JEAN-PIERRE BOURS『celui qui pourrissait』(ジャン・ピエール・ブール『腐っていった男』)

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JEAN-PIERRE BOURS『celui qui pourrissait』(marabout 1977年)


 5年ほど前、パリの幻想小説・SF専門古書店「L’amour du NOIR」で大量買いした中の一冊。あまり聞いたことのない作家ですが、1977年のジャン・レイ賞を受賞した人で、本業は弁護士のようです。バロニアンの『panorama de la littérature fantastique de langue française(フランス幻想文学展望)』には、この本ともう一冊切り裂きジャックを題材にした長編ミステリーが紹介されていました。他にも何作かあるようです。

 話の運びにも表現にも卓抜な技が感じられます。ただいくつかの作品では、解剖学的なグロテスクな描写が多すぎて気持ちが悪いのが私にとっては汚点。これがなければもっと評価が上がるのにと思いますが、逆になければ作品として成立しなくなるかもしれません。難しいところです。身体の組織に詳しいのは医者になろうとしていたからでしょうか。弁護士の緻密さに対する感性と関連があるのかも知れませんが、細部へのこだわりが凄く、一種の極レアリズムを通しての幻想と言えるのかもしれません。どこかロブ=グリエや岩成達也の細部の客観描写による幻想性に通じる感じもしますが、少し違うようにも思います。

 もう一つの特徴は、バロニアンも書いていましたが、自己同一性の揺らぎをテーマにしたものが多いことです。ドッペルゲンガーを見る「Aujourd’hui l’abîme(今日は奈落へ)」、病気で自己が崩壊していく「Celui qui pourrissait」、人格が入れ替わる「Procédure contradictoire(真逆になった裁判)」、自分の妄想が殺人者を造り出す「La vérité sur la mort d’Aaron Goldstein(アーロン・ゴールドスタインの死の真相)」、厳格な裁判長と慈愛に満ちた人格に引き裂かれる「La mort du juste(正義の人の死)」。

 10の短篇が収められています。なかでは「Procédure contradictoire」、「La vérité sur la mort d’Aaron Goldstein」が秀逸。残酷味が目に余るのが難点ですが、「Celui qui pourrissait」、「Le peuple nu(剥がれた人々)」、「Entre Charybde et Scylla(窮地と死線のあいだ)」もそれ以上に力のある作品です。次に続くのが「Histoire d’A(A嬢の物語)」、「Le château des réminiscences(思い出の城)」、「Aujourd’hui l’abîme」といったところでしょうか。 

 簡単に内容を紹介しておきます(ネタバレ注意)。                                            
〇Celui qui pourrissait
有能な産科医として将来を嘱望され、婚約もしていた青年に、皮膚病の嵐が襲いかかる。湿疹、ヘルペス、天疱瘡、丹毒、梅毒、天然痘癩病と、ひと段落ごとに新たな病気が加わって身体が崩れていく語りの恐ろしさが物語の迫真部分。皮膚病に関する専門用語が頻出し、克明な描写が続いて気持ち悪いこと限りなし。

◎Procédure contradictoire
亡き父が懇意にしていた裁判長が新しいポストに就くお祝いの会に出た。父からは気難しい陰気な性格と聞いていたのに、まるで反対の陽気な浮かれた男だった。同席した友人に訳を聞くと、自分の解釈だがと驚くべき話をした。裁判のあいだ、罪人が被告席から裁判長に念を送り続けて、死刑を宣言した直後に魂を入れ替えたというのだ。処刑されたのは裁判長で、今居るのは罪人だと。

〇Histoire d’A
『Histoire d’O(O嬢の物語)』を意識したと思われる作品。秘密宗教の淫猥な密儀で、教徒たちによって、若い娘らが被虐の奴隷のようになっている。教義の掟は厳しく、開かずの扉があり、その中にばらばらの手足を見たという噂があった。主人公は一人の娘に恋に落ちるが、ある疑念が湧き上がってきた(ネタバレ強烈のため省略)。淡々とした語り口が結末の意外性を盛り上げている。

〇Le peuple nu
叔父の影響で解剖に興味を持ち法医学者になった主人公が、引退した叔父の館での引っ越し祝いの仮面舞踏会を手伝うことになった。きらびやかな衣装と仮面に身を包んだ参会者と語らいダンスをし、オフェーリアの仮装をした女性と恋に陥るが、手袋を取ると…。これまで解剖して来た屍体が憎悪の叫びを上げながら迫って来る場面はゾンビ映画を思わせる。

Divin marquis !(聖侯爵!)
ある純真な女性が、交霊術で、誰の魂を呼び出してほしいか聞かれ、どんな人かよく知らないが文学サークルで話題になっていたサド侯爵と答えた。侯爵は死後地獄に落ち、無心の心から呼ばれたときにのみ現世に戻れるという刑罰を受けて、氷山に閉じ込められていた。二人の会話のすれ違いが面白い。

〇Le château des réminiscences
嵐の夜に馬で出かけては村人に悪さをする少年。ある夜はじめて入った森のなかで、沼の対岸に城を見つける。それからは毎夜何とか城へ辿り着こうとして叶わない。ある冬の夜、森の空地で見つけた黒装束の騎士の後をつけると沼の浅瀬を伝って城へ入ることができた。そこには広い競技場があり中世そのままの馬上槍試合が展開されていた。束の間の幻影を見た少年の思い出。

◎La vérité sur la mort d’Aaron Goldstein
ある富豪の実業家を殺したいと恨んでいる男のもとに、奇術師が現われ、トランプマジックを見せ、男の素性と思いを的中させる。殺したい人に会わせてやると男を案内し、眼の前で実業家を切り殺す。すると奇術師の姿は鏡に映らなくなり、警備がやって来たときは、姿も消えていた。怨念が奇術師の姿で現われたのだった。単純な話だが、語りの面白さが魅力を十倍に引き立てている。

La mort du juste
中世の異端審問官のように狂信的な裁判長。弁論も鮮やかに、軽犯罪人に極刑の判決を連発していた。だが私生活では慈悲深い善行の人で、1カ月だけ孤児を預かる。その子は天使のように可愛く無邪気で質問を連発し、裁判長の様子はだんだんとおかしくなって行った。子どもが帰る前の夜、裁判長は子どものベッドの前で自殺していたが、天使のような子もベッドから消えていた。

