば、老いらくの恋の破局を見守る物語。その破局とは、68歳の作家の熱烈なファンである20歳の女性が、作品への愛を作家への恋と思いこむ一方、作家も女性の若さと精神性に恋心を抱くが、作家が自分の歳を考え身を引く形で弟子の作家を紹介した結果、女性が真の恋に目覚め弟子との交際が深まるにつれて、今度は嫉妬に苛まれるという筋立てです。

 その顛末を見守るのが、作家の親友の息子で、ベトナムで事業をしている「私」。ベトナムからフランスへ一時帰国し、久しぶりに会った作家の変貌ぶりに驚き、作家の住むヴェルサイユに部屋を借り、作家と頻繁に交流する半年?ほどの出来事が綴られています。最後は、ベトナムの共同事業者の急死を受けて、フランスを離れるところで終ります。

 物語のもうひとつの眼目は、本好きの多感な若い女性が、自分を作家の小説の登場人物の化身のように思いこむというところで、その女性が現実と架空の狭間に生きているような夢幻的な存在として描かれているところでしょう。知的な面もあり少女らしいところもある一方、官能的な魅力もあり、「私」もその魅力に惹かれているような筆致が感じられます。

 波乱を高める要素となっているのが作家の娘の存在です。貪欲な野心家で、父をアカデミー会員に指名してもらおうと運動したり、息子を出世させようとしたり、策謀を凝らすのに熱中していて、息子が父のファンの女性を見染めたので結婚させようと画策して、夏のあいだ、息子と一緒にヴェルサイユに避暑にやってきます。「私」は、彼女から、息子と女性の結婚がうまく行くよう父の作家へ働きかけてほしいと頼まれ、困惑します。

 結局、作家の娘は、女性の方に息子と結婚する気がないのを見て、無理やり夜にその女性が息子と二人きりになるようにお膳立てし、噂を立てて結婚せざるを得なくしようと画策しますが、作家と「私」がそれに気づいて、彼女を窮地から助け出します。

 この小説が書かれた1920年代は、フランスにおいてアジアに関心が高まっている時期だと思われ、小説中いたるところに、アジアが出てきます。「私」はサイゴンの広大な邸宅に住んでいますし、作家の娘の婿は海軍大将で若い頃安南に住んだことがあり、作家の娘の息子は軍隊で中国に派遣されて帰って来たばかり、「私」の共同事業者はフエで日射病で死に、作家の弟子はうだつが上がらずベトナムへの逃避を考えるという設定になっています。挿絵まで、鎌倉大仏らしき仏像が描かれていました。

 また舞台がヴェルサイユで、パリ通りとか、大トリアノン、小トリアノンとか、ネプチューンの泉にアポロンの泉、大運河、オレンジ園など、宮殿や庭園の情景がふんだんに出てくるのが、詩情を盛り上げているところです。師匠のレニエには、ヴェルサイユを謳った美しい詩集『La Cité des Eaux(水の都)』がありますが、ジャルーはそれを小説のなかで再現したと言えるのかもしれません。

フランスを舞台にしたエッセー二冊

  
赤瀬雅子『フランス随想―比較文化的エセー』(秀英書房 2007年)
西出真一郎『木苺の村―フランス文学迷子散歩』(作品社 2010年)


 フランスへ行くにも、まだロシアの上を飛べないので時間はかかるし、航空料金も高くなってるし、おまけに円安でホテル代も高いとあっては、なかなか行く気がしません。そんなわけで、本のなかでフランス旅を楽しもうと、フランスが舞台になっている二冊を読んでみました。

 赤瀬雅子は、比較文学を研究されているフランス文学の先生で、以前、『永井荷風とフランス文学』、『永井荷風とフランス文化』の二冊をこのブログでも取りあげたことがあります(2015年12月1日、2018年3月10日記事参照)。まだ日本からフランスに行く人が少なかった時代に留学し、その後も頻繁にフランスに渡って生活されている様子です。本書では、リヨン、コルシカ島、ムーラン、モンペリエ、スペインとの国境地帯などのフランスの各地方や、カルティエ・ラタン、サン・マルタン運河、ピクピュス墓地、サン・ルイ島、ヴォージュ広場など、パリの各地区の様子が紹介され、居ながらにして旅した気分になれました。

 詩の朗唱法、シャトーでの宿泊体験、「海辺の墓地」の考察、文学ブラスリー、ノエル・ヌエットの授業を受けたことなど、面白い話題も豊富ですが、難点は、ひとつの事柄にとどまって十分に説明しないまま、表面をなぞった程度で次の話題に移ってしまう傾向があり、すんなりと頭に入らないところです。永井荷風比較文学論はおもしろく読みましたが、随想はもう少しのんびりしたペースの方がいいのかも知れません。