〇Entre Charybde et Scylla
喉の手術を受けることになった神経質な主人公。医者は大したことはないというが、心配で本を読んだり音楽を聴いたりして気を紛らわせる。医学書で手術の仕方を読むとますます不安が募って来た。手術の前の晩、眠れないのでドライヴするが…。車の走りと手術の妄想が交互に描かれ、クレッシェンドの高まりとともに最後に一点に収束して終わる。

〇Aujourd’hui l’abîme
厳格な宗教教育を受けて育ったが、子どものころ娼婦街を車で通ったときの思い出がこびりついて、大学に入った途端、放蕩生活に陥り一人の娼婦のもとに通うようになる。学校にも行かず全財産を注ぎ込み、飲まず食わずで痩せ細るうちに、その娼婦の家で自分とそっくりの男とすれ違う。彼女は魔界の女当主で、若者らを次々に同じような亡霊と化してこの世から葬っていたのだ。

カルヴィーノ『マルコ・ポーロの見えない都市』

f:id:ikoma-san-jin:20211030063701j:plain:w150                                        
イタロ・カルヴィーノ米川良夫訳『マルコ・ポーロの見えない都市』(河出書房新社 1983年)


 これからしばらくは、架空都市、幻想都市、迷宮都市、異次元都市…に関連した小説、評論、詩を読んで行きたいと思います。まず第一弾は、この分野の先陣を切ったカルヴィーノの作品から。久方ぶりに読んでいて、静かな興奮を感じました。

 マルコ・ポーロフビライ汗に対して、旅で出合った都市について奏上するという形で語られますが、報告は9章に分かれ、章のそれぞれにプロローグとエピローグがついていて、マルコ・ポーロフビライ汗のやり取りとなっています。面白いのは、各章は5か10の報告からなっていますが、それぞれの報告には「精緻な都市1」というような小見出しがついていて、それが同じ章内で続くこともあれば、章を跨いでつながったりもすることです。この小見出しは、「都市と記憶」、「都市と欲望」、「都市と記号」、「精緻な都市」、「都市と交易」、「都市と眼差」、「都市と名前」、「都市と死者」、「都市と空」、「連続都市」、「隠れた都市」の11ありました。

 マルコ・ポーロの『東方旅行記』は読んだことがありませんが、少しはこの作品に似たところがあるに違いありません。13世紀の『皇帝の閑暇』の奇想天外な町の紹介を思わせるところがありますし、千夜一夜物語の架空の都市の香りもします。と思えば、アメリカのほら話のようなところもあります。近年の文学でいえば、シュルレアリスムモダニズムカフカの影もあり、ボルヘスも顔を覗かせています。

 マルコ・ポーロの語りを、一言でいえば、言葉の手品ということができるでしょう。フビライ汗に対して、トランプのマジックを見せるように、手品を繰り広げて楽しませようとしていて、読者のわれわれはそれを横から興味深く見ているといった感じです。架空のほら話を語るには、旅行記ほど最適な書きものはありません。現実の都市からできるだけ離れ、ヨーロッパから遠く、しかも中国でもない、どこにあるか分からないような場所を設定し、その見聞者として、歴史的実在人物であるマルコ・ポーロを登場させたわけです。

 本来、旅の見聞というのはノンフィクションのはずで、事実と思うからこそ興味が湧くわけですが、ここでは、小説作品として書かれ、しかも事実からは程遠い奇想天外な話ばかり。西洋中世の奇異な風物を記録した旅行記が、発想のもとになっていると思われますが、それらの旅行記は、あくまでも事実として書かれているなかに、伝説や筆者の想像がフィクションとして混じりこんでいるもので、一種の詐欺、騙りと言えましょう(初めから筆者も読者もほら話として楽しんでいるふしもありますが)。本作は始めからフィクションと読者は捉えているので、荒唐無稽な話をどこまで面白く読ませるか、読者はその手並み、つまり鮮やかなレトリックのトリックを楽しむという訳です。

 彼の語る都市は、中世の奇聞を集成した旅行記の枠をさらに踏み越えて、おとぎ話のなかの都市、観念のなかの都市を描いています。旅の報告と言っても、結局はすべて言葉で築かれたもので、観念的なものを入り混じらせるに好都合なわけで、言葉と実態との微妙なずれ、乖離をうまく利用して、不思議な世界を築き上げています。冒頭の一章から、独特の語り口で、その不思議な世界に引きずり込まれてしまいました。奇抜な想像力が満ちあふれていて、筆者は、どれだけ珍妙なほら話ができるかに傾注しているかのようです。

 どんな都市が語られているか、例をあげてみますと(ここからはネタバレ注意)、
船で入るか陸路で駱駝に乗って入るかによって異なる姿を見せる「都市と欲望3」のデスピーナ
その都市からはたくさんの思い出を持ち帰るが、同じものを見ていても人によってまったく印象が異なる「都市と記号2」のジルマ
人々は無数の都市があるなかの一つの都市だけに住み嫌気がさして来るとみんなで大移動するという「都市と交易3」のエウトロピア
出会う人はみんな知っている人だがみんな物故者で、そうすると私も死んだことになるのかと思ってしまう「都市と死者2」のアデルマ
細長い竹馬の脚が雲間に姿を隠すまでに高く伸びその上に人々が住んでいる「都市と眼差3」のバウチ
死ぬとミイラにされて地下に運び込まれ希望の仕事の姿勢で安置されるが、知らぬ間にそれらの死者たちが地下の町を変えていき、逆に地上の生者たちが死者の国を真似するに至る「都市と死者3」のエウサピア
毎日身の回りの品物を新しくするのでゴミが郊外に山と積まれるが、隣国も同様にゴミを積み上げるので、大崩壊が起こる「連続都市1」のレオーニア
宿の窓からのっぺりとしたまるい顔がとうもろこしを齧っているのを見つけたが、次の年は3人、その次の年は6人、そして16人、47人と増えていき、ついに窓の外は顔ばかりとなり、部屋にも26人が溢れて身動きができなくなっていたという「連続都市3」のプロコピア

 こうして見てみると、ナンセンスなユーモアを感じてしまう掌編が多いですが、観念的すぎて現実感の希薄な都市も数多くあります。例をあげると、
同じ地上に、同じ名の都市があり、その住民の名前も容姿も変わらないが、お互いに通じ合うすべもないままに、それぞれ盛衰を繰り広げるという「都市と記憶」のマウリリア
空港に到着するや出発してきた町とまったく同じなのに気がつき、別の町へ行こうとするがどこへ行っても町の名前が変わるだけで同じだと諭される「連続都市2」のトルーデ
何時間も歩き続けて一向に町の中心に辿り着かないまま通り過ぎてしまう「連続都市5」のペンテシレア

 もうひとつ面白い趣向は、「隠れた都市2 ライッサ」で、場面がどんどんバトンタッチされて繋がっていく描写。子どもが窓から犬に笑いかけ、犬は石工の落としたきび餅に食らいついており、その石工は若いお内儀(かみ)に声をかけ、お内儀は料理の皿を傘屋の親爺に持って行き、その親爺は儲け話に恵比須顔、というのは高額のパラソルを高貴のご婦人が買い上げたので、そのパラソルをかざして競馬場へ行ったのは、ある将校に首ったけだったから、その将校の愛馬が障害物の上をひらりと跳びながら見たのは空を飛ぶ山鶉で、その鳥が籠から放してもらえたのは、画家のおかげ、その絵を書物の挿絵にした哲学者は、「ライッサでは、目に見えぬ一本の糸が走っており、一から他へと一瞬のうちに結び合わせては解け、さらになお動いている点と点とのあいだに張り渡されて新しい刹那の図形を描き出す」と語る。

 この作品を文学的に香り高いものにしているのは、詩情と幻想が見事に結合しているところが多々あることでしょう。具体的な文章の見本をいくつかお見せしておきましょう。

言うなれば、雨あがりの宵の象たちの匂いと、香爐のなかで冷えきってゆく白檀の灰の芳香とに捉えられてゆく虚脱感。平面球形地図の赤黄色い背中にかきこまれた山脈や大河を震わせる眩暈(p8)

空間の寸法と過去のさまざまな出来事とのあいだの関係によりその都市はつくりあげられているのでございます。街燈の地面からの距離と吊るし首になった簒奪者のたれさがった両足、その街燈から正面の手すりまで張り渡された縄と女王ご婚儀の行列の道順を覆う花綵(はなづな)、その手すりの高さと暁にそれをのり越える姦夫の跳躍…(p15)

ある都市は鵜の嘴を逃れようとして網のなかに落ちる魚の跳躍によってあらわされ、つぎの都市は身を焼くこともなく火焔のなかを通りぬける裸形の男、第三の都市はきよらかな真珠を青黴に覆われた歯でくわえている髑髏によって示された(p31)

すると彼の夢のなかには凧のように軽やかな都市、レース編みのように透けている街、蚊帳のように透明な都、葉脈都市、掌紋都市、線条細工都市など、いずれもその半透明の虚構の厚みをとおして透かし見る諸都市があらわれる(p99)

 まだまだ本作品の魅力を伝えきれていないと思いますが、切りがないのでこの辺で。

長谷川正海『日本庭園雑考』

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長谷川正海『日本庭園雑考―庭と思想』(東洋文化社 1983年)


 これで庭の本はいったん終わりにします。著者略歴を見れば医学の教授とあり、趣味が高じて庭の研究に打ち込まれたみたいですが、相当熱心に調べていて、庭の研究者としても十分やっていけそうに思えます。あちこちの雑誌に発表したものや講演記録を集めたものらしく、重複した記述が多いですが、何度も読んでいるうちに理解が深まっていくので、良しとしましょう。

 この本の特徴は、ページの半分以上を割いて、作庭と古代日本からの思想や宗教との関連について著述しているところで、日本思想史といった趣きもあります。これまで読んだ本でも、宗教や思想に言及したものは幾つかありましが、正面から論じてはいませんでした。残り半分の話題としては、庭園の見方の入門的なガイドや、寺院庭園、京都の庭園、義政・相阿弥・小堀遠州の個別の庭についてなど。明治生まれの方だけあって、漢字が多く、若干読みづらい。

 庭に関していくつか強く主張されているところを順不同にピックアップしてテキトーに要約しますと、
①『作庭記』に代表されるように、日本庭園を自然景観の縮景的写景とする説が多いが、実は日本庭園は、須弥山庭園や蓬莱庭園として登場した。須弥山思想、神仙思想、道教思想、浄土思想、禅思想等が盛衰を繰り返して、これに即応した庭園の様式が興亡を重ねてきたのである。

②日本庭園は写意的な意匠を、写実的な自然景観的表現技法によって作庭するところに特色がある。何故写意的な表象の手段として、写景的手法を選択したかは、日本の民族に根深く自然志向があるからだろう。

③『記紀』の神話には、水平表象の「神池」と垂直表象の「岩座」がある。神池は海洋渡来民族の歴史表象で、妣なる国への思慕を託した常世国表象とも言え、また岩座は降臨神の依代わる場の造形で、垂直的神表象の理念的産物であり、それぞれの形象は後年の池泉庭と石組に伝承されている。

奈良時代の仏教寺院庭園は、直接的には仏教と関係のない道教を背景思想とする移入庭園であった。平安時代になって、浄土庭園が誕生した時点で初めて寺院と庭園とは、仏性と必然的な連帯で結びついた。

⑤東山殿の三阿弥、即ち能阿弥・芸阿弥・相阿弥の三者の本業は、東山殿の「唐物奉行」で、渡来物の鑑識・記録・修理・保管・出納の役を担っていた。竜安寺などの名庭を造ったと言われている相阿弥は茶や水墨画はよくしたが、当時の記録には作庭家としては出てこない。龍安寺の庭には、おそらく作庭家善阿弥の子らが関与したと思われるが、後世の人たちが、阿弥の代表格である相阿弥に、その功績をまとめたのではないか。

⑥庭園を見る時は、感覚の楽しみのためだけに見るのでなく、その庭園が成り立っている背景をよく知ったうえで、その庭の語りかける声を聴き、庭の心と自分の心を通じさせるという心構えで庭を見なければいけない。