 『木苺の村』は浜松の古本屋で偶然見つけたもの。西出真一郎という人は知りませんでしたが、三重県の高校の国語の先生だった方で、詩や俳句を書いていて、定年後、フランス各地を旅してまわっているようです。序章を読み終えたところで、ハタと本を膝の上に置いて嘆声を洩らしてしまいました。わざとらしいと言えば言えるのかもしれませんが、なかなかの技巧派です。新年早々いい本にめぐり合えました。序章では、さりげなくフランス旅で出会った人々との交流を描き、その中の一つのエピソードから、自分が幼かったころの思い出に飛び、慕っていた叔父の戦死という悲しい出来事に触れた後、再びフランスに戻って、なぜフランス旅に行くようになったかの動機を述べて、すばらしい導入部となっています。

 その動機とは、フランスの物語をこよなく愛し、その舞台となった土地を訪ねてみたいということです。第一章のシャルル・ルイ・フィリップの『母への手紙』にはじまり、第十章のランボーの生まれた町にいたるまで、各章がだいたい一冊の本とその舞台を旅したときの話になっています。幼いころの思い出、感銘を受けた読書体験、波乱にとんだ旅の描写の三つの軸が切り替わりながら展開し、余韻を残すすばらしい終り方になっています。勝手な感想ですが、清水茂の初期フランスものや、久世光彦の過去追憶を思わせるものがありました。

 なかで、感動的だったのは、第一章から第五章までの各篇。第六章以降も、少し熱量は下がりますが、味わいのある筆致の佳篇ばかりです。うまく伝えるのは難しいですが、第五章までを簡単に紹介しますと(ネタバレ注意)、

第一章は、シャルル・ルイ・フィリップの生まれ故郷セリイィの民宿家族との交流が描かれるとともに、戦中から戦後にかけて国民学校のとき読書の楽しさを教えてくれた先生や村のいくつかのお店の思い出が語られ、最後に先生が亡くなったことを知るところで終わる。

第二章は、『家なき子』の舞台シャバノン村への旅で出会った日本の若者との交流と、幼い日に名古屋城で迷子になった体験、『家なき子』を借りた女の子の思い出、さらには芭蕉の『奥の細道』に登場する少女の話がないまぜになった一篇。

第三章は、ロマン・ロランの生地クラムシーを訪ねる旅で、ロマン・ロラン記念館で出会った沖縄の親子から、悲運の人生が語られる話。館長の元気な息子と、車椅子に乗った沖縄の息子の対比が悲しい。

第四章は、小説風の語りで始まるが、それは、フレース・カルヴァデスという村に著者が泊ったときの民宿の娘と放浪の旅をしている日本人の若者の出会いの物語。若者には日本に恋人が居て、その後の顛末が語られる。

第五章は、読者から、自分が訳したものと、一冊の訳詩集が送られてきた。フランス文学を志し東京大学に入学したものの1日で退学した女性で、ラ・ロシェルへ旅したとき、カフェの主人から無名の詩人が書き残したノートを見せられ、それを訳したものという。いい詩だったので、後年、連絡するとその女性はすでに亡くなっていた。

 この人は他にも何冊か書かれているようですから、それらの作品も読んでみたいと思います。

翻訳に関する本二冊

  
芳賀徹編『翻訳と日本文化』(山川出版社 2000年)
鴻巣友季子『明治大正 翻訳ワンダーランド』(新潮新書 2005年)


 これまで読んできたのよりは、出版年の新しい本です。これまでとは違った新たな視点があるのが特徴。『翻訳と日本文化』では、書籍にとどまらず、外交上の翻訳や映画字幕でのケースが取り上げられ、日本の作品を逆に海外に向けて翻訳する場合の諸問題にも触れられていましたし、『明治大正 翻訳ワンダーランド』では、翻訳者の立場から、過去の代表的な翻訳が論じられています。双方とも、文章が読みやすい。


 『翻訳と日本文化』は、総勢17名が参加していて、四部に分かれ、第一部は過去の翻訳史を振り返りながら、筆者それぞれの得意分野について、第二部は日本作品の海外への翻訳、第三部は書籍翻訳以外のさまざまな翻訳についての論考が並び、最後に日本作品の翻訳(ドナルド・キーン)、日本古典文学の研究(中西進)、英語翻訳・演劇評論(小田島雄志)、比較文学研究(芳賀徹)の面々が集まっての座談会となっています。

 もっとも印象深かったのは、第三部で、村上春樹が自作の英語への翻訳について語っていた文章で、自分の書いた小説のディテールの大半は忘れてしまっているので、自作の英訳本をわくわくしながら面白く読めると、正直に告白しているのが好感が持てました。このところ、韓国かベトナムの官能的な恋愛小説をフランス語訳で日本人の私が読むという屈折した読書を一度試みたいと思っていますが、自分の書いた小説を英訳で読むというのは村上春樹ぐらいにしかできない境地だと思います。村上春樹は、また、優れた翻訳に必要なものはもちろん語学力だが、小説の場合、それに劣らないのは作品に対する偏愛だとしているのも心に残りました。

 これまで読んできた本で、鴎外の訳が優れている理由を、生まれつきの資質によるものと結論付けているものがありましたが、その資質というのは、ちょうど天才ピアニストと呼ばれる人たちが幼少時からピアノに慣れ親しんでいるように、幼い頃から文章に親しんで育った人が、文章に対する特別に磨かれたセンスを持つようになるということに違いありません。読者の立場からすると、やはり日本語として読んでいて感銘を受けるものが優れた翻訳だと思うので、それには訳者が文章に対するそうした資質を持っていること、原作の素晴らしさとそれに対する訳者の偏愛が重要ということでしょう。