 その他の話題として面白かったのは、
①原始の時代には死霊は恐怖の対象であり、屍は穢れの最たるものであった。やがて「カミ」観念の発展とともに、死霊は祖霊段階を経て祖神となり、それに連動して屍の汚穢意識も減り、とくに火葬が仏教伝来とともに広まり(700年僧道昭の荼毘が最初)、浄化が観念づけられることになった。

②日本の原始神道である神祇信仰は、形而上学的な教理ではなく、呪術的シャーマニズムによるものであっただろう。仏と神との出合いは、原始的な呪術性を接点として進展したに違いない。神仏両教に共通の多神教性があり、本来的に寛容であったため、習合がより容易に進められた。さらに道教的要素も入り交じって収斂融合していった。

③『記紀』をはじめ常世国を黄泉国と同一視している説は多い。仏教では現世を穢土と見て現世を否定し浄土彼岸を無限遠にあるものとしているが、常世国の黄泉世界の場合は、現世と次元的に等しくヨモツヒラサカを境にして道が続いていたり、常世国の波が現世の伊勢の海に打ち寄せるなど、平面的延長として意識されていた。

道教常世思想は容易に習合し、多くの文献で常世思想は神仙思想の形で表象されるようになった。吉野の舞姫常世国の乙女子になぞらえたり、羽衣物語には仙女が登場したり、山幸彦や浦島の海の宮居には仙境意識が見られるなどである。この常世国は明るい好ましい世界像として描かれている。

⑤時間意識が始まったのは、昼夜の交替、四季の変化の経験からだが、農耕によりさらに明確な時間意識が芽生えた。この永遠回帰の循環的持続が、おそらく仏教を淵源とする、無限過去と無限未来が直進的に続く時間的永遠と結びつき、さらに空間的な永遠性も裏づけされた。それが常世国である。

久しぶりに二つの古本市

 コロナもようやく下火となり、古本市も続々と再開されました。その第一弾、昨年秋以来の開催となった四天王寺秋の大古本祭りに、初日に出かけました。真っ先に駆けつけた100円均一はものすごい人だかりの密状態。肩越しに本を見つめるのに疲れて早々に退避して、不死鳥ブックスの300円均一の大量の棚でのんびりと本を眺めました。

三井秀樹『形の美とは何か』(日本放送出版協会、07年2月、300円)→科学の眼から造型を論じた文理を総合した本のようなので。
松田良一『永井荷風 オペラの夢』(音楽之友社、92年7月、300円)→荷風が欧米滞在時に出かけたコンサートの記録が克明に出ており、当時の演奏曲目が分かる。
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 次によく覚えてませんが、たぶんピエト文庫で、
川路柳虹詩学』(耕進社、昭和10年4月、200円)→立派な装幀の割に値段が安いが、革が腐食してかぼろぼろになり手に付くので、慌てて紙のカバーをつけた。日本の革装幀の本は革の質が悪いのかぼろぼろになっているのをよく見る。
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 稲野書店というところでは、金井紫雲の「○○と藝術」シリーズがずらりと並んでいました。10冊以上あったでしょうか。『花と藝術』だけ所持していますが、こんなにあるとは思わなかった。
金井紫雲『天象と藝術』(芸艸堂、昭和13年1月、1000円)→ちょうど月に興味があったので。
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 郁書店では、戦前の海外文学関係が充実していましたが、ほとんど持っているものばかり。
内藤濯『実習仏蘭西文典』(白水社、48年6月、300円)→昔の大家に少しは教えられてみたいと思って。
メアリ・ラム/チャールス・ラム西川正身訳『レスター先生の学校』(國立書院、昭和22年10月、300円)→姉メアリの生徒たちの話をもとにしたということだが、ラムが書いた物語も3篇入っている。
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 結局、いつもより少なく6冊だけ。久しぶりに古本仲間と昼食とお茶を楽しみました。

 天神さんの古本まつりの初日は、偶然、近鉄阪神沿線を各駅で飲み歩く会(と言ってもメンバーは二人)が1年ぶりに復活して、鳴尾・武庫川女子大学前で飲むことになったので、途中で1時間ほど立ち寄ることができました。下記2冊のみ購入、いずれも矢野書房の出品。
J・A・シュモル=アイゼンヴェルトほか種村季弘監訳『世紀末』(平凡社、94年8月、500円)→900ページ以上もあるのに500円は安い。ただしカバーなし、本自体は新品同様で何の問題もなし。ドイツの学者が書いた世紀末芸術・文学に関する28の論文が収められている。種村自身が訳した「冒険小説とデカダンス」、「世紀末抒情詩における贅美な=えりすぐりの物質に対する偏愛」などが読みたくて(がたぶん読まない)。
山内昶『青い目に映った日本人―戦国・江戸期の日仏文化情報史』(人文書院、98年10月、500円)→幕末明治の日仏関係の本はたくさん持っているが、戦国・江戸期にそれぞれ相手国をどう見ていたかについては珍しい。
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 オークションでの購入は下記4冊。
「流域 85」(青山社、令和元年10月、500円)→「長谷川潔堀口大学の往復書簡」には、日夏耿之介と絶交した直後の堀口大学の残念な気持が綴られていた。
森川平八『短歌文法入門』(飯塚書店、81年12月、100円)→今頃読んでも手遅れか。
永井荷風『あめりか物語』(福武書店、83年12月、260円)→なぜか読んでなかった。フランスへの憧れが綴られているはず。
高柳誠詩集『卵宇宙/水晶宮/博物誌』(湯川書房、83年6月、1200円)→架空都市的散文詩と私が呼んでいるジャンルの作品。
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庭園に関する本三冊

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野田正彰『庭園との対話』(日本放送出版協会 1996年)
円地文子編『日本の名随筆―庭』(作品社 1983年)
高木昌史編訳『庭園の歓び―詞華による西欧庭園文化散策』(三交社 1998年)


 とにかく庭に関しての本。『庭園との対話』はNHK教育テレビの番組のテキストで、日本庭園と中国、イスラム、西洋庭園の全体を論じたもの。『日本の名随筆―庭』と『庭園の歓び』はともにアンソロジーで、前者は日本の作家、随筆家たち、後者はドイツの作家、詩人たちの庭に関する文章や詩が集められています。


 野田正彰は医学畑の割には、庭園への思い入れが強く、日本はもとより、中国、イタリアなど、いろんな庭園を熱心に研究されていて造詣が深いのに驚きました。とくに京都の非公開の庭が詳しく説明されていました。専門外だけあって、どきりとするような着眼点があり、また、精神病理学者らしく庭を人間の心との関連で語るなど、示唆に富んでいました。

 例えば、冒頭、「はたして数時間、たまたま観光用に公開された古庭園をまわって、何の意味があるのだろうか。旅から帰れば、公園らしい公園のない乱雑な都市が待っている」(p2)と疑問を投げかけ、「朝起きて一歩家を出ると、精神の重要な層をなしている景観の文化のスクリーンに、流れる外界を映して歩き始める・・・精神は対人関係によって形成されると同時に、風景との関係によってもつくられているのである」(p9~10)と、人間にとって日常の外界風景の重要さを指摘しています。

 それとともに、時間の感覚を外界との関係で捉え、「私たちは事物からときを感じることがどれだけあるだろうか」(p30)と問いかけ、「雲や空の光の変化や、木々の影の短長や、風が運ぶ気温の上下は、事物に寄り添う時間を感じさせてくれる。特に水の流れは、私たちに生きている時間を伝えてくれる」(p31)と自答しています。

 その水の人間の心に対するインパクトとして、①清浄な生命の息吹きを感じさせる、②時間を感じさせてくれる、③空や光、雲、月を映す、④停止し、潤み、靄のなかにかすむことによって、私たちの生命や感情を溶解し、かすかな混沌のなかに誕生や死や喜びや生きてきた疲れを包み込む、という4点を挙げています。

 そのほかいくつか印象深かったのは次のような指摘。
①かつては権力者や富豪の持ち物だった絵画や工芸品は、近代になって一般に公開されるものに変わり、大衆の眼にさらされることによって近代の芸術になり得たが、作庭には私有して秘かに楽しむという面がどうしてもあり、近代の芸術になりきれない。

②公開された庭を訪ねたからといって、作庭家が意図し古人が味わったようには庭を体験したことにはならない。なぜなら、古人は舟を浮べて水の面まで視線を落とし庭を見ていたし、昼以上に夜を味わっていたに違いなく、また古人のように早朝の光を浴びた雪の庭を知ることはできない。

③日本人の好んだ風景を、山懐に抱かれ、南のやわらかい日射しの明るい、平野を見下ろすような山の辺の景色、それに四方を低い尾根に囲まれた盆地の二つに見ていること。いずれも何かに包まれているという感じがポイントのようです。

④中国の官僚や富豪の庭園である私家園林の特徴を、1)築山や洞門、建物や回廊などの組合せと屈曲がつくる意外性、2)様々の形の洞門によって景色を絞り込み、額縁の中の絵のように見せること、3)太湖石や黄石で山をつくり、その中に迷路のように山洞をつけ、窓のある小室を設けて仙人境を現出させ、自己充足空間をつくっていること、としている。

 2)の風景を枠で切りとることによって美を生みだす技法の例としては、日本庭園でも、大徳寺孤蓬庵の方丈前庭の二重刈込み籬による囲い込みや、同じく孤蓬庵忘筌(ぼうせん)の障子で区切られた坪庭があるとしています。


 『日本の名随筆―庭』は、東西庭園の比較、本格的な日本庭園、さらに自邸の庭や家庭菜園についての話題などを、庭園研究の専門家や、作家、随筆家、他分野(画家、建築、哲学、歴史、書)の人たちが各人各様に書いています。

 なかでもとりわけ面白かったのは、東西の話題が豊富な澁澤龍彦の「東西庭園譚」と、現代生活への疑問を突きつけている上田篤の「庭」。次によかったのは、義政の愛した12の盆石の名称が凄い伊藤ていじ「有為自然の庭」、現代の抽象美に満ちた非情の庭を語る大山平四郎「昭和の庭―光明院庭園」、思い出の庭と自然との関係に思いを巡らす篠田桃紅「庭」、パリと東京の庭のあり方について語り文章の勢いが尋常でない開高健「一鉢の庭、一滴の血」、わが家の庭についての愛情をしんみりと吐露する尾崎一雄「草木茂る」、ユーモアの溢れた遠藤周作「わが庭・わが池」。


 『庭園の歓び』では、西洋に脈々として流れる造園への情熱を感じることができました。なかでも、散文では、O・シュペングラーの「ルネサンス庭園」、A・W・シュレーゲル「造園術」、E・ブロッホ「城内庭園とアルカディアの建築」、詩では、S・ゲオルゲ「架空庭園の書」、G・トラークル「ミラベル庭園の調べ」、Fr・ヘルダーリン「パンと葡萄酒」、R・M・リルケ「秋」が秀逸。

 シュペングラーは、西洋絵画の直線的遠近法の出現と、視線が遠方で吸収されて行く大庭園の「眺望地点」の導入を並行したものとして語っており、さらにそれを遠さへの志向を持つクープランの牧歌的音楽にまで敷衍しています。また、遠さの中で空間は時間となり、移り行くもの、はかなさを想起させるとし、遠さが西洋の叙情詩では、哀愁を帯びた秋のアクセントを持つという詩学を語っています。また大都市の街路が、ヴェルサイユ庭園の特徴に従い、直線的な遠方に消えゆく街路線となっていることも指摘。

 シュレーゲルは、古典古代の庭は邸宅の延長として考えられていたので、小規模で涼しさや木陰が求められたこと、また、フランス式庭園で木々を人工的な姿に刈込んだりするのを悪趣味とみなす風潮があるが、自然の岩を削った石から建物を組み立てると言って非難するようなものと主張しています。さらに、イギリスの風景式庭園について、人々がそれまでの庭園に求めていたつましい快適さを放棄し、風景的な場面を眺めることで精神を高揚させようとしたが、どこまで人間の技術の影響を隠蔽することができるかの限界や、自然のどんな点を模倣すればよいかの選択を見誤ったことが、衰退の原因であるとし、もし崇高な畏怖の念を起こさせる自然の光景を賛嘆したいと思うのなら、それを自分の所に呼び寄せるよりも、そこへ出向いていく方が何と言っても得策と、喝破しています。