 いくつかの論点がありました。
①翻訳における文化力の強弱:別の本で、翻訳は国の文化力の高低差によって生じるという指摘がありましたが、この本でも、「翻訳とは、いつも翻訳する側からの自発的・主体的な要求がなければ成立しえない文化現象であり、翻訳される側からの示唆や教示はある程度作用しえても、指導や強制は無効なのである」(序文)という言葉がありました。日本と同じく、中国においても、19世紀以降、翻訳局という機関が設けられ、西洋の書物の翻訳が盛んに行われるようになったと言います。最初は、まずは物質面から導入し、それが浸透するにつれて次第に精神面の受容へと拡大していったという流れも日本と同じです。

②古代における中国の影響:奈良時代に編纂された漢詩集『懐風藻』では、大津皇子のように、当時の中国の詩壇の潮流から50年ないし100年遅れた詩の技法を懸命に模している一方、『万葉集』では、山上憶良に見られるように、漢詩の影響は濃厚に現われているが、あくまでも中国のものを素材として受容しているだけと言います。さらに平安時代紫式部は、幼いころから漢籍に通暁していて、中国の文学を手掛かりとして独自の表現世界をつくり出したとしています。

③中国における口語体の発展:中国で本格的な小説が誕生したのは、『源氏物語』に遅れること300年、14世紀末のことであり、文言(書き言葉)で書かれていたが、17世紀になって、講釈師の「話本」をもとにした白話(話し言葉)による近世小説が誕生したといいます。翻訳の開始も日本とほぼ同時期でしたが、口語文体の成立は日本よりも30数年遅れたとのことです。福沢諭吉と同じような役割をした厳復という人が居たけれど、知識階級だけを対象としたので、古典中国語で翻訳をしたのが理由のようです。

④読むという行為自体が翻訳:幼児が言葉を覚える際、未知の単語が母親によって自分の知っている易しい言葉に翻訳されるのを求めている、この意味で、一国語内での翻訳は、異国語間での翻訳と本質的に違うところがない、というオクタヴィオ・パスの文章が引用されていました。

⑤現在の日本語も一種の和漢混淆文:やまと言葉を尊重した本居宣長でさえ、一種の和漢混淆文で書いており、われわれが使っている文体も一種の和漢混淆文であるとしたうえで、長い時間のうちに、和文のなかに漢語が浸透することによって、日本人のものの考え方や感じ方がつくり上げられてきたと指摘しています。


 『明治大正 翻訳ワンダーランド』は、読み物として面白く、友達同士で喋っているようなざっくばらんな感じがあります。著者が実際に読んだ明治大正の翻訳家たちの一人一人に焦点をあてて綴っていますが、これまで読んできた翻訳史とは少し違って、明治20年以降で、かつ大衆的読み物に傾斜していて、森田思軒、若松賤子、黒岩涙香、小金井喜美子、永井荷風内田魯庵佐々木邦らが取り上げられていました。どちらかというと私の趣味に近いものがあります。

 この本でも新しい視点として、ノヴェライゼーション、時流を意識した翻訳ビジネス的な動き、戯曲、童話、艶書などジャンル別の考察や、翻訳と銘打って実は創作という偽作の問題、原作より翻訳の方が有名になったケースなどいろんな切り口から書いています。

 面白かったのは、文章の言葉と芝居の言葉が違うという指摘で、読む戯曲なら、日常会話で使われないような表現であっても、その違和感が逆に引っかかりとなって、不調和がむしろ深遠な魅力になるが、瞬間芸術である芝居のなかでは、文章的な言葉は不自然に聞こえてしまうというところです。


 両著を通じて、翻訳の心得のようなものを拾って、自分なりに要約してみますと、
①一字一句にこだわるよりは、原文の意を伝えることに重きを置くことが、平明な文章への道であること。

②翻訳者は個人的な好みを前面に出してかまわない。無色透明になりきれないし、なりきろうと努力すればその結果は魅力のない作品になってしまうだけ。

③翻訳する際、原文の意味の一部が失われてしまうのはやむをえない。この損失をなるべく少なくするのが翻訳者の務め。

④翻訳する技術の大半は、何が翻訳できないかを知ることにある。翻訳者に、日本の詩歌を一つ残らず翻訳する義務などない。それを乗り越える一つの方法として、注解付きの翻訳というかたちがある。

⑤人称・指示代名詞が適度に省けるようになれば訳者も一人前。


 まだ、柳田泉『明治初期翻訳文学の研究』、『西洋文学の移入』や島田謹二『日本における外国文学』ほか、翻訳の関連書をたくさん持っていますが、上記三著は大著でもあり、またこのテーマにやや食傷気味なところもあるので、しばらく間を取って、忘れた頃にまた読んでみようと思います。今年は、あまりテーマに絞られずに、気楽に読んでいきたいと思います。