 いろんな人の文章のなかに、クロード・ロランの名前が頻出していますが、19世紀から20世紀初頭にかけては、ヨーロッパでは、まだ17,8世紀が重要視されていたことが分かります。戦後の日本では、なぜかルネサンスと19世紀末の絵画が異様にもてはやされ、その間の絵画にあまり関心がなかったみたいですが、世界的にもそうだったのでしょうか。

MICHEL DE GHELDERODE『SORTILÈGES et autres contes crépsculaires』(ミシェル・ド・ゲルドロード『魔法―薄明物語集』)

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MICHEL DE GHELDERODE『SORTILÈGES et autres contes crépsculaires』(bibliothèque marabout 1962年)


 大学時代に買った本。単語の意味を余白に丁寧に書き込んでいて、読もうと努力したあとが見えます。がそれもあえなく数ページで挫折しているのが可愛らしい。いちばん短い短篇を選んでいますが、よりによってそれがこの本の中でいちばん難しい箇所で、しかも挫折したその後の部分は急に易しくなっているのは、運命の悪戯でしょうか。もしもう少し先まで読んでいたら、自信がついて、別の人生が開けていたかも。 

 12篇からなる短篇集。うちタイトルともなっている「Sortilèges」(松籟社刊『幻想の坩堝』所収)と「L’écrivain public(代書人)」(「幻想文学13号・フランス幻想文学必携」所収)の二篇は翻訳があります。

 集中、最高作は「Tu fus pendu(オ前首吊ラレタ)」。次に「L’écrivain public」、「Le jardin malade(病んだ庭)」、「L’amateur de reliques(聖遺物マニア)」、「L’odeur de sapin(樅の香り)」といったところでしょうか。いずれも語りが滑らかで、細部の描写や人物造形も素晴らしく、会話も生き生きしていて、ゲルドロードの作家としての才能を感じさせます。ジェラール・プレヴォと同じく北方の霧の立ち込めた寂びれた町の雰囲気が味わい深く、また畸形、病気、狂気が散りばめられたグロテスクな世界が濃厚です。

 幻想小説を形成するさまざまなテーマが見られます。幽体移動(「L’écrivain public」、「Brouillard(霧)」)、悪魔(「Le diable à Londres(ロンドンの悪魔)」、「Rhotomago(ロトマゴ)」)、廃墟(「Le jardin malade」)、骨董(「L’amateur de reliques」、「Tu fus pendu」)、カーニバルと仮面(「Sortilèges」)、奇蹟(「Nuestra senora de la Soledad(孤独の聖母)」、「Un crépuscule(黄昏)」)、幻聴(「Brouillard」)、前世の記憶(「Tu fus pendu」)、死神とのチェス(「L’odeur de sapin」)。

 序文でアンリ・ヴェルヌは、ゲルドロード作品の特徴を、装飾と人物像の二点にあるとし、装飾として、「フランドルの町、霧に包まれた切妻壁、船頭の竿にひっかかる目も鼻もない屍体、解体を目前にした館と腐りつつある庭、人が恐怖を紛らわしに飲みに来る酒場、ずっと昔に誰かが首を吊られた首吊り台、泥に沈みつつある教会、存在しない者の呼び声のする霧の道」、人物像として、「手品師メフィスト、魔猫に追いかけられ広大な館で迷子になるホムンクルス、冒瀆の骨董屋、瓶に閉じ込められた悪魔、生まれてこない子どもたち、人の靴を履いて命を奪おうとする死神、主人が幽霊か案山子扱いにしている赤毛の醜い女中、年老いた渡し守」などを挙げています。

 ちなみにそのアンリ・ヴェルヌは、SF大衆作家で、マラブ社の名高い幻想小説シリーズの編集主幹でもあったようですが、今年7月に102歳でお亡くなりになったとネットに出ていました。

 各短篇の簡単な紹介をしますと(ネタバレ注意)。                                         
◎L’écrivain public(代書人)
人形を集めた博物館を付設したベギン会修道院には、忘れられた礼拝堂があり代書人が座っていた。私は蝋人形か人間か分からぬまま、代書人が好きになり毎日のように訪問した。そのうち秘密を告白したくなり代書してもらおうとしたが、猛暑で外に出る気力もなく、仕方なく家から代書人に向けて念を送った。秋に久しぶりに行ってみると、代書人は暑さで蝋が溶けたのか部屋の隅に寝かされていた。そして代わりに座っていた管理人から、夏の間毎日来て手紙を書かれていましたがどうぞお持ち帰りくださいと、ぶ厚い紙束を差出された。

〇Le diable à Londres(ロンドンの悪魔)
霧の町ロンドンで退屈に蝕まれ、悪魔にでも会わないものかと呟いていたら、「メフィスト」という表札のかかった家の前に出た。ひとりでに扉が開き、中に招じ入れられると、そこは劇場で、メフィストが現われて帽子から兎を出した。手品師かと思いきや、私が子どものころ体験した劇場での出来事を話し、大事なのは悪魔がいるとまだ信じているかどうかだと言う。悪魔は地獄でまた会おうと言って去るが、悪魔の世界に憧れる私は、この退屈な町こそが地獄だと思えるのだった。

◎Le jardin malade(病んだ庭)
かつて修道院のあった古い地区。子どものころから憧れていた館の一室を借り愛犬とともに住む。廃墟同然で、2階には謎めいたご婦人が住んでいるだけ。庭は鬱蒼として足の踏み入れようもなく、かつての修道院の墓場があった。ある日、小人のような老人が茂みから現われ館に走って行くのを見た。取り壊される運命の館が日々凋落衰微していくさまが、日記形式で怪奇的に語られる。皮膚病の大猫と水頭症の畸形の娘の存在感が凄い。

◎L’amateur de reliques(聖遺物マニア)
裏通りのうらぶれた骨董屋の店内でいつも居眠りをしている老人が目障りだ。目を覚ましてやろうと、聖遺物マニアのふりをして、この聖体容器に聖体パンをつけるなら1万フランで買うと無理難題を吹きかけ、1週間後にまた来ると告げた。数日後、普段外に出ない老店主が教会に入って行く姿を目撃する。盗みまでして!と感動するが、約束の日、もうその店主は店に居なかった。ある日、大通りの高級アンティークショップで、例の聖体容器を見つける。アメリカの美術館に売却済みの由緒ある品だった。店名を見ると老人の名前が書いてあり、奥にはあの老人がまた居眠りをしていた。

〇Rhotomago(ロトマゴ)
未来を予見すると書かれた筺。てっぺんの羊皮紙を押すと浮沈子のガラスの悪魔が浮き沈みする仕掛けだ。椅子に座って見ていたら、夢を見たのか、触りもしてないのに悪魔がなかで暴れていた。蓋を開けると、悪魔が飛び出て、椅子に座ってゴム風船のように膨らんで人の大きさとなった。未来を占いますというなら、5分後の自分の未来は予見できるだろうと、暖炉の燭台を手に取って近づくと…。何ということのない話だが、読ませる。

〇Sortilèges
何かから逃亡している私は、カーニバルの町に降り立つ。仮面の人々が群れ騒ぐ町中を避け海辺に行くと、仮面をつけた人々を乗せた船が近づいてくる。よく見ると、ぶよぶよした胎児のような生き物だった。急激に増殖したその生き物に取り囲まれ、気を失って溺れ、目覚めると、天使が立っていて、高台から町のカーニバルの様子を見せてくれる。あの胎児や天使は何だったのだろうか。魔法か、単なるペテンか。仮面をつけた人間のようなものが船で近づいてくる場面は、アンソールの絵を思わせて不気味。

Voler la mort(死神から死を盗む)
大勢の飲み仲間のなかで、陽気と無口の対照的な性格の二人の親友がいた。主人公が突然重度の病気になったとき、陽気な友が部屋に見舞いに来て何かを盗もうとし、無口の友に見つけられて追い出された。結局入院したが、今度は無口な友が何かを新聞にくるんで帰って行くのを見た。奴も泥棒だったのか。恢復後、盗っていったのは靴で、死神に履かれると死ぬという伝説を思い出して、友を死なせまいとしたことが分かる。

Nuestra senora de la Soledad(孤独の聖母)
生まれたときから孤独な男。話し相手といえば動物や亡くなった祖先だけだったが、ただひとつ教会の孤独の聖母には毎朝欠かさずお参りしていた。他の豪華なマリアと違って、死にゆくマリアを表現した暗い姿だった。あるお祭の日、他のマリアが行列で出て行ったあと、残されたそのマリア像が起こした奇蹟を語る。

〇Brouillard(霧)
誰も居ない筈なのに突然名前を呼ばれることがある。霧の濃い日、あと少しで家というところで名前を呼ばれた。振り返っても霧があるばかり。しかし足音が聞こえ項に熱い息がかかった。誰かが後をつけている! 家の中に転がり込み、高熱にうなされていると、唇が窓ガラスに多数現われて何かを告げようとしていた。あとで昔の親友が亡くなったことが分かる。霧の町の描写がすばらしい。

〇Un crépuscule(黄昏)
雨の日、部屋も町も湿気を帯びて臭気を放っていた。夕暮れに外に出ても誰もおらず、町の明かりも灯ってなかった。世界の終わりを感じ、たまりかねて古い教会に逃げ込むが、やはり誰も居ず蝋燭も灯っていず、磔刑キリスト像に当っただけ。教会の崩壊とともに死ぬのを覚悟していると、神が差し伸べてくれたのか目の前に綱があった。それを引くと、鐘が鳴ると同時に、教会にも町にも明かりが灯り、人々のざわめきも戻る。雨の日の黄昏の陰陰滅滅とした雰囲気がよい。

◎Tu fus pendu(オ前首吊ラレタ)
フランドルの小さな町に住むことになったが、古い一角になぜか魅せられ、夕方に「小さな首吊り台亭」という居酒屋に行くようになった。骨董を集めている変わった店主とあざ笑うようなカササギがいた。不吉な店名の由来を聞くと、店主は広場の向かいの壁を指さした。よく見るとブロンズの腕が壁に塗りこめられており、そこに首吊り縄をかけるようになっていた。死刑執行人のひ孫がまだいて、先祖代々の縄を持ってるという。それを聞いてから執拗な幻に苛まれるようになる。そして刑が執行される幻を見たとき、実際その苦しみを体感したように感じた。カササギが目の前に飛んできて鳴いたが、「オ前首吊ラレタ」と聞こえた。

◎L’odeur de sapin(樅の香り)
ついに死神の訪問を受けた。死神は、チェスをしようと樅のチェス盤を取り出した。わしが「詰み」と叫べば、お前はこの世からおさらばだと言う。チェスは五分五分で進んで行ったが、何とか時間稼ぎをしようと、酒を飲ます手を考えた。死神は思いのほか大酒のみのスケベで、酔うに連れて女中が気になり始め、指し手もしどろもどろになり、今日はこれまでと去って行く。が、代わりに女中が犠牲になっていた。グロテスクで滑稽な雰囲気が何とも言えない。

日本の庭に関する本二冊

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宮元健次『月と日本建築―桂離宮から月を観る』(光文社新書 2003年)
栗田勇/岩宮武二(写真)『石の寺』(淡交社 1965年)


 異質な本ですが、同時期に読み、また二冊とも日本の庭に関連しているので並べてみました。かたや、月を軸に日本の建築や庭を論じた本で、分かり易く書かれた新書。かたや前半分を写真が占め、石の庭のある京都の寺を紹介した本、といっても、観光案内的なものでなく、美学を語った一種哲学的味わいもある美術書です。淡交社は、この頃、当時の思想家たちに日本の美を語るシリーズを出していたようで、矢内原伊作会田雄次川添登らの本を所持しています。


 『月と日本建築』は、日本の美意識に大きな位置を占める月を軸に、桂離宮伏見城銀閣寺が月をどう取り込んで設計されたか、中世の文芸や物の見方のなかで月がどう捉えられていたか、楼閣建築など月を見るためにどんな工夫がされたか、そしてそうした建物や庭を造らせた為政者はどういう思いでどんな振舞いをしたかを述べています。

 何と言っても驚くのは、桂離宮のそれぞれの建物が、月をいかに美しく見るかという一点に集中して設計されていることで、春夏秋冬に応じて、それぞれの月の昇ってくる位置にあわせて建物をその方角に向けているというところです。また秀吉が晩年、伏見の月を見るために、伏見屋敷、指月城、向島城、伏見城、指月円覚寺と、次々に建造、改築、移設を繰り返す執念、義政の銀閣寺造営に対する妄執には、凄まじいものがあります。

 それはともかく、月を見ることがいかに日本人にとって大切なことだったか。月を見るためにさまざまな工夫がなされています。楼閣というのは、もともと月が上って来るのを見るための建築で、床を高くし軒を短くしたといい、そのほか夕方の茶会の折に月を見るために開口部を大きく開いて縁側を広くとった茶亭を造ったり、橋の真中に屋根や腰掛を配した亭橋を、城にさえ月見櫓というものを造ったりしています。

 月の見方もさまざまあって、月を水に映して見るために、楼閣の前に池を配したり、池に舟を浮べたりして、上下両方の月を眺め、手水鉢に月を映しそれを掬うように手を洗ったりしたといいます。なぜこれほどまでに水面に映る月にこだわったのか。著者は、その理由として、月の虚構性をより強く感じるためと指摘しています。月自体が光を反射するという虚構で、はかないものだが、虚構である月がさらに水面に映ったさまに「もののあはれ」を感じた、と書いています。また、月の夜に、月明りを利用して見る観月能が厳島神社や各地の屋外の能舞台で実施されているのは、月が夢幻的な能の内容にふさわしい幽玄美を持っているからと説明しています。

 ほかに、一般の民衆の間にも、月の出に向かって歩きながら月を待つ「迎待ち」や、川の岸に立って待つ「瀬待ち」という風習が広まって、江戸時代には大勢の人々が海辺や高台に群れをなして集まったということで、観月の習慣がほとんど見られない西欧との違いを指摘しています。

 金閣寺が上二層に金箔が施されているのと違って、銀閣寺は表立って銀を使っていないのに、なぜ銀閣と呼ばれるようになったか。実は軒下に銀箔を施していた可能性が高く、池や銀沙灘(ぎんしゃだん)という白砂に反射した月光を、さらに軒下に反射させて家のなかに光をもたらすための仕掛けであったと推測しています。銀閣寺には、ほかにも月の出を待つための月待山や、水面に映った月を洗うということから名づけられた洗月泉という滝、それに向月台という砂の台があり、観月をかなり意識した建物であったことが分かります。

 その銀閣寺の造営に晩年の精力をつぎ込み、結局完成を見ずして亡くなった足利義政は、この本を読む限りでは、かなりな馬鹿殿ぶりで、あきれるほかはありません。異常気象がもとで大飢饉が発生し、1460年には、1,2ヶ月のあいだで、京都で当時の人口の約半数の約8万2千人の餓死者が出たというときに花見の宴をはったり、自らが応仁の乱を引き起こすもととなって京都が地獄絵のように破壊されているのに、戦乱をよそ目に、湯水のように酒をくらい能を舞っていたといいます。さらに銀閣を造るために、自らあちこちの寺へ出向いて木々や石を見つけては、それを強引に銀閣に運ばせるという掠奪のようなこともやっています。


 『石の寺』の著者栗田勇は、もとはロートレアモンの翻訳などをしたフランス文学者ですが、日本文化に関する本をたくさん書いています。フランス文学者の多くが、長じて日本文学の専門家のようになったり、日本文化の伝道者のようになるとよく言われますが、著者はその代表格のひとりのようです。近代文学や芸術を研究しているうちに、西欧的な作家崇拝や芸術崇拝の傾向が鼻についたり、現代文学や現代芸術が前衛的になったりするのに嫌気がさして、日本の伝統的な美意識に向かって行ったような気がします。

 しかしそうは言っても、フランス文学者らしい視点があちこちに見られました。例えば、茶庭の飛び石が一直線に方向を示さず、とぎれとぎれでばらばらなところに、大きくゆるやかなリズムを感じとり、そこに手段を目的化する深い考え方を見て、それをヴァレリーの舞踏の理論になぞらえたり、石のうちに生動する気韻を説明するのにボードレールの「万物照応」の詩を引用しています。本の最後も、ジッドの『地の糧』かららしき言葉で締めくくっています。

 いくつかの印象的な論述を書いておきます。
①自然そのものに、美しいという要素がはじめからあるはずはなく、美しいと見る人間がいて、初めて自然の美しさが生まれる。また、美を理解するために解説を知ることは有益だが、解説にもとづいても美は再構成することはできない、という美についての二つの指摘。

②庭のなかでの石の特性を、垂直性と堅固感に見ていること。水はつねに平らであり、土もときに起伏するとはいえ、垂直に屹立するものではない。また水や土は連続的なものであるが、石は断絶したリズムを刻み、打楽器のような効果をもたらしているとする。

③庭園を仏像に代わる仏教芸術上の現象として捉えていること。禅宗の勃興とともに、それまでの浄土信仰とそれにともなう仏像崇拝が下火になり、その代わりに自然との合一が目ざされるようになり、自然の模倣である庭園造型に置き換わっていったという。

禅宗の特徴を、思想内容そのものよりも、禅林という知識人の集団のサロンとしての役割に見ているところ。信仰の人も技芸の人もあつまって、絵画、詩文、漢学、梵唄にいたる高度の文化集団を形成していたらしい(この部分は太田博太郎、玉村武二からの祖述)。

 バロックは装飾的だが、不定形な創造の気持ちをそのまま移りかわる形にしたもので、様式ではないとし、ロマンチックも創造する過程の美で、様式的ではないとしています。気持ちは分かりますが、様式というものは必ずどこかに表われているもので、それまでのルネサンスやクラシックの様式を、過剰にしたり不安定にさせたりする様式が見られるということでしょう。

 また西洋音楽を精神の秩序とみたり、西洋建築を静的な調和を大前提としているというふうに西洋を秩序と捉え、日本を、調和や秩序からはみ出す動的で劇的な激しい情念と見ようとしていますが、主観的な思い込みが過ぎるようで、その反対の例はいくらでも見つかるように思います。